後悔と望月のワルツ・上
「星が見えませんね……」
「星とか、旅を始めてから、初めてまともに見たかもしれねぇ」
レオンは新たに入れたはちみつ柚子茶を飲みながらしみじみと言った。煌々と輝いて見える月の光と、眼下に広がる大都市の光によってほぼ一切と言っていい程に星は見えない。そんな呟きに意外そうにマロンは反応した。
「レオンさんもなんですか?」
「おう。俺の故郷は工業地帯だからな。年がら年中、夜も電気が付いてるから星なんか全然見えねぇよ」
レオンは呆れたように答えるが、何かが思いついたように怒った表情をしてマロンを見る。
「てかなんだその反応。田舎だとでも思ってたのか」
「え、あのその……」
答えに困ってしどろもどろになるマロン。必死に言葉を探しているのを見て、レオンは思わずふきだした。
「あっはっはっは! 別にキレてねぇさ。実際、工場こそ多いが娯楽施設だの商業施設だのはすくねぇし、遊ぶとこなんか全然無いからな」
「もう! 今日のレオンさん、なんだかアリサさんみたいです!」
「それはかなり辛い評価だ……」
☆
その頃、魔法学園男子寮の一室。
「ヒィエ―――ックショイ!!」
「うるせぇ!!」
「ひでぶ!?」
思わず出たクシャミで、マオウに蹴り飛ばされるアリサ。だいぶ理不尽である。
マオウは明らかに不機嫌な様子であり、椅子に座って腕を組みながら脚まで揺らしていた。
「クソチビがぁ……どこ行きやがった」
「だから露店で飯買っとけって言っただろ……」
「買うて食ったわ! そんでも全然足りひん」
「海陸弁出てるぞ」
狂犬の如く、アルマス相手にも咬みつく姿勢を見せるマオウ。普段から結構怒りやすい性格だが、空腹の怒りだと地元の方言が出るようである。三大欲求から生じる怒りだとすれば仕方がないとも言えるが。
「アリサ大丈夫かぁ?」
「踊りの練習してただけなのに……」
「まともに凹んでるの久々に見た」
などと言いつつ、冷蔵庫からジンジャーエールを取り出すアルマス。マオウに飲むかと尋ねるが、空腹時の炭酸は気分が悪くなって嫌いだとマオウは首を横に振った。
アリサは蹴られた尻の部分を抑えたまま、土下座のようにうずくまった状態である。手加減こそされているものの、古龍の筋力での一撃。しかも不意を突かれたであったため防御や回避すら出来ず、起き上がれないほどのダメージを負っていた。
「めっっちゃ痛い……」
「マジで大丈夫か……」
面倒くさいなと思って無視していたもののあまりにも痛そうにうめくので、アルマスはちょっと心配になって救急箱が置いてある棚へと向かった。
「明日の舞踏会出られなくなったらどうすんだよ……」
「あぁ?」
「しずねぇぞ、テメェの自業自得だべや。ガキみてぇにヒトに当たり散らしやがって。腹減ってんなら自分で作るなりしてろや」
「ぐ……」
普段温厚な者ほどキレると怖いとは言うモノで。手を出すようなタイプではないが、完全にキレると刀剣使い特有の気迫のようなものがダダ漏れになるようで、普段から豪胆なマオウをも黙らせた。
顔を顰めつつも、なんとか姿勢を変えられるぐらいには回復したようで、尻をぶつけたりしないように膝立ちをしながらマオウを睨んだ。
「マオウなぁ。お前、強いのは認めるし普通に尊敬もするが、最近のお前は驕りが過ぎるぞ。第三階位の業を取得したのは良いが、だからって傲慢で良いわけじゃねぇんだぞ」
「あぁ悪かったよ……」
「俺の方を見ろ。クソガキ」
「んだと?」
「事実だろ」
救急箱を持って現れたアルマスが二人の剣呑な雰囲気を感じ取って何事かと思って居ると、アリサは「すまねぇ。湿布とか出してくれねぇ? 痛くてあんま動けなくてさぁ」などといつものヘラッとした調子で話かけた。
とはいえ剣呑な雰囲気が消えていないこともあり、とりあえず救急箱から湿布だけ取り出して「ちょっとゼルシエさんに用事思い出したから出てくる」と方便をついて量の部屋から退室した。
「んー……レオンも居ないからほんどどうしたもんかな……」
頭をガシガシと掻いてどこで時間を潰すかアルマスは悩む。
背後の扉の奥からは久々にブチギレしたアリサの説教声が聞こえてきており、他人の怒った声を聞くのも気分が悪いのでひとまず歩き出す。
「女子寮は夜だから男性立ち入り禁止……体育館とかも文化祭関係で使用禁止だし……」
「バスケのシュート練習なんかが出来れば時間潰せるんだけどな……」などとかなり残念そうにアルマスは一人ごちる。廊下をぶらぶらと歩いていると、階段横の掲示板のポスターに目が止まった。
「『ヒトとヒトは悪いところも認めてこそ仲良くなれる。』ねぇ……って、ヲクィス教かよ。なんでそんなカルト宗教のポスターが貼ってあんだ」
危険カルト宗教として認定されているとある宗教のポスターである。耳ざわりの良いッキャッチフレーズこそ書いてあるものの、アルマスは露骨に胡散臭そうな表情になった。
「神獣を一方的に批判してる宗教だっつのによく言うよ……剥がしとく……ん? 画鋲とかテープじゃなくて糊で付けられてる?」
