弾丸の石段 伊香保の一年階段
七月某日。私は以前から行きたいと考えていた伊香保温泉に急遽行く事を決意した。どうしてもその日に行く必要……といえば大げさだが、行きたい理由があった。
伊香保といえば温泉であるし、石段が有名である。石段の両脇に並んだお店を横目に頂上にある伊香保神社を目指す。どうも江戸のころにはすでに石段の両脇に長屋が並んでいたようで、お店こそ現代に適応しているがスタイルのはその趣が影を潜めている。
そして注目すべきは石段の段数である。この段数にこそ私が七月の温泉街に急行した理由を見出すことができる。
頂上までの段数365段。
この数字を見れば思い出すものがあるだろう。
そう、一年の日数である。閏年に関しては考慮しないものとする。どうもこれは2010年に増設をしたものらしい。意外と365段の歴史は新しい観光用のものらしい。
なにはともあれ、この情報を知った私は是非に誕生日に合わせて訪れたいと思い実行した。
幸いご近所の駅から直通の高速バスが通っていたので、バスに身を任せ連れて行かれるがまま行くことができた。
例のごとく伊香保温泉という目的地と宿を抑え、あとは実地で観光スポットを設定することとした。厳密にいえばもう一か所、以前から行きたいところがあったのでそこも目的地に据えていた。
まあ、一泊二日の旅程のうちいずれで行くかは当日決めたのだが……。
当日、現地に着いたのは11時頃だった。天候は晴れ。気温は30度を超えるくらいだった。暑かった。
初感、意外と石段が短いように感じた。もっと正確に表現するなら、一目見てさほどの高さを感じなかった。365段というのがどれほどの勾配かわからず、しかしながら奥行きを感じなかったため、頂上もすぐそこだろうと感じていた。
さて、ちょっくら登りますかと足を踏み込む。最初の数段は横幅が広く数人が並んでも窮屈しないほどだったが、徐々に狭まっていく。
石段には要所要所に段数の記載があり、ホームページなどを参考にすると自身の誕生日が何段目位に相当するかを確認することができる。
左右のお店にはかき氷屋や酒屋、土産屋などが当たり前だが観光地然として並んでいた。
そして私が驚いたことに、射的屋が相当数あるのだ。祭りに現れる露天ではなく、しっかりと居を構えているのだ。
道中には温泉もあり、さすが温泉街ということを示された。
一度一息で登り切ってしまおうと考えた私は、周囲の店を確認しつつも入ることはなく黙々と昇り続けた。
しかし、徐々に足の稼働速度が落ちいく。熱波と人の熱気、有酸素運動。全身をしきりに流れる汗。
なんとか目の前の階段に食らいつきながら登ること十分ほどであろうか、最後の関門が見えてきた。
最後の数十段だけ少し陸続きののちに現れる。鳥居は二つ見え、手前の鳥居左手には手水屋がある。
残っていた力を振り絞って頂上を目指すと、悲報が舞い込んできた。
なんと、御朱印を購入できるのは土日祝だけらしく、折り悪く私は平日に行ったため買うことはできなかった。
こればかりは仕方がないと、残り半分ほどの階段を駆け上がる。
365段の階段を昇りつめた、終着点に鎮座するは質朴とした青銅色の屋根を戴く伊香保神社である。この飾り気のなさこそ神社のあるべき姿だと、私は勝手に思い込んでいる。日々の生活にとけこむその姿、そして圧倒的な雰囲気で語りかけてくるその姿にこそ魅力を感じている。
一通り参拝を終えたのち、次の目的地を考える。この伊香保神社のおく、しばらく行くと露天風呂があるようだった。しかし、現在時刻は11時を少し回ったころ。この後も様々回ることを考え、汗を流す意味合いで入りたいことと、現状の気温も相まって、また夕方に行く事にした。
せっかく上ってきたが滞在もほどほどに下に戻ることにした。理由としてはとにかく暑く、恥ずかしながら空調の聞いた場所に退避したいというのが主だ。
すっと振り返ると上ってきた階段に郷愁を感じる。頂上から見下ろすと、程よい距離間のところに鳥居があり、登り路を覆うように大樹が生り陰陽を仕切っている。
下段するにも絶え間なく汗が噴き出していく。道中ビールや缶チューハイを販売するお店もあり、かなりそそられたがまだ見て回りたいところがあるので控えた。正直飲みたかった。
さて、ある程度下ると左側の道を少し行くとハワイ王国公使別邸というのがあった。ハワイがまだ独立国だった時の公使が夏に使用していた別荘だそうで、木造のしかし公使別邸というにはこじんまりとした建物を見学することができる。
夏の別荘だということで、昔はここも涼しかっただろうことがうかがえる。
実際邸宅に上がれるのだが、風通しもよく現代でも比較的涼しさを感じた。木造ということも一役買っているのかもしれない。
