犬と猫の仲(非常に仲が悪いことの意)・下
男、マール・ティエラは自身が長を務める村から聞こえてくる戦闘音や、血の臭いを嗅ぎ取って全力で疾駆した。片手に西北大陸由来の服である、燕尾服を携えながら。頭部には猫を模したようなシンプルな白色の仮面を付け、真っ白なシャツが風によってはためき、頭部に乗っていたシルクハットが走る速度に耐えきれずに後方へと飛ぶ。
シルクハットが無くなり、あらわになった頭部からわかるのは仮面に見えていたのは体の一部であると言うこと。
猫系の種族の中でも最も珍しいとされ、学術的に妖精の血も引くとされる種族。彼は妖精猫族である。
妖精の一員とも呼ばれるため、彼らの王である《妖精王》に召集された。
「うにゃぁぁぁぁぁぁ!!!」
「バウッ!!」
「……な、なんだこれは…………」
そこに浮かぶのは驚嘆の表情。仕方のないことだろう。そもそも出会えば喧嘩し、時には殺し合う程に嫌いあっている犬系である魔獣と、自身の村の戦士たちが共闘をしているのだから。
「……オルトロス、ケルベロス……フェンリル、いやあのサイズなら人狼か。人間? だがどこかで嗅いだことのある匂いが……」
やたらと辺りの匂いを嗅ぎながら走るマール。そしてとある匂いを嗅ぎつけて、わずかに走る方向を変えた。目の前に現れた機壊を軽くジャブのような物でふっ飛ばし、何人かの奇妙な髪色をした人間を横目にみた後にとある女性の下へと来た。
「シエロ! こいつは一体全体どういうことだ?」
「あ、マール! 帰って来たの? お帰り!」
「ただいま……邪魔だ! じゃなくて、どういう状況なんだ本当に。何故こんなに狼や犬が居る」
「何って……共闘さ? 旅人さんと魔獣と」
「旅び……は、ともかく魔獣……フッ!」
会話をしながら向かって来る機壊を倒す器用な夫婦。とはいえ、そんな光景を見ていた片方の頭の額に傷のあるオルトロスが、二人を守るようにぐるりと周囲を回った。
「……落ち着いて会話しろということか?」
「そうかもね……どうやら、このオルトロスがこの群れのボスみたいだし」
「ボスだと? あの人狼が率いてるわけじゃないのか?」
マールは後方の白い毛並をした狼を指さしながら聞く。
「なんだか関係はありそうだけど、そういうのじゃ無さそうだよ。そもそも人狼が魔獣の群れを統率できるわけが無いじゃない。まぁ旅人の正体が正体だし、あり得なくもないけどね」
「訳がわからん……」
「まぁまぁ、とりあえずこの機壊達を倒せばゆっくり話せるさ。あんた、ありがとね」
シエロが自分達を守っていたオルトロスに礼を言った。オルトロスは左側にある頭で頷いた後、右側の頭で狙いをつけていた機壊に飛びかかった。シエロはマールの方を向いて言った。
「とりあえず、話は倒し終わってからだよ」
☆
「ヴィクロス……君……さん? さんか。ヴィクロスさん、助太刀どうもありがとう。助かったよ」
「……礼なんて要らないってさ。こいつらにも何か思うことがあっての行動らしいから」
「わかった。……それと、すまないのだが、ヴィクロスさん達は村に入れることは出来ない。門の大きさなどもあるのだが、そもそも犬と猫は仲が悪いからな。先ほどは良かったが、すまないが今にも毛が逆立ちそうになっている」
アルマスを仲介として、ヴィクロスと会話するマール。最後のマールの言葉にヴィクロスは失礼だとも言わずに、無言でコクリと頷いてから村から少し離れた場所で待つ仲間の下へと戻っていった。途中、片方の頭でアルマスに方を向き、何かを言った。アルマスはそれに「わかった。あとで行く」と、答える。
「それで……アルマスさん、だったか」
「あぁ、人狼族の。な」
「……なるほど、そういうことですか」
アルマスと一緒に大歓声のあがる村人の中へと戻っていった。人間の姿。この世界では奇特に映るその姿で現れ、そして人間の姿でありながら、狼に変身したり途轍もないほどの剛力などを持っていた……というところから、八人の正体が花の騎士だとばれてしまっていたのだ。村人に間を開けてもらい、その中心にいる七人にアルマスが合流する。八人が揃うと、再び大歓声が上がった。アリサがその大声に耳を押さえる。