悪質だなぁと思わず感じてしまう掲載方法である。他の掲示物を見ても剥がしやすいテープか画鋲で留められているのだが、このポスターは裏面に、四隅までもキッチリ糊をつけて貼り付けている様だった。なかなかに剥がしづらく、撤去にも手間がかかるだろうとわかる。
「とりあえず寮母さんにでも話してくるかな……」
時間を潰す口実が出来たと思いつつ、アルマスはエレベーターのスイッチを押した。
☆
時は少し遡り、ベランダで相変わらず座ったまま談笑を続けるレオンとマロン。
「そういやアリサが持ってる刀も十英雄に関係するんだったっけ」
「え? そうなんですか?」
聞き返してきたマロンの言葉にレオンは頷く。アリサから連想して、故郷の偉人につながる物を思い出したのだ。それはアリサの得物である刀剣。
現在は扱いやすいとのことで神聖銀を刀の形にして使っているが、元々はとある有名な刀匠の一振りを使用していた。ミスリルなども用いつつも、斬鉄をも容易に行えるという圧倒的な切れ味を誇る刀。しかし、銘こそ刻まれているものの、号は存在しない。
「十英雄、折木 安重の刀だっつってたな」
「そんな有名な方のだったんですか!」
「まぁ、現存数もいまだに多いから安く手に入ったとか言ってたが……」
刀剣には詳しくないが昔見たことのある刀剣特集のテレビで紹介されていた同じ刀匠の刀は、一振り七十万は下らないと言われていたと覚えているのだが。もしリリアに頼んだ場合、発狂するレベルの金額だなとは思うものであった。どのようにして金を稼いだのかは謎であるが。
「“万鍛刀工”、折木 安重。同じドワーフながら、何を考えたらあんなこと出来んのか謎だが……」
「……」
レオンがぼやくように故郷の偉人の成したことについて呟くも、マロンは返答せず、何かを思いついたように深い思考に入る。つい先ほどで取り乱したりしていたが、すぐに論理的な思考に入れるのは独特だなと、考えごとをする横顔を見てレオンは思う。
「とりあえず気分転換出来たか?」
「え? あ、はい……そう言えば気分もいくらかマシに……」
レオンに話かけられてマロンは我に返る。他愛のない会話をして、緊張していた気分も幾分マシになっていった。一応小さくありがとうと言いつつ、あらためて話をしようと深呼吸をする。
レオンは何も言わずにコップの飲み物を一口飲み、マロンの言葉を待った。
「私は」
「おう」
「二重人格じゃないんです」
レオンは眉をあげて少女を見る。どういう意味だと聞きたくはなるが、自分の抱えるものより重いものだと感じているため、自分のペースで告白できるように最低限の返事にしていた。
夜空にはいつの間にか雲が流れてきていて、小さな塊が月の端をわずかに隠す。壁の間際に移動していた為か直接の夜風は当たらないのだが、どこか肌寒さをレオンは感じた。
「……私は妹、レイラは姉で」
「ちょっと待て。お前が姉でアイツが妹なんじゃ……」
「いえ……いいえ。違うんです。私からレイラが、生まれたわけじゃなくて」
そこまで言って、マロンは言葉に詰まった。
二人は何も言わない。
小さな雲が大きな雲に取り込まれ、同時に、別の雲の塊が月の全てを覆い隠し、地上は闇に包まれた。
「姉のレイラ、妹のマロン。そうした形で、双子として、私達は生まれました」
胸の奥でもう一人の自分が叫んでいるのを感じる。いや、もう一人ではなく、自分の姉が。
大丈夫だから。苦しまなくていいからと。必死で慰めてくれるのを感じる。
それが私にとって最も苦しいのだと、マロンは改めて、心の中で答えた。
「私達が小さいころ、街で建物が崩壊する事故が起きたんです」
記憶の中で蘇るのは、人々が下敷きになった凄惨な現場。
中央大陸東部で最も栄えた都市とされる、魔法都市エキドナ。しかし、植物の成長速度が、他の地方に比べても五倍も六倍も速いとされる大樹海、そんな場所に存在する都市である。町の規模が大きくなるほど植物対策に手間も費用もかかることから、土地の広さは酷く制限されているのだ。ここ百年の問題として、酒呑童子が対幽霊の結界を張れる面積にも限界があるという点もあるのだが。
「何故崩落したのかは、いまだにわからなくて。建築基準、というものも守られていたらしいんです」
エキドナの建物は、周囲の環境もあって木材が主な建材として使われている。とはいえ、屋根には陶器製の瓦が使われ、土地が狭いこともあって局所に重い物体が集められることもしばしばある。
しかし大和は昔から木材を建材として利用し、家を建ててきたところだ。地震も頻発するため、昔から洗練されてきた木材での建築技術は世界最高峰と言っても良い。故に、簡単に崩落するはずも無いのだ。
「……ごめんなさい、まわりくどいです、よね」
「俺は聞いてるだけだし。気にすんなよ」
前置きが長いと自分で思ったのか謝るマロンに、レオンはぶっきらぼうに答えた。少し不安に思いながら顔を見るが、その顔は手元のコップに落とされていてマロンは窺うことが出来なかった。
されど。
「私達はその日、街へと出かけていて。そして私達は、それに巻き込まれたんです」
彼は、察してくれたとわかった。