プロローグですらないメランコリー19
「何をやっている?」
揃姉からの応答を待っているとき、ふと後ろから声を掛けられた。
「え――そりゃあ電話だけど」そのままの体勢を維持し、声の主に応えた。明らかに眼球が拒絶の意思表明をしている。ごろごととした違和感が僕を苛み始めて、水晶体はあらゆる現実から逃避するかのように仮想体験に傾倒しようと試みている。一瞬だけ目蓋の裏にお花畑が投影されたのは、後ろを振り返った先の僕の末路だろうな。重力に引っ張られるほろ苦い塩味に唇を濡らしつつ、人生終了の苦悶を舌で転がす。はっはー。戯言と嘘の舌妙(誤字にあらず)なハーモニーが口の中で踊っているぜ。「お前こそ、何やってんの? こんなところで――」
「え――そりゃあ買い物に決まってんじゃん」
「あ、そう」
「そうなのよ」
なるほど――と、幼馴染とのやり取りに僕は一人得心する。
バンズの代わりにパンケーキでパティを挟んだような違和感。もっぱら気まずさを通り越して異質な白々しささえ醸し出している。まあ、ある意味斬新な空気ではある。新鮮な空気でないところが、僕達二人の関係を表していて笑えるけれど。しかし、登下校を共にしなくなっただけでこうも格差が生まれるものかね。
「誰かいるのか?」幼馴染と疎遠をテーマに分析をしていた最中、揃姉の周波数が鼓膜へ届けられる。
「ありすだよ」一拍置いてから僕は応えた。
「嫁だと?」杞憂だったか、と呟いてから揃姉は短く息を漏らす。「仲が良ければそれで良い。じゃあ、あとはお前がしっかり守ってやるんだな。切るぞ」
合いの手すら入れる間隙すら与えず、まったく要領を得ないまま揃姉は一方的に通話を終了させる。ディスプレイには眉根を寄せた僕の透過された顔。嘆息をして、携帯電話を閉じパンツのポケットに仕舞う。
「誰からだったの?」
「ん――揃姉」
「ふーん。で、何だって?」
「お前を守ってやれってさ――意味がわかんないんだけど」
「あ、あああ、あたひを!?」舌をもつれさせた頓狂なありすの声に、思わず心の中で舌打ちをしてしまう。不条理な通話に面食らって、うっかりありすさんのタブーに触れてしまったらしい。「を、をまえが、あああたひを、まま守ってくれゆゆゆゆゆゆ!?」
「いや、わかんないけど」
落ち着けよとは口にできず。愚考にすら至らなかった結果を言語に変換して、ありすにそのまま投げる僕。
「ぱえ?」しかし、既に錯乱フィルターを施しているありすさん。言葉のキャッチボールさえできやしねえ。
錯乱しているありすは僕をサンドバッグに見立てたようで、しきりに背中を殴打し始めた。僕が何を言っても上の空で、一心不乱に拳を叩きつけるありすさん。まさか男の背中が硬いからといって、頑丈な使用だと思っていないだろうな? 威力が尋常じゃないんですけど……。
このままでは背骨を粉砕されそうな勢いだったので、いい加減僕は後ろを振り返ろうと試みる。そして、振り返った刹那、顔面に良いものもらっちゃったわけだけど。しかし、それが二進数の脅威ではなかったことが、せめてもの僥倖なのかもしれない――男の子にだってちゃんと柔らかい部位はあるんだぜ。眼球とか――頬に余分な質量を加えられた錯覚を覚えながら、とにかく僕はありすと距離を置くことに専念する。
だけど、思わずたたらを踏んでしまったのは、邂逅にすら似た放課後(で、あってるよな?)での久々のありすとの対面。
幼馴染という要素を加味したところで、穿たれた溝は容易には埋まってくれない。
一体、誰が穿ったかは置いておくとして。
金属みたいな重々しい空気を精製しているのは、僕達二人であることには違いなかった。
「ご、ごめん」頭を垂れることで、ありすは謝罪を垣間見せる。
トーストにバターを塗るみたいな気軽さで事故を肯定する僕。殊勝にも笑顔を取り繕ってもみた。だけど、如何せんこの笑顔にはグラスファイバーは混ざっていない。ちょっとしたショックで壊れそうなのが不安の種だ。
でも、そんな種でもありすの安心は芽吹くわけで、彼女は少量のぎこちなさを体躯に停滞させつつ、咳払いを交えて平静に回帰する。
それから、ありったけの虚勢。
思わず苦笑を浮かばずにはいられない。
もちろん、好意的な意味でだけど。