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プロローグですらないメランコリー16

 温くなったお茶に手を伸ばしている、僕の二の腕が視界に入った。

 目蓋の裏にはさっきまで流れていたテロップが淡い残滓となって蓄積されていて、センサーみたいな周到さで斑模様を二の腕へと投射している。まるで皮膚の上で苺をすり潰したみたいな赤色が散見している様は甚だ滑稽ではあったけれど、でもファンシーと揶揄するにはおこがましいくらいの様相をその赤い斑模様は不気味に演出していた。

 僕が、過去の邂逅との接続に失敗したのは明らかだった。

 しかし、そのことに疑問の余地を挟む暇は、対面する夢野かのかの言葉によっ如才なく塗りつぶされてしまう。零とも壱ともつかない宮部現実の果敢ない記号は、僕の無味乾燥且つ凡庸な返答によって空気へと昇華され、皮膚との同化を拒絶していた夥しいまでの苺の種も、マグカップで数回唇を湿らせただけで跡形もなく消え失せてしまった。

 手のひらから伝播する拒否反応を舌で転がしたあと、咽の奥へ流し込む。

 これで綺麗さっぱり宮部現実を棚上げにした心算だったけれど、租借した携帯食料みたいな気の利かない言葉は只今咽頭にひりついて舌咽神経を絶賛逆撫で中です。

「どうした? 浮かない顔をしているな」

「あはっ! 冴えないだけですよ」

 何? このデジャブ――と半ば憧憬に似た感情を抱きながら、僕はありす式笑って誤魔化す作法を実践しその場を取り繕う。その他にも『ぐへっ!』とか『あへっ!』とか、あの幼なじみが持っている隠し玉は枚挙に暇はないけれど、ここはあえて地味な作法で相手を接待することにする。我ながら最適な選択である――というか僕の頭がまったく最適化されていない。

 やれやれと、僕は頭を掻き毟って反転反転されたしょんぼり文書を手に取る。それから口元に拳を当てて慇懃に咳払い。咽頭から迫り上がる言葉を舌で絡め取った。宮部の唯一の個性に毒されないよう密かに念じつつ瞬きを数回。視界を現実に定着させる。もちろん、固有名詞じゃない『りある』なやつだ。

「安心して良い。少年が抱えているのはまったくの杞憂だ」寂寞(せきばく)としている空間に、先に水を差したのは先生だった。「担当の先生には既に話は通してある。例えどんな形式であれ、桜庭の意思は無駄にはならないよ」

「えっと――」

 先生の言葉を理解するのに、決して少なくない時間が必要だった。僕が浮かない顔をしていたが故の先手を打った応えであるということを、四杯目のお茶を淹れる道中でようやく僕は理解するに至った。先生が激しく勘違いしている感は否めないけれど、まあ良いや。お茶請けにしては破格なサプライズには変わりがない。桜庭に持って帰るお土産としても万々歳だ。

 ――いささか納得しかねるけれど。

「ようするに、これは確定事項だったわけですな?」

「肯定しよう」

「僕が、村人に酷使される勇者であると?」

「いや、それはわからないが」

 アンニュイな僕の言い回しに眉を顰めたあと、先生はしょんぼりじゃなくなった文書を引き寄せた。そしてそれを四つ折にし、白衣のポケットへと刺し入れる。うーん、致命的にカタルシスが不足している――どうせなら、肌蹴たシャツの谷間に押し込んだりぎゅうぎゅうしたりするくらいの気概は欲しいものだ。いや、決して冗談だと言えないのが、何というか、心苦しい。とりあえすご不浄を拝借したい次第である。あ、これは冗談だけれど。

「それを見て、先生はどう思いました?」

 僕は視線だけを白衣のポケットへ移動し、先生に感想を求めた。正直、結果は既に出ているわけで、僕がこの場に留まる理由はないのだけれど。しかし、ソファに沈んでいる臀部はそうは思っていないらしい。まったく未練がましいくらいに正直な奴だ。そう僕は心の中で苦笑し、彼女から発せられる言葉を大人しく待つ。

「先行きが不透明な感は否めない。だが、桜庭が重い腰をようやく上げたのは評価に値する」

「そうですか」

 なぁる、と僕は首肯する。共犯者じみた感想は期待通り。なるほど僕の慧眼はやはり的外れではないみたいだ。いや、慧眼を酷使するほど立派なものではないのだが。でも、白衣のポケットで悶えているあれはともかく、桜庭自身の評価を耳にしたのは思わぬ収穫だった。

 それに加えて――

 ぼく、いこーる、しょうねん。

 さくらば、いこーる、さくらば。

 で――ほぉう、である。

 僕と先生が所見であるということを考慮しても、いやはや待遇の差は明確ですな。自ずと先生が桜庭を故意にしているのが、容易に想像がつく。しかし桜庭、意外なところで意外な顔を見せるものだ。まったく興味がつきない不思議少女である。僕の腰が重いのも頷ける。彼女もまた煉獄に迷い込んだ仔羊だったのか。

「少年」と、声を掛けられたので、僕は顔を上げて先生を見る。彼女は目を細めて物憂げな瞳で僕を捉えて離さない。それはこの先の言葉を否定させない輝きを内に秘めていた。「猫を被った道化になるのが君の望みか?」

「滑稽ですね……、それは」僕は苦笑を浮かべる。「僕だって信頼(いのち)は惜しいです。軽率でした余計な詮索をしたことは謝ります」

「桜庭の友達である少年だからこそ、踏み入れてはいけいない領域がある。彼女に対する君の思いは尊いものだが、それは決して彼女のためになるとは限らないよ。今はそのパトスは心の中に仕舞っておくことだ。いずれは桜庭のほうから歩み寄ることがあるかもしれない。まあそのときは彼女の相談に友達らしく気安く請け負ってくれ。だから、君のそのっ謝罪はありがたく拝聴しよう。桜庭に代わって、この僕がね。君は友達思いの良い奴だな」

 と、先生はそう締めたあと、初めて僕に相好を崩す。

 羞恥心を煽るその表情に、僕は思わず視線を逸らせてしまう。

 まあ――彼女の大人な笑顔が魅力すぎた意味合いもそこには含まれているけれど。

 まったく、何もかもお見通しな上に、そこはかとなく余計な配慮までしてくれる。

 これじゃあ、あの変態外科医を彼女にたぞろ重ねてしまうではないか。

 いやはや、本当に――

「やっぱり夢野さんは夢野さんなんですね」

 そう僕がぼやいてしまうくらいに、夢野先生はどうしようもなく夢野先生でなのであった。

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