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(仮)救世主、救世主を探します!

作者: 浅野新

「早く暖かくならないかな」

 電車の窓から薄曇りの空を見ながら、私はため息をついた。制服の上から着ているダッフルコートの襟を強くつかみながら。

「真琴、寒いの苦手だもんね。二月は辛いよね~」

 クラスメイトの美夕がくすくす笑う。

私は、どうせ寒がりですよ、とちょっとふくれて見せた。優しい彼女は慌てて付け足す。

「こんな日は早く帰ってこたつにみかん、だよね」

 それはそうだ。

「ほんとほんと」

 

 プシューッツ

 穏やかなブレーキがかかり、自分達が降りる駅に着いた事を感じた。

 美夕としゃべりながら、前にいる人達に続いてプラットホームに下りる。

 その時。

 コトン、と足元で音がした。

 見ると、オルゴールのような小さな金の箱が蓋の開いたまま落ちている。

 誰かの落し物かな。

 拾おうとしゃがんだ時、

「真琴っ!?」

 私のすぐ後ろにいた美夕が、悲鳴に近い声をあげた。

えっ!?

な、何!?

私は、彼女へ振り向こうとした瞬間、急に足元の感覚がなくなったのを感じた。慌てて前を見る間もなく、自分の体が一瞬宙に浮いたのが分かった。


そして。

がくん、と。


「え。えええええーっっ!?」


底のない闇の中を、私は落ちて行った__。



な、何、私落ちてる!?

下降していると悟った刹那、


 バッシャーン!!


 と派手な音を立て、どこかに落下した。


 え。な、何!?

 み、水!?

 周りが水だらけでよく見えない。

 下は湖のようであり、上からも水が大量に落ちてきている。


 お、おぼれちゃう、おぼれて・・。


 必死に手足をバタバタさせていると、両足が何か硬いものにぶつかっているのに気付いた。


あれ。地面?


そろそろと手足の動きを止めると、ばしゃっと水から顔を上げた。


 何、ここ・・。

 噴水?


水深は腰の高さくらいまでもなく、下はなんだか固い地面のようだ。ただ、上から大雨のように大量の水が降ってくる。不思議と全く冷たさを感じない。


とにかく、ここから出なくちゃ。


ゆっくりと起き上がり、全身に水を受けながら歩き出す。両手をふと見ると、右手にはぐちゃぐちゃに濡れて重くなった学生鞄を、左手には何故かあの金の小箱をしっかりと握っていた。今は蓋が閉まっている。


何これ。まあ、いいか。学生鞄もあって良かった。


頭がぐらぐらして何も考えられない。

とりあえず、この雨の向こう、光が見える方へ出なくちゃ・・。

そのまま前進すると、雨がぴたっと止んだ。後ろを振り向くと、滝のように水が上から流れている。

滝?

私ここから出てきたの?まさかね。

前を見ると、そこにも滝がカーテンのように眼前をはばんでいて、それから先には光が見えた。

私は光に導かれるかのように、ゆっくりと前へ進み、滝をくぐりぬけた。


たっぷりと水を吸ったコートと制服が重たい。

はあ、やっと外へ出られた・・、と安堵したのも束の間。


え!?


私の目の前は。


天井に明るいシャンデリアが煌々とつき、クリーム色の石壁には模様のような彫刻がほどこされ、どこかヨーロッパの古いお城の中のような、


部屋の中だった。


え、な、なにこれ!? 私は慌てて交互に後方と前方を見た。後ろは滝だし前は部屋だし、何これ、どこ、ここ!?


私が一歩前に踏み出そうとすると__、

「現れましたわ! 」

「お待ちしておりました!!」

部屋のどこからか、男女二人が飛び出して来て、私はその異様な姿にぎょっとした。


女性は古代ギリシャのような、白い布を巻きつけたロングドレスのような物を着ていた。びっくりするほど綺麗な銀髪のロングヘアーと紫の瞳を持つ美しい人だ。年齢は二十代半ばくらいに見えた。

男性の方は、明るい茶色の髪と瞳を持ち、眼鏡をかけた優しそうな人。年齢は女性と同じくらいだろう。白く長いマントを身に付け、牧師さんが着ているような、水色のゆったりとした膝まである長いワンピースのような物を着、下はこれまた同色のゆったりしたズボンをはいているようだ。昔見たヨーロッパの古い絵画で見た学者のような、でも何か微妙に違うような格好をしている。


二人は私の前まで駆け寄ると、ひざまずいて深々とお辞儀をした。

やがて男性が立ち上がり、私に近付いて、にっこりと微笑んだ。

こうして真近で見るとこの人ちょっとかっこいいかも、なんてこんな時に思った。

「良かった、救世主殿、貴方こそ次期国王、お待ちしておりました」

 眼鏡越しに彼の優しそうな瞳が、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている私を見、

「美しく聡明な顔をしていらっしゃる。やはり貴方は国王・・・」

 と言いかけ、彼の視線が下に来た所でぴたりと止まった。

 私もつられて視線を下げてみる。


ななな、何?制服!? あー、確かに全身濡れてて靴の中までもどぼどぼだけど・・。

 スカートなんか水が滴ってるし。


しかし、彼は私とは何か別の物を見ているような顔で、

「・・・スカート」

 とぽつりと言った。今度は彼が呆気に取られた顔をしている。

へ?

 はっと気を取り直した彼は、何故だか慌てた様子で、

「えっ、スカート!? ・・・と言う事は、貴方は・・」

 彼は私を後ろへ押しやって小声で尋ねた。

「・・・女性なのですか? 」

 は、はあ!?

 

今まで呆けていた私はこの一言で爆発した。


何なのいきなりびしょぬれになるわ、騒がれるわ、しかもいきなり女性ですかだってえ!?


「あっ、あのねえ! 確かに女子ではちょっと高い方だけど、たった164センチよ!? それに髪も短いしちょっとやせてるけど、十六年間生きてて今まで男子に間違われた事なんて一度もなかったんだから!!」

 私の怒声は狭い部屋の隅々まで行き渡り、反響がわんわんと伝わった。


 瞬間、学者風の格好をした男性ががっくりと膝を折れた。後ろに立っていた女性も顔色が蒼白になっている。 

「な・・・なんて事でしょう」

「予言が、外れたと?」

もっと文句を言ってやろうと思っていた私は、その場の只ならぬ空気で再びまごついた。


その時、外から高い靴音がこちらに向かって近付いてくるのが聞こえた。


 刹那、うなだれていた男性は、はっと顔を上げ、

すみませんっ! と私を元いた滝の中へ突き飛ばした。ばっしゃーんと水しぶきをあげながら、私は思い切り尻餅をつく。

「なななっ、何するのっ!? 」

「後生です。いいと言うまで絶対そこから出ないで下さい、お願いいたします!! 」

 彼の初めて見せた怖い表情、ど真剣な空気に私は思わず呑まれた。尻餅をついたまま立つ事もできない。


 その瞬間、バン! と扉の開いた音が聞こえた。学者風の男性は私を残して滝の外へ出て行く。さっき聞いた靴音が、つかつかと近くに聞こえてきた。


「バド、救世主は見つかったのか!? 」

 男性の声だ。低く、とてもかっこいい声。

 目の前に滝があるので姿は全く見えない。


 学者風の男性の声が続いて聞こえた。

「全く。あなたは早すぎますよ、アレクセイ。ええ、ただいま。ただ予言どおり水の中からお出ましになったせいで全身ずぶ濡れで難儀されているようです。お召し物を着替えて頂かなくてはなりません。その後に面会頂けませんか」

「む・・・、そうか、そうだな。確かに俺も正装を忘れていた。これは救世主に失礼と言うものだ。はは、初めての事で何も分からなくてね。出直してこよう」

 朗々たる声が部屋に響いている。

 次に銀髪の女性の声がした。

「アレクセイ、救世主様に失礼がないよう、準備ができるまで、この部屋の周りの人ばらいをお願いできますか」

「承知した。では、救世主殿、後ほど」

 そう言うと美声の持ち主が部屋を出て行く気配がした。扉ががちゃりと閉まる。

少しして、男性と女性の、小さなため息が聞こえた。

「申し訳ございませんでした、さあ、こちらへどうぞ」

 男性が滝の中へ近付く前に、私は外へ出た。

 女性がすぐさまタオルを出してくれたので、とりあえず受け取ってみる。でも水でぐしゃぐしゃの顔を拭く気持ちにもなれないほど、私は呆気に取られていた。大体両手は鞄と小箱でふさがっているし。

 男性が片手を胸に当て、深々とおじぎをした。

「非礼をお許しください。申し遅れました。私はバドと申します。こちらはエヴァ」

 エヴァと呼ばれた女性もスカートの端をつまんで優雅におじきをした。そうしてまじまじと私を見る。

わあ、やっぱり綺麗な人だ。

女性は眉根を寄せ、悲しそうな顔でぽつりとつぶやく。

「・・・女性なのですね・・・」

 だから私は、と再び怒ろうとした私を遮り、

いえ、そういう訳ではないのです、申し訳ございませんでしたと、二人は土下座とも言える姿勢になり、頭をさげたので慌ててしまった。

「あ、あのっ、そこまでしてくれなくてもいいです、分かってもらえれば」

 立って、立って下さい、と言う私の必死のお願いに、二人はやっと顔を上げた。バドが口を開く。

「何故私共が貴方を男性と思ったか、そして貴方がこの世界に来られたか。話を聞いてもらえませんか」

「こ、この世界って?」

 エヴァが後を引き取った。

「ここは黄金の国。今、救世主様の目の前にいる私共は勿論、この世界も貴方は今までお目にかかられた事はないと思います。ここは貴方の住む世界とは別次元にあるのです」


 は、は、はい!?

 別次元!?


 そこでエヴァは私の着替えを、と申し出たが私は頭を振った。

「と、とにかく、話を聞かせて下さい」

 それでは、とバドが話し始める。

「この世界は、黄金の国、赤の国、青の国、白の国と四つの国があり、それぞれに王がおりますが、全てを統括するのは黄金の国の王であり、それは予言によって選ばれるのです。私は黄金国の王の執事を仰せつかっており、このエヴァは占い師です。彼女の予言では、本日異世界の救世主が現れる、男の王である事が判明しました。救世主はつまり王のことです。ですから我々は本日を待ち、予言通りこの〝滝の間″より異世界から救世主、つまり貴方様が現れたのですが・・。女性とは・・」


よ、よくまだ飲み込めない。

でも、一つだけ分かった。私はおそるおそる口に出す。


「・・・あの、予言が外れると言う事もあるんじゃないですか? 人違い、とか」

 バドが頭を振った。

「それは有り得ません。貴方様はその小箱を持っていらっしゃいました」

そう言って彼は私の左手を指差した。

「え、こ、この箱が!? 」

「救世主様はこれらの箱の力により召還されました」

そう言いながらエヴァは、私が持っている物とそっくり同じ小箱を持ってきた。

片手にすっぽり収まる小さな金色の箱。とても美しく、がっしりとした金属の箱のようだが何故か重さは感じない。蓋の表面には階段のような、起伏にとんだ彫刻がほどこされている。


駅から滝の中にいきなりテレポートするわ言葉は通じているけどまるきり外国人のこの人達を見ていたら、ここが異世界だと信じるしかない。でも・・。


私は呆然と呟いた。

「・・・私が救世主?・・」


強く頷きながらエヴァは続けた。

「これの箱は″時の階段″と呼ばれ、ここと異世界を結ぶ通路を作るものです。二つそろって初めて効力があります。本来、黄金の国の王、又はその王によって許可された者のみにしか使う事ができないのですが、異世界の救世主が現れる時のみ、自らこの二つの箱は同時に開き、その力を発揮するのです」

 私は左手にある金の箱を見ながらエヴァに尋ねた。

「救世主が元の世界に帰る時は? 」

「この箱を開いてお帰りになると聞いています」


 開けたら帰れるんだ・・。


 そう思った刹那、まるで私の気持ちを読んだように小箱は一瞬きらっと金色に光ったかと思うと、次の瞬間、跡形もなく掌から消えてしまっていた。

「!!!」

慌ててエヴァの手にある小箱を見ると、そちらも同じく光って消滅してしまった所だった。

「え、ええええ!? 」

「やはり・・」

バドとエヴァは顔を見合わせ、頷きあった。

バドが言う。

「時の階段は、その役目が終われば消滅します。時期国王である貴方を呼び寄せた為、消えたのでしょう」

「な、何で!? だって、ずっと消えっぱなしじゃないでしょう!? 」

「はい。又必要な時は出現すると聞いておりますが、それがいつかは私どもには・・国王であればお分かりになるかと思いますが・・」

「そ、そんな事言われても私も全然分かんないよっ!! ど、どうしよう、もう帰れないの!? 」

 慌てふためく私の肩に、バドががっしりと両手を置いた。

「落ち着いてください。私は知りませんが、過去異世界から救世主が来た事があり、その王は何度か両国を行き来していたそうです。私共は救世主殿を元の世界に返す方法を必ず見つけ出します。信じてください」

 ただ、と彼は付け足した。

「申し訳ないのですが貴方を男の救世主として扱った方が良いかと思います。何故性別に誤りがあったのかは分かりませんが、この世界では太陽が毎日必ず昇るのと同じように予言が外れる事は有り得ないのです。外れたとなると市民の失望は深く、又混乱する事も予想されます。予言どおりとした方が、里帰りと称して公に元の世界に戻る方法を調べられますし協力もたくさん得られます」

 エヴァも両手を組んで、横から進み出た。

「性別は違えど、わたくしは貴方様を救世主と信じております。以前の王が退任されてから、しばらくの間、この黄金国に王は不在で、皆待ち望んでおりました。なにとぞ私どもを助けると思ってご協力頂けませんか」

 そ、そんなあ。

 私はこんな訳のわからない世界で、それに救世主として過ごすの!? しかも男!?

 でもあの小箱が消えてしまった今、元の世界には戻れないわけだから。私はしばらくこの世界にいなくちゃいけない訳で。帰る方法を見つけるまではこの人達の言う方法しか・・ないんだろうなあ・・。

 それに再び土下座して頼み込むルヴァとエヴァを見て、私は了承せずにはいられなかった。

 二人は安堵した面持ちで立ち上がる。満面の笑みのバドが尋ねた。

「宜しければ、救世主殿のお名前をお聞きして宜しいですか? 」

「・・須藤 真琴・・マコト、です」

 マコト様、良いお名前ですね、と微笑む二人を見ながら、私は憂鬱な気分になっていた。

 昔から頼みごとには弱いんだよね・・。



その後エヴァに案内され、大理石でできたような広いお風呂に入り、そそくさと出てくると彼女が用意してくれた服に着替えた。白いシャツの上に、深緑色のゆったりとした、やや固めの上着を羽織り、同じ生地のパンツを履く。靴は茶色のショートブーツ。

脱衣所にある大きな鏡で全身を写してみた。

形は男子の学ランみたい。

襟元にはボタンの代わりに金色の大きな獅子の飾りが留めてある。国王の印なんだとか。見ると両肩にも細かい金の刺繍で獅子と炎をかたどったような立派な模様が入っている。全て上等の品のようだ。

部屋を出る前に、最後に髪の毛を軽く整えた。元々髪は短めのボブだから大丈夫だと思うけど、ちょっとでも男子に見えるように、前髪をくずしたり、髪を両耳にかけてみたりする。

私、実は男装似合ってない?

自分の能天気さに半ば呆れつつも、先程の憂鬱さは減って、なんだかごっこ遊びのようでウキウキしてきた。

こんな本格的な男装って初めて。それに私、昔から男子に憧れてたんだよね。行儀悪くしたり、ちょっと乱暴な言葉を使っても男子なら平気でしょ?

「僕」とか言ってみたかったんだよね~。


外で待ち合わせしていたバドと会うと、彼は顔を輝かせた。

「マコト様! 凛々しくていらっしゃる、お似合いですよ」

 えへへ、とちょっと私は笑った。

「良かった。初めて笑ってくださいましたね」

 彼は安堵の表情を見せる。

「私はマコト様の執事です。わからない事やご希望がございましたら、遠慮なく私にお伝え下さい」

「じゃあ、早速、あの、これから何をするの」

「ここは黄金国内の宮廷でして、マコト様はこれから謁見の間に行って頂きます。救世主のお披露目を王国関係者達にするのです。と言いましても、大丈夫ですよ、今回は数名としか会いませんから。マコト様は異世界からいらっしゃいましたから、しばらくは身分を隠されて、のびのびとこちらの世界に馴染んで頂ければと思いますので。予言の事も気にかかりますし」

「王国関係者ってどんな人達なの? 」

「私とごく親しい者達にしました。同じ王宮内に住んでいますから、私と同じくいつでも彼らを頼って下さいね。彼らは信頼できますが、やはり混乱を避けるため、女性で有る事は隠して下さい。この事は、マコト様とエヴァと私だけの秘密です」

 私は神妙に頷いた。絶対ばれないようにしなきゃ。


 しばらく話しながら広い廊下を渡っていくと、謁見の間に着いた。バドが扉を開ける。

 お披露目なんて・・どきどきするなあ。紹介されるまでバドの後ろに隠れていよう。


 彼に続いて部屋に入ると、エヴァと、見知らぬ男性二人と女性一人がいるのが見えた。

 男性のうち、長身の一人がこちらを振り返る。

「バド、救世主のお披露目にたったのこれだけか? 」

 この声! 滝の中で聞いた美声の持ち主だ!

「申し上げた通り、今回の救世主殿は異世界から来られています。何もかもが知っておられない事ばかりです。突然たくさんのお付がついても戸惑われるでしょう。王位継承は落ち着かれてからで良いかと思いましてね。それまでは比較的年齢の近いあなた方と一緒に身分を隠して生活されるのが一番かと」

「ふうん。で、その後ろの美少年は君の見習いか? 」

「アレクセイ! 口を慎みなさい。この方こそ、我が国の時期国王、マコト様なのです」


 へっ!? 

