感情複合バッドステータス22
ぱんぱん、と乾いた音を断続的に立てながらにじり寄ってくる桜庭。あらぬ誹りを受けて遺憾極まりない心持ちだったが、しかし身体のほうはそうではないらしい。汗顔し桜庭の歩調に合わせて後ずさる様は、まるで崖っぷちに追いやられる犯罪者みたいで滑稽ですらある。
「心当たりがあるからそういうふうな行動にでる」桜庭が、僕の深層のメッセンジャーを請け負う。さもありなん。「大人しく靴底のガムにおなりなさいな」
「いや待て桜庭、話を聞いてくれ」
「何やら恩田君の唇が蠢いているようだけれど、聞こえないわ。だって私鼓膜揺らいでいないもの……、耳にポップコーン詰まってるから」
「変なとこで複線張っちゃった!」
叫び、さらなる後退を僕は余儀なくされる。しかし、もう後がない。板張りの段差は緩慢ながらもその差分を確実に失いつつある。その先にあるのは、無機質なまでに慈悲の欠片も窺えないコンクリートの大海原。足元を取られ赤潮を広げるほど僕はプランクトンになりきってはいなかった。だから、自ずと身体はその場に踏み止まる。コンクリートに頭を打ちつけるより、ゴムで引っ叩かれたほうがまだマシというものだ。
そして、とうとう僕は桜庭と対峙する格好になる。
大きな破裂音を昇降口に轟かせて、僕を見据える桜庭。好奇な視線を衆目が投射しているけれど、もちろん桜庭はそんなことで物怖じする女の子ではなかった。右腕が灯台みたいに聳えて、その頂には上履きが警告灯ばりに激しく回転している。ここまでくるともう腹を括るしかなかった。あとは黒い眼が裏返らないよう念じるばかりだ。目蓋を閉じ心の中で思わず十字を切る――おっといけねえ、脳みそが蕩尽しているあまり間違って手刀を切ってしまったぜ。
固唾を飲んで、頭頂部に上履きが振り下ろされるのをじっと待つ。
いっそ深層に燻っているエロい気持ちごと吹っ飛ばしてほしいものだ。そう思えばこのいささか不条理じみた粛清も僥倖とすら捉えられるというもの。さあこい桜庭。僕は世界の中心でごっつぁんですを叫ぶであろう。
ところがどすこい、僕は無事だった。「あ……、れ?」
「何をしているの? キスの練習?」聞くとたちまち赤面どころか、すっかり黒焦げになりそうな言葉をのうのうと桜庭は世に解き放つ。
痛覚を伴わない頭頂部の感触を不思議に思い、僕はおずおずと目蓋を押し上げた。
まず桜庭の白い腕を視認した。だけど上履きはその先に付属していないはず。見下ろす視界に桜庭の性格をそのまま具現したような上履きが映っていたからだ。几帳面に、板の上に揃えられている。