第2話
10月も後半に差し掛かって肌寒くなり、街では厚着に身を包む人が大半である。
幸運にも予報によれば今日1日は快晴であり、丁度良い具合の涼しさは打ってつけのデート日和と言えるだろう。
「おっそい澤凪先輩!」
「ごめん。遅れた」
「もう、女子を待たすなんてあり得ない!」
広々とした遊園地の改札口前広場。カーディガンを羽織ったツインテールの少女に一頭分背が高い端正な顔立ちの青年が上目遣いで叱られているのはいささかシュールな光景である。事前に連絡があったものの、澤凪が電車を1本逃して待ち合わせ時間より10分程度遅れたのだ。
「先輩に残された時間も少ないのに! 分かってます?」
「分かってる。……分かってるから遅れたんだ。ごめん」
深刻な雰囲気でそう言われて凛は言葉に詰まる。澤凪の立場に立てば自分が今ここに居ること自体が異常であり、内心未だに困惑が解けないであろうことも理解が出来てしまう。
そしてそんな立場に彼を置いてるのは他でも無い、今日この日警察への出頭を止めてまでデートに誘った自分自身である。
「……とにかく。警察も馬鹿じゃないんですから。先輩の人生は後少しで終わりなんです」
凛は無理矢理会話を押し通す。
ずけずけとそう言われても澤凪は動じない。自分が一番よく分かってるからだ。事実警察は未だに犯人を捜索中であり、ここに来るまでの間にも複数人見かけている。
「娑婆に居られるほんの短い間でも私が楽しい思い出、一緒に作ってあげますから。臭いご飯の口直しで持って行ってくださいよ」
「あっ」
凛は澤凪の腕をぐいっと引き、改札口へと走る。
何だかとても胸が高揚している。罪悪感と幸福感が、同じ脈拍で胸を叩いている。
自分だけが知ってる澤凪先輩の罪。自分だけが知ってる世間を騒がす事件の犯人。自分だけが与えられる束の間の喜び。
誰もが知りたがっている重大な秘密を自分だけが抱えてしまった優越感が、倫理や常識を逸脱して快楽物質を脳から止めどなく溢れ出させる。
抗い難い興奮の奔流に身を委ね、思わずスキップしそうになる。思わずここに犯人がいると叫びそうになる。
ありとあらゆる衝動を押し殺す。
心の何処かが甘く痺れている。今の私は—— 惑星の公転運動の中心にさえいるのだ。
「宮村、もし僕が見つかったら君まで——」
「そういうの考えっこなしです! お世話になった先輩へ、可愛い後輩から最後のお礼ですよ」
凛は澤凪の不安を掻き消すような満面の笑みを浮かべてそう言った。
* * *
「先輩、カメラ目線お願いしまーす」
「ちょ、宮村。あんまりくっ付くのは……」
「いいじゃないですかぁ」
2人でメリーゴーランドに乗りながら、凛は澤凪の背中にくっ付き肩に顎を乗せる。目の前には画面を表にした凛のスマホがあり、2人の顔が認証されるとボタンを押して写真を撮った。
「きゃああああああっ!」
2人でジェットコースターに乗っている。機体が頂上から一気に降りて、空気抵抗で髪が全部後ろに伸ばされる。
「久々に乗ったけどたのしー!」
横に座る澤凪が無反応なことについて、凛は特に気にしてる様子は無い。
「うっひゃああああああっ!?」
お化け屋敷の中。貞子みたいな見た目のお化けが突然横から襲って来る。
凛は驚き過ぎて澤凪にしがみついた。
「……」
「……」
「……どうも」
「あ、はい……」
澤凪は特に驚かず、そればかりかお化けと会釈すらしてしまった。
「ぷっ!」
「宮村?」
そのやり取りがおかしくて、凛は思わず吹き出してしまう。
「だって先輩……今お化けと……くくくっ……」
2人はそのままお化け屋敷の出口まで歩く。
「お会計960円になります」
「じゃあ1000円から——」
「あっ、ちょちょちょちょ!」
「えっ?」
休憩がてらに寄ったソフトクリーム店。当たり前みたいに自分が全額払おうとした澤凪を凛は制止する。
「わ、割り勘でお願いします! 480円、今丁度ありますから!」
きょとんとする澤凪の両目を、強い意志を湛えた眼差しで凛はじっと見ている。口ではなく目で言葉を伝えている。
「分かった」
「ほっ……」
凛は何故か強大な危機を回避したような気分になる。
奢られるのが当たり前の女と思われるのは嫌なのだ。前日に後押しやアドバイスをしてくれたAIに心の中で感謝した。
* * *
「もっと寄って、寄って」
「ん」
ベンチに座って2人でそれぞれにソフトクリームを持ち、顔を寄せてスマホの画面に収める。そのまま写真を撮影したら、凛は宝物を忍ばせるようにしてスマホをポケットに戻した。
「それじゃ、いただきまーす」
