東の鵺と西の茨木・上
「よぉテメェら!! 今宵の審判は俺が務めてやろう! 魔法戦は神に誓いを立てる神聖な決闘だぁ。なればこそ俺がいねぇとはじまらねぇだろ!」
中央大陸を統べる十二柱の神獣達。その中でも特異中の特異体質を持つと言われる一柱が、“東の童子”酒呑童子である。
「キャーーー! 酒呑童子様こっちむいてーーー!!
「うおぉぉぉぉぉぉっ!! すげぇなぁ今回の体育祭!」
その人気たるや、割れるような歓声があがるほど。アルマスとマオウの戦い程の爆発的な歓声ではないが、登場だけでとなればその人気も十分にうかがい知れるだろう。
「んー? だが神事として祝詞を行うとなりゃ、俺よか茨木の方がいいか? そういう担当はアイツに任せてっしよぉ」
「えーっと……あ、はい! もしよろしければで良いのですが……」
「あぁ別にかまわねぇぜ。大した手間でもねぇし」
酒店童子は慌てて隣に駆けてきた実況者に尋ね、その返答に頷くとゆったりとした着物の袂に手を入れた。そこから複雑な紋様の描かれたお札を取り出すと、左手の爪で縦に切り裂く。
鋭利な爪で切り裂かれたお札は突如として燃え上がり、酒呑童子はお札を手から離した。
次の瞬間、酒呑童子の体からバキリミシリという、何かがきしむような不吉な音が鳴る。
徐々に“酒呑童子の骨格が変形”していくなか、彼の口から洩れる男性特有の低音のうめき声から、女性のような高音の声音へと変わっていった。
「んー……あー……酒呑に呼ばれたと思ったら、なんだってんだ藪から棒に。何があって魔法学園の闘技場に……なんだ」
酒呑童子の骨格、筋肉量、そして性別までもが変化して現れたのは、“東の童子”と呼ばれる神獣が一柱、茨木童子である。
身長六尺(一八〇センチ)を超える鬼族特有の長身に、白亜色のざんばら髪の間から覗く、額から天に向かって二本生えた角。口から覗く歯は獣のように鋭く、爪も凶器を彷彿とさせる鋭利さを感じさせる。元は酒呑童子であった為に、纏う着物は男性ものの深緑色の着流しで、胸部を見れば苦しそうに見えなくもないが慣れているのか本人はさほど気にしていない様であった。
「あー、はいはい。わかったよ。魔法戦の祝詞を言えば良いってことだな? まったく酒呑の奴ぁ書き置きもしないんだからなぁ」
実況者から説明をうけ、ちらとマロンとサーベンティンを見る。気怠そうに爪で軽くほほを掻き、愚痴を言いながら札を取り出した方とは別の袂に手を入れた。そこから取り出したのは金色に輝く一つのカプセル。指紋認証機能を持つ、収納カプセルの最高級品の一種である。
それを手のひらの中で潰すようにして開くと、その手には神道という宗教にて、聖職者が用いている大幣という道具が握られていた。
「掛巻も畏き、白神等の廣前に、恐み恐みも白さく。
宇豆の幣帛並びに、戦の物を捧げ供へて。
丹精の誠を先とし、神代の古風を崇敬。
正直の根元に帰依し、邪曲の末法を棄捨て。
今神道の妙なる行を、奉願祈り。
吾國根元の祓を以て 稱辭奉る此状を。
平げく安げく聞食て、願主、身心安穩衆。」
かの世にて悪鬼と語られる者。その口から朗々と語られるのは神へと祈願する祝詞の言。
己の精神と共に“言葉”の力を重要視するのが呪法である。彼女(彼)の発する言葉には聞く者の魂や心を刺激する力が在るのだ。
時に凪のように落ち着いた精神を持つ老爺に、一言で心が裂けるような復讐心を与え。
時に超然たる英雄の猛り震える心を、一言で立ち上がれぬ程に粉々に砕き。
そして時に、ただ一言で絶望し悲嘆に暮れる者を救うことが出来る。
