第四幕 六十八話 The Lion/突然変異体
赤黒い竜巻がエティエンヌの叫びと共に爆散した。
「まずいっ!」
爆散した赤黒い竜巻は、その余波だけで周囲を薙ぎ払うほどの威力だった。
木々は折れ、草花は倒れ、大気が震える。
眼前に立つ獅子のような騎士は、今や言葉通り獅子へと変貌した。
「それが、アンタの真化か」
今まではあくまでも〝獅子のような〟だった。
要はイメージの話。
獅子のような鬣もただの髪。
獣のような牙も犬歯が他の者よりも鋭いだけ。
そうだ。今まではエティエンヌ=ド・ヴィニョルで在り続けた。
しかし、もう違う。
今、この視界に映るエティエンヌはまさに獅子が人のように変異した姿と言える。
息を吐くエティエンヌは獲物を捕捉した獣そのものだった。
それでもこちらとて、曲がりなりにもヒーローをしている。
突然変異体と戦うのは初めてでも、他の神秘の存在とは戦い続けてきた。それこそ、街や国だけじゃない。星が危機に瀕する事態にも対処してきたんだ。
「ここで退くことなんてありゃしないぜ」
《ナハト・ノエル》を一閃する。
意識を切り替え、目の前のヴィランをしっかりと見据える。
「その姿を見せたってことは今回ばかりはアンタもオレに対して脅威を抱いたってことだ」
「フフフフフ……」
今や人の姿だったころの倍は大きくなったエティエンヌが嗤う。
恐ろしい野獣だ。
「違うな。俺は貴様に脅威を感じてこの姿になったわけではない。本来、突然変異体は変異した状態で戦うものだ。己の変化を武器にして戦うのだからな」
けれど、とエティエンヌは何故自分が変異せずに戦っていたのかを語った。
つまりだ。エティエンヌ=ド・ヴィニョルという男は人の状態でも強かったって話だ。
鍛え抜かれた恵まれた体躯を持ち、大戦斧すら片手で振り回せる。
獣と同等の反射神経で敵に対応して先手を打つ。
一騎当千の活躍が出来ていたからこそ、変異する必要はなかった。
「だったら、アンタは百年戦争の時に変異したことはないってのか?」
投げかけた問いにエティエンヌは首を横に振った。
「無論、あの時代にも魔術士がいれば、俺のような突然変異体もいる。異能者や人の身でありながら絶大な力を持つ者などもな。ブリテンの奴らがそうした連中を投入した際は、俺もこの姿となり敵を薙ぎ払った」
その光景はまさに圧巻だったのだろう。
戦場を野獣が暴れ回る。
人間なんてゴミのようにちぎっては投げられたのだ。
「つまり、オレも百パーセント人間だけど、絶大な力を持つ者って思ったから、アンタは変異したのか」
「それも違う」
「はぁ? だったら何でなんだよ」
今や大戦斧を玩具のように軽々と指先だけで回転させている敵は、思いきり地面に叩きつけて地割れを起こす。
こちらにまで衝撃が伝わって来た。
一瞬、畏怖の感情が心に過った。
「それだ」
「――ああ? 何がだ」
「今、俺に対して恐怖を抱いたな」
「恐怖って言うか、やばいな、とは思ったけどさ」
「それが重要なのだ」
エティエンヌは語る。
戦場において敵軍をただ倒すことだけが戦いではない。
「戦意を削ぐ必要があるのだ」
「戦意を削ぐ……」
敵の言葉を反芻する。
なるほど、確かにあらゆる生き物は圧倒的な存在を前にした時、戦うことを放棄する。
立ち向かうことよりも逃げるという本能が勝るからだ。
「ジャンヌは立ち向かって来る敵に対しては、悲しむことはあっても、殺してはならない、とは言わん。だが、極力数を減らしたいと言っていた。だからこそ、俺のこの姿と力を振りかざし、敵の戦意を削ぐことで戦いを終わらせていた」
「へぇ、優しいところがあるんだな。けど、そんなことでオレが攻撃の手を休めると思うのか!」
「いや――、俺はラ・イールとしての側面もある」
エティエンヌの纏う雰囲気がまた一段と変化する。
「目的の邪魔をする者を圧倒的な力で瞬時に叩き潰すこともまた、俺のやり方なのだ!!」
咆哮と共に、野獣が突貫してきた。