プロローグですらないメランコリー2
これがもし小説だったならば、転校生(あえて美少女とは定義しない)の座る席は偶然にも空席で、尚且つその席が主人公と絡みやすい位置にあるものだ。例えば、僕の隣りの席だったり、前方あるいは後方の席だったり。ようするに、ゼロ距離とは言わないまでも、お互いの声や手が容易に届く距離が望ましいし、都合が良い。だけど、僕がいるのは現実であり、ましてや僕は物語りの主人公でもない。よって、江戸川・フールフール・莉鈴は、最初は僕と絡みさえすれど、そこから物語りは加速度的に進行することはなく、淡々と自己紹介をこなし、お互いに声も手も届きそうにない廊下側の空席(もちろん、偶然空いていたわけではない、転校生のために予め用意されたものだ)に彼女は落ち着いたのだった。
「じゃあ、皆仲良くしてくださいってことで、ホームルームを始めますよ」
担任の声で、ざわついていた教室が静かになる。江戸川・フールフール・莉鈴に集束していたクラスメイトの視線がおもむろに教壇の三島桜子に向けられていく。僕も彼女から視線を外して、教壇の方角へ首を向けようとした。と、そのとき、隣りの席に座っている女の子と視線が重なる。黒色のセルフレームに収まった大きな瞳が、僕を真っ直ぐに捉えていた。
「知り合い?」瞬きもせずに、彼女は訊いた。
「ん、まあ、ちょっと」
「ちょっと? ふーん」片目を細めて、彼女は不適に笑う。「お前の言うことだったらなんだって聞いてやるさ……」
「え? 何それ?」
「寝言」
「誰の?」
「もちろん、恩田くんの」
「僕?」
「そう、君」人差し指を突き出して、彼女は首肯した。「お前の言うことだったらなんだって聞いてやるさ……、そしてはにかむ彼女の顔。それが、ちょっとした知り合い?」
「いや……」僕は口ごもる。「いや、本当に夏休みに一度会っただけなんだ」
「あ、そう。まあ、それは良いけど」
「いや……、って、良いのかよ!?」だったら訊くなよほっといてくれよ、とまでは口にせず。僕は彼女の言葉を待った。
「良いよ、私はね」ふふん、とせせら笑って彼女は言った。「私は良いけれど、ありすがね。彼女がどう思うか。問題はそれにつきると思う」
「眼鏡も黒いが、腹も黒いな。脅迫か?」
「そう思ってもらっても良い。でも、私がするのは脅迫ではなく、提案」
「で、その提案っていうのは?」
「まずは、受けるか受けないかの返答が重要」
「わかった」僕は首を竦める。「それで、提案っていうのは?」
「放課後、実習棟へ来なさい。もちろん、あの子も一緒にね」彼女はおもむろに後方へと首を向ける。「江戸川・フールフール・莉鈴と一緒に実習棟へ来なさい。ちょっとした知り合いなんでしょう?」
「わかったよ」
「良い判断。恩田くんの恥ずかしいポエムは、私の中で封印しておいてあげる」彼女は僕に微笑んでから、姿勢を正した。「じゃあ、大人しく点呼を待つ」
「あ、はい」僕も彼女に倣う。が、途中でそれを放棄。首を彼女に向けたまま、僕は訊いた。「いや、ちょっと待って、僕の恥ずかしいポエムって……」
「色々と聞かせてもらったわ」彼女は僕を一瞥して、鼻息を漏らす。「諳んじて欲しいの? 多分、悶絶死は必須だと思う」
「いや、遠慮しておきます。桜庭の中に永遠に封印してやって下さい」
「良い判断」慇懃そうに彼女は頷く。って……、どんだけ恥ずかしかったんだよ、僕の寝言は……。
担任に名前を呼ばれて、それに応える。
それから、隣りの席に座っている彼女の横顔を僕は眺めた。
桜庭灰霧。
クラスメイト。
夢枕ありすとは中学校以来の友達で、僕とは高校生になってからの知人。だけど、もちろん桜庭がありすの親友だったことは寡聞にして知るべくこともなく、ただただ席が隣り合っていたというだけで気づいたら良く話すようになっていた、という間柄だ。でも、桜庭は当然僕のことをありすから聞いていて、そのことを僕が知ったのは彼女と話し始めてから随分あと、僕が村上水色との逃避行を開始する前日、つまり一学期の終業式、夏休みの一日前である。ちなみに、桜庭、そのときにですら彼女からは何も言っていない。
以下、回想。
ひゃっほーい、明日から夏休みぞよ。崇ー、そういうことでばっちり遊び倒そうぜ? もちろん、灰霧も一緒にね。本ばかり読んでてもつまらんでしょ? ああ、でもでも三日に一度くらいは崇だけと過ごしたいなー。ねえねえ、灰霧、許してくれる許してくれる?
許してあげる。
だっはー! やったぜ崇! 私たちは灰霧の公認会計士ぞよ。
意味わかんねーよ。つーか、お前ら知り合いだったの?
友達だよん。灰霧から聞いていないの?
いや、聞いていないけれど……。桜庭、そうなのか?
そう。私とありすは中学校からの友達。
聞いてねー。
色々と観察させてもらったわ、飾らない恩田くんをね……。
回想終了。
そういうことで、なかなか手の内を見せてくれない、ワイルドカードはぎりぎりまで取っておく、そういう腹にいち物を持つ女の子である。油断できない、いや、油断することすら叶わない、何気に危険な隣人。それが桜庭灰霧。でもまあ、僕はすっかり油断しきって、こうして新たに外交カードを彼女に提供してしまったわけだけれど。
それにしたって桜庭、それを行使するにはいささか性急すぎやしないか?
まったく、彼女らしくもない。
江戸川・フールフール・莉鈴を同伴させるのも理解できない。
わからないことだらけだ。
「理解できない。そういう顔をしている」ふと、そんな声が漏れるのを認識する。「それはまあ当然。でも、放課後になれば万事解決。実習棟へ来れば全てが十全になる」
見てみると、桜庭は人差し指で眼鏡を直しながら僕を見据えていた。「それまで我慢、偲ぶ心で」
格好つけているところ悪いんですけれど、
桜庭さん、その漢字間違っていますよ。