と皆の顔が言っているのが分かった。誰もがきょとんとしている。

 そうだよねえ。私みたいな普通の高校生なんて、誰も国王なんて思わないよねえ。

 私はもじもじとバドの後ろから出ると、

「こ・・・、こんにちは」

と言った。我ながら情けない挨拶。

 バドは優しく私に微笑みかけ、皆を紹介した。

「マコト様、エヴァはもうご存知ですね。彼女以外は前王の親族となります。右から前王の姉君の子息、アレクセイ。新王の警備を中心に勤める騎士団の隊長です。私の幼馴染でもあります。その妹君ララ。前王の弟君の子息セドリックです。私が良く勉強を教えています」

皆は戸惑いながらも、丁寧に私に向かってお辞儀をした。


ははは。

 本当に私を男だと思ってるよ。


 私は苦笑いをしつつ複雑な気分になった。先ほど廊下でバドからこの国では女性は髪を短くしないから私を男と間違えたと聞いたのだけれど。短いと言っても、おかっぱに近いボブなのに。

 まあ、ちょっとやせてる方だから、胸だってないも同然だけど・・。

「へえ。これはこれは。とても可愛らしい救世主なんだな」

 アレクセイと呼ばれた男性が私に近付き、微笑んだ。

 うわ、かっこいい・・。美青年ってこういう人の事を言うのかも。180センチはあるすらりとした長身に赤い軍服がぴたりとさまになっている。バドと幼馴染と言うから、年は二十代半ばかな。意思の強そうな精悍な顔立ち。

「ようこそ、黄金の国へ。マコト殿」

彼は右手を出し、しっかり私の手を握り締めた。

栗色の髪に綺麗なグリーンの瞳。じっと見つめられて思わず赤面しそうになり、私はあわてて目をそらした。


「お兄様、早くわたくしも自己紹介させてくださいな」

 アレクセイの隣にいた少女が彼を睨む。彼はやれやれ、と苦笑した。

「まったく。何でここにお前もいるんだろうな。マコト殿、これが俺の妹、ララです」

「救世主様、お会いできて光栄ですわ。わたくしララと申します」

 少女が、スカートの両端を掴んで優雅にお辞儀をした。

 わあ。まるでフランス人形みたい。

 小さくて華奢な体、明るい茶色のふわふわカールの髪、袖のふくらんだレースやリボンのついた古風な服が雰囲気にすごく似合っている。グリーンの瞳は兄のアレクセイと同じ。砂糖菓子のような、可憐な色白の美少女だ。同じ女子なのに、この違いは何?ちょっと嫉妬しちゃうよ。

 ララは可愛く微笑んだ。

「救世主様とわたくし達は年が近いからとても嬉しいですわ。特に彼は同じ十六歳ですのよ。ねえ? セドリック」

 

 セドリックと呼ばれた少し離れた所に一人立っていた少年は、腕を組み、仏頂面で私を見た。

 わあ、綺麗な男子だなあ。身長は私よりちょっと高いくらいかな。乗馬服のような、黒い細身のパンツに同色のブーツを合わせ、真っ白なシャツが似合っている。髪は綺麗なプラチナブランドで、真ん中で分けた少し長めの前髪から、ブルーの瞳が覗いている。

 セドリックは特に興味のない様子でつかつかと私の方へ近寄ると、

「ふーん」

 と私を上から下までじろりと眺めた。

「随分若いんだな。大丈夫なのか? 」


何、こいつ。ちょっとかっこいいと思ったけど、取り消し!


バドが私とセドリックの間に入る。

「まあまあ、セドリック! ではマコト様、本日はお疲れでしょうから早々にお休みください。明日からこの国を彼等とご紹介致します。他にも要望がございましたら何なりとお申し付けください」

「あ、じゃあ早速、一つ提案があるんだけど、いいですか? 」

 私は先ほどからどうしても気になっていた事を言った。

「わた・・じゃなくて、ぼ、僕は見た通り、様で呼ばれるほど立派な人物じゃないので様付けされると居心地が悪くて。あの、向こうの世界でも名前で呼ばれてたし。皆にマコトって呼んでもらえれば気が楽なんだけど・・」

 バドが困った顔をした。

「申し訳ございませんが、マコト様。私は王の執事ですから王を呼びつけるのは・・」

「でも、救世主様がそうおっしゃってるんだったら良いのではなくて? 」とララ。

 

しばらく皆でわいわい議論していると、その様子を黙って見ていたセドリックが、深々とため息をついた。

「どうせまだ正式に王位継承していないから呼び付けで構わないんじゃないか。もし必要とされたら公の場では救世主様にでもして、内輪のみ名前で呼んだらいいだろ」

 あ、なるほどそうか、と私達は目をぱちくりとさせた。

 セドリックは呆れ顔で

「あんた達子供じゃないんだから。じゃ、救世主殿はもう休むんだろ、僕も失礼させてもらうよ」

と、一人さっさとその場を後にした。

 皆もそれぞれ解散し、バドが私をこれからしばらく寝泊りする部屋へ案内してくれた。彼が緊張しながら言う。

「えー、では、マコト、で本当にいいんですね」

「うん! そっちの方がほっとするよ。」

「先ほど会った人達はどうでした? 」

「皆優しそうで良いね。でもセドリックってさ、やな感じ!」

バドは困った顔で微笑んだ。

「口は悪いけどいい子なんですよ。ただ愛情表現が昔から下手でね。本当は、同じ年頃の子が周りにいなかったから、凄く喜んでいるはずですよ」

 え~、そうなのかなあ。

 私は天蓋付きのベッドがある立派な部屋に通され、バドと別れた。メイドさんもたくさんいるから掃除や食事など細々とした事は、ベルを鳴らして呼べばすぐ来てくれるらしい。


 私はふかふかのベッドに横になりながら、これからどうしよう、と考えた。


 そうだ。あまりの出来事に忘れていたけど、家族や学校の皆はどうしているのかな。救世主なんて、きっと何かの間違いだ。ここはちょっと面白そうだけど、早く帰る方法を見つけなきゃ・・。

 ちっとも疲れてなんかいなかったのに、私はすぐ深い眠りに落ちた。



 次の日は、よく晴れた気持ちの良い日だった。


 バドが朝食前に私を朝の散歩に誘った。花々が咲き乱れる美しい公園を二人で歩く。私は早速昨夜の心配事を彼に聞いてみた。

「ああ、その心配は無用ですよ。時の階段は開く時に不思議な力を発揮します。マコトの国の時間に作用しますから、お帰りになる際も何ら不都合はないはずです。その力は・・魔法とも言いますね」

「すごい! 魔法があるんだ! 」

「ここでは珍しくありませんが、マコトにとっては初めて見るような物もあるかもしれませんね。おや、おはようございます、アレクセイ」

「これは奇遇だな」

 庭の中に椅子とテーブルがセットされており、アレクセイが椅子に腰掛けてのんびり紅茶を飲んでいた。

「こんな気持ちの良い朝の一杯は格別だ。良かったら一緒に飲まないか」

それはいいですねえ、とバドは腰掛けようとしたが、バド様、すみません、と召使らしき男性に呼ばれあわてて立ち上がる。

「おや。すみません、用事が入ったもので。マコト、ゆっくりしていってください」

 アレクセイは彼の姿を見送りながら苦笑する。

「やれやれ。執事殿も忙しいな。でも丁度良かった。マコト、かけないか」

 私は勧められた椅子に腰掛け、紅茶をもらった。とても美味しい。ふと気がつくとアレクセイがにこにこ私を見つめている。

ひえー、こんなかっこいい人に見つめられちゃ恥ずかしいよ! だ、駄目だ、顔がほてってきちゃう。


 私は苦し紛れに話しかけた。

「あの、紅茶すごく美味しいよ! で、あのー。そうそう、さっき丁度良いとか言ってたけど、僕に何か用事でもあった? 」


 ああ、とアレクセイは頷いた。

「二人きりになれた絶好のチャンスだと思ってね」

は?

「一目ぼれなんだ。救世主殿と言えど愛は語れるだろ? 」


 ぶほっ!!

 私は思わずむせた。

 今、今なんて!? 


 せきこみながら必死で言う。きっと今、私の顔は真っ赤になっているに違いない。

「ああああの、僕、男だから! 」


「そうだな。だから? 」

へ?

「だ、だからって、あの、」

「なんだ、マコトの所は駄目なのか? 」

「だ、駄目って言うか、その」

「じゃあ、気にしなければいい。ここは大丈夫だから」

だ、大丈夫って、はい!?


 綺麗すぎる微笑を見せるアレクセイに私は赤面したまま硬直していると、運良くエヴァが通りかかった。

「え、エヴァー!!」

 渡りに船―っ!!

「あら、おはようございます。マコト、アレクセイ。・・・マコト、どうなさいました? 」

「ごめん、アレクセイ、僕用事があったんだ、エヴァ、行こう、こっち! 」

「は、はい!?」


しばらくして茂みからセドリックが出て来た。アレクセイが笑う。

「よお、セドリック、偶然だな」

「・・・ち、ちょっと朝の散歩コースを変えてね」

セドリックはむっつりしながら答える。アレクセイはエヴァをぐいぐい引っ張りながら遠ざかるマコトを見ている。


「顔を真っ赤にしちゃって。可愛いよな」

「仮にも救世主だろ。相手が違う。ふざけるのはよせ」

「へえ。お前からそんな台詞を聞けるとはな。マコトの事気に入らなかったんじゃなかったのか?」

 セドリックは一瞬顔を赤くし、

「それとこれとは別だ! 」

と言い放った。それをにやにやしながら眺めていたアレクセイは紅茶を一口すすった。

「安心しろ、俺は本気だから」




「どうなさいました? マコト」

 私はアレクセイが全く見えなくなるところまでエヴァを引っ張って来ると、ほっと一息をついた。と同時に、良いひらめきを思いつく。


「ねえ、エヴァ、お願いがあるんだ」

「何でしょう」

「一度占ってもらえないかな。私について。皆には内緒で」

 彼女は狼狽した。

「マコト、それは」

「分かってる。予言は絶対だって。でも、あれは救世主を探す為の予言だよね? このままじゃ、自分はここで何をしていいか分からない。と言ってただぼーっとしているのも嫌だし。だから、今度は私について予言してほしんだ。これからどうしたらいいのか」


 エヴァは静かに私の話を聞くと、やがて、わかりました、と頷いた。

「お力になれるよう精一杯占います。ただ、異世界の方を占うのは少し時間がかかるかもしれません。それでも宜しいですか? 」

「うん。ありがとう。ごめんね、こちらも無理を言っちゃって」


 良かった。親切にしてくれる皆には悪いけど、早く家に帰りたいもの。

 私はほっとしつつ、予言が出たらすぐに教えてもらうよう頼み、彼女と別れた。


 


 朝食の時間までまだ間があるからと、廊下をぶらぶら一人で歩いていると、一人のメイドさんが水のいっぱい入った二つのバケツを手に提げ、必死に歩いて行くのが見えた。少し歩いては停まり、歩いては停まりしている。


 重そうだなあ、お仕事とは言っても。

周りを見ると、男性の召使は他の召使としゃべっていて見向きもしない。


何、あれ。感じ悪い。暇なら手伝ってあげたらいいのに。


 私は彼女に近付いた。

「手伝うよ。どこまで運んだらいい? 」

 すると、彼女は一瞬驚きと嬉しさの入り混じったような顔をしたが、すぐに、いえ、結構です、と小さく言った。

「いいよ、僕はここの人じゃないけど気にしないで。どうせ今暇なんだから」

「マコト、女性の仕事をするつもりか? 」

 笑い声がしてアレクセイが姿を見せた。先ほどの件を思い出して赤くなりながら、私は努めて平静な様子で、何で、と尋ねた。メイドの女性が答える。

「家事や掃除一切はメイドの仕事と決まっているのです。他に男性召使の仕事を手伝う事もあります。しかし男性は女性の仕事を手伝わなくても良い事になっています」

 何それ!?

私は開いた口をふさぐ事ができなかった。


何なのこの時代錯誤な男尊女卑!!


 アレクセイは優雅に笑い、

「ほら、言っただろ? マコトは休んでればいいから」

と、私の肩に手を置いた。

 私は思わずかっとして彼の手を振り解いた。

「男も女も関係ないよ、力のある者がない者を助けなくてどうするんだよ! 」


 きょとんとしたアレクセイを無視し、私はメイドへ近寄ると、

「いいよ、僕が持つから。ちょっとどいてて」

 と、バケツを持ち上げ、ようとした。


 う。重い。

 でも何とか持てない重さじゃない。

 男子だったら、やっぱりこういうの軽々運ぶんだろうな。重そうにしちゃ駄目駄目。

「大丈夫ですか? 」

 メイドが心配そうに私の顔を覗く。

「あっはっは、大丈夫、余裕余裕」

 

 私は腰をかがめてそれぞれのバケツの取っ手を掴んだ。


 が、頑張って、えいやで持ち上げるぞおお。


 なんの、だてに中学、高校と運動部で鍛えてないわよ。この女の人よりは絶対力があるんだから!


「よっ」

 小さくかけ声をかけ、私はたっぷり水の入ったバケツを持ち上げた。両手が軽く震えている。

「まあ、さすが男性の方は違いますわね。手伝って頂けるなんて初めて。ありがとうございます」

 うっとりと私を見るメイドさんにひきつった笑顔を返しながら、私は努めて何でもないように歩き出した。

「あの洗い場まで返しに行けばいいんだね、いいよ、僕やっておくから」


 メイドさんとニヤニヤ笑うアレクセイの視線を背中に感じながら、私はがにまたでえっほえっほと歩き出した。

とりあえず、メイドさん達が見えなくなるあの柱の影まで行こう。

何でもないように、楽勝な態度で歩かなきゃ。


軽く百メーターはある廊下を歩き、両手が赤くなって痛くなってきた所で、ようやく柱の影に辿り着いた。


 ちらりと後ろを振り返り、誰もいない事を確認して、一気に柱の影に駆け込む。

 ごとん、とバケツを置いて大きくため息をついた。


「あー、重かったあ」

 赤くなった両手を軽くさすり、私は再びバケツの取っ手を再び握った。

 あともう少しだ。頑張らなきゃ。


すると。


「だから言ったろ? 」

なんと一本先の柱の影からアレクセイが出て来た。

「え。な・・なん・・」

「俺は足が速くてね。ちょっと先回りをしていたんだ」

 休憩していたの、きっとばれてるよね。

「・・べ、別に僕は余裕だから」

「その割にはきつそうだけどな」

ぐっ。図星。

 アレクセイは不敵な笑みをこぼした。

「手伝ってやろうか」

「い、いいよ!僕一人で大丈夫だから」

 私はまた腹が立ってきて、彼の脇をのしのし歩いて行こうとした。すると、アレクセイが、ひょいと私の右手からバケツの取っ手を引っ張った。

「持つよ」

「い、いいんだってば!!」

「マコトが言ったろ、力がある者がない者を助けるんだって。」

 ぐぐっ。

思わず返事に窮した隙をねらって、アレクセイが私の手からバケツをとってしまった。そのまますたすたと先に歩き出してしまう。


 悔しいけど、力では男の人には叶わないなあ。


 私は残る一つのバケツを両手で持ち替え、彼の後ろを懸命に追った。

 バケツを二つ運ぶのと一つとでは全然違う。あんなに遠いと思っていた洗い場まで何とか着く事ができた。

 アレクセイが先に着いてにっこりとこちらを見ている。

悔しいけど。手伝ってくれたんだよね。

私は上目遣いにアレクセイをみた。


「・・あの」

「何だ、マコト? 」

「あ、ありがと」

すると、アレクセイは目を丸くして、次の瞬間大きく口を開けて笑い出した。


「な、なんだよっ!」

 彼は私に近付き、顔を寄せて耳打ちした。

「かわいいな、マコトは」

 かか、顔が、頬と頬がくっつく程近くに!!

 私は思い切り後ろに後ずさった。

「!! かかか、からかうなよっ!!」

アレクセイはまだ笑っている。

 私は顔がみるみる赤くなるのが分かった。

男の人可愛いなんて言われた事も、あんな近くに顔が迫ってきた事も、初めてだよお。

 

 その後私は彼から逃げるように自室に戻り、朝食を取った。丁度食べ終わった頃、バドがドアをノックした。

 開けると、バドと、

げげ。なんとセドリックもいる。


「マコト、何だその顔は」

「そ、そっちこそ」

「まあまあ、二人とも。今日はララがマコトを自分の家に招待したいと言いましてね。一緒に行きましょう。と言っても、アレクセイは用事がある為不在ですが・・マコト、どうしました? 」

 アレクセイと聞いて、ぎくっとした私にバドが質問した。何でもない、と私は必死に首を横に振る。


 じゃあ行きましょうか、と私達は、同じ敷地内にあるララの家へ出掛けた。

 ララは元気いっぱいに私達を出迎えた。


 今日は薄ピンクの柔らかそうな布を何枚も重ねたドレスと、髪をリボンで何箇所が軽くくくっている。本当に可愛いなあ。


「マコト、来て下さって嬉しいですわ! まあセドリック、やっと来てくれましたのね! 」

「今日はマコトの付き添いだ」

「もう。バドの優しさの三分の一でもあったら宜しいのに」

 二人のやり取りを見ていた私に、バドがそっと耳打ちした。

「ララはセドリックの婚約者なんですよ」

 セドリックがとんでもない、と言う顔をする。

「別に親が決めた訳じゃない。彼女が一方的に宣言してるんだ。ララは幼馴染で、アレクセイとは年が離れてるから小さい頃から僕がよく遊んでやったんだ。それをララが勘違いしてさ、昔から僕の婚約者になるって聞かないんだ。仲はいいけど、僕は妹みたいに思ってるだけだからっ」

「じゃあ断ったらいいのに」との私の言葉に、

「マコトは彼女の思い込みの激しさを知らないからそんな事言えるんだ。何度も断ってるのに聞く耳を全く持たないんだ」

とセドリックはげんなりして言った。


ララがセドリックの婚約者なんだ。

ふうん。


「マコト様? 如何されました? 」

 バドが私の顔を覗き込む。

「え? 何でもない、何でもない」

 私の事はさておき、ララはちらっと自分の姿を鏡で見てから、おずおずとセドリックに声をかけた。


「あの、セドリック、今回の服、新調しましたのよ。でもどうかしら? 少し派手じゃないかしら」

「ああ、派手だな」

「セドリック!! 」

ララと私は同時に抗議の声を上げ、お互い驚いた。私は慌ててセドリックの腕を引っ張り、小声で話す。

「セドリック、君ってほんとに分かってないんだな。ちょっとは僕を見習ってよ!」

 そうして私はララに振り返り、にっこりと笑った。

「僕は派手じゃないと思うよ。とっても綺麗な色だし、可愛いね」

 すると彼女はぱっと顔を輝かせ、嬉しそうに微笑んだ。


「はあ?何だ今の」と今度はセドリックが私に囁く。


「彼女は褒めて欲しかったに決まってるじゃないか! ああいう時は褒めるの!」

「だったら最初からそう言えばいいじゃないか! もったいぶって! 何で遠まわしなんだよ! 」

「それが出来ないのが女の子ってもんなの!好きな人に自分が言うより先に気付いて欲しいんだよ!」

「お前、変な事に詳しいんだな」


 私は一瞬ぐっと詰まった。まさか女子だから気持ちが分かるんです、とは言えない。


「ぼ、僕だって一応、もててるんだよ、向こうの世界では!」

「見かけによらないんだな。朴念仁に見えるのに」

私達が二人言い合っている傍でララは何度も鏡を見ながら、すっかり機嫌をよくしていた。

「へえ、バド以外に女性に優しい方もいましたのね」



 館や庭等を私に一通り案内した後、ララは私達に自分の手料理をご馳走したい、と言い出した。

「一人でしますから時間がかかるかもしれませんけれど。それまで自由に過ごしていてくださいませね」

 と厨房の方へ移動して行く。

「彼女、料理した事あるんですか? 大丈夫ですかねえ」

とバド。

「時間かかるかもな」

とセドリック。


「じゃあ皆で手伝えば早いじゃないか」


と私が言うと、二人とも驚いた顔をして、いや、そんな、とか言っている。またか。男子厨房に入らずとか何とか馬鹿馬鹿しい事を。


 私は、二人を無視してさっさと厨房に入っていった。


「ララ、僕も手伝うよ」

「ええっ!? 」

 私はララの隣に立つと野菜の束の中からにんじんを一本とって切り始めた。我ながら危なっかしいと思いながら。

「い、いいんですのよ、殿方は座っていらっしゃれば! ほら、危なっかしい! 」

 すごい形相で私の手から包丁を取ろうとしたララを、私はひょいとかわした。

「ふっるいなー。ここってまだそんな考えが残ってるの!? 」

「・・・貴方の国では男性も料理をなさいますの? 」

「うん。結構。僕の父親はしょっちゅう作ってくれるよ。僕もやらなきゃと思ってるんだけどさ。実は苦手なんだ。」

「ここでは殿方は何もなさいませんわ」

「そう。でも、家事って生活だよね? 人が良好に生きていくための物だから、男も女も関係ないよ。誰にでも必要な物じゃない? それにさ、こうやって苦手な者同士でも、一緒にやる方が、一人よりずっと早いし、楽しいじゃない」


