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プロローグですらないメランコリー9

「うどん汁がしとどについてるよ」

「ん、そうか。すけあくろー、悪いが拭いてくれないか?」

 訥々(とつとつ)と評価を下した僕に、莉鈴はさもありなんとばかりにテーブルから身を乗り出して顔を近づける。莉鈴の腕に挟まれているように佇んでいるのは、あれだトレイというやつだ。丼の縁にはうどんの切れ端がでろりと飛び出ておりその先端から何やら汁を出していて、溺れかけた人間がぐったりしている感じに見えるのは、何だ僕の妄想か?

「あ、あの莉鈴さん――今何と?」

「拭いてくれないか? と莉鈴は言った」

「いや、そんな小説の一文みたいなやつじゃなくて……、今何て僕は言ったかって、僕はそれを訊きたかったんですけどっ!」

「? 可笑しなやつだな」

「あ、あ、あたひが――ふふふふいてあげゆっ!」

「ん、そうか悪い。お前優しいな」

「きゃきゃきゃきゃん違いしにゃいでよね! よね! 別にあんたにょために……、あんたにゃんかのために、やりゅんじゃにゃいんだかりゃっ――!」

 りゃ――!

 そんな雄たけびに、混濁した思考が次第に鮮明になる。

 どうやら僕は正気を失っていたみたいだ。

 ドグラマグラでも読み耽っていたのだろうか?

 いや違う。ここは学食だ。僕は昼メシを食いに来たのだった。

 確か僕は莉鈴のリクエストに応えて。

 月見うどんとプリンをおばちゃんに注文して。

 卵を二つのっけてもらって。

 それからありすとすったもんだして。

 ――え?

「あの莉鈴さん。僕の、僕たちの月見うどんは?」

 今度こそ本気で冷静になった。

 いつの間にか莉鈴に引き寄せられたトレイをぼんやりと眺め――いや、直視できない。だってそうじゃないと確実に僕は死ぬ。

「ほひるほひへなひふぁらふっふぇふぃふぁっふぁぞ」

「た、崇っ。じゃ邪魔しないでよね! わ、私だって好きでこんなことやってるんじゃないんだからっ! 別にあんたに触れて欲しくないって思ってやったわけじゃないからそこんとこ勘違いするなぁっ!」

 ありすの捲くし立てるような剣幕はともかく、莉鈴の言葉ははっきりと聞き取れた。もはや言葉としての体裁は皆無だったけれど、莉鈴が何を言わんかは手に取るようにわかる――わからいでかっ。

 というか――さっきまで顔についてたじゃん!

 おびただしいまでのうどん汁がさぁ!!

 半ば生ける屍と成り果ててしまった僕は、さらながら死人遣いの操る魔力で引き寄せられるかの如く、ゆらゆらとトレイを招き寄せる。

 それから丼を恐る恐る覗き込んだ。

 旬を終えたプールの姿がそこにはあった。

 言葉が出ない。

 魂は出ているけれど。

 どうやら莉鈴と再会した時点で、僕と昼メシの因果は断ち切れてしまったらしい。まあ、ありすとのやりとりに集中していたので、こうなったのは仕方の無いことだけれど――そんなことをぼんやりと考えながら深く呼吸をする。

「ほら莉鈴、デザートだ」プリンが入っている容器を、僕は莉鈴に差し出した。

「すけあくろー、食べないのか?」

「いや、僕はもう良いです」

「じゃ、じゃあ――」うどん汁が染み込んだハンカチをひらひらさせながら、ありすは言った。「あ、あたひが食べゆっ」

「もう好きにして」

 椅子の背凭れに腰を沈めて、僕は天井を仰ぎ見る。気だるさはまだ身体に充填されたままだったけれど、不思議と悪い気はしない。笑い話の種になったと思えば安いものだ。

 ――すけあくろー、か。 

 ふと夏休みの風景が、僕の眼球を通して天井に投影される。

 ――ねぇ、ねぇ。かかしくん。

 ――いや水色さん……、僕は崇ですって。

「ねえ――崇さあ?」

「何だよ?」目蓋をきつく閉じたあとで、僕はありすを見る。

「どうしてこの()、あんたのことを、すけあくろー、って言うの?」

 目蓋に焼きついた人影は消えない。

「たぶん――」瞬きを数回繰り返して、僕は人影を記号に変換する。「水色さんに関係してるのかも」

 関係してるのかもだって?

 まったく……。

 存外にして歪曲(わいきょく)な言い回しじゃないか。

 笑えてくる。

「ふうん」ありすは頬杖をついて僕を見据える。「村上先輩ね。すけあくろー、か。ああなるほどね」

「何だよ?」

「――何でもない」ありすは嘆息をして椅子から腰を浮かせる。

 あたかもその場から逃げようとするように。

 あたかもその言葉が取り繕ったものだと言わんばかりに。

「さてと、あたしは灰霧(かいむ)のところに行こうとするかね」

 と、ありすは一人ごちる。

「昼休み終わりそうだけど?」

「なあに」にんまりと破顔してありすは言った。「オレサマオマエマルカジリってね。お弁当なんかものの三秒で沈めてみせるぜっ。はっはっー」

「僕にも分けろよ」

「やだ」

 僕が舌打ちをする暇もなく、ありすは身を翻し廊下へ走っていった。

 振り子みたいに揺れているツインテールを目で追ったあと、僕は莉鈴の方へ振り向いた。

「じゃあ、僕たちも――」

 そこで目的があったことにようやく気づいた。

 プリンを食べている莉鈴に、僕はその旨を伝える。

 もちろん莉鈴は快諾した。

 カラメルソースがひりついてる彼女の唇が、美味しそうに見えるのは僕の錯覚だろう。

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