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双神八天と九花(ここのか)の騎士  作者: 亜桜蝶々
清水クニノ求血鬼譚
135/137

円鑿方枘・下

 リュクロイは自身の書斎で椅子に座りながら、ほっと一息ついていた。

 いつ起きるともしれない突発であるが、今回は〝運良く”対処のしやすい時間とタイミングであった。


 真昼間に起きることもあれば、夜行性種族が寝静まったような深夜帯に発生することもある。今回の突発と言えば、夕方という昼行性も夜行性も起きている時間だ。中途半端に暗くて視界が悪いなどの悪条件もあるが、単純に戦力が二倍(夜行性種族は少なめなため実際は一.五倍程度だが)であると考えれば、対処の難易度は下がる。


 しかも今回は花の騎士達までもが滞在していた。詳しい数値までは知らないが、一人につき百体の腐死者を倒せる、という仮定として計算している。送られてきた映像を見るに、市街戦でなければ一人につき千体……一騎当千も可能のように見えたが。


「ふぅ……」


 手元のコーヒーカップを持ち、口元へと運ぶ。

 苦党というわけでもないが昔からコーヒーを愛飲していた。大和にコーヒーなどのし好品がよく入って来るようになったのは、物流革命以降のことだ。

 自身の影響なのか愛娘のゼルレイシエルが好物で、時々一緒に飲んだりすることもあった。


「……」


 コーヒーは南部系大陸、〝南西大陸ロゼッタ”や〝南東大陸ブランシュヴァーナ”から生産、輸出されている。コーヒー豆は熱帯地域でしか育たず、南部地域が亜熱帯に片足を突っ込んだ程度の大和では、生育は不可能に近い。

 

 リュクロイはおもむろに、カップの中のコーヒーをゆるりと回した。淹れたてのために、ほのかに白い湯気がくゆりくゆって天井へと立ち上る。


 コーヒーの木は暑い地域の植物だ。暑い地域……赤道直下と言えば、太陽が特徴と言っても過言では無い。

 だがこのコーヒーという植物は、太陽の光に弱いのである。直射日光に当たり続けると、葉が焼けてしまうのだ。


「忌々しい……」


 リュクロイは〝コーヒー”という飲み物は好きだが、〝コーヒー”という植物は嫌いだった。


 視線をあげた先には額縁入りの彩色画。今は亡き一介の絵描きに依頼して制作された、この世でたった一つの絵。

 だが価値としては五十万ルクにも満たないだろう。名画を鑑賞し続けて審美眼のついたリュクロイから見ても、大した技術があるわけでも芸術としての魅力があるわけでもない。正直に言って、書斎に見合わない作品と言える。


 リュクロイは、その絵を見ると胸が締め付けられるような痛みを感じていた。

 幼い頃を想起させる絵は、美しい感傷と同時に、苦い現在をまざまざと刻んでくる。



 しだれ櫛町の西、今では誰も足を踏み入れることなく、雑木林と化してしまった名も無き野山。幼き頃、獣人の供をつけて駆け回った、なんとも言えぬ下らない日常の光景。土の匂いと草木の匂いと、どこからともなく聞こえる動物たちの鳴き声。

 泥だらけにして、華族がなんという格好かと母に怒られた。勉強を命じられて閉じ込められたのを、父がこっそり抜け出させてくれた。

 瓦と茅葺屋根の混在した町の通りを一息に駆けぬけ、ほとんど新品同然の着物で勢いよく転ぶ。ぶつけた場所をさすって血が出ていないことを確認し、滲む涙を拭って足を動かす。

 野山の頂上へ登って、厨房から貰ってきたおにぎりを頬張る。苦手なおかかの味に思わず顔をしかめつつ、一応残さずちゃんと食べた。

 木々の間を通り抜ける風が、髪を揺らす。ちくちくとした雑草を煩わしくしながら、腕を枕に地面に仰向けになる。


 ふと空を見上げれば、広葉樹の枝葉の間から、暖かな太陽が覗いていた。



 ただ、そんな。ありがちな山の頂からの景色を描いただけの、彩色画だ。

 唯一特徴的なことは、太陽が中央上部で煌々と輝いているところか。


挿絵(By みてみん)


 リュクロイは無言で、目頭をぐぐっと抑え込んだ。


「御当主様いまよろしいでしょうか」


 おもむろに、数回のノック音と老爺の声が聞こえてくる。リュクロイ就きの筆頭侍従だ。


「構わん」


 リュクロイの言葉を聞き取り、侍従の老爺は一人部屋の中へと入り、うやうやしく礼を行う。


「お嬢様がお話をしたいとのことでございます」

「……すまんが今日は疲れた。平行線だとわかりきっているような話をする気力は無い」

「しかしお連れにアリサ様も居られまして……」

「アリサ……? 彼か……」


 昼間の話の際に、リュクロイの胸倉を掴むほど激怒していた和服の男が思い浮かぶ。それよりも前の印象……第一印象は、とても人当たりの良い好青年というあたりか。あの話の後では、嫌悪感と不信感がイメージのほとんどを占めているが。


「会うつもりは無いのだが……」

「ではそのように」


 執事が頷き、部屋から退室しようとする。


(……しかし、話をする為だけに友を付ける様な娘では……)