 ララはしばらくぽかんと私を見つめて、言った。


「・・・変わってますわね、貴方」

 そして、ふふ、と可愛く笑った。

「でも、その通りですわ」

 その時、向こうからおーい、と声がした。

 バドとセドリックがこちらに向かってやって歩いてくる。


「マコト、お前何やってんだよ」

「セドリック、ちょうど良かった。手伝いが欲しかったんだ。ほら、これ切って」

「えええ!? 料理しているのか!? 正気か、マコト!? 」

「ララはやってるじゃないか」

「だって、ララは女だろ」

「そんなの関係ないよ」

 私の横からララが口を挟んだ。

「家事は生きる術ですのよ。それを学ぶのに男も女もありませんわ! 」


 私とララは顔を見合わせてにっこりした。

 そのやり取りを見ていたバドは深く感銘したかのように頷いている。


「生きる術、ですか・・。なるほど・・。そのような考え方は今までした事がありませんでした。私も是非学ばせて下さい」

「バド、お前まで! 」

 私は意地悪くセドリックを見た。

「それとも、へー、セドリック、できないんだ。料理ぐらいが」

「なっ、何っ、馬鹿にするなよ、できるさ料理くらい! 」

「よし、決まりだ。ララ、じゃあそこのじゃがいも取ってくれる? ねえ、ララ? 僕の顔になんかついてる? 」

 顔を赤くして私をぼーっと見ていたララは、

「あっ、ま、まあ、すみません! 何でもありませんわ! じゃがいもですわね、足りないからもっと取ってきますわ!」

と益々顔を真っ赤にして部屋の奥へ駆けて行ってしまった。


 

 かくして、ほぼ初心者ばかりの料理は、ぎゃあぎゃあ騒ぎながらも何とか完成した。見栄えは悪かったけど皆で作ったカレーは、とても美味しかった。

「いやあ、自分で作った事もありませんでしたが、皆で作ると格別ですねえ! 」

「へえ、中々」

「美味しいですわ! 」

「だよねえ? 皆で作るとすごく楽しいし、バドもセドリックも料理上手だったよ。これからもどんどんやったらいいよ。性別なんかで役割を区切ってたら、それだけ色んな事に触れられるチャンスがなくなってつまらないよ」

 なるほどね、と、一同、あのセドリックまで納得した時、私をそれまでじっと見つめていたララが、セドリックに声をかけた。

 

「セドリック、婚約解消の話、わたくし承知しましたわ」

「ええっ!? 」

 私とセドリックは同時に声を上げた。


 思わず自分の顔に手をあてる。

 私の顔、今一瞬、笑わなかった? まさかね・・。


 ララはくるりと私に向き直り、にっこり笑いかけた。

「マコト、わたくし、貴方の事気に入りましたの」

「えっ!?」

 今度は私と、バドと、そして何故かセドリックも同時に声を上げた。


な、なんて!? 


「もちろん分かっていますわよ、貴方は救世主、私には遠く及ばない御方だと言う事くらい」

 そしてここでララは首を横にちょっと曲げて恐ろしく可愛く微笑んだ。

「でも待っていて下さいませ。私、絶対素敵になって貴方に相応しい女性になってみせますわ」


 彼女が微笑むと同時にふわふわカールの茶色の髪がまぶしく輝く。

 うわ~、同性の私から見ても本当に可愛い。彼女のお婿さんになる人は幸せだろうなあ・・って余裕かましている場合じゃない!


 彼女のうっとり私を見つめる視線から逃れようとしながら、思った。

 アレクセイと、ララ、この兄妹から好かれちゃったの!?

 どおしよう・・!!

 私はこの後、この兄弟に好かれると言う事がどれだけ大変か、身をもって知る事になった。



 翌朝。私はベッドの中でもぞもぞと動いた。あー、気持ちいいな。そろそろ起きなきゃ。

 半分起き上がり、両目をごしごしこする。


「おはよう。よく眠れたか? 」


 え。


寝ぼけ眼で左隣を見るとアレクセイがにっこり笑ってこちらを見ていた。


 ベ、ベッドの中にいる。

 一つのベッドの中に私とアレクセイが・・。


 う。

「うわあああああ!!!」


 私は館中をひっくり返すかのような大声をあげた。

たちまち両隣や前の部屋からどたばた人が起きる音、誰かがこちらに走って来る音が聞こえた。その中でひときわ恐ろしく早い足音が近付き、ばん!と威勢良く私の部屋のドアを開けた。


「マコト、どうされました!?」

「バドぉぉお!!」


 私はきっと、半分泣きそうな、安堵で笑ったような変な顔をしていたに違いない。

 バドは私を見ると、すぐその隣を見て目を剥いた。


「ア、アレクセイ!? 何をやっているんですか!!」

怒るとかなり怖いバドを見てもアレクセイは気にも留めないように、にやりと笑った。

「何って・・。マコトを起こしに来てあげんたんだぜ、親切に。でもあんまり可愛い寝顔だからさ、起こすのが可愛そうになって。で、起きるまでそっとしといてあげようと」


 バドがさらに言いかけようとした時、ばたばたと数人が部屋になだれこんできた。

 息を切らし、顔を真っ赤にして入ってきたセドリックを先頭に、ララ、エヴァ、メイドさん達数人まで入ってきた。


「どうしたんだ!?」

「どうしましたの!?」

「どうされました!?」


それがあまりに異口同音だったのでアレクセイは吹き出し、私も思わず笑いそうになった。あ、違う。笑ってる場合じゃない。


ララはアレクセイを見て目を剥いた。

「お兄様!! 何て事をしていますの! はしたない!」

「お前こそ、似たような事考えてたんだろ。なんだその花束は」

 ララは顔を真っ赤にして両腕に抱えていた花束を後ろに隠した。


「わ、わたくしはバラがあまりに美しいからマコトの部屋に生けてあげようと思っただけですわ!・・・おかしいと思ったら、やっぱりそうでしたのね。お兄様が相手なら不足はありませんわ。負けませんわよ」

「言っておくが、先に目をつけたのはこちらなんだぜ。わが妹と言えど手加減しないからな」

 二人の美しい兄妹は互いを見つめながら不敵に笑い合った。うわあ、なんか視線がばちばち言ってる。怖いよお。


セドリックはそんな二人にお構いなく、ぐいっとララとアレクセイの腕を引っ張った。

「ちょっと、セドリック何しますの」

「こちらはまだ取り込み中なんだがな」

 そう不満を言うアレクセイ達に彼は怒鳴り声を上げた。


「兄弟げんかは他所でやれ! こいつは一応客人だ、ここにも慣れていないのに朝っぱらから疲れさせるな!皆早くマコトの部屋から出るんだ、さあ、さあ! 」


 すごい剣幕で渋るアレクセイ達はおろか、バドやメイドさん達も全員締め出してしまった。


 私はぽかんと、その様子を見ていた。

セドリックが他の人にあんなに怒るの初めて見た。一応、かばってくれたんだよね。


すごく不思議だ。最初はあんなに態度が悪かったのに。もしかして、人見知りとか・・・、思ったより悪い奴じゃないのかな。

今も、セドリックはらしくなく私に心配そうな顔を向け、優しく

「マコト、大丈夫か」

なんて言うのでこちらも調子が狂ってしまう。何故か顔が赤くなる。私はそれを隠す為に慌てて俯いた。

「あ・・、うん、うん。ありがと」

「大体。マコトがしっかりしてないからこんな事になるんだぞ」

 ほら、やっぱり文句言う。

でも今の私は先程の衝撃が残っていて、反撃する元気はなかった。


「そうだね・・・。ごめん」

 素直に謝った私を見て、セドリックは意外そうな顔をした。暫しお互い沈黙し、彼はくるりと後ろを向いた。

「あ~、あの。良かったら、寝る時僕の部屋に来ていいんだぞ」


 えっ!?

 私は驚いて顔を上げた。

 セドリックの表情は向こうを向いていて分からない。何か盛んに頭を掻いている。

「べっ別に、変な意味じゃないからな。僕の所もベッドは広いし、魔法で鍵もかけられるし、何かあってもすぐ分かるだろ、だから・・」

「いっいい、いいよ。僕一人じゃないと眠れない性質なんだ。あの、寝相も悪くて。でも、あ~、ありがと。気持ちだけ受け取っておくから」

 私は慌てて両手と同時に首も横に振りつつ拒否した。セドリックには見えていないと言うのに。


 今の顔を見られる訳にはいかない。きっと真っ赤になっている筈だ。

男同士なら問題ないけれど、男女なら大有りだよ~。


こちらを向いたセドリックも、何故か赤くしている。

「い、いや、そうだよな。分かった、気にするな。・・・でも、又何かあったら呼べよ。すぐ来てやるから」

「う、うん」

「じゃ、じゃあな」

 セドリックはそそくさと部屋から出て行った。

 私の心臓はまだバクバク言っている。

 ベッド脇の壁にかけられている鏡を見ると顔が真っ赤だった。


 あちゃ~、セドリックにばれなかったかな。でも大丈夫だよね。私は男なんだから。

 それにしても、とため息をつく。

 アレクセイみたいな格好いい人に毎回毎回せまられてちゃ心臓がもたないよ。

 でも、と私は頭を振った。


 駄目だ。私は男なんだから。否、ここでは男同士でもOKなんだけど、私は事実女なんだからそれを絶対に悟られちゃいけない。男なんて興味ありません、みたいな顔をしなきゃ。

でも惜しいよね、アレクセイみたいなあんな格好いい人。あ~、ややこしい!!


 そう言えば。私はふと、部屋を退出する時のエヴァの表情が気になった。私に何か言いたそうだったけれど。


 予言が出たのかもしれない。


 私は、気が散っているのを打ち消そうと、勢い良くベッドから飛び出し、着替え始めた。



「エヴァ、ちょっといいかな」

 彼女の部屋の前まで行くと、軽くノックをした。すぐに扉が開き、彼女が美しい姿を見せた。


「もしかしてさ、・・・何か新しい予言でも出たんじゃないのかと思って 」

 彼女はマコトには隠し事が出来ませんね、と困ったように微笑み、私を室内に通した。


「マコトの仰る通り貴方について占ってはみたのですが・・・このような予言は出た事がなく、言ってよいものかどうか迷っておりました」

 エヴァは当惑しながらも話し続ける。

「予言は、全ての解決は赤、白、青の国に行き、それぞれの王に会う事と出ております。貴方の探しているものが見つかると」


「貴方の探しているもの・・」


 私は考え込んだ。

 帰る方法かな、それとも。赤、白、青のそれぞれの国の王に会う事。探しているものが見つかる。探しているもの・・・もしかして。


エヴァは不安そうに私を見守っている。


「マコト、もしかして、貴方は・・。赤、白、青のうちどれかの王が真の王だと思っていませんか? 」


 ぎくっ。

ぎょっとして私は彼女を見た。やはりそうなのですね、とエヴァは寂しそうに微笑む。

「占い師をしているせいか、勘が鋭いのです。確かに、もし予言がなければ、この三つの国の王のうち誰かが黄金国の王になってもおかしくはないでしょう」


「あ、あの、エヴァ、聞いて! 私、やっぱり、その」


 彼女は優しく頭を振った。

「異なる世界からたった一人、いきなりいらっしゃったのです。おっしゃらずとも、お気持ちはよく分かります。わたくしは貴方の味方です・・・行かれるのですね」 


「うん」

 さすが占い師。そこまで見破られていたか。


 私は正直に頷いた。彼女は、

「ではマコト、一つ大事な事を申し上げておきます」

と告げた。

「貴方がこれぞ王だという方を見つけられたら、その方の手を握って下さい。このように」

 そうしてエヴァは、彼女の白く美しい手で私の手をそっと取った。

「そうすれば、真の王であったなら、その方の手が白く輝く筈です。そうして、ここに、〝私、マコトは誰々を王として認めます〟と宣言すると真の王として決定するでしょう。これは、本当は王が次の王へ王位継承する際に使われる方法なのですが、真の王を探す手段に、生かせるかと思います」

「わかった。ありがとう、エヴァ」

「良い結果になる事を、心からお祈りしております」


 そうして私は、ある決意を秘め、彼女の部屋を出た。


 廊下を歩いて行くと、バドに出会った。

「マコト、今朝は大丈夫でしたか、落ち着かれました? 」

「あはは、うん、まあ。で、バド、丁度良かった。話したい事があったんだ」


 私はそっと廊下の両側を見た。誰もいない。

「はい、何でしょう」


「バド、あのね、・・・私、やっぱり自分は王じゃないと思うんだ」


「マコト、それは・・!」

「聞いて。最初は自分も予言が外れたのかと思ってた。私の世界では、予言や神秘的な物は胡散臭い物として扱われていて、本気で信じている人はそういない。目に見える事が絶対だと信じていて、・・自分もそうだと思ってた。でも、確かに世の中では不思議な事もまだいっぱいある。その中には大切な事で、大事にしなくちゃいけない物もあるんじゃないかって、魔法が生きているこの国を見て思ったんだ。予言では男の人が王になる、だったら自分は絶対に違う。そうしたら、その誰かを、自分は見つけなきゃいけないんじゃないかって」

「・・どう・・なさるおつもりですか」

「エヴァに頼んで、予言してもらったんだ。私について。そうしたら、赤、白、青の国に行けば探しているものが見つかるんだって。彼女が、もし予言が存在していなかったら、この三つの国のうち誰かが黄金国の王になってもおかしくないって言ってた。だから私、それぞれの国に行ってみて王様達に会おうと思って。もしかしたら、誰かが真の王なのかもしれない」

そこで私はちょっと言葉をくぎった。


「私は王じゃないのに、皆にとても良くしてもらっている。バドとエヴァなんか、一番辛い筈なのに私に優しくしてくれて・・・本当の王を探すのが、罪滅ぼしになるんじゃないかって」

 

「・・マコト・・あなたと言う御人は・・」


バドは涙をいっぱいに溜めた瞳で私を見つめ、次の瞬間、がばっと膝をついて私の手を握った。


「私も連れて行って下さい! どこへでも付いて行きます!! 」

「しーっ! 声が大きいよ!立って、バド、勿論、最初からそのつもりだったよ。さすがに一人では全然分からないからさ」


 今にも泣き出しそうな顔で、私の手にしがみついているバドを必死に立たせようとしていると、廊下の奥から、なんだ、どうした、とセドリック始め、アレクセイとララがやって来た。


 あっちゃー。


 ひざまずいているバドの只ならぬ雰囲気を見て、どうしたのかと皆聞いてくる。私は必死に、元々考えていた嘘の理由を引っ張り出した。


「あー、あの、実は僕、次期国王として、勉強がてら他の国も色々見てみたいなって・・。でもお連れがいっぱいいたら大変だよね、だから少人数でこっそり行こうかと・・。お忍びって奴? 」


「で、バドがじゃあ自分も是非にって懇願したわけだな」

 と呆れ顔のセドリック。

「そ、そうなんだ、うん」

 ふうん、ま、いいんじゃないか、と納得する一同にほっとしたのも束の間。


「じゃあ俺も行く」

「ええっ!? 」

 皆が一斉にアレクセイを見た。

「王の身辺警護が必要だろ。バドだけでは頼りないし。王の警護を担う騎士団長が付いていけば鬼に金棒じゃないか」

 そう言って僕にウィンクした。


 私の身辺警護って・・アレクセイがいる方が余計私危ないんじゃないの!?

 こちらの心配をよそに、バドはにっこりと笑って


「その通りですね、アレクセイ! 貴方がいれば安心ですよ。是非お願いします」

 こらー!! この鈍感!! 勝手に決めるなー!!


 わなわな震えている私と、にやにや笑っているアレクセイを見て、バドはきょとんとした。

「どうしました、マコト? 」

「うう・・、別に」

 アレクセイがにっこり笑う。

「じゃあ、決まりだな」


「いいえ」

 ララがアレクセイを見上げてきっぱりと言った。

「わたくしも行きますわ! 」


はい!?


私達全員、呆気に取られて彼女を見た。


「ララ、遊びに行くんじゃないんだぞ」

とアレクセイが怒った顔でたしなめたが、彼女は負けず彼を見返した。

「王族の娘だからと、他の国に行くことを反対されていましたけれど、私ずっと他の世界を見たかったんですの。自分の世界を広げたかった。それに今思えばお兄様やセドリックは訪問されていましたわよね。女だからと言う理由で外出できないなんて、おかしいと思いません!? 」


 真剣に私を見つめるララの瞳から、私は目を逸らす事ができなかった。そんな事言われると、ついて来るななんて絶対言えない。それに、一見自由で幸せそうに見えた彼女が可愛そうに思えた。こんな機会でもなければ、きっと彼女は出られない。

「・・いいよ」


「マコト!! 」

 私は抗議の声を上げたアレクセイを見据え、きっぱりと言った。

「僕の命令だ。ララは連れて行く」

 ぐっと詰まった彼を尻目に、ララは両手を叩いてはしゃいだ。

「やっぱり大好きですわ、マコト!! 一生感謝致しますわ!! 」

 私達の様子を、何故か渋い顔で見ていたセドリックは、ぼそりと言った。

「・・・じゃあ僕も行くよ」

「えっ!? 」

 セ、セドリックまで!?

