酒呑童子と大地花の騎士・上
鳳凰と鵬は全てを見下ろす天空で向き合うた。
「万鳥の主とは、優美さを求められるものではあるまいか」
「強さでは無いか。遥か造世の頃より力こそがすべてであるのが万物の真理」
鵬の鈍金色の雄大な翼が風を抱いては、抱いた風をかき消すように翼を広げて足元の地に影をつくろう。
「何よりも神に認められしが第一」
二羽のよりも蒼穹の高きより現れたるは、焔の翼を持ちし美しき鳥。
名を白炎の不死鳥。又、ホルスとも言った。
「白炎の。お前はそう言うがはたして神は居るのか」
「神は居らぬ。居るならば何故我らを同列としたのだ。全てに上下は存在するものだ。しかし我らに差は生じておらぬ」
鳳凰は神と天使を疑る。上下は秩序であり、秩序が無いとは混沌であり天は存在しないのだと唱えた。
「だがしかし現に神獣と言ふ、御使い共が闊歩している」
白炎の不死鳥は諌める如く鳳凰に語る。
万鳥の長等は表情を歪め、恨みの声を鳳凰が漏らす。
「あの忌々しき女鼠め。いかにして体を引き裂いてくれようか」
神獣小話「万鳥主会」より一部抜粋
********
「ガッハッハッ! まぁまぁ呑めや!」
「酒はヨイヨイ……早くお前は踊らんかぁ!!」
「肴はどこだ? あ、コラ雑魚てんめ! 一人で食ってんじゃねぇが!!」
宵の頃。羅刹劫宮の大広間では鬼達による宴会が繰り広げられていた。酒好きでいて酒豪な者が多いことで有名なドワーフ族や多頭竜族、猩々《しょうじょう》族などと比肩するほど、鬼族という種族は酒盛りを好み、そして同時に酒に非常に強い。
更に言うなれば、毎日のように開かれる酒盛りの際には、どんな種族よりも騒がしいことで有名である。
「飲めや歌えやヨイヨイヨイヨイ!」
「さぁぬしらもわてらと踊らんかえ? ほらほら、酒も飲んで」
「い、いえ……まだお酒飲めないので……」
「あっらぁざんねーん。お酒駄目なの? なら、しゃあない話かぁ」
風通しの良い縁側で面倒見の良い女性鬼から宴会開始前にもらった酒のツマミを食べていると、宴会が始まって酒に酔った同じ女性鬼に踊りに誘われたレイラ。
とはいえ、自身の酒への耐性の無さは【星屑の降る丘】地方の旅の合間に起きた宴会などによって痛い程知っていたため、消え入るような声で断りを述べる。酒の空気で酔わないように風通しの良い場所に居るのだが、既に軽く気分が高揚して来ているのがわかっていた。
「お、鬼族のお酒ほんときついんだなぁ……やばい酔っぱらいそう……」
「オイっす、飲んでるかぁ? ……あー、えーっと、そうだ、レイラ」
「酒呑童子様……いえ、まだ飲酒許可証持ってないものですので」
部下の鬼達の舞や一派芸をゲラゲラと笑いながら見る、額に二本の角が生えた一際体の大きい男性の鬼。武勇を誇る者ならば巨人に匹敵するとも言われる怪力を誇り、鋼鉄の如く堅い外皮と呪法に関する適正が非常に高いと言われる鬼族。
そこらの種族では相手にならないと言われるほど規格外に強力な彼らを束ねるのは、昼間にレイラと会話した茨木童子が着ていた着物、それと同じ生地を使って仕立てた男物の和服を着た鬼。
鬼の頭領にして神獣が一柱たる“夜叉”・酒呑童子である。
酒呑童子は縁側に一人で座っているレイラのことに気が付くと、適当に周りの鬼達との会話をやめてレイラの隣にドカリと腰を下ろした。
「あー……飲酒許可証なぁ? あれ要らなくねぇか? 邪魔過ぎだろ。宴に呼んでも飲めねぇなんてことがあって、ありゃ嫌いだ。何回も会議で言ってんだがよ、アルフォンスの奴とか金狼のやつなんかがうるせぇんだよなぁ」
「まぁ私達一般人に聞こえてくる騎士王様と金狼様のお話だと、そういう事には厳しいイメージですからなんとも……」
「そうなんだよなぁ。陰気くせぇっつうか堅物というかよ。苦手で仕方がねぇ」
ま、クソ鼠とか猿野郎とかとは違って別に嫌いなわけじゃねぇけどな。などと人当たりの良さそうな笑顔を浮かべながら語る酒呑童子。片手に持っていた三尺程はありそうな漆塗りの巨大な盃に、なみなみと注がれた大吟醸を一気に飲み干すと、実に幸せそうな顔をしながら酒精の入った息を吐いた。
レイラが少し困ったように笑うと、酒呑童子は悪い悪いと笑いながら再び盃に酒を注ぐ。その後二人は沈黙し、眼前に広がる美しい庭園を見ながらツマミを喰らった。
踊りの為に演奏されていた三味線や小太鼓の音が一区切りついて止んだあと、酒呑童子が再び酒を飲もうとしているとレイラが何気なく、独り言のように呟いた。
「この街って……緑も少ないし、光のおかげで星が見えなくて……なんか、さびしい」
「……」
「旅に出てみてわかって事だけど……凄く、この街って息苦しい気がする」
酒呑童子は盃を傾けた。レイラの言葉を聞いても何も答えず、代わりに、背後の鬼達に向かって声をかけた。いや、一周まわって別の人物に向かってなのかもしれないが。
「しかしツマミはあるが、まだ肴が足りねぇなぁ。……呪符でも使うかぁ?」
「おぉぉ!? 何やるんです!?」
「そうだなぁ……今宵は紅葉が絶佳の一言に尽きる。だが星が見えねぇ。つーことでだ」
