畏怖嫌厭・上
更新遅れて申し訳ありませんでした…!
現在リアルの多忙とともに少しスランプ気味でして……しばらく更新が遅くなったりするかもしれませんがご了承ください……
銀牙は月を裂いて生まれた。
月の仔であり、月の死を見送る者。
太陽の下では純白の風を纏い。
月の下では純銀の輝きを纏う。
銀牙は星々を導かん。
暗黒と明光をその身に映す者。
土塊に裂傷を孕ませ。
草花に試練を宛がう。
銀牙が大地を母と仰ぐ。
其は海を看視ながら眠る者。
恵みなる岩石を祝福し。
糧たる血を祈り収める。
銀牙は貨産みの炉を祝福する者。
其はよろずの金の音を楽しむ者。
地から出づる虹の瞬きを知る者。
乾きの中で命の在りかを示す者。
荒れ野の木に美しさを見出す者。
銀牙は純然たる獣である。
悠遠の時と須臾の時を飲む者。
大牙は月に吠える。
大爪は地に微睡む。
銀の獣の唄より。
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クイーンにとって夜とは馴染みのないものだ。
種族の特徴として成長期の頃は睡眠時間が短くとも、身体に影響は少ないようで。吸血鬼を研究したという、とある本によると。脂質が少ない血だけでも活動できるよう、非常にエネルギー効率の良い進化を遂げたらしかった。
とはいえ現代の吸血鬼は、遠い先祖のように血だけの超偏食ではなく、肉や野菜も食べる健康的な食生活だ。必要な栄養素も十分に取れるためか、上記の体質も相まって睡眠時間が短くとも支障をきたさないのだという。それでも激しい運動を行えばヒト並みの睡眠が必要になったりするが、三度の運動より本が好きなクイーンには縁のない話であった。
「夜にお客人が来る。出会ったら挨拶をするんだぞ」
「はい父上」
吸血鬼にとって“夜”というのは日付が変わる時間帯の事を指す。夜明け前に就寝し、正午前に起床するのだ。商人の家庭でもあるためヒトと日中会うために、我が家だけ上記のような生活サイクルになっている可能性はあるが、(家族と使用人以外の)他の吸血鬼と会った事などないため知らぬ存ぜぬである。
しかし子供の吸血鬼の生活はほぼ人間の子供と変わらない。寝る時間が深夜で、睡眠時間が多少短いだけだ。夜に寝て朝に起きる生活。大人の吸血鬼の生活習慣にはそれほど詳しくなかったりする。
「今日はどんな本を読んだの?」
「人狐族と狐人族についての本。この前の十尾天狐様の物語から、どんな種族なんだろうと気になったから」
「疑問を解消するために自分から調べるのは良いことだ」
昼食はご飯に卵でとじた鳥肉の入った丼ご飯と、汁物漬物アンドモア。よーするに親子丼であるが、なんだかんだで上品な味である。悪く言えば物足りないが、そんなものなのだろう。おそらく、たぶん。
高級料理は美味いのだが、たまにリクエストして作ってもらうジャンク(?)的な食べ物は、子ども舌ながらどことなくいまいちな気がしていた。口には出さないが。
なおのちに黒髪の少年然とした男に、まんまと胃袋を握られることになる。心は銀髪のおと(後略)。
どこから目線でクイーンを褒めるリュクロイ。顔はほぼ真顔に近いが、よく見ると口角が少しだけ上がっているのがわかった。
「“狐鼠鹿理”と呼ばれるだけあって行法に適性が高い」
「尾が多いほど五行への得意だとあったわ」
「基本的にそうだな。四尾までは成長と共に生えると言われているが、五尾以上は才能と運の世界とも言われる」
「生まれだけで……」
クイーンは一言そう言って、口を噤んだ。リュクロイが口を拭いながら、空いたもう一つの手で口元に人差し指をあてていた。タブーであると悟り、別の話題を探す。
「そういえば先ほどの、お客人とはどのような方なのですか?」
「うむ……」
リュクロイは神妙そうな顔つきで、コップに注がれていた径口補水液を飲む。どこか居住まいを正すような雰囲気を感じ取り、母親とクイーンは思わず食事の手を止めた。
「それがまったくわからんのだ」
「えぇ……」
「あなたったらもう」
クイーンが困惑の声をあげ、母親が両手の指の腹で机を軽く叩きながら、少々拗ねたように声をあげる。貴族として夫の仕事に立ち会うのが常な妻としては、事前に相手の事は知っておきたいところなのだ。