「何だ、僕は不満か、マコト」

 このメンバーでバドに次ぐ常識人! ほんと、助かった。


「い、いや、あの。・・君も来てくれて嬉しいよ」

 正直な気持ちを言ったつもりだったのに、私は何故か顔が赤くなった。

 セドリックも下を向いて、いや、あの、と呟いている。


 彼の様子をじっと見ていたアレクセイは、意地悪く笑い、

「へー、自分から積極的になるってのも珍しいな」

と言うと、セドリックは顔を真っ赤にしてアレクセイとララを指差し、

「この破壊的兄妹を放っておける訳ないだろ! 」

と怒鳴ったので、私とバドは思わず吹き出してしまった。


 バドがようやく立ち上がる。

「ではマコト、結局このメンバーになりましたが、宜しいですか? 」


 ははは。確かにね。このメンバーで頼りになるんだかならないんだか。でも、皆とまた一緒にいられて嬉しい。

「うん。宜しく、みんな」



 それから一週間後、私達一行は、まず青の国へ出発した。小さくも可愛らしい馬車に私とララが乗り、御者台にはバド、後方にはそれぞれ馬に乗ったアレクセイとセドリックがついている。馬は全て翼を持った金色のペガサスだ。

 青の国は、黄金の国から一番近い隣国だ。両国の間には大きな森があり、その森を入ってしばらくすると、青の国があるとバドが言う。

「それぞれの王に会うのですから、身分を隠して、と言う訳にはいきません。王達には次期国王が来られる旨伝えております。ただ、お忍びであると言ってありますので自由に国内は見て回れますよ」


「青の国って、どんな所だと思われます、マコト? 」

 ララは早くもうずうずしている。私もちょっと遠足気分でなんだか楽しい。本当は、王を見つけなきゃいけない真剣な旅なのに。

「ほら、見えてきましたよ」

 バドの声に、私とララは窓にへばりついた。


「わあ・・!! 」

森の中に、青い銅製のような門がいきなり存在していた。

「そと、外に出てもいい!? 」


 馬車から出て、その巨大さに呆然とした。

左右の幅は、端が霞んで見えるほど広く、高さともなると首が痛いくらい見上げても、空のずっと高い所まで門が立っているようで、上が見えない。

馬から下りたアレクセイ達が傍にやって来た。

「中に入ると、もっとびっくりするぜ」


「黄金国から参りました」

 バドがそう扉に向かって声をかけると、ギギギ、と重そうな音を立て、ゆっくりとひとりでに扉が開いた。そうして、そこには__。


「!!!」


 私達の目の前には、漆黒の空が広がっていた。空には満月がぽっかり浮かび上がり、星がきらめいている。


「え、だって今は昼だったのに!?」

 慌てて後ろを振り向くと、門がゆっくりと閉じられていく所で、隙間から差し込む眩しい光に目がくらりとした。やっぱり、向こうは昼だ。

 セドリックが言う。

「青の国は決して日が昇らない国。この国は常に夜なんだ」



石畳とレンガでできた美しい町には街灯が浮かび、しんと静まり返っていた。元は何の色なのだろう、月光を浴びて、建物が、道が、全ての物が深い青色に包まれていた。


青だ。

だからここは青の国なんだ__!!


「見て、マコト! 」


 ララが指した空を見ると、星が煌き、次の瞬間位置をくるくると変えペガサスの形になった。星座みたいだ、と思った瞬間、しゃん、と鈴のような音をたて、星は消滅した。見ると、空のあちこちで星が集まり、花や動物の美しい形を作り消滅していく。

「星花火ですよ。ふふ、お忍びと言ったのに。青の国の王は我々を歓迎してくれているようです」

 じゃあ私は先に王に挨拶してきますから、とバドは馬車を走らせて行った。


 私とララはきょろきょろ歩きながら、アレクセイとセドリックはその後ろを、馬を引きながらのんびり歩いて行く。


 少しすると、大きな通りに出た。通りの先には青白い城が見える。ここは城下街らしい。

 両側にある店の何軒かは明かりが灯り、食事をしている人達のざわめき声が聞こえてくる。道端では静かにヴァイオリンを弾いている人、それに聞き入っている人達、手を繋いで歩いて行くお母さんと子供。皆闇に溶け込みそうな黒髪に紺の服を着ている。


 その時、ふと通りを歩いていた中年女性が私達を見た。

私は金色のマントをきっちり胸の前で締め直した。黄金国の王の象徴、獅子の印を見せない為だ。お忍びだから、一般の人に知られちゃいけない。

その女性はつかつかと歩いて来ると、満面の笑顔を見せた。

「旅の方ですか、まあお珍しい」

「は、はい」

 すると、周りの通行人や、お店の中にいた人までが、わっと私達を取り囲んだ。


「黄金の国から来られましたの、ゆっくりなさって下さい」

「大歓迎ですよ、どうです、うちのソーセージ」

「どこに泊まられますか? よければわしらのうちでも」


 ありがとうございます、はい、頂きます、いえ、友人の家に泊まるのでこれで、と私達がたじたじになっていると、四頭の黒馬が引く立派な馬車がやって来て、私達の前で止まった。


 バドが馬車から顔を出す。

「さ、これに乗ってください。皆さん、すみませんね。ちょっと急いでおりまして」

 彼が街人に会釈をすると、皆、良い旅を、と笑って手を振ってくれた。


 私が馬車に乗り込む時、アレクセイが耳打ちした。

「ここではいつもこんな調子さ。人々が優しくて、ほんと、ほっとする所だぜ」


 立派な馬車は滑るように走り出し、やがてお城に到着した。入り口に通されると、紺色のマントに、同じく紺色の、たっぷりとした長い、床まで着く上着を着た男性が小走りに出て来た。ちょっとウェーブがかった長めの黒髪を、後ろに一つでしばっている。瞳も深い紺色らしい。怪盗ルパンのように、片方だけ眼鏡をしているのがおしゃれだ。


王と言うから、おじいさんを想像していたら若い人だったのでびっくりした。バドと年齢変わらないんじゃない? あ、でも私も人の事言えないか。


向こうも同じ事を考えたようで、一瞬びっくりした表情をしたが、すぐ温和な顔に戻った。

「青の国へようこそ、救世主殿。大歓迎致します。僕はこの国の王、テオと申します」

 テオは片方の膝をつけて、丁寧にお辞儀をすると、食事の用意ができておりますから、と私達を広間へ案内した。


 食事はとても美味しかった。食べ盛りの私、ララ、セドリックはぺろりと平らげバド達大人組に笑われた。

 ララはむくれた顔をしたが、すぐテオに向き直って質問した。

「わたくし全然こちらの国について知らないのですが、普段はどうやって生活されてますの? 」

「皆さんと同じですよ。一日二十四時間は変わりません。皆さんが言う「朝」七時頃に起き始め、大人は働きに、子供は学校に行き、夜の六時頃には帰宅、その後就寝です。」


「でも、ずーっと暗いんだよね? 」

 と私。

「僕達は暗いのになれっこですが、真っ暗というわけではありませんよ。活動時間帯は、あちこちに明かりがついて結構明るいですし、不便は感じません。僕達にとってみれば、太陽が昇ってまた沈むだなんて、慌ただしい生活のようで想像できません」


そうして私達は和やかに会食した。既に何回か訪問しているアレクセイはテオと談笑している。こうして大きな窓から眺める夜景も綺麗だし、テオは優しい王様だし、とってもいい所なんだなあ。


 そう思っていた時。


「テオ様、失礼致します」

 秘書らしい男性が扉を開け、彼に書類を手渡した。


 ちらと書類を見たテオが一瞬顔をしかめた。

「・・後で行きます」

 はっ、失礼致しました、と男性は私達に頭を下げ、出て行った。


 何だろう。私の疑問をよそに、ララがテオに話しかけた。

「とても立派なお城ですわね」

 いや~、と、テオは頭をかいた。

「王は代々この城に住む事になっているのですが、立派すぎて苦手なんですよ。僕は贅沢には興味がないし、こんなに大きくても持て余すだけだし、なるたけ質素に暮らして、余った予算は国民の為に使うようにとしているんですが」


 テオって、上品な学者みたい。王様だから、偉そうな人だろうなと思ったら、誰にでも物腰が丁寧で、優しくて、王様だと言う雰囲気が全くない。それに、自分の事よりも国民の事を大事に考え、彼らを愛しているのがすごくよく分かる。もしかして、こういう人こそ真の王なのかも。


 私はふと気がついて、テオに言った。

「テオ、何か急ぎの用があるのなら、行ってくれていいよ。全然構わないから」


 先程の彼の浮かない顔が気になった。

 すると、彼は再び顔を曇らせた。


「いえ、議会はあと回しで良いのですが。どうせ何度議論しても良い案が出てこなくて・・」

 彼は先を言うか言うまいか悩んでいたようだったが、やがて口を開いた。


「実は、この国をもう少し活性化させたいのです。何度開く議会もその為の事で。わが国は一番小さく、赤や白の国のように、これと言った強みもありません」

 赤と白の国の強みって? と尋ねると、赤の国は鉱物等の資源に恵まれ、白の国は技術が発達しています、とテオは答えた。


「ただ常夜の国、と言うだけでは物珍しいだけのようで。魅力が今ひとつないのか最近多くの若者が黄金の国などへ流出し始め、困っています。他国からの来訪者や、移住者も歓迎しているのですが、皆青の国には何故か来てくれないのです。噂では夜ばかりなら治安も悪いと考えているとか。ここで生まれ育った僕にはさっぱりその感覚が理解できません。夜こそ静かでのんびりできて、平和なのではありませんか? 」

「うーん。それが僕達の感覚では逆なんだ。犯罪は明るい昼より夜の方が多いし。旅先でも夜出歩いちゃいけないって言われるよ」

 テオはショックを受けたようだった。


「そんな!! 僕達は暗くてお互いがよく分からないからこそ信頼と友愛が大事だと考えています。女性や子供の一人歩きも全く問題ない治安の良い所です! 」

「確かにそうかもな」

 とセドリック。


 そうかあ。所変われば、だなあ。

 確かに、さっき街中を歩いている間も全く危険を感じなかった。皆夜の間も出歩くせいかもしれないけど。でも、出会った人々みんな、すごく親切に接してくれたなあ。


 テオがため息をついた。

「このままでは人口が減る一方です。なんとか国を活性化させ、国民を増やしたいのです」

「人を集める方法かあ・・」

 私以下、一同うーんと頭をひねる。


 美しくて綺麗な国。常に夜の国。それを何とか生かせないかなあ。何か、もっと人が、国民は勿論、他国からも人が集まってきてくれるような。


 確か・・私のいる世界では・・


「お祭りとか国のPRになるしいいんじゃないかな? 星花火って、ここの名物なんだよね? それで花火大会はどうかな」


 私の問いに、残念そうにテオが首を横に振った。

「それを考えた事もありますが、星を集めるのが結構大変な作業で・・。他国から人を集められるほど大規模な花火大会は開けません」

 じゃあ、とララが口を挟む。

「仮面舞踏会なんてどうかしら? 夜の国で踊るなんて素敵だと思いますわ 」

 アレクセイが、どうかな、と渋い顔をした。

「舞踏会なんて俺達王族の間では一般的でも、庶民には堅苦しくないか? 」

 再び、皆、うーんと唸った。皆が参加しやすくて・・。そうだ!


 私は思わず、どん、とテーブルを叩いた。


「男女あべこべの、仮装仮面舞踏会はどうかな!? 男性は女性の、女性は男性の格好に扮装する。仮面をつけるから男性でもそれほど抵抗感はないだろうし、普通の舞踏会と違って堅苦しさがないから、誰でも参加しやすいと思うんだ。で、それを目玉に、ここを観光国にするんだよ! すごく綺麗で平和な国じゃないか、観光にはもってこいだよ。他国から観光客が増えれば、地元の商業も活発になるし、この国を訪れた人がここに住みたいってやってくるかもしれないよ!」

「それは面白そうだな」とアレクセイ。

「星花火も一緒にしたらどうかしら? ロマンチックできっと素敵ですわ! 」

「大オーケストラの生演奏付きで踊るのもいいのではありませんか? 」

 私達の提案にテオは目を輝かせ、

「では、手始めに早速、仮装仮面舞踏会をやってみますか! 舞踏会の日は会社も学校も皆休日にして、国民に参加するよう呼びかけます!」


 一人じっと聞いていたセドリックは、ぼそっとつぶやいた。

「大切な事を忘れてないか。観光客も増やしたいんだろ。だったら他の国の奴らも呼ばないと」


「あ、そうか」と私。

「でも、どうやって? 」とララ。


 あんた達先の事何にも考えてないな、とセドリックは大きくため息をつき、

「だから、お客なんてすぐ集まらないだろうから黄金国から僕達の親戚や友人達を招待したらいいんじゃないか? その舞踏会が良かったら、皆勝手に評判を広めてくれるよ」

なるほどな、とアレクセイは頷いた。

「じゃあ俺は騎士仲間をたくさん連れてこよう。バドとララも頼んだぞ」

 もちろん、と二人は強く頷いた。

 では決まりですね、とテオが嬉しそうに笑った。

「ただ、仮装舞踏会をするとなると、主催者である僕が女装しない訳にはいかないですよね~。と言っても恥ずかしいので、一つお願いがあるのですが。このお祭りに是非救世主殿にも参加して頂きたいなと」

「いっ!? 駄目駄目、できないよ!」

そんな事したら、きっと女だってばれちゃう!・・かもしれない。

アレクセイはにやにや笑う。

「いいじゃないか。マコトが女装したらきっと可愛いだろうし」

 そしてバドまでが能天気な声で賛成した。

「あー、それはいいですねえ」


 ええっ!?

 私は勢い良く立ち上がると、皆には、あははー、ちょっと失礼、と言いながら、ぐいぐいと、バドを部屋の隅にまで引っ張り、声を押し殺して彼に尋ねた。私は今きっと、どんなホラー映画の幽霊よりも怖い顔をしていたに違いない。


「バド、もしかして・・・」


 バドがしまった、と言う顔をした。


 やっぱり!!


「・・・まさか、私が女だって事忘れてたわけじゃないでしょおねええ」

 バドは目の前で両手を合わせた。

「す、すみません! 一瞬です、一瞬! あまりにも不自然がなくて・・、いや、その」


 ふうん。私のこめかみがぴくぴくと痙攣した。あ、そう。いいんだよ、別に。

 私はくるりとテオに向き直った。

「いいよ」

「本当ですか! 」

「その代わり、ここにいる皆もしてくれるんだったらね」

「えええーっ!? 」

 ララ以外、全員が悲鳴を上げた。


 ふん。私だけにさせてたまるかい。一連托生よ。


「冗談じゃない、僕はごめんだよ! 」

「俺もかい!? マコト、それは勘弁してくれよな」

「あら、面白そうじゃございませんこと? ねえ、バド」


 顔面蒼白のバドは、ちらりと私を見た。

「わわわ、私は・・・・はい。そうですね」


 セドリックが仰天した。

「な、何言ってるんだ、バド!!」

「・・・ですから、すべては王の・・」

「そう! 命令だから」

 きっぱりと言った私に、ララとテオ以外、一同がっくりと首を折れた。


 ふん。こういう時に王の特権を生かせないでいつ使うってゆーの!!


 テオの行動は早かった。私達も黄金国からの使節団と称してチラシを作り、宣伝して歩き回った。心配だった国民の反応だが、不安は杞憂に終わった。国を挙げての初の大規模なお祭り、しかも仮装舞踏会なんて面白そう、とすっかりやる気になってくれたのだ。かくしてお触れからわずか二日で、城下のメイン通りである会場は国民の手により花等で美しく飾られ、完成した。アレクセイ達の、黄金国からの友人達もぞくぞく到着し、街はすっかりお祭り気分一色となった。

 

そうして開催当日になった。

舞踏会は十九時開催だ。私達はその時間までに仮装をし、別行動で会場にある時計塔の下に集まる事が決まった。勿論男性全員が恥ずかしがったからだ。


「マコトと私なら仮装しても美男美女のお似合いカップルですわ! わたくし、探しますから手を振って下さいませね」

「マコトの可愛い姿を見たい気もするが・・。俺の仮装も見られるっていうのが、ちょっとなあ。なあ? セドリック」

「なな、何で僕に聞くんだ! 」

「では、十九時に集合してくださいね。おや、表情が暗いですね、バド殿」

「はは・・いえ」


 皆それぞれに、仮装する為別々の部屋に入っていった。


「まあ、綺麗ですね、お似合いです! 」


 私は化粧をしてくれたメイドさんの言葉に苦笑しながら大鏡に写った自分を見た。

 肩の大きく出たドレス。コルセットのように腰まではぴったりと体に沿ったデザインで、腰からふわりとタックが入っている。とっても短いパフスリーブの袖も、ひじからはめている白いレースの手袋も可愛い。


 こんな服着るのは初めてだけど。・・・あんまり違和感ないなあ。ふふ、何か嬉しいなあ。一応女の子だもん。

 私は鏡に向かってにっこり笑いかけ、次の瞬間、はっと顔を青くした。


って、それって駄目なんじゃないの!? 


小学生でもなければ、どんなに女の子っぽい男の子でも、女装には無理があると思うんだよね。いまいちごっつい感じがすると言うか。こんなひょろっとした首や肩、二の腕の十六歳男子なんていないよ!


肩にストールを羽織ったとしても・・。誤魔化しきれない気がする。他の服もなし、自分の事で手一杯のバドは頼りにならないし、どうしよう、絶対他の皆に見られないようにしなきゃ!

 


 時計塔のある大通りは、既に結構な人だかりになっていた。

 私は人込みに紛れ、顔のマスクをつけ直しながら、こっそり他の皆を探した。


 あっ! いたいた!

 アレクセイとララの兄妹は、遠目から見てもすぐ分かった。あまりにも目だっていたからだ。

アレクセイは、昔のハリウッド女優のようだった。茶色の、肩まである巻き毛のかつらをかぶり、袖と腰周りがふくらんだ、長いクラシカルなドレスを見事に着こなしている。端正な顔立ちに化粧が生え、きりっとした美しい女性に変身していた。映画「風と共に去りぬ」のビビアン・リーみたい! ララにからかわれているのだろう、彼女に笑いながら話しかけられると、渋い顔をしていた。


ララは、文句なしに可愛かった。ふわふわの長い髪を、一つで後ろにまとめ、羽のついた大きなつば付き帽子を被り騎士の格好をしている。腰にはサーベルまで付け本格的。まるで三銃士のダルタニヤンだ。大きな赤いマスクがとても可愛い。目立つ二人は、既に周囲から熱い視線を受けていた。


「あの背の高い男性は素敵ね! 」

「騎士の扮装をしているあの可憐な女性はどこの方だろう? 」


 バドを見つけた瞬間は、悪いけど噴出してしまった。

おどおどと、恥ずかしそうにすみっこに方にいた彼は、眼鏡はそのままで三つ編みにおさげ髪のかつらを被り、赤いチェック柄の服に茶色のショートブーツを合わせていた。まるで「赤毛のアンが大人しいバージョン」だ。うふふふふ、ざまあ見なさい。駄目だ、笑いが止まらない~!!



十九時が近付くにつれ、どんどん人が集まってくる。特に私達がいる時計塔の周辺はかなり混雑してきた。


そうして十九時五分前になった時、夜空にしゃん! と言う美しい鈴のような音と共に、星花火がいくつも上がった。皆一斉に夜空を見上げ、感嘆の声を漏らす。その時、時計塔の真下に作られた特設会場にテオが現れた。皆彼を見て、少しどよめくと共に、大歓声で迎える。


 テオは紺色をベースに色や模様、素材の違う様々な布を体に巻きつけた、私の世界で言う東洋風の、すらりと長いドレスを着ていた。

女性風にアップにした黒髪に孔雀の羽をつけ、大振りなイヤリングやブレスレットまでしてなかなかの美人に変身している。さすが乗り気だっただけあってお化粧もばっちり、トレードマークの片眼鏡がないと本人か分からないほど。


 彼はアイマスクの下から本当に楽しそうな顔で、声を張り上げた。

「皆さん! 今宵はわが国始まって以来の大祭典に集まって頂き大変感謝しています! 黄金国からも多数快くご参加頂きました。歓迎の拍手をお願い致します! 」


 わーっと大きな拍手が響く。アレクセイ達や他の黄金国の人々が優雅に一礼している。私も周りで拍手をくれる人々に、慌ててお礼をした。それにしてもセドリックはどこにいるんだろう?


