戦いの後の表と裏・(裏)
寝殿造りの建物がある。
“羅刹劫宮”のような書院造とは異なり、貴族の住む屋敷の形の一つとして設計されており、御簾や几帳などで外からの視線を防いでいる。
建物の外周が壁で覆われているわけではないため、冬でも風がひゅうひゅうと建物の中を駆け巡り、寒さに震えることになるだろう。北部のクニともなれば、寒さというのは更に厳しさを増すもの。比較的一年を通して温暖な南部地域だからこそ可能な造りであり、故にこそ、この造りの建物こそがステータスとなりうるのだ。
「はっきゅしゅん!」
中央大陸における伝統的な造りの建物に似合わない、白を基調としたセーラー服のような服を纏った男が、寒さに震えながら縁側に座っていた。普段被っている軍帽のような帽子を脇に置き、現れ出た耳をピクピクと動かす。
自身の臀部に生えている尻尾を羽織るかのように手前に丸め、上半身をすっぽりと、九本の尻尾でくるむ。下半身までは覆い切れないので仕方がないというものだが、先ほどよりはマシと言う反応で、少し腑抜けた表情になった。
帽子を置いたのとは反対となる右脇、そこに置かれたカップを持ち上げて、一口。
芳醇な香りと独特な苦みが口内に広がり、男は気が抜けたように吐息を漏らした。
「平和だ……」
その男。“白尾練狐”という二つ名を持つ、萩風という名の青年はしみじみと呟く。激務に追われる日々を思い返し、勝利の美珈琲に浸る。
「やかましい」
そんな彼の頭を容赦なく叩く。分厚いファイルでもって叩かれ、萩風はゆっくり珈琲を自身の脇に戻しながら空いた手で頭を抱える。
「少しは手伝え萩風」
「うるさいなぁ裏羽……それボクの仕事じゃないし……」
背後から聞こえる剣呑な声に、痛みで涙目になりながら答える。気配を消して近づくなんて卑怯だと内心非難しつつ、振り向いて恨みがましそうに相手を見上げた。
「うわ……裏羽また濃いクマ作ってんじゃん……ちゃんと寝てんの?」
「仕事と仕事と仕事と仕事だ。休む暇などあるものか」
忌々しそうに語りつつも、その表情は微妙に恍惚としたようなところがあり、萩風はドン引きしつつも友人への忠告として語る。
「萌華が心配してたぞー? また倒れたらどうしたら良いの……なんてすんごい悲しそうな顔で」
「ホントか……?」
「ホントホント」
実に疑わしそうな目で萩風を睨む裏羽。黒を基調とした文官束帯に身を包む、全身が真っ黒な九尾の人狐。生活習慣が悪いのか尻尾が荒れに荒れており、猜疑心に満ちた目も合わせるととんでもない悪人のようにすら見える。
しかし、仲間の事を信じないわけでもないのか、はたまた別の思いがあってか。裏羽は目をしぱしぱと瞬かせながら溜息をついた。
「そうか……休むべきか……」
「ってゆーのは、うっそ♪」
「木行金行」
「うおっ!?」
萩風へと刃物が振り下ろされる。尻尾を切り落とされかけた萩風は、すんでのところで庭に転がり出ることで回避し、バクバクと鳴る心臓を押さえながら裏羽に抗議の声をあげた。
「なんだよお茶目な冗談だろ! ほんとに尻尾が切れてたらどうするつもりだったんだ!」
「八尾ということでこき使うつもりだが? そこに直れ、今日こそ成敗してやる」
憎しみに満ちた瞳で、刀に変身させた両腕を構える裏羽。言葉もガチだが表情もマジで、萩風はやりすぎたかと「ひぇ~」と声を漏らす。そんな反応が非常にウザく感じ、裏羽は地面に足袋のまま地面へと降りたちつつ、両手の刀を擦り合わせてジャリン! という恐ろしげな音を鳴らした。
「ちょっタンマ! ここで刃傷沙汰なんかおかしたらヤバいッって!」
「元はと言えばお前がヒトを煽る性格でなければ起きないことだ……」
「それはそうですけどねー!?」
じわじわと寄ってくる裏羽に対し、後ずさりで距離を取りながら宥めようとする。のだが、煽りスキルはあっても不得手らしく、一向に脚が止まる気配は無い。
「木行金行!」
慌てて両手を盾のような形に変え、体の前で構える萩風。次の瞬間、裏羽が「火行」と呟いたと思えば、目の前に肉薄して両手の刀を盾にぶつけていた。
「た、助けて!!」
「そうか……」
「無関心そうに言いながら、淡々と切りかかってくんの止めてくれる!?」
悲鳴に近い抗議をあげながら、なんとも器用に裏羽の剣技を捌いていく萩風。声のトーンのわりには安定して捌いているように見えるが、裏羽から漏れ出る殺気だとか首を狙って来る攻撃によって戦々恐々としているようだ。
金属同士がぶつかる甲高い音が幾度か鳴り、その音を聞いて屋敷中から人狐族が何事かと集まってくる。
「また統狐様と練狐様が喧嘩なさってるのか……」
「飽きないなぁ……」