例えば香水などは、種族によっては体調不良を及ぼすような匂いや成分などもある。そうなれば風呂に入って匂いを落とす必要などもあり、使用人たちに指示を出すのも遅れたりする。普段はふわふわとしているが、大貴族の妻として仕事をこなす“つよい”女であった。
リュクロイは使用人達を一時的に部屋の外へ出させ、少し声をひそめる様にしながら唸る。
「本当にまだわからないの?」
「情報を集めてはいたが何も掴めなかった。……」
「どうしたの?」
「……いまのところ勘だが、中央政府……もしくは、“神獣院”が直接情報の秘匿を行っているような」
「神獣院……!」
クイーンは瞠目した。
中央神獣院と呼ばれる、大和の統治組織。メンバーこそ有名であるが、会議の内容などは秘匿されている。現代でも神秘に満ちた存在であり、人の知的好奇心を刺激するのだ。
それはともかくとして、訪れる客人の話である。
「十尾天狐様からのご紹介ではないの?」
「お伺いを立てたが、十尾天狐様とは関係が無いらしい。別口……しかし、あとの方とはコネが無いからな……」
「ヤタ様は?」
「とんでもない。あの御方とは書簡での繋がりだけだ」
十英雄を祖に持つヴァルキュリア家は、【流厳なる湖沼河】を統治する神獣である十尾天狐と個人的なコネクションがあった。それこそ敬語ではあるものの、ある程度のことまでなら気兼ねなくうかがえる程度には。流石に立場のためか機密情報までは語られないが。
「……アヤ様とコネが欲しい所だ……どうすれば会えるのか見当もつかんが……」
「それなら「こうしちゃおれん。どうにかアポイントを取りつけるために行動をせねば」……」
クイーンが口を開いたところでリュクロイが立ち上がり、顔を上げたかと思えば俯いて深い思考へと入り込み始める。クイーンは怪訝な顔になり、二人を交互に見た母親が「あらあら」と言った。クイーンの服についていたご飯粒を取ってやり、頬を撫でると立ち上がる。
リュクロイの体を押すようにして食卓の前から動かす。いくらか経って意識が浮上してきたリュクロイが自分の脚で歩きはじめると、母親は振り向いて「ゆっくり食べなさい」とクイーンに笑いかけながら食堂を後にした。
「……ご飯食べるの早いなぁ……」
当主と夫人と入れ替わりで入って来た自身専属の使用人たちを見ながら、鶏肉とご飯を口に運ぶクイーンであった。
☆
午後八時ごろ。日はもう沈んだ時刻だ。
クイーンはいつもの使用人を連れて廊下を歩いていた。これから夕食ということで、てこてこ歩いて食堂へ向かっている最中だ。今日の夕食のメインは山菜と魚の天ぷらだそうである。
「天ぷら……美味しいですよねー」
「私はなんでも……匂いのきついものは苦手だし……ウドとか」
「魚は好きじゃないですか?」
「白身魚の天ぷらはね」
使用人と何気なく会話を交わしながら、食堂へ行くための廊下に繋がる玄関ホールへと脚を踏み入れた。
ガチャっと玄関手すりが動いた。クイーンは途端に背筋を正し、使用人もクイーンの後ろへと一歩下がって玄関の方へ体を向ける。
(……使用人は裏口からだし……、夕方に来客は無かったはずだけれど……)
玄関の扉から見えたのは扉をあける我が家の使用人と、浮世離れした雰囲気を持つ全身が真っ白な女。白を下地とした花のような模様の染物がされた着物を身に纏っている。
「ようこそ、よく当家へいらっしゃいました」
「夜分遅くに申し訳ございません。神獣院からの紹介で伺いました」
クイーンは内心苦しげに思いながら、失礼の無いようにと挨拶を行った。女性が見せた証書には、なるほどたしかに神獣院の印が描かれている。
(なんでこんな早い時間に……もしや吸血鬼の風習を知らない……?)
もし知らないのならばなんと失礼なのだろうと思いつつ、どうするべきかと逡巡する。一刻も早くこの場から離れたいと感じていた。
「違っていたら申し訳ありません。もしや貴女は……クイーンさんでしょうか」
「えっ……」
「あぁその……違っていたならごめんなさい」
突如名前を呼ばれて体を硬直させるクイーン。使用人も何気なく片手を後ろに回した。
(なんで、まだ社交界にも出てない私の名前を知っているの……? この人は……誰……?)
何もかも恐ろしく感じる名前も知らぬ女性に、クイーンは密かに背筋を凍らせるばかりであった。