二階から望む景色も緑が多く、精神保養によさそうだ。しかしこの別邸だが、二階への階段が恐ろしいほどに急だった(笑)。
私もこのような家に住みたいとしみじみ感じた。
ハワイ公使別邸を後にし、さらに坂を下ると徳富蘆花記念文学館がある。涼みがてら見学することにした。
正直私は文学には疎く、大学受験で必要な部分しか覚えていない。さすがに徳富蘆花の名前は知っているし代表作に『不如帰』があることは存じている。
この記念館では蘆花の生涯と伊香保とのかかわりを知ることができる。
私が行った期間は浮世絵の特別展が開催されていた。私はどちらかというとこちらのほうに興味をそそられた。
芸術に関しても文学と同様、さほど知識があるわけでもない。ただ、クイズ企画をおこなっており全問正解者には浮世絵をくれるということだったので挑戦した。
ここでは『大錦木曾街道六十九次』や『伊香保八景』というのを展示していた。私は『大錦木曾街道六十九次』を中心に見ていた。理由としては単純に目についたからだ。
この『大錦木曾街道六十九次』だが、かの有名な歌川広重と渓斎英泉という二名によって描かれている。説明を見るまですべて同一人物によって描かれているとは思っていなかった。素人目には二人の絵の差異はあまりわからなかった。
とはいえ、浮世絵として当時の世相を現代も感じ取れることには感慨深さを覚え、これが当時手ごろに購入できたことは非常に評価すべき点だと思う。(当館のクイズによれば現代価値の100円で買えたらしい。百均で浮世絵が買える時代だ)
徳富蘆花記念館とは言いつつ浮世絵のコーナーに最もいたかもしれない。私としてはもっと浮世絵を知りたいと思うきっかけになり、いい経験だった。
また、この記念館と併設する形で蘆花記念会館がある。この記念会館は蘆花が定宿としていた旅館の離れを移築・復元したものだそうで、蘆花の終焉の地らしい。
中に入ると当時の生活様式を垣間見ることができる。
お手洗いも立ち寄ることができた。説明が付されていたわけではないのであくまで私の推察だが、木製の小便器もあった。造形は現代のと大差ない。個室に関しては想像していた通り様式の汲み取り式(だと思われる)の穴を掘っているタイプのだ。
台所もあった。しかしここはかなり質素なもので台が二つあるだけだった。片方は食材を切ったり、混ぜたりと作業場だろう。もう一方には木槽が置かれていた。現代のシンクにあたる部分だと思われる。
全てが木製のためおそらくコンロなどは別の場所にあるのだろう。
ふろ場も見ることができた。きっと温泉街の風呂だからいい湯だったろう。晩年の蘆花も病に侵されながらも医師の付き添いの元入浴していたという。
いつの時代も温泉というのは人の心のよりどころになるのだろう。
帰り際に水墨画展で開催されていたクイズの景品をもらって記念館をあとにした。景品は参加賞として記念館特製のしおりと全問正解者に与えられる伊香保の全体像を描いた水墨画をもらった。
さて気が付けば時刻は1時を回っていた。どこかで昼食を取りたいと思い、ちょうどいい場所をさがすことにした。
しかし私はお恥ずかしながら、一人で飲食店に入ることを躊躇してしまう質である。行きなれたおみせであれば問題ないが、はじめ他の場所だと注文の仕方や席の付き方が分からず気まずくなるのが嫌で入れないことがおおい。
そのせいで今回も場所選びに時間がかかってしまった。なんやかんや30分ぐらいに悩み続け暑さとずっと歩きっぱなしによる疲れから、近くのよさげなお店に、意を決してはいることにした。
昼食は「ぴのん」という宿の料亭である「夢味亭」という場所にした。
いざ入ってみれば、とてもお洒落な雰囲気でTシャツにジーパン、ポルカ(hololive所属のVTuber)のトートバッグを傍らに携えた私は完全に場違いだった気がする。
しかし折角席を用意してもらった手前、引き返すわけにもいかず大人しく注文することにした。
私はパスタランチを注文した。パスタセットはその日(あるいは週か月か)によって変わるらしく、私が行ったにはボンゴレロッソだった。味は申し分なく美味しく、量も満足いくほどだった。セットということでサラダと冷コーンスープ、季節のデザート(この日は桃のシャーベットだった)コーヒーとフルセットだった。
服装こそ不安要素もりもりだったが、限りなく隙のない所作でカバーできていたと思う。
おなかを満たしたときには時刻は2時過ぎ。ホテルのチェックインが3時である。いまからどこか行くには少し中途半端な感がある。早めにホテルに行っても構わんだろうということで、向かうことにした。
移動手段が基本徒歩しかないため、各スポットの移動時間は短めである。「ぴのん」から今回宿泊するホテルも10分ほどの距離にある。