数々の伝承や現代の生物学から鬼は極端に嘘を嫌うことが知られているが、それは戦いにおいて鬼族が魔法などに対抗し、呪法を用いる事に起因すると言われる。
「病悉除き、寿命長延、福禄圓満にして。
家内親属朋友までも、事故なく、
愚なる心を明しめ給い。
何はの事も足と思より楽しきは莫れば、足ことを知しめ。
牛馬の蹄に至まで、安穩息災にして、
憐愍を垂給え、恐み恐みも申す。」
“嘘に、本音や想いは乗り切らない。”
それが、彼ら鬼が呪法を用いる上で子々孫々と受け継いでいる言葉。
相手を呪う、それとも祝うと言うなら、心の底からの感情を込めるべきだと。嘘の賛辞や嘘の吉報など、聡い者ならばすぐに見破り、愚者であっても後に傷付くものだと。なれば、たとえ相手が傷つこうとも真実を話すべきだと。
鬼とは強烈な程に強力な種族である。しかし同時に、“泣いた赤鬼”や“金太郎伝説”の山姥のように、ヒトらしい情緒を物語る逸話が多い種族でもあるのだ。
それはつまり、鬼というのは、ヒト一倍に豪胆で凶悪で剛毅で、繊細でヒトを思いやる種族という事なのだ。
「辭別て申さく、穢気、不浄、不信、懈怠の罪、咎、祟有て。
諸神等の御心に不叶共、
廣く厚き仁慈を垂給て、
清き御心に宥恕し給て、
神直日命、大直日命と見直し聞直し給て、
祈願圓満感應成就、無上霊宝、神道加持」
祈念祝詞を唱え終え、大仰に大幣をはらう茨木童子。着流しの袖がはためき、同時に、闘技場のざわめきが止んでシンと静まり返った。呪法による精神支配の力……その初歩とも言えるレベルの技であるが、いかなる人物もシンとしていた。
茨木童子よりも酒呑童子の方が呪術をより強力に行使できるが、されど、茨木童子も鬼を率いる頭領の一角だ。なれば、並の鬼よりも遥かに完成された呪術を用いる事は明白だろう。呪いの言葉など吐かずとも、仕草のみで呪うことなど容易い。
「さてさて良き哉良き哉。さて魔法戦だったか。小生はともかく、酒呑の奴は詳しい掟なんざ微塵も知らねぇ」
「えぇ……」
茨木童子は堂々とした面持ちで酒呑童子をディスる。元は“別々の存在であった彼らである”、という事を踏まえれば、特におかしいこともないわけだが。
「あ、しかし入手した情報では酒呑童子様なりに勉強なさっていたとのことですが!」
「あいつが難解な魔法戦の仕組みを理解できるまで、勉強なんざするわけねぇだろ? いくら向かう所敵なしの強さを誇ろうが、同じ鬼達の統率も何も出来ねぇような、弩のつく馬鹿だっつーことに代わりはねぇんだしよ」
「いやー……あはは……ど、どうなんでしょうかねーー……」
「遠慮しなくていいからこの映像、ちゃんと酒呑のうすら馬鹿に見せといていいぞ。領地経営もせずに小生にばっか押し付けて、自分は宴会ばっかしやがって……呪いが解けたらぶち殺してやる」
酒呑童子と茨木童子という二大巨頭の存在のことついて、不幸にも反応を求められてしまう実況者。鬼の頭領とは酒呑童子の事を指し、神獣としても一般的には酒呑童子のこととしてあげられるものなのだ。しかし、【魔法都市エキドナ】にて政務の一端を担っているのは、鬼の副頭領である茨木童子なのである。
そのため過去には酒呑童子が優位でこそあったものの、戦いの少ない今の時代では茨木童子の方が発言力が段違いに高い。さりとて酒呑童子も神獣。板挟みになればコメントに困るのも仕方ないことだろう。
「ま、そういうこった。アイツの代わりに小生が審判をやってやる」
「え、えぇと……酒呑童子様のわりに楽しみにしておられて、結構勉強をなさっていたらしいのですが……」