 リュクロイは逡巡し、扉に手を欠けた状態の執事を呼び止める。清潔に整えられた髭面の執事は、すました表情で「なんなりと」と胸に手を当てながら頷いた。


「やはり話を聞こうと思う。だが、そうだな……妻も一緒にだ」


 老獪にして主の心情をよく知る腹心は、にこりと笑って了解の意を述べた。


 ◆◇◆◇


 リュクロイとハナは別の応接室へと移動した。先ほどまでの応接室には、使用人達をそのままにしている。ハナ曰く一時間半程度は寝続けるとのことだったが、人に聞かれて構わない話、ではないため別室で、らしい。


 道すがら使用人たちと会う機会が一人しか無かったのは幸か不幸か。その使用人にはクイーンを呼ぶようにと命じた。


「どうぞ」


 あくまでもてなす側であるリュクロイは、応接室の扉を開いてハナを室内へと招き入れる。二人だけの室内で、それぞれ向き合う様にソファに座り、無言で向き合った。

 数分の間を置き、リュクロイが沈黙を破る。


「理由は話せないとのことですが、それは何故でしょうか?」

「……クイーンさんも一緒でなければ、意味がありませんので」

「先に教えていただきたいのだが?」

「もう遅いようです」


 よく耳を澄ませば、二人組の足音が聞こえる。内心舌打ちをしながら、足音が部屋の前に来るのをリュクロイは待つ。


「御当主様、お嬢様が参りました」

「通しなさい」


 侍女が扉を開け、その後入って来たのは着物を身に纏った、水色の髪を持つ少女。リュクロイは青みがかってこそいるものの、れっきとした黒髪の分類。彼女のような明るい髪色は、そもそも吸血鬼としてあり得ない髪色である。


「お父様、クイーンが参りました。……それと、そちらの方は……」

「まずはここにでも座りなさい。それと、すまないが君は部屋の外へ」

「かしこまりました」


 クイーン就きの侍女と言えど雇い主はリュクロイだ。どことなく抵抗感を出しつつも、何も言わずに廊下へ、そして離れた場所へ歩いて行く。

 そして肝心のクイーンは、どこか不安そうな表情を隠しきれぬまま、リュクロイの隣のソファに腰を降ろした。


「クイーン、こちらの方はハナ様。私達家族に要件があるらしい」

「どうもこんにちは」

「こ、こんにちは……」


 緊張と怯えた様子で、おずおずと返事を返すクイーン。そんな機微を察知してか、ハナはゆっくりと頷き、状況把握をするための時間を作る。とはいえ、使用人たちが目覚めるまでの時間しか無いため、たくさんの時間は取れない。


「詳しい自己紹介よりも前に、用件だけ伝えましょうか」

「そうですね。出来れば、そのように」


 ハナはなんとなしに目を瞑って数秒。そして眠りからさめたかのように瞼を開いて、厳かな口調で告げる。


「クイーン。貴女の正体は〝花の騎士”です。歴史的事物に詳しい貴女なら知っているでしょう。黒花獣を討ち、この大和を救う者。十年後、貴女は仲間となるヒトビトと共に旅をしながら戦いに身を投じることになる」

「クイーンが花の騎士だと! ふざけるんじゃあない!」

「リュクロイ・マルクス・ヴァルキュリアッ! 冗談で片付く話だと思うか!!」


 リュクロイの反発を、ハナは怒鳴るように叱責する。彼女の怒声には妙な迫力があり、あたかも何か怒りの権化かのような存在が、その身に降りているようであった。

 リュクロイはおろかクイーンまでその迫力に気圧され、泣くどころか放心状態になっている。


「……こほん。十年です。貴女には銃器を扱う天才的なまでの才能がある。十年後まで、貴女の武器である〝知識”と共に〝銃器”の腕を磨きなさい」


 ◆◇◆◇


「父上、母上。……その、実は「ゼルシエ、俺が言う」……アリサ……」


 言い辛そうにしているゼルレイシエルに、リュクロイはなんなのだと眉をひそめる。どうしても印象が悪く、煮え切らない態度が苛立つらしい。

 その横では、なぜかゼルレイシエルの母が、両手を合わせて嬉しそうに笑っていた。


「リュクロイさん……いえ、〝義父上ちちうえ”と〝義母上ははうえ”」

「あ、アリサ!?」

「あ”??」


 アリサの言葉を聞き、自分の耳がおかしくなったかと、リュクロイは貴族らしからぬ低い声をあげる。

 一方ゼルレイシエルはひどく恥ずかしそうに顔を真っ赤にした。


「……わたくし、アリサ・ルシュエールは。お二人の娘であるゼルレイシエル・Q・ヴァルキュリアさんと、お付き合いをさせていただいております」

「……」


 リュクロイは無言で懐に手を入れ、そのまま固まる。その表情を見れば、始祖吸血鬼にでも先祖がえりしたかのような恐ろしい表情である。


「……彼女には何も言っておりませんが、私は、結婚したいと思っております」

「アリサ!!!?!?」「あらあら!」


 母娘が揃って声をあげた。

 アリサは冗談を言っているような様子にも見えず、本気で言っているようだ。そもそも、ここぞという場面で取り繕えるほど、アリサは器用な男ではない。


 なおも無言のリュクロイは、懐から何かを取り出す。それは小瓶に入った、紅い液体。それを取り出した夫の手を、妻は慌てて押さえる。

 流石に妻の手を払いのけるほど冷静さを欠いてはいないようだが、手が離れた瞬間、アリサ以外の室内にいるヒトビトが恐れる展開になりかねない。


「死ね」

「父上!!?」「貴方!?」

「貴様に娘を守れるものか!!」


 背部に生えた翼を最大限まで広げ、握力に任せて握られた拳によって、ガラス製の小瓶が、バリンと音を立てて割れた。

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