 拍手が小さくなった所でテオは少し咳払いし、真顔で話し始めた。

「皆さん、この祭典を通じてもう一度わが国の素晴らしさを見直してみませんか? わが国は確かに小さく退屈な所かもしれません。しかし平和を当たり前に感じていませんか?平凡な幸せが、どれほど幸福であるのかも考えず、甘えていませんか? 永遠に続くと思っていませんか? それは違います。この平和は、みなさんが、この国が培ってきたものなのです。どうして平和を今日まで保てたのか。その答えは皆さんの中にあります。皆さん、今日ここにいらっしゃいました、又これからも訪問されるわが国の隣人、黄金国や他国の人々と交流し、自分の世界を広げてください。わが国の素晴らしい所が再発見できるでしょう。そうして、それを他国の人々にも伝えて下さい」


 しーん、と会場が静まり返った。お年よりもおじさんもおばさんも、若い人達も、皆真剣な顔でテオの話を聞いている。彼が話し終えると、ぱん、ぱん、と誰かが手を叩き始め、その拍手が波のように周囲に広がり、ひときわ大きな拍手と歓声の嵐になった。


 私も手を叩きながら、じーんとしていた。こんなに自分の国と国民を思い、大事にしている。やっぱりテオが全ての国の王たる人なんじゃないのかな。


 拍手と歓声がようやく過ぎ去ると、テオはにっこりと笑った。

「では皆さん、今宵は大いに楽しんでください。さあ、カウントダウンです! 5、」

 4、」


 皆が一斉に時計塔を見上げ、テオと一緒にカウントダウンを始めた。私もわくわくしながら声を張り上げる。


 3、2、1!


時計塔より、十九時の鐘が一斉に鳴り響いた。星花火が夜空で炸裂する。特設会場にいた何十人もの大オーケストラ団が一斉に陽気な音楽を奏で始めた。周囲がざわめき始める。お目当ての異性を求めて動く人々、早速見つけて踊る準備をするカップル達。通常と逆で、男装している女性達が女装している男性達をエスコートしているのが面白い。


「マコト! 」


 ふいに近くでララのはずんだ声が聞こえた。

見ると、四、五人先の所から彼女がこちらの向かってくるのが見えた。後ろにはアレクセイの姿も見える。


げげ!! まずい、見つかった。私は前の人に隠れて顔だけだして見せ、お愛想程度に手を振った。この場からすぐ逃げ出さなきゃ。でも、周りはごった返し、しかも皆踊り始めていてどうやってここから抜け出したらいいかわからないー!! 踊ってる中を割り込めないし、ララはすぐそこまで来ているし、ど、どうしよう!


するとその時、

「わたくしと踊って下さいますか? 」

 と、そっと肩を叩かれた。


 振り返ると、広いつばつき帽子を目深に被った男装の女性が立っていた。帽子、服、手袋にマント、胸ポケットに入れている赤いバラ以外は全てが黒尽くめだ。黒の覆面から怪傑ゾロを思わせる。胸の上まである金髪が黒に映えて美しい。背が少し高めでナイスバディーだし、真っ赤な口紅をつけた口元はとても綺麗だし、すごい美人なんだろうなあ。


 よし、これを口実にララから逃げよう。


「僕、この人と踊るから! またね~。さ、あっちへ行きましょう! 」

 黒尽くめの女性も頷き、私達は腕を組んでその場から離れた。


「あ、お待ちくださいませ、マコト! 」

 ララとアレクセイはこちらに来ようとしたが、二人はすぐ数人の男女から「是非私と踊って下さい」と囲まれ、身動きが取れなくなった。


 遠くなる二人を見ながら、ほっとする。

なんとか助かった。でも、私全然踊れないんだ、どうしよう! 今や周りは踊っている人だらけだ。ぶつかるから突っ立っている事もできない。


 すると、黒尽くめの女性が私に近付き、小さな声で囁いた。

「ここから抜け出す。離れるなよ」


 え、ええ!? 今の声って!?


 問いかける暇もなく、その女性は強く私の腕を引っ張り、私も慌てて彼女の傍についた。女性はダンスのタイミングを見計らって、走っては止まり、走っては止まり、ダンスしている人々の間を絶妙なタイミングですり抜けている。私は彼女と組んだ腕を離さないように、必死でついていった。


 そうして踊る人々で溢れた大通りを抜け、裏道を通り、少し離れた小高い丘まで駆け上がった。丘の上からは大通りが見下ろせ、踊っている人々が小さく見える。陽気な音楽が下から流れていた。


「ふう。ここまで来たら大丈夫だろう」

 黒尽くめの女性は私の腕を離し、丘から下を見下ろした。


 や、やっぱりこの声。


「セ、セドリック!? 」

「そうだよ、悪いか」


 お互いに仮面を外した。彼は渋い顔をしてこちらを見る。

「だだ、だって、胸が」


 すると彼は顔を真っ赤にして、後ろを向き、慌てて服の中から何かを取り出し始めた。

「パッド入れたんだ! 全く、マコトがとんでもない事言い出すから。男装した女性に化けるなんて大変だったんだからな! 」

「そんなややこしい事しなくても普通に女装したらよかったんじゃないの」

「スカートなんて恥ずかしくはけるか! 」

 私は何か笑いがこみあげてきた。

「別に、セドリックなら全然問題なかったのに。化粧も似合うしさ、凄く美人になってたよ。今度仮装美人コンテストやったらさ、絶対セドリックが一番だって!」


 彼はますます赤くなって、かつらを外し、ハンカチを取り出して、赤い口紅をごしごしこすり始めた。

「褒めてないだろ、それ!・・これ中々とれないな。って笑うなよ! 助けてやったのに」


 あ。そうだった。

 私の顔を見て、やれやれ、とセドリックは呆れた表情をした。


「全く。踊れないんだろ? ほんと、後先考えず突っ走るんだからな」

「で、でもさ、勢いで決めなきゃいけない時もあるだろ? 結果オーライ!!」

「・・・その無責任な前向きさ、どうにかならないか。さて。これからどうしようかな。この祭り、あと数時間は続くぞ。バド達より先回りして城に戻るにしろ少し早すぎる」


 セドリックは丘から眼下の様子を眺めている。私は自分の衣装をそっと見下ろした。


セドリックに見られちゃったけど、肩から大きなストール巻いてるし、大丈夫だよね。薄暗いし。それにしても。薄いブルーがかった、こんな素敵な服、もう二度と着られないだろうな。残念だな、折角着たのに。


私はしばらく迷い、思い切ってセドリックに声をかけた。


「あの、セドリック」

「何だ? 」

「ダンス教えてくれないかな」


 彼は目を丸くして、まじまじと私を見た。

「どうしたんだ、急に」

「そんな目で見なくてもいいだろ、い、いいじゃないか、ダンスくらい! やった事ないんだよ、だからちょっと覚えておこうと思って」


 セドリックは片方の唇を上げて意地悪く笑い、

「ふーん。まあ、王になったら踊る機会も結構あるかもな。どうせ暇だ、代表的な物を一つだけ教えてやるよ」

 私は彼の指示通り、彼と横一列に並んだ。

「前に相手がいると思って、こう手を回して、で、足が右、左、もう一度右、左で次後ろ・・」

「え、えーと」


 右横にいる彼と同じようにするのだが、何回やっても上手く行かない。セドリックが呆れた顔をする。

「・・・予想以上の不器用さだな」

「ち、違うよ! セドリック、教えるの早すぎるって! ほら、相手がいないからさ、何か感じが出ないんだよ! 実際踊ってみたらすぐ出来るようになるって! 」


「へえー、相手がいたらできるんだな。じゃ、やってあげようじゃないか」


 売り言葉に買い言葉。

くそお。絶対覚えてやろうじゃないの。


闘志むき出しだったのに、セドリックが私の前に立った時、はっとお互い相手を見つめ、我に返った。お互いみるみる顔が赤くなる。


「お、男同士なんて嫌なんだからな。しっかり覚えるんだぞ」

「わ、わかってるよ」


 うわ、どうしよう。セドリックの顔がまともに見られないよ。だって、怪傑ゾロのようなかっこいい衣装が、彼にとても良く似合って、その、


「マコト、右手を、僕の肩の上に」

「う、うん」


 私は慌てて右手を彼の肩の上に置いた。

「左手はスカート持って、そう、少し持ち上げるんだ。女性の場合だけど、その格好だからいいだろ」

「で、マコト、ここから覚えておけよ。男性の場合は、左手を女性の背中に回す」

 ぎこちなく、彼の手が私の背中に回り、私は息が止まりそうになった。


「あの、で、男性は右手にバラの花を持つんだ__造花だけど、これでいいだろ」

 セドリックは、自分の胸ポケットから一輪のバラの花を取り出した。


「で、スカートを持った手、それをもっとこっちに近づけて。そう。男性側はバラを持った手を女性の手に近づける。この形で踊るんだ」

「う、うん、わかった」


 私は下を向いたまま頷いた。心臓がばくばく言ってる。顔が熱い。


「じゃ、じゃあ、音楽に合わせて踊るからな。123、12・・はい」


 左、右、左、右、前に二歩・・

 スローテンポの曲に合わせて私達はぎこちなく踊り始めた。頭のすぐ上で聞こえるセドリックの声を聞きながら、私はひたすら足の動きに集中しようとする。


 みぎ・・ひだり・・後ろに二歩・・一度離れて一回まわって・・

 緊張しっぱなしで、膝なんてがくがくだ。それでも一曲終わる頃には、なんとなく踊りが分かり始めてきた。

「で、一曲終了すると、男性から女性にこのバラの花を渡すんだ。・・・マコト、なんだその顔。欲しいのか? 」

「えっ! あ、あはは、造花だけど綺麗だなーなんて」

「そうか? はは、面白いよな、本当に。じゃあ最後にやるよ。この調子で次も行こう」

「う、うん」


 音楽が流れ出し、再び踊り始める。次の曲も、そのまた次の曲も。

 慣れてくると、段々音楽に乗って踊れるようになり、緊張もほぐれて楽しくなってきた。

 セドリックも硬さがとれて楽しそうだ。

「うわっ! すごく早いね、この曲! 」

「右、左、・・・そうそう、結構勘がいいな、マコト」


 もうダンスを覚えるなんて目的はなくなっていた。セドリックもいつの間にか私に教えるのをやめ、ただ一緒に踊っている。心臓は早鐘を打っていたけれど、ちっとも苦しくなかった。


私達はたった二人きり、丘の上で、何度も踊り、笑い合った。時々上がる星花火が私達を明るく照らし出す。

最後に踊った曲で私はセドリックからバラの花をもらった。造花だけれど、とても綺麗だった。



 私達がこっそり先に城へ帰ってから一時間ほどしてテオ達も帰ってきた。


私を見ると、可愛い三銃士姿のララが詰め寄った。私とセドリックは勿論着替え済だ。


「もう、どうして逃げたんですの、マコト! わたくし、殿方から次から次にお相手を申し込まれて十年分くらい踊りましたのよ! マコトを探すのは疲れて諦めましたわ」

「ごめんごめん。でも、女装なんて恥ずかしくてさ、見られたくなかったんだよ」

「ちらっと見たが、充分可愛かったけどな」

 女装姿のアレクセイが微笑む。うわあ、やっぱり美人だ。何かすっかり様になっている気がするのは気のせいかな。

「そう言えば、セドリック! どこにいましたの、全然分かりませんでしたわ! マコトは見ました? 」

 頷こうとして、私はララの後ろで顔を赤くしたセドリックが〝絶対言うな! 〟と口をぱくぱくさせているのに気付いた。

「あー、えー、その、分からなかったんだ。でも、バドなら見たよ」

すると、皆一斉にテオの後ろに隠れている彼を振り返り、噴出した。

「やっぱり一番の変身は彼だよな」

 アレクセイが腹を抱えて笑う。悪いと思いつつも、私もセドリックやララと一緒に大笑いしてしまった。

「わ、私を見ないでください! すぐに着替えてきます、見ないでくださいったら! 」

 バドは慣れないスカートに苦戦しながら、慌てて部屋を飛び出して行く。


テオはそんな彼の様子に笑いをこらえながら、私に向き直った。東洋風美女の姿で彼が微笑む。

「この仮装仮面舞踏会は本当に楽しいですね。大成功ですよ! 堅苦しくない雰囲気が良かったんでしょうね。あんなに国中盛り上がったのは久しぶりです!」

「呼んだ黄金国の友人達も皆楽しんで帰って行ったからな」とアレクセイ。

「まずは成功ですわね」とララもにっこりと笑った。

「皆さんには是非翌日の祝賀会にも出て頂かないと」

と言うテオの申し出に、私は悪いけど、と断った。

「この後赤と白の国も訪問するから、あまりゆっくりもしていられないんだ」

「赤と白の国・・ですか」

 テオがあごに手をあて、少し考えるポーズを作った。

「何? もしかして、何か危ない国なの? 」

「いえ、それぞれの国は決してそうではないのですが・・」

「マコト、赤と白の国は、お互い仲が悪いんですよ」


 大急ぎで着替えを済ませたバドが戻ってきた。テオが、お願いばかりですみませんが、と私を見つめた。


「両国へ行かれた際には、それぞれの王にお互い仲良くやるようご忠告頂けますか。救世主殿のお言葉なら、王達も素直に聞くと思うのです」

「でも何で仲が悪いの? 」

 私達の様子を見ていたララが、ふわあ、と小さく欠伸をした。

「あら、失礼」

 テオは壁時計を見上げた。

「これは引き止めてすみません。もう夜も更けていますし、皆さん本日はお休み頂きましょうか」

「テオ殿はお忙しいと思いますから、又赤と白の国の事は私やアレクセイが詳しい事をお話しますよ」

 バドが言い、私達はそれぞれ床に着く事にした。


ふーん。赤と白の国の仲たがい、かあ。でもテオがきっと真の王だから、彼が上手に収めていけるよね。



翌日、私達は青の国を去る事にした。

「テオ、ありがとう。滞在中すっかりお世話になって。青の国の人達は本当に気持ちいいし、綺麗な国だし、絶対観光国として成功するよ! 」


 そして、立派なあなたが真の王だよ。

私はそう思いながら、にっこり笑って右手を差し出した。


「光栄です、王よ、来て頂いて本当に良かった。貴方はわが国の救世主です!」

 テオは両手でがっちりと私の手を握り締めた。


 あれ。私は強く握り返したり、両手で彼の手を握り直したりした。テオは「?」マークを浮かべながらも、にこにこと私の手を握っている。


 いくら握っても、


彼の手は光らない。


私はその場で凍り付いた。

 そんな馬鹿な!!

 こんなに国と国民を思う誠実な思いやり深い人なのに、救世主じゃないなんて。

 何で、何が駄目なの!?


「王よ、如何なされました? 」

 テオの言葉に、はっと我に返る。

「あ、ううん、何でもないんだ」

「赤と白の国の事、お願いいたします」

「うん・・」


この場でただ一人真実を知るバドのみが、真顔で私達の成り行きを見守っていた。


 皆がそれぞれにテオに別れを告げるのを見ながら、私の心は揺れていた。


 真の王はテオではなかった。あんなに思いやりのある人なのに。王はまず、国民の事を考えてこそだろうに。駄目な理由が私には全く思いつかなかった。これから行く赤と白の国に、彼以上の能力を持った王がいると言う事だろうか。


 考え込みながら馬車に乗り込もうとした私に、バドが近付き、そっと声をかけた。

「マコト、焦ってはいけません。のんびりいきましょう」

「うん・・」




 やがて私達を乗せた馬車は青の国の巨大な門を出、しばらく走り、森を抜けると、広大な牧草地帯に出た。


 バドが御者台から声をかける。

「この辺一体は黄金国の領土です。地面は、ですよ。ほら、ずっと向こうの空を見てください。空に浮かぶ二つの島が見えますか? あれが赤と白の国の領土です」

私は窓から外を見上げた。

空には確かに大きな二つの島が左右に離れて浮かんでいた。左側は赤土と植物で覆われた島、右側は白い大きな建物幾つも立ち並ぶ島のようだ。

「空に浮かぶ島なんて初めて見ましたわ」

 ララが窓に食らい付くようにして見ている。


すごい。私は救世主探しを暫し忘れて見入った。あんな大きな島がどうやって浮かんでいるんだろう。


バドが続ける。

「あの真ん中にある大きな雲をはさんで向かって左が、赤の国。右が白の国です。では昨日言いかけた、二つの国についてお話しましょうか。アレクセイが詳しいですね」

馬に乗ったアレクセイは、馬車の隣に馬をゆっくりと進めた。窓越しに私へ話しかける。

「俺は旅好きだから色々話を聞くんだ。まず一つ忠告しておこう。それぞれの国にあんまり滞在しない方がいいぞ。お互いの国の愚痴や文句ばかり言われて嫌になるからな。せいぜい半日だな。それから、赤の国で白の国の事を話さないように。逆も然りだ。奴ら途端に不機嫌になるからな」

「何でそんなに仲が悪いの? 」

「仲が悪いと言ったって、大規模な争いがあったわけでもないし、今もした事はない。犬猿の仲なんだよ、昔から。お互い空に住む種族でありながら文化や物の考え方があまりに違うから、何となく虫が好かない、というのが一番の理由らしいな」

「たったそれだけの理由で!? 」

「それだけの理由が、両国には大きいらしいな。お互い自国にない物を持っているから嫉妬もあると思う。白の国は技術や科学力が優れているが資源が少ない。自然の豊かな赤の国はその逆さ。両国とも足りない物は黄金国に頼ってはいるが、黄金国だって知っての通り大きな国じゃない。自国の面倒も見なきゃいけないからそんなに支援もできないさ。本当は距離も近い隣国同士が手を結ぶのが一番なのにな」

「そうすればいいじゃないか。じゃあさ、僕がお互いの国に命令したら仲良くするかな? 」

 セドリックが苦笑した。

「救世主でもきついんじゃないか? マコトはあの王達を知らないから」

 アレクセイが後を続けた。

「特に今の王になってからいがみ合いが顕著なんだ。国は勿論、王同士も全く交流していないらしいからな。国全体の大事な行事や会議には出席するが、いつも険悪なムードだな。王達を見れば両国の雰囲気が分かるぜ。博識で冷静な白の国の王クレイと知識よりも経験を重視する情熱的な赤の国の王ガルディア。正反対だから余計気に食わないらしいな。温厚なテオとはお互い上手くいってるらしいけどな」


「はあ・・・そうなんだ・・」


 白と赤。王探しの前に難しい問題が出てきちゃったな。この二つを仲良くさせるのは難しそうだなあ。でもテオと約束しちゃったし。国同士が仲が悪いって言うのも問題があるしなあ。


 ララが軽くため息をついた。

「お互い誤解を解かないと益々関係が悪化するだけですのに。わたくしの友達同士がけんかをした時、二人に黙って無理やり引き会わせた事がありましたのよ。結果仲直りしましたわ」


 黙って引き合わせる、かあ。


「さあ、皆さんこれからがペガサスの本領発揮。空を飛んで行きますよ。しっかりつかまっていて下さい」

 はあっ!とバドが声をかけると、二頭のペガサスは大きく羽を動かし、次の瞬間馬車はふわりと浮かび上がった。

「すごい! 」


 後ろを見ると、アレクセイとセドリックのペガサスも、それぞれに彼らを乗せてついてきている。馬車は速度を増しながら、ぐんぐん高度を上げて行った。滑らかに馬車は走っていく。なんか、地面があるようなないような、不思議な感じ!


