プロローグですらないメランコリー18
駅前のマックからの帰り道、私服姿のありすと遭遇した。
ありすは僕のことに気づいていないらしく、自身の横幅よりも遥かに大きい紙袋を肩に掛けて、自慢(もちろん主観です。はい)のツインテールをぶんぶん躍動させていた。まるで機嫌が悪いモデルみたいな足取りで歩道を蹂躙している。アスファルトに負荷を強要しているのは明らかで、僕がいる位置からでもヒールに踏まれているアスファルトの悲痛な声が認識できるくらいだった。
ふと制服の奥から携帯電話が産声を上げる。パンツのポケットに腕を滑り込ませ携帯電話を取り出す。視線はありすを捕捉したまま。だけど、雑踏に溶け込んで姿を識別できなくなった。小刻みに震える感触を弄びながらサブディスプレイを視認。そこには、恩田揃音という文字列を形作るドットが集積していた。
「あー、私だ。悪いが、今日は遅くなりそうだ。夕飯は一人で勝手に食ってくれ。私の分は作らなくて良いぞ」携帯電話を耳に当てると、滑舌の良い男前の声が鼓膜に響いた。僕の返答を待たずに揃姉は、「じゃあな」と通話を強制終了しようとする。
桜田門の諸君に属している揃姉のことなので、定時には帰れないという不確定要素は既知だ。それに揃姉の一方的な通話にも慣れてもいる。だけど、そのことを鑑みるにしても、僕が良い子ちゃん(もちろん、主観ですよー)でいるのも冷蔵庫と財布の中身がとても許してくれそうにない。
両者の寂寥感に駆られた僕は、下克上上等な気概で揃姉にパシリを命じる。有能な腹心に囲われた有能でない重臣は、こうして乱世に翻弄されていくわけなのです。戯言にして嘘だけど。
冷蔵庫と財布の現状を説明した上で、揃姉に買い物を依頼する。揃姉は舌打ちをしつつ渋々承諾してくれた。まあもっとも、こうなることに至った起因は揃姉にあるわけで、僕がやんわりとお願いするのは的が外れていると思うのだけど、そこは両親不在の恩田家を支える大黒柱でおっとこまえなお姉様。ありがたくストレスを拝聴しつつ、それを脳内で洗浄して感謝の意に変換する。こうして良妻賢母な人間が形成されていくのですな。すわ戯言で嘘であります。
「しかし崇、お前今日の夕飯はどうするんだ? 遅くても良いなら鮨でも持って帰って来るが?」
「いや、良いよ――」マックでの暴食祭りを思い出し、思わず吐き気が咽頭に充填する。「さっき食べたばかりだし」
「そうか。じゃあ嫁の所でご馳走になるんだな」
まったく聞いちゃいねーし。
しかし、嫁ねえ。
「ん――なんだお前。まだ嫁と喧嘩しているのか?」
「いや喧嘩してるわけじゃないよ。別に学校じゃ普通に喋るし」
「そうか? それにしてはここ最近、家に寄らないけどな。まあこれは良い機会だ。やはり、今日は嫁の家で夕飯を食うんだな。そしてしっぽりと仲直りしろ」
「いや、だから喧嘩しちゃいないって――」本当にマイペースなんだからこの人は。そう諦観しようとした矢先、揃姉の言葉に違和感を覚えた。「でも、揃姉。良い機会って、どういうことなの?」
仲直りする良い機会――ってなわけじゃないだろう。そもそもありすとは喧嘩はしていないし。ありすを溺愛する揃姉にしてみたら、僕とありすの現状に穿った見方をするのはわからないわけでもないけれどね。うーん、それ以前に別の意図が見え隠れしている気がするんだよな。