「知らねぇ。ここ百年近くアイツの姿なんざ見れてねぇしな。恨みつらみが積もるばかりよ。安心しな、魔法戦の審判の方法は熟知してらぁ」
応答に困った実況者が本部席を見ると、教師たちが不承不承ながらも頷いているのを確認する。まったくの予定外な出来事のようだが、現在の酒呑童子と茨木童子の不仲も周知されていることであり、不安な酒呑童子の審判をされるよりも信頼できると判断だろう。
一方で自由人過ぎて困っちゃうお爺ちゃんは、面白そうだからと実況者にサムズアップしていたが。
「じゃあ、はじめっかよ。あー……と、お前はマロンだな。んで、お前はあれか。オキサイド家の童だな? 覚えているぞ。たしか赤子の時に祝福の祈祷をしてやったはずだ。大きくなったもんだな」
「はぁ……いえ、その節はどうもありがとうございます……? というか茨木様とマロンさんはお知り合いで?」
「え、えぇ。そうなんです」
「おうよ! なんせこいつはかの伝説の「茨木童子様!!」ん、ああ、そういやそうだったな。密なる話だったな、こりゃ失敬失敬」
はっはと大口を開けて笑いながら自分の頭を数度叩く茨木童子。良くも悪くも裏表のない鬼の性格により、自身が花の騎士であると言う事をバラされそうになって焦るマロン。ギリギリのところで静止は出来たものの、天才とも言われる頭脳を持つサーベンティンは何か勘付いたようであった。
「そろそろもう始めましょうよぉっ! 観客の皆さん待ってますからぁ!」
「おぉぉ!? す、すまねぇな。そ、そんじゃ始めるか」
実況者の裂帛の気合い、もとい全力の懇願に気圧されて茨木童子が頷く。マイク越しにそのやりとりも聞こえてくるため、会場ではクスクスと笑い声がおき、マロンが顔を赤くして軽くていた。
「ごほんっと、それじゃあ準備してくれ」
「わ、わかりました……」
魔法戦を始める前には三分間の準備時間が入る。それは精神を落ちつけるための時間であり、自身の魔力を練るためであり、また設置型の魔法……つまり罠を仕掛けるための時間でもある。
魔法戦が強い魔法使いと呼ばれるには、いかにこの三分間を上手く使えるかにかかっているとも言えるほど、戦略上大切な時間なのだ。
罠を主軸として戦う魔法使いであれば罠をひたすらに仕掛け続け、魔法の連発や強力な魔法で戦う者ならば己の魔力を練り続けることに専念するのである。
「……」
「……」
どうやらマロンもサーベンティンも魔力を練るタイプならしく、どちらも目を瞑って集中していた。
なお当代最強の魔法使いと名高い、自由人過ぎて困っちゃうお爺ちゃんはこの三分間の間、罠を仕掛ける為に試合現場を駆けまわりながら、べちゃくちゃ相手に話かけて集中を妨害するというタチの悪い時間の使い方をしていたりする。
対戦相手の感想としては皆一様に「まさに外道」。しかも本気の彼の戦法はマロン達のように魔力を練るタイプであり、遊びで行っているふざけたやり方で勝率が八割を超えるのだから、皆が呆れかえるのである。
「よっし、三分。それじゃあ準備は良いか?」
それはさておき、三分が経って茨木童子がマイクを持ちながら二人に聞いた。三分の間に実況席近くにまで下がっており、何故か開いた手に軍配を持ちながらである。
審判の問いに一拍ほど置いてから二人は目を開けて頷き、それを見た審判はニヤリと笑った。
「じゃあいくぜぇ! 試合、始めぇ!!」
茨木童子が威勢よく片手を掲げると、戦いの火ぶたを切って落とすかのように振り下ろされた。




