感情複合バッドステータス9
「あ、そうってお前……」不機嫌を頬張った膨れっ面な顔が、僕の鼻先まで漸近する。「身だしなみに手間と時間を掛けた結果が、それか?」
「うひゅふひい! ふひゅふひいです! まじふぇ!」
王妃にガン視されながら頬をこねくり回されている僕は、迂闊にも心無い賛美の祝詞を諳んじてしまう。僕が魔法の鏡だったら、白雪姫に降りかかる惨劇を未然に防げたかもしれないねぇ。
「ブラフだろ? それ――」
「いひゃ、はっひゃりにゃんてめっひょうもない。ぼひゅがちひんなだけでひゅびょ」うむ、また迂闊にも嘘が露呈するような否定をしてしまった。姫様の安否よりも、まずは自分の身の安全を確保したい所存であります。もう無理だけど。
瓦解したドームに特攻を仕掛ける某大佐の如き気概で覚悟を決めたものの、しかしもちろん、ありすの目からビーム兵器とか実弾兵器などがびびびと発射されるわけでもなく――
「まあ良いや。気づいただけでも由とするか」存外にも、あっさりと武装解除してしまう。「あー、ねむねむ」
悶々と、中途半端に熱を帯びた頬を交互に撫で擦る。
どうやらありすさん寝不足らしい。
「で、どんだけレベル上がったの?」出力不足の起因を探るべく、ありすにカマを掛けてみる。
「寧ろ、お前のレベルを上げたほうが良いんじゃない?」顎をしゃくり上げて、ありすは僕に鼻息を吹き掛けた。「デリカシーのステアップをお勧めしたいけど?」
「あ、はい、まあがんばります」首を傾けて破顔するありすに気圧されて、思わず殊勝な返事をし、お香を吸引したり種を齧ったりしても能力が上昇しない現実を心の中で呪った。
「上がるわよ」
と断りを入れてから、ありすは靴の踵に手を掛ける。その際、ちらちらと視線が僕のほうへ泳いでいたので、先にキッチンへ戻ることはせずに靴を脱ぐ作業を甲斐甲斐しく見守る。ときどき視線がかち合う度に、瞳孔が何かを期待している色彩で反射しているのだけど、ありすは口を噤んだまま作業に勤しんでいたのでその真意は図りかねた。
「とりあえず、自分の好きな色で選んでみたんだけど」フローリングに片足を載せ、僕を見据えるありすさん。
何かしらの反応をありすが要求しているのは明らかだが――それって、パンツの色のことを言っているのかい? などど、もちろん某変態外科医よろしくたおやかに訊き返すこともできず、「ああ、まあそうねー」と対象の不明瞭さを有耶無耶にする。
軽く舌打ちして、ありすは僕と肩を交差させる。「崇、あたしコーヒーね」
「はいはい。だだ甘に淹れさせてもらいますよ」
「……、たまには素材を大切にしたい」
「豆でも齧るきかよお前……、知性でも欠けてるのか?」
「お前のゲーム脳に理性が欠けそうだ」
嫌味を交えた嘆息を空気に昇華させたあと、ありすは足音を立てながら不機嫌を廊下に染み込ませる。
幼馴染の言葉を頭の中で反芻するまでもなく。
そのセンテンスに謎を解く数価が隠遁としているわけでもなく。
容易にニュアンスを汲み取ることができるのだけど――
「難しい年頃だしねえ」
――そうお互いに。
大股で廊下を闊歩する幼馴染を追随して、誤差が生じている日常に苦笑した。