「マコト、なんだか暑く感じません? 」

しばらくしてララが、レース使いの優雅な扇子を取り出して、ぱたぱた仰ぎ始めた。

確かにそうだ。高いところへ向かっているのに、なんだか気温が上昇しているようだ。

もう赤の国は近いのだろうか。

私が窓から外を見た瞬間。


「ドド、ドラゴンだ! 」


 にゅっと一匹の大きなドラゴンの姿が窓に映り、馬車の横をゆっくりと飛んで行った。


「あら、マコト、ドラゴンは初めてですの? 」

 ララが不思議そうな顔をしている。


 バドには事前に聞いていたけれど。私は口をぽかんと開けて空を悠々と飛ぶドラゴンを見ていた。



 そうしている間に、赤の国が見えてきた。外から見た通りの、赤土と植物に囲まれた、緑豊かな所だった。バドが手綱をしぼり、ゆっくりと馬車は速度を落として行く。


「マコト、ララ、到着ですよ。ここが赤の国。人語を話すドラゴン達の国です」


 馬車がふわりと着地し、一歩外に出ると、頬を伝わる風が熱かった。日差しもじりじりと強い気がする。いきなり夏の季節に来たかと思うほどだ。


「はは、暑いか? そうだな、ここは。でもじきに慣れるさ。この服が自動で温度調節してくれるからな」

 アレクセイが私を見て笑った。

「え、そうなんだ!? 」

 私は改めて自分の衣装を見下ろした。確かに、どこででも長袖で通してたけど。魔法ってすごいんだなあ。


 着地した場所は、赤い石でできた巨大な宮殿の門前だった。怖い顔のドラゴンにバドが用件を告げると、王の間へと案内された。そこへ行く間も、要所要所にいかついドラゴンがいて、私達をぎろりと睨んだ。ひええ。すごい迫力だ。ただでさえ彼らは身長が軽く2mを越え、横幅は4,5mはありそうなのに、さすがドラゴン、顔が怖い。それにしても、ここは青の国と違って、かなり重々しい雰囲気だなあ。


王の間に入ると、赤い絨毯の延長線上に、今まであったうちで、ひときわ立派なドラゴンが、赤い水晶でできているような玉座に座っていた。金や赤い宝石で彩られた立派な首飾りや足輪を身に付けている。額には、大きな三日月形の傷があった。


「赤の国へようこそ。歓迎致す。わしはギルディア、この国の王じゃ」


ドラゴンは、重々しい声で挨拶をすると、傍にいた部下のドラゴン達に命令した。

「大事なお客人じゃ。例え何があっても途中で入室する事を許さぬ。破ったらどうなるか分かっておろうな」

 赤く爛々と光る眼でぎろりと睨むと、充分強くて怖そうだったドラゴン達は萎縮し、黙って深く頭をたれ、静かに退出していった。


 な、なんか物凄く王らしいと言うか、とっても威厳がある王様だな。全身から迫力を感じる。

 部下が全員出て行くのを確認すると、ギルディアは私達に向き直った。


「さて。わしを昔から知っておる者もおると思うが、挨拶代わりに言っておこうかの。救世主が現れたと極秘に聞いたがこのギルディア、わしが認めた者のみにしか忠誠は誓わぬぞ。予言は絶対、その価値は大いに認める。救世主の命令とあらば動きもしよう。しかし心までは縛れぬぞ」

 あーあ、また始まった、という顔で、バドとアレクセイはこっそりため息をついた。

「で、新王はどこかな」

 こちらです、とバドが私を紹介すると、ギルディアは一瞬目を見開き、ふん、と軽蔑したように鼻を鳴らした。

「これは又、今までの中でも最も小さき王じゃな」

 ちょっとむかっと来た。ララが顔を怒りで真っ赤にして一歩踏み出す。

「ギルディア殿は見かけで人を判断しますの!? 」

 私はララを制し、ギルディアを見据えた。


「僕は自分が強いかどうかはわからない。でも、これだけは言える。強さは体の大きさでは決まらない! 」


「ほう、言うな」

 ぎろりと彼は私を睨んだ。私も、本当は怖かったけど必死でにらみ返した。この異世界の暮らしで実感したんだ。これだけは譲れないんだから!

 少しして彼は目をすっと細くし、ふふ、と小さく笑った。

「さて、お忍びとは言え、折角わが国を訪ねてくれたのじゃ。色々見せたいが、滞在がたった半日では半分も見せられぬな。すぐに出掛けようかの。自慢の学校をお見せしよう」


 そう言うと、玉座から降りてどしん、どしんと歩き出す。


「何だ、あの態度」

 セドリックが眉をしかめる。バドはまあまあ、と私達の肩を叩いた。

「マコト、気にしないで下さいね。彼はいつでもあんな感じですから。ドラゴン族は私達より長命を誇りますから彼等なりのプライドがあるんですよ。特にギルディアは頑固な所も少しありますが、基本的に悪い人ではないんです」

「長命って、どれくらい? 」

「三百年ぐらいでしょうか。ギルディアは二五〇歳くらいだと思いますよ」


 さ、三世紀。それじゃあ私なんか超若造だよね。お年寄りは・・敬わなきゃねえ。


 王宮の外に出ると、ギルディアは私達全員を、ドラゴンが引っ張る大きな馬車のような乗り物に乗せた。一匹の部下のドラゴンがばさっと飛び上がり、私達を乗せた馬車を軽々と空中に持ち上げる。


「わしらは歩くより飛ぶ方が得意でな。空からいろいろ案内しよう」

 そう言ってギルディアも飛び上がり、先頭に立ってゆっくりと羽ばたいた。彼の姿を認めると、空を飛んでいた他のドラゴンや地上にいる物達まで、ははーっとひれ伏した。専制君主と言うか、すごいなあ。


 彼は少し飛んで移動し、目的の場所に着くと一旦着地し、大規模な畑の数々、林業の中心となる巨大な森林、宝石を生み出す採掘現場、美しい滝や湖などの大自然まであちこち紹介してくれた。


 結構面倒見がいいんじゃない。もしかして、この人、根はいい人なんじゃないのかな。


 最後に彼は、一番の自慢と言う子供向けの学校を紹介してくれた。

 少し離れた所にある、緑豊かな小島に私達は着陸した。


「ここが学校じゃ」

 私はぐるりと見回した。


「校舎やグラウンドはどこにあるの?」

 はは、とギルディアは自慢げに笑った。

「そんなちっぽけな物ないわい。そうさの、しいて言えばこの土地全てが学校のグラウンドじゃ 」


 ええ!? この小島一つ丸ごと!?


 私は息を呑んだ。

 改めて周りを見た。眺めの良い丘、せせらぐ小川、遠くに美しい湖やお花畑も見える。近くに手作りらしい畑があった。巨大な木の下には切り株がたくさん並んでいる。きっとそこで授業をするのだろう。木を使った遊具もあちこちに見える。


 ギルディアは続けた。

「子供達には生き抜く術が必要じゃ。豊かな自然が満載のこの自然の学校で学業もするが、それ以上にここで農作業・林業・漁業の手伝いをさせたり、自然の中で思い切り遊ばせ、自然と共存し、そこから学ぶ大切さを教えている」

「いいなあ! こんな学校! あっ、向こうの木の枝にブランコがついてる!! 僕あんなブランコに乗るの夢だったんだよ、乗っていいよね! 」


 すっかりうれしい気分になっていた私は走って行ってブランコに乗り、大きくこぎだした。天まで届くような巨大な木につけられたブランコ。ロープの長さは十メーターはあるんじゃないだろうか。


「高いからすごく気持ちいい! 」

「マコト、わたくしも乗せてくださいな! ほら、セドリックも本当は興味あるんでしょう? 」


「ぼっ、僕は別に! こら、腕を引っ張るなよ! 」

 バド、アレクセイ、ギルディアがのんびり歩きながら近寄ってくる。

「王よ、まるで子供のようじゃな・・・しかし、そんなに素直に喜ばれると悪い気はせんな」

 ギルディアは私に子供時代の事を質問し、私が野山や川で遊びまわっていた事を知ると、機嫌を大いに良くしたようだった。


「そう。子供は自然と充分に触れ合わねば。勉強ばかりで自然に接する機会がないと体も性格も偏った持ち主になるて。王は白の国の奴らを知っておるか?」

「いや、実はこれから行こうと思ってるんだけど」 

「ふん。頭の硬い奴らは会うだけ無駄じゃ。特に王であるクレイはかなりじゃぞ。あんななまっちろくて何かあったら他人はおろか自分も助けられんて」


 ギルディアは額をさすりながら話し、私は思わずそのひどい傷に目が行った。彼は私の視線を感じ、ふふ、と笑う。

「これはわしの勲章じゃ。まだ大臣だった折、ここが大きな台風に見舞われた事があった。建国以来最大の災害と言われた程のもので、わしはその時嵐の中を飛び回り、住民を救助したり避難場所に先導した。これはその時できた傷じゃ。その働きが認められ、王となった。わしはかつて、何の身分もない一般平民だったのじゃ。ここは実力主義の国。白の国のような、王族による王位継承なんて甘っちょろい。真に強い物だけが王になれるのじゃ」


 なるほど、と私は思った。これほどの自信と迫力は全て自分で培ってきたんだ。部下や国民があれほど彼を敬うのも分かる気がする。こういう王もいるんだな。テオとはまた違うタイプだけど、黄金国の王たる者は、全てを統率するんだから、これぐらい強くないと駄目なのかな。


 私の考えをよそに、ギルディアはすっかり上機嫌になっていた。

「この度はわしも楽しかった。当初黄金国の王たるものがお忍びとは、と驚いたがお互いを知るには良かったのかもしれぬ」


 よし、機嫌もいいし、握手してみよう、と私が手を差し伸べようとした時、彼ははっと我に返って慌てだした。


「いかん、わしとした事が。今日は学校訪問があってな、こことは場所が違うのじゃ。王よ、申し訳ないが子供達を待たせておるので至急失礼せねばならん。帰りは部下達が責任を持ってお送りするので心配無用じゃ」


 彼は部下達に指図し、飛び立とうとし始めた。

「ギ、ギルディア!じゃあ今度黄金国に来てくれないかな。ちょっと話したい事があるんだけど!」

 彼は飛び上がりながら、

「お安いごようじゃ。久しぶりじゃから楽しみじゃの」

と言い残し、去って行った。


 あーあ。握手そびれちゃった。ま、後日でいいや。とりあえず赤の国の訪問は取り付けたぞ。でも、白の国とは本当に仲が悪いんだなあ。これは当日まで秘密にしておこう。



 そうして、私達は赤の国を出発し、次なる目的地、白の国へと向かった。


 窓の外を見ながら、ララが、

「赤の国とはまるきり違いますわね」

と仰天した。確かに、白と赤の国とは対照的だった。島の上には大小様々な流線型の白い建物が立ち並び、周りは透明なパイプがはりめぐらされ、その中を円形の小さな乗り物が何台も滑るように走っていく。道は象牙のように白くぴかぴかに光っていて建物は国の端から端まで占めているようだ。


「この巨大な街一つが国なんだぜ、すごいだろ? 」

アレクセイが苦笑する。


近未来に来たみたい。でも、私が想像するような未来都市と違って、緑色の街路樹と白の建物の色合いがとても綺麗だし、赤の国にはずっと劣るけど、それなりに自然もあるし、自然と都会が調和しいて美しい国だな、と思う。



一段と高い建物の屋上に到着すると、白い床が自動で動き、私達は馬車ごと建物の中に運び込まれた。私は窓から外を眺めた。中はガラス張りの広い空港のようになっていて、あちこちに動く緩やかな曲線の白い床があり、人々がそれに乗って上下、左右に移動していく。白の国の人々は、男女とも皆天使のような裾の長く白い衣装を着ていた。色が白く、白に近い銀髪がとても綺麗。


そして、私は彼らの背にある物に仰天した。


 真っ白な羽が背中に生えている!

 ララがおかしそうに笑う。

「彼らは有翼人と呼ばれていて、ドラゴン族と同じ、羽を持ち、空を飛ぶ種族ですの。まあ、見た目は失礼ながら全然違いますけれど」


 馬車はそのままある小部屋まで通され、私達はそこで馬車を降りた。そこで白の国の女性が一人待っていて、静かに、王の元へとご案内します、と告げ、外に出た。


 部屋の外に出ると、また移動する廊下のような物に乗って静かに、滑らかに移動し、白い壁の前まで来て止まった。すると、壁が大きく左へスライドし、日の光がさんさんとふりそそぐ、白くて広い部屋が現れた。立派な社長室みたい。


 奥の机には三十代ほどの男性が座っていた。


彼が片手を上げると、周りにいた部下らしき男性や女性が静かに去っていく。

 男性が再び片手を上げると、彼の机と私達の間に、広い円形テーブルと椅子が現れた

 かけられよ、と彼は言い、私達はそれぞれ椅子に座り、彼も私に近い、背もたれの低い椅子に座った。羽があるのも大変だなあ。


「白の国へようこそ。わたしは王のクレイ。黄金国の王の訪問はわが国の誇りである」


 肩まである流れる銀髪と端正な顔立ちを持つ彼は、無表情で静かにそう言った。こちらが救世主、マコト殿です、とバドが私を紹介した時も、ちょっと眉を動かしただけで、ほとんど表情は変わらない。何か、やりにくそうな人だなあ。


 クレイは淡々と続けた。

「今回はお忍びとか。他の国にはもう行かれたか。青の国は。・・そうか。あそこは小さいが美しい国だ。・・・で。赤の国は」

 私が頷くと、彼はたちまち眉間に皺を寄せた。

「赤の国の王が何か言っていなかったか。実力主義だとか何とか。下克上の野蛮な国の意見など聞かれぬ事が賢明だ。王位は継承される物とは言え、我々はそれに甘んじている訳ではない。幼い頃から学業は勿論、人格も最高であるよう誰よりも厳しくしつけられている」


 うわー、凄く怖い顔をして。やっぱり赤の国と仲が悪いんだなあ。

「クレイ殿も勉強家と聞きました」

 険悪な雰囲気を消そうと、慌ててバドが言った。クレイの眉間の皺が少し和らぐ。

「ああ。この国はまず学習ありき、だからな。何事もしっかり自ら考え判断する力をつけねば大人になってから苦労する事になる。男女問わず勉学に励む者には投資を惜しまない。たとえ勉強の苦手な者がいても充実した学校のカリキュラム、一流の講師陣、きめ細かい精神的なサポートで支援する。わが国民は皆勉強家で知られている。結果、一流の技術力も身に付ける。技術力は社会で生きて行く大きな武器だ」


 ふうん、なるほどね。私は成績中ぐらいで、何で勉強しなきゃいけないのって思うときがあるけれど、学校や勉強で身に付ける物は、単に知識だけじゃなくて、もっと大切な物もあるんだなあ・・。


 私が真面目に頷いていると、クレイは少し目を細めた。

「今回の滞在は短いそうだな。私も失礼だが時間がない為、簡単にわが国を見ていただこう」



 皆そろって建物の外へ出た。

「まあ、綺麗」

 ララが目を輝かせた。


 流線型の美しい建物をバックに、人々が自動回廊で、又は優雅に空を飛んで移動している。飛んでいると本当に天使みたい。


 高い建物には、何階か毎に半円形のでっぱりがあって、空を飛んでいる人々は、そこから飛び上がったり着陸したりしている。そういう建物の中には、お店もあるようだ。離着陸が楽でいいなあ。

 建物の高い階層や屋上には必ずと言っていいほど半円形のでっぱりがあり、そこはレストランになっている。


私は小声でバドに尋ねた。

「あんな高い場所で怖くないのかな。大体、落ちたら死んじゃうよね!?」

 バドはぷっと吹き出す。

「マコト、彼らは落ちても大丈夫ですよ。羽がありますから」

 あ、そっか。

 私達は勿論飛べないので、自動回廊でぐるりと美術館や学校、博物館、オフィスビル等を見て回った。どれも超高層ビルではあるのだけれど、曲線的だったり芸術的だったりして、普通にイメージする無機質な感じはしない。白で統一され、芸術的な美しい国だ。


 それに、私は街やビルにいる女性に注目していた。

 オフィス街を飛び回る女性達。オフィスのビルの中を窓から覗いても、男女率は半々のようだ。レストランのコックさんも女性、自動回廊を工事している人々の中にも女性が普通にいる。

 私はクレイに話しかけた。


「女性も多く働いているんだね」

「ああ。男性と変わりない。ここは男女平等だから働く女性も育児や家事をする男性も普通の事だ。他の国のものには不思議がるけれどな。・・・救世主殿はどうお思いか」

「最高だよ! 僕の世界でも女性は働いているけどここほどではないよ。それに、何か気を使って働かなきゃいけない、という雰囲気があるんだ。でも、この国は見ていると、何て言うのかな、女性がすごく自然に働いているように見えるんだ。女性である事に差別もなく気負わずに働いていける。それが一番大切な事だと思う。この国は本当に素晴らしいよ! 」

「ほお」

 クレイの目が、少し見開かれた。


「救世主殿は進歩的な考えだな」


 私はすごく驚いた。

「別に、当たり前の事だよ! 自然じゃないか」


 ふっと、クレイの口元がゆるむ。


 何か、一瞬微笑まなかった!? 