懐に手を入れて長方形の紙切れと万年筆を取り出すと、酒呑童子はさらさらと慣れた手つきで紙切れに複雑怪奇な紋様をかきはじめた。さらっと見るならば美しく見える紙に書かれた紋様や文字であるが、よく観察すればどこか禍々しく感じるものであった。
そんな紙切れ――呪符を書き終えると、酒呑童子はその紙を握りつぶして威厳溢れる声音で呪いを発動させる言葉を唱える。
「〔光束収砕、月情暗夜〕」
唱え終わると同時に酒呑童子が握りつぶしていた呪符が燃え上がり、すぐに燃え尽きた。手から覗いていた呪符の端の灰が風に煽られて飛んでいき、酒呑童子が手を開くと中の灰も“暗い夜空に向かって”飛んでいく。
羅刹劫宮を取り囲むように建っている建物の光によって、薄く黄白色に染まって見える空に触れた瞬間。羅刹劫宮上空を支配していた光が灰を中心にして収束し、人工的な光に染まっていた空が自然そのものの満天の星空へと姿を変えた。
「すっげぇ! 星すげぇ!」
「これは見事……」
「紅葉によって色彩豊かな我が庭に、呪いによって鮮明に見える月と星の光よ。呪われねば月見も出来んとは……なんと嘆かわしい文明の利器か。まったく……これほど滑稽で下らねぇ酒の肴もねぇだろなぁ?」
古来より呪術というものは忌み嫌われてきた。
呪う。という言葉の通り、人の思念の力を増幅させて対象へと悪しき影響を与えるというもの。つまり怨念や恨みによって引き起こされる術である。
そんな呪術とは逆に、星や月というものは神秘性を持ったものとしてヒトに崇められる存在であった。
嫌われるものと尊ばれるものという真逆に近い二つであるが、尊ばれるものが嫌われるものに頼らなければ見ることも難しいという、科学の発展した世のことを鬼達は嗤っているのである。鬼達は聞いていてる方まで明るくなりそうな声で豪快に笑った。
「文明の利器なんてーのも嫌いじゃねぇが、風情が足りねぇ趣が足りねぇ。おぉ、コスモよ……ユニバースよ……」
「外来語なんざ使ってんじゃねぇよ」
「うるせぇうちの劇団の新しい演目の台詞だっつの。上等だ、チケットやるから来いよボロ泣きさせてやらぁ」
再びざわつき始める酒の席。燻った火のように話し声が聞こえてくるだけだったが、やがて歓声や手拍子や楽器の音が鳴り響くやかましい状況に戻っていった。
「星……」
「……どんだけ苦い思い出があろうが、ここはお前の故郷だ。そいつぁ目を背けられねぇ事実。故郷を嫌いになるなんてのは、人生損することと同義だからよ」
「そうなん、でしょうか……」
酒呑童子は手元の瓶から酒を盃に注ごうとしていたが、手元の瓶の中身はいつの間にか盃が満たされないほど中身が減っていた。先ほど呪符を使った際に、部下の鬼がちゃっかり酒を拝借していたのだろうと思い立ち、微妙に顔を顰める。
半分よりもちょっと多い程度の酒を一息に飲みほし、秋の寒さでわずかに白く見える息を吐く。レイラは何か思案するように呆けた表情で、目の前の庭園と星空を見上げた。イチョウとカエデの木の間には秋の星座が浮かび、耳を澄ませてみればどこかから鈴虫たちの鳴き声が聞こえてくる。
「ま、人生の先輩として、みたいなつもりでなんだかんだ言ったけどよ。はっきり言やぁ……お前達がそんな理由で居なくなると寂しいからよ」
「寂しい……?」
体育座りをしていたレイラは自身の右側に座る酒呑童子を上目使いに見る。身長差が二倍はあるためどうしてもそうなってしまうのだ。
酒呑童子は酒によって上気した顔を懐から取り出した扇子で扇ぎながら、特に恥ずかしがるでもなく語る。
「そうだよ。俺はお前達のこと、勝手だが仲間だと思ってるからな。俺等とお前達は似たような境遇だしよ……まぁ、俺等はお前達のと違って自業自得って感じだから気分悪いかもしんねぇがよ」
「いえ……恐縮です。私なんかに……」
「ま、早く幽霊をぶっ倒せると良いなってこった。……おぉおぉ、酒も飲まずに夜風に当たるもんじゃねぇな。体が冷えらぁ。お前達……レイラも、体壊しちゃなんねえから、早めに帰っていいからな」
酒呑童子は体を一度ぶるりと震わせると空の酒瓶の口を指に挟む形で右手で何本も持ち、左手に扇子と盃を持ちつつ宴会場の中へと戻っていく酒呑童子。レイラは体育座りの姿勢で、丈の長い黒のスカートに顔を膝にうずめた。
うずめられた顔の瞳には、涙が滲んでいた。
「わかってるけどさ……マロンを責めたって、どうにもしようがないって。大好きだけど、“大好きな妹”だけど……怒らないと、私が、潰れちゃうから……ごめん……ごめんね……」
夜風を入れないためとの理由で、縁側に通じる障子を酒呑童子が閉めた。縁側は宴会場に居る者達からは窺うことは出来ず、縁側からも、宴会場を見ることは出来ない。
鬼は基本的に享楽を好む生き物である。特に酒好きであるため酒の席では舞踊や会話に熱中する。そのため、姿を捕えられない縁側の少女に気が付く者は稀である。
秋の月が雲に隠れ、少女を照らすのは背後の楽しげな音が聞こえてくる障子越しの宴会場の光のみ。少女は、しゃくり上げながら怨嗟と謝罪の声を交互に呟き続けた。