マールが八人を回し見ていると、やはり一人の少女に視線が向いた。少女、シャルロッテは居心地が悪そうに下を向き、マールを視線を合わせようとしなかった。
「はいはいはい、あんたら落ち着きな。……それにしても、正体ばれちまったね……どうする? まぁ、もう宴を開くしかない空気感だけど」
「……負担かかりますよ? 私達あんまりお金には余裕がなくて……」
「……あんたらでも苦労するもんなんだねぇ。良いさ、いっそのこと、こうなったら大宴会でも開くしか無いだろう!」
シエロの言葉に、再び歓声が上がった。そんななかで猫人の少女が花の騎士達に駆け寄り、それを見た他の村民たちもどっと彼らのもとに殺到してしまった。村民たちの波にもみくちゃにされるシエロとマール。塊の外に追い出され、二人は顔を見合わせた。そんな様子に、これ幸いとマールがシエロにとある人物と二人で話がしたいと言った。シエロは頷き、自身が代わりに纏めると言う。
マールは感謝しつつ、波をかき分けてとある少女を助け出した。
「さて、少しお話をしませんか?」
☆
家の裏手に居るのは、マールとシャルロッテ。シャルロッテはずっと沈黙し、不機嫌そうに視線をマールから外していた。
そんなシャルロッテを見たあと、マールは片膝をついた。目の前の少女に向かって。
「手を握るなどと言う不敬をお許しください。しかし、こうでもなければ会話が出来なかったものでして……シャルロッテ“姫”」
「…………あぁ、もうやだっ!」
シャルロッテは叫んだ。現実を否定するかの如く。その叫びは村人たちの歓声によって、二人以外には聞こえなかった。
シャルロッテはマールのことを睨みつけたあと、自身の右足の靴下をめくった。そこに巻かれていたのはリボン。それを丁寧に外すと、手に握りしめながら言った。
「……そなたは確か、マール・ティエラだったな。妖精の血を引きながら腕利きの戦士でもあるとか。どうせ……父上の差し金であろう。私を連れ戻せとでも命が下ったか」
「その通りでございます、“シャルロッテ・ティターニア”様」
胸につけたバッチを見せて話すマールに、シャルロッテはリボンを持った自身の手で壁を殴った。威嚇するように。
「お前に連れ戻される筋合いなどない! 私を連れ戻せる存在など居ない! 父上の命令ならばさらにじゃ!!」
「……えぇ、わかっております。姫様は花の騎士……」
マールの言葉に何を思ったのか、シャルロッテは思い切りその拳を壁に打ち付けた。先ほどよりも強く、怒りを込めて。
「八才より天からの命を受け、世を救わんと、この十年でひたすらに武技を磨いた。そして、父上の幽閉から解放されるため手を貸してくださった母上の為にも! 誰の妨害があろうと、一度建てた我が志は絶対に折らせはさせん!!」
少女が心から吐き出した言葉。マールはそれを黙って聞いていたが、いずれ立ち上がってシャルロッテと向かい合った。
「……でしたら、私は妖精王の命令なんてクソ喰らえです。前から嫌いだったんです、あの男。今の言葉で確信が持てました。……シャルロッテ・ティターニア……いえ、フロル様」
「……なんじゃ」
シャルロッテは目じりにわずかに涙を浮かべながら、マールの答えを待った。マールは再び片足をつくと、シャルロッテの手を取ってその甲にキスをする。
その動作は、妖精族における臣下の礼の一つにして、尊敬の意味を持つもの。
シャルロッテの目は驚きに見開かれた。
「足らぬこの身ではございますが。このくだらぬ妖精の爵位などでも駆使して、あなた様の旅を守れるように協力させてください」
「な、何を……」
「花の騎士、シャルロッテ・フロル様に。最大の尊敬と希望の心を持って……あの下らぬ王から、あなた様を影から守らせてください」
表の通りで村人たちの喝采が鳴り、その裏では静かでありながら重大な意味を持つ宣誓が成されていた。
木製の家にセミがとりついて、ミンミンと鳴いた。そんな猫の村の昼下がりである。