 やっぱりそうだ。私は確信した。一見冷たそうに見えるけど、それは彼らの習性なんだ。

じっくり他の人達を観察していると、彼等は決して無表情ではない事が分かる。喜怒哀楽をあまり表に出さない、又は出すのが恥ずかしい種族なのかもしれない。


 まあ、クレイはとりわけとっつきにくそうだし、ちょっとプライドが高そうだけど、実際は根は悪い人じゃないと思う。生きるための教育、と言うのは凄く分かるし、男女平等も大切だ。彼は彼なりに国民の事を案じているんだなあ。


 クレイは穏やかな口調で続ける。

「・・実は、昔、異世界の救世主にこの国は随分と助けられた事がある、と聞いた。この国の技術力や男女平等の考えはその王から伝わったものだと。異世界の救世主には借りがある。いつかそれを返したいと思っていた。救世主殿、何かあればなんなりと私に言ってもらいたい」



 そうして、私達は白の国を発つ事になった。別れ際、私はクレイに声をかける。 

「クレイ、早速借りを返してもらいたいんだけど。黄金国に来て欲しいんだ。また日時は連絡するから」

「そんな事か。・・・構わぬが」

「絶対来てね。約束だよ」



「赤と白の国、意外とそれぞれは良い国でしたわね」

 帰りの馬車の中でララが言った。


「ただ唯一の問題が、あの両国の仲の悪さですわね」

「マコト、王達に約束なんか取り付けて二人を会わせるつもりか? 大変だぜ」

 アレクセイが窓越しに言い、セドリックとバドも大きく頷いた。


確かに、王達の様子を見ても、問題が根深そうだなあ。


 結局なんだかんだ言って、偏見に振り回されて両国とも真の姿が見えていないんだ。何か過去に問題があった訳じゃないのに、「なんか気が合わなさそう」と言う理由だけで敬遠しちゃってる。

 両国がお互いの国を行き来して、それぞれの文化や考え方の違いを知れば一気にこの問題も解決するんだけどな。でも、そこまで仲良くなってないから問題なんだよね。

二つの国が力を合わせられる方法。どちらかの有利になってはいけないし、皆が同じ条件下で何か同じ事ができれば、結束力が強まると思うんだけど・・。


その時、ぴんと閃いた。


「そうだ! これだ!! 皆、協力してくれるね? 」




 それから三日後、私はクレイとギルディアを黄金国に呼び寄せた。


「黄金国の王よ、約束したから参上したが・・」

とギルディアは渋り、クレイは、

「昔の借りがなければとっくに帰っている所だ」


と、二人とも〝なんでここにこいつがいるんだ″と言うものすごく嫌そうな顔をして、着席した。バド、アレクセイ、ララ、セドリックも同席している。


 バドはおほん、と咳払いした。

「ここにお二方に同席頂いたのは、王が両国の親交が全くない事に、強く心痛められたからです」


 私は二人の王を見据えた。


「両国にはそれぞれ足りない物があるよね」


 クレイ達は急所をつかれた顔をした。

「白の国には資源がない」

「う・・確かにそれは・・今議論はしているのだが」

「赤の国は技術力に難ありだ」

「そうじゃがわしらの団結力を持ってすれば」


 私はバン、と机を叩いた。

「二人とも、それを一体何年、いや何十年言い続けてるんだよ!? 」


 クレイ達はぐっと黙り込む。

「いいかい、自分の国だけではやっていけない、それならとっくのとうにここは一国だけで成り立ってるんだ。でもそうじゃない。様々な国が、お互い助け合っていかなきゃ成り立たないんだ」

 クレイとギルディアは、お互いをちらりと見、私に向き直った。


「黄金国の王よ、お考えを聞こう」


「えー、今回二人を呼んだのは、両国に手をたずさえてもらい、ある祭典を成功させたい為なんだ」


「祭典? 」

「この祭典は、これからも両国間で継続させていきたいビッグイベントなんだ。だから絶対成功させたい。それには、白の国の高い技術力と赤の国の豊富な資源、そして両国の協力が必要なんだ」

「・・・なるほど」

「して、その祭典とは? 」


 私は胸を張って答えた。

 

「じゃじゃーん! オリンピックだよ!! 」


「は? 」

「おりんぴっく? 」


「運動会だよ、知らない?」

 二人とも、私を少し小馬鹿にした顔で見た。


「運動会とは・・、また・・。さすがに知ってはいるが。子供の運動会なら」

「知識としては知っておる。伊達に長く生きとらんからな。さすがにわが国でした事はないが」


 馬鹿にしたなあ。負けるもんか。


「そんなの甘いね。僕の世界でやっているのは、国を挙げての、大人の為の大運動会なんだ! 何十種類と競技種目があり、皆、国の代表として誇りを持って参加する。参加者だって凄い人ばかりで運動能力は一流レベル。会場は各国の応援者で満席になり、国王だって応援に来るんだよ! 会場も開会式も国の叡智と技術を駆使して一流の物が用意され凄いのなんのって! 」

 クレイ達は目を丸くしている。

「はあ」

「・・まあ、なんやら子供の運動会よりは凄そうじゃな」


うー、じれったい。ぶちっと私の中で何かが切れた。


「オリンピックをする! もう決めたんだから! 名付けて紅白大運動会! 両国とも参加するんだからね!!」


「ええ!?」

 クレイとギルディアが抗議の声を上げようとしたが、


 バドの、

「王のご命令です!! 」

の一言に、しぶしぶながら了承したのだった。




 実は、従来のオリンピックとは随分と変えた所がある。


 会場は赤と白がお互いの国に行くのが嫌だろうから、黄金国領土下の、広大な牧草地帯を使う事にした。会場作りはお互いの国から技師を出して一緒に作る。しぶしぶながらも設計を白の国がして、建築は赤の国が行った。


 紅白は国対抗にすると、勝負の結果で余計両国にひびが入りそうなので、運動の得意な人達を両国から出してもらい、ドラゴンと有翼人の混合チームを二つ作り、それぞれを紅組と白組にした。


 競技種目はお互いが知っていて、難しくないものにした。

 結果、玉入れ、綱引き、騎馬戦、リレーだ。

 オリンピックとは名ばかりで、まんま運動会になるのは仕方がない。


 ドラゴンと有翼人との能力の差を均等にするのは、意外と難しくなかった。

黄金国にある、乗った人の能力を平等に測る巨大天秤、その名も「平等の天秤」で天秤皿にお互いの国の選手に乗ってもらい、それで均等にしたのだ。


 例えば、綱引きならドラゴン一匹対有翼人十人が同じ力になる、と言う具合に。



 一週間ほど、ドラゴンと有翼人達は紅白のチームに別れて一緒に練習をした。絶対クレームは出ると思っていたが「自国に問題があると、王の失望を買いますよ~。後々の事に響くかもしれませんねえ」とバドが加勢?してくれた事もあり、クレイとギルディオは嫌々ながらも、率先して、渋る国民をまとめてくれた。



 いよいよ大運動会まであと三日と迫った時、クレイがやって来た。


「一つ、相談したい事があるのだが。片翼のアシュマンと呼ばれている男がいる。・・・そう、彼の翼は一枚しかないのだ。もう一枚あるにはあるが、異常に小さい。怪我のせいでね。で、彼がリレーに選手として出たいと言ってきた。リレーは、貴殿が決めた通り有翼人は飛んで速さを争う。彼なら一般有翼人の半分の力も出ない。無理だろうと思って、とりあえず平等の天秤に乗せて見た。そうしたらだ。なんと優秀な有翼人リレー選手と同じ能力だったのだ。彼は両翼があった時、優れた飛び手だったとは聞いていたが・・。本人にとって片方で飛ぶのは辛かろうと思うのだが」


「そうなんだ。ちょっと考えてみるよ」


 するとなんと、同じ日にギルディアもやって来た。

「全盲のザルーと言うドラゴンがいる。こやつがリレーに出たいと言ってきた。ドラゴンは走る事になっているが、歩幅は大きいものの元々走る事は得意でない。しかも全盲じゃ! 無理だと思ったのだが」

「あー、はいはい、平等の天秤で問題がなかったわけだね」


 アシュマン、ザルーか。会ってみたいな。



 私はララとセドリックを連れ、二人がいると言う練習場に行って見た。

 彼らは皆の邪魔にならないよう、離れた所で練習していた。

 アシュマンは片方の翼で飛んでいるとは思えないほど、速かった。二百メートルを風を切るように飛びぬける。


「すごい!! 」


 苦しそうな顔で呼吸していた彼は、私達を見ると、恥ずかしそうに微笑んだ。

「ありがとう。えーと、あなた達は・・」

「あ、あの、黄金国の大会関係者なんだ。僕達もこの大会に興味があって、視察に来て」

「そうですか。私とザルーは、あのドラゴンの名前ですが、周りから変人扱いされてるんです。有翼人とドラゴンが仲が良いなんて、と。と言っても、ほんの少ししゃべっただけでですよ? 実際話し始めたのは昨日ぐらいからです。今までドラゴン族には、声をかけた事もなかったのですが。粗野で乱暴な種族と聞いていて。実際会ってみても怖い顔してるし。でも、あいつは黙々と頑張ってる。私のように不便あってもね。あいつは、他の奴らと違うような気がするんです」

「アシュマン」

 ザルーがこちらに向かって、ぶっきらぼうに言った。

「調子が良いな。見えずとも分かる。羽音が違う」

 すると、アシュマンの顔に、みるみる微笑が広がった。彼は、えへん、と咳払いした。

「あ、あなたも、中々のものですよ」


 お互い、まだぎこちないけれど良い感じ! こんなに頑張っていて、優秀な二人を出さない訳にはいかないよね。


 私は早速クレイとギルディアに伝えた。


「いいじゃないか、出しなよ。王の命令だ! 」


 二人は、軽くため息をついた。

「王よ、後悔されても知らぬぞ」

 私は、その時クレイが言った意味をまだ理解していなかった。



 それから三日後、遂に、インスタントオリンピックが開かれた!

 私の知っている限り、一番規模の小さな会場で、一番すごい熱気だった。

 会場は赤白それぞれの旗や服を着た有翼人とドラゴンでぎっしりと埋め尽くされた。応援の人達も分かれないように配置したけど、まだどこかぎこちない。まあ、まだこれからこれから。


 クレイとギルディアは会場の一段と高い白と赤の特等席に隣り合って座っていた。本当はお互いかなり嫌がっているのだが、国民の手前そんな態度を見せられない。お互い顔をひくつかせつつも、見た目は和やかに座っている。私達は黄金国招待者とだけ紹介され、クレイの左隣に座った。


こんな小さな運動会でも、きっちり入場行進は行った。勇壮なブラスバンドの生演奏と共に紅白両組の選手団が入ってくる。なかなかしっかり行進できてるじゃない。赤と白の応援団が歓声を上げる。



「わが赤の国の民よ、白の国との協力を忘れず全力を尽くして欲しい」

「わが白の国の民よ、赤の国との礼節を忘れぬ大会にいたそう」


 ギルディアとクレイの開会宣言で、紅白大運動会は始まった。

 

 まずは玉入れから。ドラゴンと有翼人にしっかり協力し合って欲しいのだけれど、まだ何かぎこちない。自分のチームの同じ種族同士で自然と集まって玉入れしている。


「何となくよそよそしいですねえ」

 バドが心配そうに見守る。


 いやいや、これはまだ序盤だもん。これからこれから。


 お次は綱引き。一緒に力を合わせるのだけれど、息が合わないのか、力のあるドラゴンに有翼人が引きずられてる感じ。見れば、紅白両チームともそんな感じだから、混合と言うより、紅白のドラゴン対ドラゴンと言う雰囲気。


「子供じゃないのですから息を合わせないと」ララがため息をつく。


 ほんと、全くその通りだよ。でも、まだまだ!


 騎馬戦になって、少し様子が変わってきた。これは騎馬に一匹のドラゴン、上にはちまきをした有翼人が一人乗ると言う正にコミュニケーションが必要な競技だ。紅白に分かれた各十組の騎馬がずらりと縦に並ぶと、さすがに迫力がある。


 会場がごくりと見守った。合図と共に、敵のドラゴン同士ががっつりとぶつかり合う。しかし、上に乗っている有翼人達は及び腰だ。敵でも同じ有翼人同士戦い難い、と言った雰囲気で、お互い躊躇していて、いまいち迫力がない。そのうち応援団のドラゴン達や味方である騎馬のドラゴンにまで文句を言われる始末だ。


「ふん。勉強ばかりでは弱々しくて話にならんの」

 ギルディアがふん、と鼻を鳴らした。

「こちらは誰かと違って繊細なのだ」


 クレイが冷徹に答える。やれやれ。


しかし情勢は変わってきた。何度かするうちに、有翼人同士に遠慮がなくなり相手のはちまきを取れるようになってきた。そうすると、一緒に組んでいるドラゴンとも自然に力を合わせ、有翼人の指示でドラゴンが動いたり、劣勢の有翼人にドラゴンが叱咤激励している場面が見られるようになった。見ている応援団も最後には大歓声を送り、なかなか良い結果となって競技は終了した。



 最後は運動会の花形、200メートル×4人のリレーだ。

1、3番走者は有翼人、2、アンカーはドラゴンだ。これは人数が多くないとつまらない為、紅白それぞれ6組出場し、その総合得点で、遂に紅白の優勝が決まる!



 会場は熱気に包まれていた。合図で一斉に有翼人達が文字通り、飛び出した。観客の興奮が一気にヒートアップする。


 アシュマンとザルーの組は紅の1組だ。紅色に、1の数字がいっぱい入ったタスキをしている。アシュマンが3番で、なんとザルーはアンカーだ。


 遂にアシュマンの出番が来た。彼はタスキをもらい、片方の翼を広げ、颯爽と飛び出した! なんて速さだろう、一気に前の二人を抜き去った。


 場内が感嘆と歓声にわく。私も声を張り上げた。

「行けーっ、アシュマン!! 」


 彼は前方を飛んでいた二人にも追いつき、ぶつかるすれすれで抜いていた。


「やった!」

 あとは残る白組の一人だ。こちらもかなり速い。


あれ。どうしたんだろう。途中で気付いたが、アシュマンの顔、すごく苦しそうだ。練習では調子が良かったのに。


「・・痛いと、聞いている」


 じっと彼を見つめながら、静かな口調でクレイが言った。


 えっ!?


「片側の翼は完全にない訳ではない。ほんの少しだが残っている。必要な長さがないのに無理に動かすから背中が引き攣れて痛いのだそうだ。その痛みは私には想像がつかない」


 そんな。

 想像もできないけど、片側だけの羽で飛ぶんだ、バランスだって必要だし、力もいる。その上速く飛ばなくちゃいけないんだ。


確か、そうだ。飛んだ後、あんな辛そうな顔をしていたのに。私達の前では、無理してたんだ。


歯を食いしばってアシュマンが前を行く有翼人に追いつく。そして遂に、追い抜かした。

わーっと会場に大きな歓声が湧く。

 彼は最後の力を振り絞ると、タスキをザルーに渡した。そのまま力尽き、顔から地面に滑り落ちる。


アシュマンが声をかぎりに叫んだ。


「ザルー、頼みましたよ!!」


 ザルーがゆっくりと走り出した。


 ただでさえ走るのが苦手な種族。しかも彼は両目が見えないのだ。

 でも想像以上に遅い。練習よりも遅いくらい。

何でだろう。私はザルーの様子をじっと見つめた。彼は短い両耳をぴんと立て、ものすごく真剣な顔をしていた。こめかみに太いたてじわがくっきりと見える。時々、何かを探るように顔を左右に振った。


 私ははっと気付いた。

音がわからないんだ!


目の見えないザルーは、音だけを頼りに走る。練習では、チームメイトがゴール付近で手を叩いていたけれど、ここは広い会場、しかも観客の歓声がとてもうるさい。彼はチームメイトの出す音が分からないに違いない。何だか足元が危なっかしい。


あ、後ろから敵チームのドラゴンが来ちゃう。

白いタスキをかけたドラゴンが、ゆっくり、ゆっくりとザルーに迫り、遂に抜き去った。


白チームの応援団が歓声を上げる。

と、その時、抜かれたドラゴンに気をとられたザルーがバランスを崩した。


 ぶつかる!

 次の瞬間、保護用の柵に、ザルーは派手な音を立ててぶつかった。柵が派手にへこむ。一瞬、はっと会場が息を呑んだ。


 ザルーは、さして気にした風もない様子で、また走り出した。


でも、あれってかなり痛いんじゃないの!?


 それで全体のバランスを崩したのか、その後少し走っては、保護用に立てられた柵に、何度もぶつかり、その度に痛そうな音を立てた。一番派手にぶつかった瞬間、前後が逆になり、ザルーは逆走し始めてしまう。その間に又別のドラゴン三匹が彼を追い抜いていった。ザルーはチームメイトの彼を呼ぶ声でやっと気が付き、保護用の柵を手で探りながら、ゆっくりと方向転換した。両手を必死に空中で動かし、音を頼りに再びゆっくりと走り出す。ぜえぜえ、と彼の大きな口から声が漏れ出し始めた。


 私は、痛いほどぎゅっと手を握り締めていた。


「・・・もういいでしょう、辞めさせましょう! 」


 なんと、冷静な顔でじっと見ていたクレイがいきなり立ち上がった。

「ほら、今もあんなにぶつかって。彼は充分頑張りました。ギルディアよ、そうでしょう」

「う、うーむ。わしらは、それほど痛みは感じない種族ではあるが・・まああれほどぶつかるとちょっと・・」

 私は慌てて立ち上がった。

「ちょ、ちょっと待って、これは完走する事に意義があるんだよ。最後まで見守ろうよ! 」

 クレイは冷たい瞳で私を見下ろした。

「王よ、確かに我々にもこの運動会の趣旨は伝わりました。充分です。あなた方はこれ以上彼を見世物にするつもりですか!」


「そ、そんなつもりじゃ! 」


 その時。セドリックが立ち上がり、一喝した。


「黙れ! ずっと見ていろ!」


「な、何だと!? 」

 クレイとギルディアの顔が、怒りでさっと変わった。後ろから止めようとするアレクセイの手を払い、セドリックは続ける。

「あんたら王だろ、トップに立つ者が一度決めた事を簡単にくつがえすな!! いいか、ザルーは自分の意思で参加する事を決めたんだ。事故や生命に危険が及んだ時のみ助ける。それ以外中止はなしだ、いいな!! 」


 それだけ言うと、セドリックは荒々しく座り直し、運動場を見つめた。

 しん、と場が静まった。


 バドもララもアレクセイも私も、ただギルディアとクレイの二人を、どうするのか見つめていた。


 少ししてまずギルディアが、続いてクレイが、二人とも黙ったまま、静かに座り、運動場に向き直った。


 他の誰も、何も言わず、視線を元に戻す。

 私も着席しつつ、隣に座るセドリックを盗み見た。

 彼は真剣な顔で、運動場を見つめている。

 そんな彼の姿に、私はなんだか、じーんとしてしまった。


 心の中でお礼を言う。

 ありがとう、セドリック。




 再び運動場に目を戻す。左右に、大きくふらふらしながらザルーが走っている。もう彼を全てのドラゴン達が抜き去り、しかも全員ゴールしていた。今、グラウンドにはザルーだけが残っている。

 走る事に疲れ果てたか、彼はかなり迷走してきた。大きく右に傾き、壁にどかっと頭を打ち付け、その反動で大きくこけた。立ち上がり、右足を引きずりながら走っていく。


 がんばれ、がんばれ


 見ると、ザルーのチームメイト達が彼に駆け寄り、トラック内から一緒に走り始めた。

 アシュマンが必死に声をかけているのが見える。


 がんばれ、がんばれ


 先にゴールしたドラゴン達が足を踏み鳴らしたり、有翼人達が手を必死に叩いて、ゴールはここだと叫ぶ。


 がんばれ、がんばれ


 私も、セドリックも声を張り上げた。バド、アレクセイ、ララも加わる。

 がんばれ、がんばれ


 やがて、会場いっぱいに頑張れコールが響いた。ドラゴンも有翼人も関係ない。皆必死で声を張り上げている。



 そうして遂に、ザルーがゴールした。


一緒にトラック内で走っていたチームメイト達が駆け寄る。ゴールしていたチームも輪に加わり、彼らを取り囲む。アシュマンとザルーはしっかりと抱き合っていた。


 会場は、今度は大きな拍手と、ドラゴン達の祝福を祝う足音でいっぱいになった。


ギルディアは、

「・・すまん。今は何も言えん」

 と言って、しばらく下を向いていた。


「有翼人とドラゴンが・・・あのような・・光景は、初めて見た」

 クレイは両手を握り締めながら、ぽつりと言った。顔が紅潮している。


 ララは感極まって泣きじゃくっていた。


私は、セドリックがそっと渡してくれたハンカチを握り締めながら、泣き出しそうなのを必死に耐えていた。そうして、両手が痛くなるまで拍手を送った。




「では、これにより紅白運動会を閉会する」

 ギルディアとクレイによる閉会宣言後の、異常な盛り上がりが、運動会の成功を物語っていた。


 混合白チームの勝利で終わったけれど、もうそんな結果はどうでもいいくらい、会場の雰囲気は和気藹々としていた。それぞれのチームのドラゴンと有翼人達はお互いの健闘を称え合い、又、会場でチームを応援していた側にも連帯感が深まったようで、あちこちでドラゴンと有翼人が抱き合い、別れを惜しんでいる光景が見られた。



 私達一行はグラウンドに下り、ザルーとアシュマンに駆け寄った。


「ザルー! アシュマン! 」


「あ、皆さん!」

「もう、二人とも最高だったよ!! 」

「後で皆さんがクレイ様とギルディア様に私達の出場をかけあってくれたと聞きました。ありがとうございます」

「そんなのいいんだよ、最高だったよ!」


 アシュマンが静かに微笑む。

「ザルーの走りには感動しました」

 ザルーが豪快に笑った。

「なんの、こちらこそ」

「私達は、今それぞれの故郷へ遊びに行く話をしていたのです。私の誇りである国を彼に案内したいし、私も見てみたい」

「目が見えずとも、彼が育った国ならば、きっと素晴らしいだろうて」


「素晴らしいですわ! どちらとも素敵な国でしたもの、是非早く実現して下さいませね」

 ララが潤んだ瞳で笑った。


 彼等と別れた後、クレイとギルディアが二人一緒に私達に向かって歩いてきた。


そしてクレイは私に近付き、驚いた事にひざまずいて、私の右手を取った。


「わが君、私は知識と技術だけでは得られない物を本日得る事ができました。それは、何にも変え難い物です。・・・本当に感謝しております」

 ギルディアも、どすんと片方の膝を付き、大きな右手を出して私の左手を取った。

「救世主よ、長年不仲であった赤と白の国を結び付けた貴方こそこの全ての国を統治する御方。わしとクレイはここに宣言し、一生の忠誠を誓います」


 感動して私も二人の手を、強くぎゅっと握る。

「僕だけじゃないよ。協力したクレイとギルディア、それに国民の人達のおかげだよ。良かった。本当に、良かった」


しかし次の瞬間、私はある事実に気づき、驚愕した。

私の手を握っている二人の手・・・。



どちらの手も光ってない!!