凛は真っ白なソフトの一番上にぱくりとかぶり付く。とろりとした芳醇なクリームの甘い味が口の中に広がるが……
「んっ……!?」
右のこめかみから頭頂付近に至るまで、締め付けるような痛みが突然凛を襲い始める。
「くぅぅぅっ!」
キーンと来たのだ。
凛はその場で悶える。ソフトを持ってない方の手で頭を抱え座ったままの状態で足をばたつかせた。
「ははっ」
「うぅ……。先輩、今笑いました?」
「宮村は賑やかだなって。楽しそうで良かった」
無表情のまま凛に連れ回されていた澤凪が、凛の様子を見て今初めて微笑んだ。
「む……それは私が先輩に聞くことですよ? 楽しいですか? 澤凪先輩」
澤凪は少し黙る。視線の先にはアイスクリームがある。自分が甘味という目先の快楽に身を委ねていいのが悩んでいる風にも映る。
「うん、楽しいよ」
凛の方を向き、再び澤凪は静かに微笑む。
「良かった」
凛はそう言って笑顔を返す。
凛は知っている。嬉しい時や楽しい時、澤凪が微笑であっても素直に笑顔を見せてくれるということを。
2人はそのまま黙ってそれぞれにソフトを食べ始める。
気まずさは無い。凛が喋りたい時に喋り、澤凪が静かに耳を傾ける。普段と変わらない空間がそこにあるだけだった。
「先輩」
クリームがコーンの表面で平らになるのと同時に凛が口を開いた。
「どうして、殺っちゃったんですか?」
澤凪はまだ2cm程コーンに盛られているソフトを食べるのを止める。
「カッとなったからだよ」
視線を合わせずにそう答えた。
「なんですか、それって……」
凛の中に失望が宿る。別に劇的な理由を求めてた訳では無いが、澤凪がこの期に及んではぐらかしているとしか思えなかった。
「本当にそんな理由で殺したんですか。あの澤凪先輩が。全然結び付きません」
凛は敢えて追求する。
今更じゃん。教えてくれたっていいじゃん。
「……母さんがいつの間にか別の男を見つけて再婚してたんだ」
「え——」
「僕だけが不幸になるのは許せなかったんだよ」
相も変わらず視線を合わせずに澤凪はそう答えた。
家族連れや恋人同士。複数人の同性による学生メンバーなど、何も知らない人間達が休日遊園地の浮かれた雰囲気に身を委ねて目の前を通り過ぎて行く。
「ふーん。そうなんですか」
コーンに齧り付きながら凛は無関心そうにそう答える。だが、内心では胸が躍っていた。
つまる所、これが本物のサイコパスというやつだろうか。自称サイコパスとかの寒い属性じゃない、普段は平常なふりをしていて社会に違和感無く溶け込むという本物のサイコパスである。
親の再婚。いつもバイトで一緒にいる澤凪先輩は、たったそれだけの理由で他人を殺してしまうヤバい人なのだ。
嗚呼—— 私凄い。
私、今、サイコパスとデートしてるんだ。
スリルから来るゾクゾクとした性的快楽にも似た感情が、全身を血流のように駆け巡るのを感じる。
「なら、尚更楽しいことをいっぱいしなきゃですね」
コーンを食べ終え、凛は望み通りの物を手に入れたような満足げな顔で澤凪に言葉を掛ける。
「今でも警察が嗅ぎ回ってるし、楽しいことするなら今の内——」
そこまで言うと、澤凪の右目からつぅ、と一筋の涙が溢れ落ちた。
「先輩!?」
「あれっ……」
澤凪は自分でも驚いているようだった。
「あれっ……何で……うっ……」
拭っても拭っても、澤凪の両目からは涙が止めどなく溢れる。
「どうして……くそっ……」
ソフトがべちゃりと地面に落ちる。
自分でも制御出来ない何かが溢れ出したかのように、澤凪はその場で嗚咽を始める。
だがその姿を見て凛は困惑することも無くそっと立ち上がり、澤凪の目の前に立つ。
「大丈夫です、澤凪先輩」
泣きじゃくる澤凪など見たことがない。何故泣いたのかもよく分からない。だが凛は決して澤凪に対して拒絶の意思を持たなかった。
この人はサイコパスなのかもしれない。平気で人を殺せてしまう危ない人なのかもしれない。
だけど凛は知っている。イケメンで、寡黙で、生真面目で、何だかんだ面倒見が良くて頼り甲斐があって、淡白だけど優しくて……迷子のように独りぼっちの澤凪先輩の姿を。
人の心などその全てを他人が知る術は無い。幾つかの断片らしきものが外側から見えるだけと言っていい。
だが、外側から見える断片だけであってもその全てを抱き締めてあげることは出来る。
今、それが出来るのは私だけなのだ。
「私だけは全部、受け止めてあげますから」
そう言って、凛は澤凪をそっと抱き締める。
凛の心の奥深く。
海底に沈められた宝箱のような秘めた何かが、ガチャリと音を立てて開いた。
その音が聞こえた凛は、心なしか澤凪をより強い力で抱き締めていた。