いくらなんでも早すぎると思い、いったん近くの小さな広場に行く事にした。そこにはチンチン電車の展示を行っていた。
そういう通称の路面電車である。それ以上は何も言うまい。
上面はクリーム色、下面は焦げ茶色のツートンカラーの電車である。鈴カステラみたいな色合いを想像してもらえれば分かると思う。
私が行った時は車内に立ち入ることは出来なかったが、どうやら毎月第3日曜日の10時30分から15時30分までの間は入れるようだ。
しばらく電車を眺めてからホテルへと向かうことにした。予定より30分ほど早い到着となった。残念ながら部屋にすぐにはいることは出来なかったが、ホテルの涼しいエントランスで待つことができたので良かった。
部屋は私一人に対して12畳くらいあったと思う。とても広い和室を予約した。私が予約した時は訳あり(備え付けのトイレなし)で格安となっていたが、実際に入ってみると普通にトイレが付いていた。ラッキー。
さてと、椅子に腰を落ち着かせ自販機で買ってきた缶コーヒーを飲む。
これからの予定を考えながら、しばらくゆっくりすることにした。
冒頭にも書いた通り、今回の旅の目的である二柱のうちひとつが榛名神社というところである。
この伊香保の石段からはバスを乗り継ぎたどり着く場所であり、このバスがなかなか本数が少ないと来た。
さすがに15時を回ったいま、行くことは困難であり明日の朝から向かうことにした。
ということでこの日の夕刻の予定としては、午前中に見つけていた露天風呂へ向かい、帰りがけに夕飯を食べることにした。
また、365段の階段を登るのか足が重く感じた(いや、実際にかなり疲れていた)が温泉のためと張り切って足を持ち上げる。
石段の頂上にある伊香保神社から左手に隠されたように道がある。
舗装はされているものの自然に囲まれており、趣を感じるいい雰囲気だ。
時刻は16時半頃でだいぶ日が落ちていた。まだ明るさは残っているが、気温が少しばかり下がりセミとひぐらしが交互に鳴いている。
また、ある地点を通り過ぎてから急激に気温が下がったように感じた。
歩いていて丁度気持ちよい心地良さを感じた。
幾ばくか歩いていくと、露天風呂の少し手前に飲泉があった。
私は飲泉が好きである。完全に興味本位の方で。というのも味に関しては正直あまり得意ではないのだが、どうしても飲みたくなってしまうのだ。
さてさて、伊香保のお湯は如何なものかなと飲んでみたところ……。
驚くほど鉄臭かった。というとあまり良くないかもしれないが、実際鉄臭かった(笑)。
私の口には合わず飲み込むことが出来なかった。
これもいい経験である。
飲泉を堪能?したところでいよいよ本命の露天風呂に到着した。
露天風呂のつくりはかなり簡素だった。心ばかりのパーテーションがロッカーの前に立っているだけで、入浴者と着替えている人が同じ空間にいる状態だった。だからって何があるわけでもないが。
洗い場もシャワーもな蛇口が付いていて掛け湯ができる程度のものだ。
この簡素さがまた趣深くてよい。お湯は二つあり、少し熱めの湯とぬるめのお湯が出ていた。
私はのんびりとぬるま湯のほうに浸かった。17時にもなると気温は多少落ち、露天風呂に入るにうってつけの環境が整っていた。あまつさえひぐらしが鳴いている。風流だ。
言葉では表しきれない雅を身をもって体感した。これが秋口であればもしかしたら紅葉するのかもしれない。
湯冷めしない程度に露天風呂を堪能した。お湯の効能かしばらく体が熱を保っていた。しばらく休憩所で涼んでから温泉を後にした。帰り際、道半ばに赤井アーチ状の橋が架かっていた。河鹿橋というらしい。紅葉の群生の中にかかった橋は、秋になれば赤みがかった空を渡る懸け橋となるのだろう。
温泉からの帰り際に夕食を食べて帰ることにした。今回は『浮雲』というお店にした。ここでは地元の野菜や地鶏を提供しており、旅行にぴったりの居酒屋だった。私は鶏軟骨の空揚げやキュウリの漬物(正しい料理名は忘れてしまった)を頂いた。とてもおいしかった。特に〆に頼んだモツラーメン。これが舌を唸らせるほど絶品であった。一般的なラーメン屋と比べて遜色なくこだわりを感じる。ラーメンだけでも食べに行きたいくらい私は気に入った。
ホテルに戻ったころには19時頃であった。推しの配信を見ながら今日はのんびりと過ごすことにした。ホテルには予約が必要になるがカラオケルームや雀卓も用意されていた。一人でなければ麻雀やりたかったが、さすがに借りる勇気はなかった。
いいころ合いになってからホテルの屋上露天風呂に向かった。ちょうど石段が見られる(暗いので本当に石段だったかは定かではないが)。夜景を見ながら浸かるお風呂は、浴槽が広々しており足を限界まで伸ばせることも相まってとても気持ちよかった。
こうして私の伊香保一日目は終わった。