 

 二人とも立派な人だったのに、この人達でも王ではないの!?


 三つの国を訪れたのに、青、赤、白、どこの国の王でもなかった。



 そんな事って・・!! 



 私は笑顔を作りながらも、心のうちでは動揺を隠せなかった・・。




その後私達は、黄金国の王宮へ帰った。日も傾き始め、皆が一旦自室へ戻る中、私は一人外に出て、庭園を奥へと進んで行った。


茂みで覆われた誰もいない静かな場所に来て、座り込み、しばらくじっと考え込んだ。


三人でもなかった・・。

三つの国に行けば分かる筈だったのに。

三つの国に行けば・・。



・・もしかしたら!



閃いたその時、突然茂みが揺れ、セドリックが現れた。


「!! びっくりした! どうしたの」

「そっちこそ。マコトがこっちに行くのが見えたから、その」


「別に何でも・・・あの、さ、セドリック」

私は逸る気持ちを抑えながら、彼のハンカチを差し出した。

「これ、ありがとう。結局使わなかったんだけど。忘れててごめん」

「ああ、それか。いつでもいいのに」

と右手を差し出したセドリックにハンカチを渡した瞬間、私はぎゅっと彼の手を握り締めた。


「!! なんっ・・!!」


 彼が顔を真っ赤にさせたのもつかの間、それは驚愕の色に変わった。


 私が握った彼の右手が、うっすらと白く光ったかと思うと、手の周囲が白く点滅し、光り始めたのだ。


 ティンカー・ベルのフルーパウダーのように静かに、美しく明滅している。


 セドリックは握られた右手を見ながら、困惑した顔で

「こ、これって・・王の・・」

とつぶやいた。


うん。そう。そうなんだ、セドリック。

 私はゆっくりと頷いた。


「うん。セドリックも王族の人なら知ってるよね。これが王の証。__君が王だったんだ、セドリック」


「な・・!? だ、だって、マコト、君が王だろう!? 異世界の救世主だって、予言が外れるなんて・・!! 」


 私は頭を振った。


「予言はよく分からない。でも、・・あの、僕が王のわけはないんだ」


 ここで軽く深呼吸した。


 セドリックは当惑した顔で私を見つめている。

 沈黙が過ぎる。

 怖い気持ちが昇ってきそうになったその時、今までのセドリックとの事が、鮮明に目の前に蘇った。


 料理を手伝ってくれた事。文句を言いながらもどこでも付いてきてくれた事。舞踏会の思い出。困った時はいつでも助けてくれていた。


 大丈夫。セドリックならきっと、分かってくれる。

 私は彼の顔を見据え、ゆっくりと言った。私の声で、私の言葉で。

一言一言、かみ締めるように。



「わたし、男じゃない。本当は、女なんだ」



 彼の瞳が軽く見開かれた。

 綺麗なブルーアイ。そう、いつも思ってた。



 彼は下を向き、小さく息をはいた。

 暫しの沈黙。

「・・・そうじゃないかと思ってた」

 今度は私が彼を凝視する番だった。

 セドリックは口を開きかけ、閉じ、何かを吹っ切るように、又口を開いた。顔は横を向いているので表情がよく分からない。


「ドレス。・・・似合いすぎてたから」


 私はみるみる耳まで赤くなるのが分かった。そうして、自分がまだセドリックと手を握り合っている事に気付いて心臓の鼓動が最高潮に早くなった。


 セドリックは全くそれに気付いてない様子で手を握ったまま何事かを考えている。

「・・・僕が王か」

 ぽつりと言った。困惑気味の顔で。

 私は火照った頭を落ち着かせようと左右に振った。



 それはそうだよね。戸惑う気持ちは物凄くよく分かる。いきなりの指名で、彼はまだ私と同い年の、まだたった十六歳なのだから。


 でも。


 でも、私には自信があった。


 セドリック、と私は彼の顔を見つめた。

「大丈夫だよ。私、この旅を通して思ったんだ。王は、完璧な存在でなくてもいいんだって。最初は、何でも一人で考えて、決めて、実行できる人が王だと思ってた。でも、皆が私の事を王だと思ってくれてた時、皆が助けてくれて本当にうれしかった。ただあがり奉られてただけだったら、何もできなかったもん。それに、赤と青と白の国に行った時、それぞれの王様はすごく立派だったけど、皆何かが足りなかった。それはね、相手の意見を聞いてそれをまとめる力。セドリックは・・口はちょっと悪いかもしれないけど、いつも皆の意見を聞いて、大事な所では決めてくれてた。全ての国を統べる王となる人は、それが大事だと思うの」


 ここでちょっと私は一息ついた。


「大丈夫だよ。黄金の国にはバドもアレクセイもララもエヴァもいる。皆に助けてもらったらいいんだよ。勿論他の国の王様達にも」

「・・そうだな」

 セドリックは、うつむき加減に優しく微笑んだ。それは充分知っている、というように。


「ただ、口が悪い、は余計だ」

 セドリックと私は顔を見合わせ、ちょっと笑った。


 ああ、そうだ。いけない。忘れていた。


 私は片方の膝を地面につき、彼の手を改めて強く握った。


 エヴァに教えてもらったんだ。正式な王の証明。王の宣言。


「ここに、私、マコトはセドリックを王として認めます」


 その瞬間。


「わあ・・・!!」


 思わず私達は歓声をあげた。

 セドリックの手がますます白く輝き、やがてそれは彼の体を包んで彼の周りを明滅し始めたのだ。

 小さな、でも美しい白い光が、幾重にも蛍のように彼の周りを飛び、光っている。太陽も沈みかけた黄昏時の中、それは息を呑む美しさだった。


「きれい・・! 」

 まるで彼の輝かしい未来を祝福しているような。



 セドリックは左手も差し出し、ひざまずいていた私を立ち上がらせた。

 繋がれた両手から、さらにたくさんの光が明滅する。 

私達はしばらくその光に見とれていた。すると私達の両手が一層眩く光り、空中に何かが出現した。それは__、


「〝時の階段″!!」

 私達はそろって声を上げた。


 セドリックは宙に浮く二つの小箱をしげしげと眺め、

「そうか。王が決まったから出てきたんだな」

 とつぶやき、片手でそっと二つの箱を取ってポケットの中に入れた。

そうして彼は、私の両手を握りなおした。先程よりも強く。


 え。


顔を上げると、彼は真剣な表情で私を見ている。

「これでもう・・・帰れるんだな、君の世界へ。マコト」

 


 あ。

 一瞬、瞳の揺れるのが分かった。


 異世界の救世主。

 そう、そうなんだ。

王の決定、時の階段の出現。私の役目は終わったんだ。

 最初の頃は、あんなに故郷へ帰りたいと願っていたのに。

 なんで今はこんなに。



 目頭が熱くなってきて、私はただ、頷いた。足元まで明滅している彼の靴を見ながら。



 暫し沈黙。

「・・・そうか」


 セドリックは両手を握ったまま、ゆっくりと私に近付き、片手を離して、私の背中をぎこちなく抱き寄せた。


壊れ物を扱うように、

そおっと。そおっと。

 彼はもう一度つぶやく。


「・・・そうか」


 私はセドリックの肩にそっと顔を寄せ、彼の肩越しに、握り合ったままの右手を見つめた。

 手から零れ落ちるほどの白い蛍火が私達を包みこむ。


 ぼわっと光り、闇に消え。

 幾重にも幾重にも、

 淡く、強く。淡く、強く。



 それは、涙が出るほど、美しかった。





 翌日王宮の中はちょっとした騒ぎになった。

 勿論、王が決定した事と、私が正体を明かした事からだ。


 バドとエヴァは王の決定に仰天し、一番の被害(?)者アレクセイとララは何も言えず、ただあんぐりと口を開けていたけれど(ここらへんはやっぱり兄弟だ。行動が似すぎている)、セドリックがひたすら私をかばって懇切丁寧に説明してくれた事、そして王の証を見れば、皆は二つの事実に納得せずにはいられなかった。


 アレクセイとララの態度は、涙が出るほど嬉しかった。謝罪しようとする私、バド、エヴァを制し、ララは少し残念な顔をしていたが、


「やっぱり手の届かない方でしたわね」

と可愛く笑い、アレクセイに至っては

「これで気兼ねなくマコトを誘えるってもんだ」

とウィンクし、セドリックから物凄い顔で睨まれていた。ただ、セドリックの意見で、国民は混乱するから、今回は救世主と王の二人が存在した、と語り、私の正体は明らかにしない事にした。

 それからにわかに周囲は慌ただしくなり始めた。セドリックの正式発表を控えた準備を始めたからだ。



 特にする事のない私は、バドと廊下を歩いていた。


「今思ったんだけど」


「なんです、マコト? 」

「私を救世主のままにしておいていいの? 救世主って王の事でしょ? 嘘をつくのはどうかなあ」

「とんでもない! 予言は当たっていたんですよ。ほら、覚えていますか、〝救世主が現れる。男の王である〟今回、救世主と王は別々に存在したんです」


「嘘だあ。 だって何もしなかったよ」

バドは目を丸くし、まじまじと私を見た。


 そうして、彼は私の前にひざまずいた。

「何を言われます。真の王を見つけたのは、マコト、あなたなのです。赤、青、白の国との関係を良くしてくださったのも。そうしてあなたは我々の考えに、新しいやり方を運んできてくださいました。あなたは間違いなく、この国の救世主なのです。ほら、見てください」


 立ち上がったバドが指差した先には、一緒に仲良く働く男女の召使の姿があった。調理場を覗くと重い材料を運ぶ男性、果物を切っている女性、お年よりは座って細かい盛り付け等を手がけていたり、若い人に指示を出したり。男女比は半々のようだ。


「ちょっといいかな」

と、バドが声をかけると、小太りした中年の男女が出て来た。二人が責任者だと言う。

「はい! これはこれは、救世主様にバド様。ご訪問頂き光栄でございます」

「マコト様に新しい仕事環境をお見せしたくてね。率直な意見を聞かせてもらえるかな」

 バドがそう尋ねると、はい、と中年女性が進み出た。

「バド様の仰る通り、男女関係なくそれぞれの得意な事を生かす配置に致しましたところ、効率が良くなって以前より仕事がはかどるようになりましたわ」

 それにですね、と中年男性が小声で割って入る。

「職場の雰囲気が明るくなって。いやあ、男性ばかり、女性ばかりと言う職場は何かと気苦労が多くて」


 忙しいところ悪かったね、ありがとう、とバドが声をかけると、二人はにっこりとお辞儀をして、元気よく職場に帰っていった。


「ほら、ね」

 バドが笑いかける。

「あなたはこの国を救ってくださったんですよ」

「そう・・なのかな」


私は照れて、少しどもった。

再び周囲に目を向ける。


すると、こちらに元気に駆けて来るララが見えた。その後ろからはアレクセイの姿が見える。

ララは、なんと乗馬服を着ていた。黒い乗馬用ヘルメットを被り、赤い上着に、ぴったりとした乗馬ズボンを身に付けていた。なかなか様になっている。

「ララ、ど、どうしたの、それ!? 」

「マコト、わたくし最近乗馬を始めましたのよ!! やっとお兄様が承知して下さったんですの! これがすっごく面白くって。今日も調教師と__」

「ララ様、馬の準備ができましたよー」

「はーい、今行くわ! マコト、失礼あそばせ」


走り去るララを見ながらアレクセイが、じゃじゃ馬娘め、この忙しい時に、と苦笑した。


「さすが我が妹君。・・実は乗馬の腕は相当なもんなんだ。短期間でめきめき上達している。護身術としてどうしても習いたいから、とあまりにせがむから、最近剣術も教えているのさ。驚きだろ? ・・・俺は女性には優しいつもりでいた。今までは危ないからとあいつには何もさせなかった。俺の優しさは違っていたのかもしれないな」

「お兄様―!! 」

「おっと失礼、最初のうちは俺も見てやらないといけないのでね」



 去って行くアレクセイとララを見ながら、

「あの二人も、変わりましたしね」

とバドが穏やかに微笑んだ。



 変わろうとしている。

 変わろうとしている、この国が。

 きっと、良い方向に。


 私は、もう、必要ないんだね。




 その後、私はセドリックの王の宣言と即位を見守り、遂に元の世界に帰る時が来た。


 久しぶりの制服を着、学生鞄を持って初めて私が出現した「滝の間」に入る。バド、アレクセイ、ララ、エヴァ、セドリックが見送ってくれた。


 皆が一人ずつ私にお別れの挨拶をする。

 エヴァは優雅にお辞儀をした。

「マコト。あなたは真の救世主です。その自信と誇りをいつまでも忘れないで下さい」

「ありがとう」

 バドは私の右手を両手でしっかりと握り締めた。

「マコト、本当にお世話になりました。貴方に何もお礼のできなかった事が、本当に残念でなりません」

「ううん、こっちこそ。バドには一番お世話になっちゃった」


 涙ぐんだ目をしたララは、少し背伸びをして、私をふうわりと抱きしめた。

「お元気で、マコト。貴方の幸運をいつまでもお祈りしておりますわ」


 やだ。ララの顔を見ていたら泣きそうだ。

 私は必死に笑い顔を作り、うん、うん、と頷く。


「俺を惚れさせた奴はそういないんだ。生涯自慢になるぜ」

 やだ。アレクセイは最後まで冗談ばかり。

 そうして、最後にセドリックが私の前に進み出た。顔がタコのように真っ赤になっている。


「あ、あの、マコト。黄金の国の王になった者は最高位の魔法が授かるんだ。だ、だからどんな魔法も使えるって事で、つまり、」


アレクセイが茶化す。

「あーあー、うちの新しい王様はこういう事は苦手だからな」

「うるさいな! 」

「あのー、セドリック、時間がありませんよ」

滝がカーテンのようになって両側から私を包むようにゆっくりと迫ってきた。

「あ、あの、セドリック、何を言って・・」

「マコト、これを!」


滝が私を包んでしまう前に、セドリックが小さな紙箱を私に押し付けた。


「マコト、お体に気をつけて」

「ずっとお祈りしていますわ!!」

「俺の事を忘れるんじゃないぜ、マコト」



徐々に細くなっていく隙間から皆の泣いたり笑ったりしている顔が見える。

 私は最後の瞬間まで見逃すまいと、必死で左右に顔を動かした。今まで我慢していた涙がどっと溢れて頬を濡らして行く。

「さよなら! みんな、絶対忘れないから!!」





 気がつくと私は自室のベッドで寝ていて、傍らには母親が座っていた。


 あら、マコト、起きたのね、と母親はのんびり言うと、おじや持って来るわね、と階下に行ってしまった。

 私はただぼんやりと白い天井を眺めた。

 ・・・何だったけ。

美夕から届いていたたくさんのメールや、母親から聞いた話をまとめると、私は電車を降りた途端、その場にしゃがみ込んでしまったと言う。その場は美夕に支えられながらなんとか自宅に帰ったそうだ。

インフルエンザだったらしい。高熱があって、私は一週間学校を休んでいたとの事だった。


 ふうん。そうだったけ。

・・・上手い理由を思いついたね。

「魔法って本当にすごいんだな・・」


 ぽつりと呟いた途端、雷に打たれたように、今までの事を思い出した。



 そうだ!! 黄金国は!? セドリックは!? あ、あれは夢だったの!?


 私はがばっとベッドから起き上がった。

でも、証拠なんて何も・・、そうだ、箱、箱だ!!

 慌てて周囲を見回した。ベッド、机の上、床。


「な、ない。やっぱりあれは夢・・」

待って。


確か帰る時、制服に着替えて・・、手には学生鞄を・・。

鞄!?


私は部屋の隅に置かれていた鞄に駆け寄った。急いで開けると・・、


「あったあ!!」


やっぱり夢じゃなかったんだ。セドリック、何をお土産にくれたんだろう。

 これを見る度に、思い出すんだろうな、黄金国での事。皆の事。忘れられるわけがないもの。

 もう既に涙ぐみながら、私は小さな箱を見ていた。



早いもので、あれからもう二ヶ月が立とうとしている。


 私は二年生に進級した。一年生のような緊張感はなくなったし、受験勉強はまだ早いし、お気楽な時期だ。


 明日からうれしいゴールデンウィークに入る。学校から帰る足取りも軽い。


「マコトも来られれば良かったのにねえ 」

 隣を歩く美夕が残念そうな顔をしてこちらを見た。

「うん、ごめん。おばあちゃんちへ行く予定だから・・多分」

「おみやげ買って来るから。遊園地の写真も見せるからね」

「うん、ありがと」


 美夕と別れ、家に帰ると、ダッシュで二階に上がった。


 息を整え、机の引き出しの置くから、小箱を取り出す。


紙の化粧箱を開けると、中からさらに、純金の小さな箱が現れた。


「時の階段」だ。


 セドリックは、これを私に贈ってくれたのだ。

王のみが使える最高の魔法道具。異次元を繋げる扉。


どれだけ、どれだけこの箱を開けたいと日々思ったことだろう。二ヶ月間が本当に長かった。


でも、私は今いる世界にも生きているのだ。ここでの生活もおろそかにしてはいけない。ここもかけがえのない私の世界なのだから。


そうして、もう一つの世界も__。

私は深呼吸をし、早鐘のように鳴る心臓を押さえつけながら、

ゆっくりと、小箱を開けた__。

 


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