西の童子と東の雷獣・上
神の怒りたる雷を操りしは黄金の獣。
その牙は憎悪の権化。その爪は破壊の権化。
雄叫び、咬みつき、噛み砕き、喰い千切る。
貫き、抉り、切り裂き、臓腑を焼き、骨を断つ。
その血は赤く、尾は青く、瞳は黒く、心は白い。
数多の魔獣を統べる王にして排斥する愚物。
慈悲はなく、悲しみはなく、喜びもない。
怒りもなく、恨みもなく、万物を滅する者。
神の槍たる霊峰を守りしは紫電纏いし雷獣。
白に最も近き者にして黒に最も近き者。
その名は栄光であり災禍であり審判である。
その姿は猿公であり狸であり大虎であり大蛇である。
主はその獣を鵺と称する。
彼の世にて語らる邪妖の名。
生贄は要らぬ、代わりに万の命を奪う。
賛美は要らぬ、代わりに一切の関わりを消せよ。
改進せよ。改心せよ。改新せよ。
鵺の前にはすべてが罪。
語りつぎ、目を瞑れ。
答えるは万死に値するものなり。
古典【万稲歌】より抜粋。
********
ヒョーー……
【永夜の山麓】地方の東部にそびえ立つ世界最大の霊峰、士遷富山。天を突く槍の如く他に類を見ない鋭角的な形でありながらも、未だかつて一度も崩壊した事は無いとされる不可思議な山である。
太古の文献にも存在が出てくるものの、どんな文献にも畏怖や敬意を持って表記されているが書いてあることはほとんどが似通った内容で、山頂に何があるとか山の中に何があるのかという事は何もわかっていない。
現在の進んだ科学技術でなんとか調べようと試行錯誤されているものの、遠くから撮影しようとしても常に雲がかかっていて、近くから調べようものなら山の主によって言い訳の余地すら与えられず殺されてしまう為に、まったく研究は進まないのだ。
バチッ!
冬の夜空に星々と半月が浮かんで見える山の中腹で巨大な雷光が瞬いた。周囲には雲も無く雷ならばどこから生じたのかと、知識の無い者は不思議に思う事であろう。
その雷は見た者に恐怖を感じさせるほどに攻撃的で、何もかもを拒絶しているような敵意に満ちた印象を与える。
ジジジジジ……バチッバチッ……ジジ……バチッ
最初の巨大な雷光に続くように、立て続けに小さな光が煌めく。大小様々な雷光であることに変わりはないものの、それらは敵意と言うよりもどこかふざけているかのように不規則に瞬いている。
しばらく経って小さな雷光も見えなくなると、士遷富山には何事も無かったかのように静寂が訪れた。【永夜の山麓】地方は気候などの特色として、季節風の影響によって冬は雪があまり降らない代わりに、夜には凍てつく様な寒さが地域一体を支配する。
植物が次から次へと成長するため山麓の森に住む者達は薪に困らないのだが、山に“棲む”となれば話は別だろう。冷たい岩肌と異常な程の標高によって、氷水花の祝福を受けたゼルレイシエルでさえ凍えるような寒さを持つのが霊峰、士遷富山である。
ヒョー…………クスクスクス……
山の西側。雷が瞬いていた付近で、ヒトならざる化け物が蠢いた。月光を反射して輝く黒の縞が入った手足の黄金色の毛、そして闇夜に溶け込むような黒や茶色にも見える毛に胴を覆われた獣。強靭な体は巨体を誇る魔獣をも凌駕し、一目見て獣の王と言わせるかのように強烈な威圧感を放つ。暗闇によってか深緑に見える鱗が付いたような尾からはシュルルという不穏な音が鳴っている。
全てのものが凍り付くような士遷富山の寒さをものともしない毛皮に覆われた獣は、軽やかな足取りで歩きながら白い吐息を吐き出した。
獣は体躯に似合わぬ鳥のように透き通った声で鳴き、その声に従うように周囲で何かが笑う。
声の正体は狸に似た姿を持つ雷の精霊ヴォルト。獣の傍で不規則に光っていた雷の正体は、獣を囲む無数のヴォルト達であった。