「誰か陽狐様呼んで来い」
傍観しながら口ぐちに二人の喧嘩(というか殺し合い)について語り、下働きのような輩に何やら使いを頼んでいる始末である。見れば全員八本ないし七本や六本の尾を持つ高位の人狐族で、皆一様に束帯を身に纏っていた。文官用と武官用の違いはあるが。
どうやら反応を見る限り日常茶飯事のようで、ほとんどの人物が呆れたように見ていた。
酒呑童子らをはじめとした鬼達であれば盛り上がって賭けなどが始まりもするが、彼らにはそんな様子も見られず、雅というか風雅とも言える。
「はっ!」
「これは……」
何やら建物の南部方面に居た人狐達がその場であったり、廊下の端に寄って土下座のように頭を下げ始め、彼らの間を何者かが通って行く。
「だいたいなんなのだその恰好は。ここに来るなら正装をしろ。ふざけているのか」
「“天狐”様から許可貰ってるし、うるさいよ! それダサいし重たいから嫌いなんだよ!」
「束帯の歴史から懇切丁寧に教えなければならないようだな?」
裏羽は「木行」と語って尻尾の姿を妙な形に変えていく。
「そこまでやるのは流石に駄目だろ!? 睡眠不足でまともに頭働いて無いじゃん!!」
「お前をここでしばけば安心して寝られるな」
「目がヤバい!」
「殺したかっただけで本当に殺すつもりはなかった」
「アウトだよ!!!」
先ほどまでの掛け合いでは萩風はボケのようであったが、変に興奮してしまっているのか、今は裏羽がボケと化していた。などと言うのは簡単であるが、萩風はどうしたものかと割と絶体絶命の状態であった。
「とん」
萩風の目が驚愕に見開かれる。次の瞬間、すぐに頭を垂れ、“気を失って倒れてくる”裏羽を受け止めた。
「お前達は相も変わらず仲が良いことだな」
「はっ……もうしわけございません! “十尾天狐”様!」
震えるような声で萩風が答えた。
「黒尾統狐とくれば寝ろと言っても働き続け。挙句にまた騒ぎを起こす」
「……恐縮ながら、我ら“二十七夜”は、十尾天狐様に忠誠を捧げ。命を賭してお仕えしているが結果の、出来事であります。どうか、黒尾統狐に寛大な恩赦を」
友人の体を地面に寝かせ、地面に頭をつけるように土下座をしながら乞い願う。
「良い。わかっている」
萩風を見下ろす人物が、鷹揚に頷いた。
「だが、忠誠が行き過ぎて己を蔑ろにするのは戴けぬ、と言っているのだ。白尾練狐のように……までとは言わんが、力を抜くことを覚えろと言わねばならないな」
「……はい、その……サボってしまい、申し訳ありません……」
バツが悪そうに謝る萩風に対し、当の人物は呵呵大笑する。
「そういえば」
一通り笑い終えたらしいかの人物は、左の手の平を右手の握りこぶしでポンと叩いた。
「“花の騎士”達についての報告書を読んだぞ。やれ、蒼尾天狐には申し訳ないことをしたものだが……しかし“良い報告”であった。吉報じゃな」
「それはなによりで」
喜色に満ちた声をうかがい、萩風は笑みをこぼす。
「やはり?」
「あぁ」
萩風の問いに、“十本の尾を持つ人狐”は答えた。
「“あの者”を懲らしめる事が出来ようさ」
“【流厳なる湖沼河】を統治する神獣”は、妖しげに笑った。
◆◇◆◇
「さて幽霊のボス倒しちゃったし、どうしたもんかなー。やることなくなっちゃったよ」
暗い空間でカタカタと音が鳴る。空間に一か所だけ四角く明かりが灯っており、その明かりは暗い緑を基調とした光であった。暗緑色、緑色、黄緑色、それに茶色も垣間見え、森のようにも見える。
「意味わかんないんだけどー。よくこんな無茶なレイドで勝てたなぁ……」
何者かが発する音と、光の発生源から生じる音以外は完全なる静寂。彼女がいなければ、静かすぎて耳が痛くなるなどの現象も起きるであろう程。
「魔法使い《ウィザード》のレベルも上がったし……《武士》サムライも《狙撃主》スナイパーも上がって……」
妙に深刻に悩んでいるような声音が響く。
「軽剣士、槍術使い、狂戦士、鍛冶師、機械人、拳闘士……」
そこは大空間の端。仄暗き場所の一角。
「あとテイマーかぁ。あんまり手ぇつけてなかったな……」
再びカタカタと音が鳴る。
「どこでレべリングすべきだろうか?」
緑の画面から、白を基調とした画面へと移る。
「…………」
ふと機械から発せられる音以外が止まった。
「あぁ、また知り合いが“愛の試練”に陥るのか。セレネ? 恋の多い子だな……」
そう一人ごちて、再びカタカタと音を鳴らし始めた。
これにて一応、二章完結となります。まとめ回となる九花教室を挟みまして三章開始となりますのでよろしくお願いいたします。
三章は今回の前編(表)で示したように彼らの話となる予定です。




