プロローグですらないメランコリー12
「何で僕はこうお人好しなんだろうな?」
課外活動申請書を眇め見て僕はそう一人ごちる。
申請書に名前を明記した僕は、桜庭の言うがままに部室(かつて部室だった――場所だけど)を出て、実習棟と教室棟を結ぶ連絡路をとぼとぼと歩いていた。もちろん、桜庭灰霧と江戸川・フールフール・莉鈴の名もそこに連ねている。あとは桜庭の指定した場所へ僕が赴き、そして然るべき人物にサインと印鑑を捺印してもらえば、見事この申請書はその体裁を整えるというわけだ。しかし幾ら体裁が整ったとしても、この申請書のしょんぼりさは何ら変わることはない。いや寧ろ、下手に体裁が整えられることで、しょんぼりさが一層際立つのではないかと僕は危惧してしまう次第である。
今はまだ決めてない、これから考える――じゃねえよ。きちんと計画を立ててから僕たちを呼び出せよな。
とまあ、心の中で桜庭にどう悪態をついたところで、結局は僕も同じ穴の狢である。半ばノリに近い衝動でサインをしたのは僕だからな。いやあ、どうして思い出ってのはこう蜂蜜みたいにだだ甘く補正されているんだろうね。桜庭を文学少女だと思っていたあのころ頃が普通に懐かしいよ。
突き当たりに差し掛かったところで、僕は中央にある階段の踊り場へと向かう。教室棟へ繋がる連絡路は三本通っているが、僕が歩いているのはその端っこ、東側にある一つだ。ちなみにここは地上一階。生徒達の間では『地獄』と揶揄されている場所だったりする。僕たち一年生がいる三階は『天国』と呼ばれているから、まあこれはシニカルな意味合いを含んだアイロニー的な表現だろう。尖ったセンスをしている――嫌いじゃないけど。
職員室を抜け踊り場に足を踏み入れる。ステップに脚を載せて、僕は煉獄へと続く階段を浮かんでいく。二階に辿りついた僕は右折しそのまま歩を進めた。『保健室』と白い文字で綴られているプレートを視認。ここを訪れたのは、入学して以来初めてのことだけれど、しかし保健室というのは僕の経験則からして普通一階にあるものじゃないのか? 天国も地獄も、僕たち生きの良い人間にとってはあまり歓迎できたもんじゃないってことかね。どうせなら煉獄のほうがまだマシだと? うーん、やはりこの学校からは全体的に尖ったセンスを覚えてしまう――笑えてくるくらい嫌いじゃないけどね。
僕は、保健室の隣りにある部屋の前で立ち止まった。白い文字列がひしめきあうプレートを見上げ、改めてB5用紙を眇め見てひとくさり躊躇する。ハブられるのはほぼ確定事項だけれど、ここまで来たからにはもう試して見る以外に僕に選択肢は無かった。
ええいっ……、ままよ――
スライド式のドアをノックする。
数にして三回――完全無欠の完全数。
しかし返事は無い。
「どうやら僕は屍になったみたいだ。僕の前頭葉にゾンビパウダーを振りまいたのは一体誰だ?」
などど、辺りを見回しても誰もいない。当たり前だ今は放課後だからな。何というか色々な気まずさを抱えた僕は、とりあえず軽く咳払い。再びカウンセリング室のドアを眺める。
今頃の時間なら職員室にいるか、それとも帰ったんじゃね?
そんなテロップが蛞蝓みたいに愚鈍に思考を這い回っていたけれど――けれども僕はドアの取っ手に指を掛けていた。
それが当然みたいに。
そうすることが必然のように。
さながら当たり前のように。
さながらうってつけみたいに。
――そのドアには鍵が掛かっていなかった。
ドアがゆっくりとスライドする。
また。
また僕は――迂闊にも、触れてはいけない因果に指を絡めたような気がする。