そしてそれを従えるのは、中央大陸大和において最強の生物。
“東の雷獣”、鵺である。
「ナゼ、あの鹿が此処にゐル」
鵺は歯を剥き出しにして威嚇するような表情を見せながら麓の一点を睨んだ。一瞬だけチラリと黄金色に輝く枝分かれした物体が木の合間から見え、その物体を頭部に乗せた者が鵺の方を向いて軽く礼をすると歩を進めて再び木の影に隠れた。鵺の口からは白い吐息が漏れ、電気でも纏っているのか吐息の中で雷光がいくつか瞬く。
「マァどうでもよゐガ……童子と仲良くする為ならバ……」
鵺は視線を前方へと移し、どこからともなく現れて目の前でゆらゆらと漂っている幽霊を睨め付けた。その表情に生気などなく、ただ虚ろな瞳でどこかを見つめているがそんなことは鵺にとってどうでもよいことにすぎない。
鵺が幽霊に向けて口を開けると千をゆうに超えるヴォルト達が一斉に電気を起こした。鵺の口元へと発生したすべての電気が収束していき、小さな光球が鵺の口の中で煌めく。
グゥゥと口をあけたまま鵺が唸ると目の前にいたヴォルト達が一斉に左右に分かれ、鵺の背後へとまわりながらキャッキャと子供のような笑い声の大合唱を行った。
天の花のうち雷を司るとされる“閃雷花”は悦楽の感情を司るともされ、花により近い生命体とも言われる精霊は各属性の性質を色濃く持っているという。例えば火の精霊サラマンダーは火を司る“獄炎花”が憤怒の性質を持つためへそを曲げることが多く、水の精霊ウンディーネは水を司る“水氷花”が冷静の性質を持つためにいつも落ち着いた物腰なのだと言われる。つまり雷の精霊たるヴォルト達の場合、彼らはいつも人によっては気味が悪く感じるような笑い声をいつもしているのだ。
そしてヴォルト達は笑えば笑う程により強い電気を生み出すことが出来る。
「ヤツは丸焼きゑと姿を変えるだけダ」
それはまるで雷の砲弾のごとく。鵺の唸り声と共に幽霊のもとへと緩やかな放物線を描きながら飛んでいき、幽霊の存在自体をかき消すかのように雷球が爆発し、強烈な衝撃を生み出した。
どれほどの電気が凝縮されていたのか辺り一帯は一瞬白い光につつまれ、光が消え失せた場所には雷の熱によって白く焼けた、山の岩肌が残っているだけ。良く見ると一部だけ岩が溶けており、その一撃がどれだけの威力だったのかがわかる。
一方の幽霊は跡形も無く消え去っており、鵺の憎悪の力によって偶然に呪法のような効果が発揮され、一撃で消滅するほどのダメージを受けたのだろうと考えられた。
「ツチクレ共……せいぜい叮嚀に修復しておケ……噛み殺されたくなくばナ……」
どこに居たのか、鵺は近くにいた数体のノームに上から目線で命令する。基本的に怠惰でよほど仲の良い契約者でもないと言う事を聞かないとされるノームだが、鵺に逆らう事の恐ろしさを知っている彼らはすぐに首を縦に振って岩肌の修復を開始した。
己の仕事は士遷富山をヒトから、人間から、黒花獣から守護することであり、修復することは己の仕事ではないと鵺は考える。なぜなら天啓を受けているわけでもなく、神獣院会議において定められたわけでも無いから。
鵺においての生きる上での娯楽とは破壊であり、創造は性に合わないのだ。だから戦いに生き、息をするように名も知らない存在をごみの如く潰す。
鵺はノーム達を一瞥すると、腹が減ったのか垂直にも近い崖をまるで地面のように駆け、山の麓へと降りて行った。あたかも自分の庭のように走り回る姿を見れば、誰もが鵺を山の主だと認めるだろう。
鵺が睡眠食事殺戮以外のことに興味を示す事例。それは天啓を授かった場合や、【京】にて会議が行われる時、そして酒呑童子と他の神獣が接触するときである。




