98 届かない声
「ひどい……誰がやったの……」
遺体は白布に覆われていた。しかし、滲む血の痕は、それを隠すことを許さなかった。もし、跡形もなく損壊していたなら、ここまで胸を締めつけられることはなかったかもしれない。
だが——
そこにあるのは、紛れもなくクリスの顔だった。その口元は刃で無惨にも裂かれ、頬の端まで深い傷が走っている。腕は力なく停尸台から垂れ下がり、そこにあるはずの親指はなかった。
十指連心——その痛みを訴えることすら許されず、彼は沈黙の中で命を落としたのだ。
「俺も……」知らないと言いたいが、クラウスは拳を強く握りしめ、その言葉を飲み込んだ。しかし、凛音はすべてを見透かしたように、はっきりと言い放つ。
「知らないとは言わないでください。」
これほどの冤罪が起こっているなら、王室が黒でないはずがない。
「六月飛雪のような悲劇を、あなたは許せるの?」
「ったく、お前と話すと頭が痛え!」
蒼霖国王宮。
「マジで、お前ら本当に来る必要あったか?」
クラウスは振り返りながら、ジョーク混じりにため息をついた。
「一人は白瀾国の元皇帝、もう一人は雪華国の元王女……俺、自分で爆弾抱え込んでる気がするんだけど?」
「お前が今さらそんなこと言う?とっくに爆心地に立ってるだろ?」
蓮はさらりと皮肉を返す。
「クリスの死を無駄にするな。」
凛音の低い声が響いた。
同時に、重々しい王宮の扉がゆっくりと開かれる——
父上と会うのは、何年ぶりだ?
……いや、そもそも、まともに顔を合わせたことがあっただろうか。
乳母は言っていた。「お前は母上にそっくりだから、父上はお前を見るのが辛いのだ」と。
でも、母上がどんな顔をしていたのか、俺は知らない。
「父上、話があります。」
目の前の男——短く刈られた髪、華やかな衣を纏いながらも、その瞳は虚ろで、椅子に沈み込むように座っている。
まるで俺の声など、初めから存在しないかのように。
「父上、辺境の民は無惨にも皆殺しにされ、クリスは命を賭してなお、ここへ辿り着いた。それを誰が陥れ、そして、なぜ非道にも葬ったのですか?」
「父上、クリスは惨殺されました。どうか、彼の無念を晴らしてください!」
「父上!」
……ああ、もう、限界だ。
この国の王。
こんな人間が、王だというのなら——
俺がこの国の王子でなければ、どれほど気楽でいられたか。
その時——扉が荒々しく押し開けられた。
軍服に身を包んだ男が、大股で堂々と歩み寄る。威圧的な気配が、部屋の空気を一変させた。
クラウスの目が、一瞬だけわずかに疲れと諦めの色を滲ませる。
「クラウス、お前は兄上に何の用だ?彼は体調がすぐれない。静かに休ませてやれ。」
「ただ、父上の様子を見に来ただけさ。」
「クラウスよ、何か話があるなら、叔父であるこの私に言えばいい。」
クラウスは拳を握りしめ、一歩前に出る。
「デイモン叔父上……クリスが死んだ。」
一瞬、室内の空気が張り詰めた。
だが、デイモンは微塵も動じることなく、肩をすくめながら淡々と告げる。
「人は誰しも、いつか死ぬものだ。それもまた、意味のある死だったのではないか?」
その瞬間、凛音の呼吸が止まる。
拳を強く握りしめ、彼女の指先は白くなっていた。
「意味のある死、ですって……?」
低く絞り出した声には、クラウスの怒りが滲んでいた。
だが、デイモンはまるで何でもないことのように続ける。
「そうだ。彼は国のために尽くし、その使命を全うした。それ以上、何を望む?まさか、国家の決定に口を挟むつもりか?」
「……!」
クラウスは奥歯を噛み締めた。
「クリスは罪人ではなかった。彼は真実を明らかにしようとしていた。それなのに、何者かに陥れられ、残忍に葬られた……!」
「ならば、その『何者か』を探し出し、どうするつもりだ?」
デイモンの声には嘲笑の色が滲む。
「まさか、裁きを望むとでも?誰に?この国の王にか?それとも——」
彼はわずかに視線を動かし、虚ろな皇帝を見やる。
「……そんなもの、存在しない。」
クラウスは息を呑んだ。
デイモンの言葉が、あまりにあっさりと、何の迷いもなく発せられたことに、戦慄を覚えた。
「……お前は、王族の一員として分を弁えるべきだ、クラウス。」
「余計な詮索はするな。」
「クリスの死は、国家の決定だ。」
「——お前の出る幕ではない。」
クラウスの指先が震えた。
「……しかし……!」
「はい、もういい。」
デイモンは言葉を遮るように、手を振った。
「私は兄上と大事な話がある。お前は下がれ。」
それは、最初から「お前に発言権はない」と決めつけるような口調だった。
クラウスの胸の奥に、怒りとも悔しさともつかない、熱く苦しい感情が込み上げる。
この場で何を言っても無駄だ——
だが、それでも。
「……父上。」
クラウスは最後の望みをかけ、皇帝を振り返った。
「……父上は、本当にそれでいいのですか?」
短髪の男は、椅子に深く沈み込んだまま、動かない。
彼の口が、わずかに動いた気がした。
——しかし、それが言葉となることはなかった。
静寂が降りる。
デイモンは、まるでそれが当然であるかのように、微笑を浮かべた。
「行け、クラウス。」
王宮の扉が、重々しく閉ざされた。
このまま引き下がるわけにはいかない。
父上の側近なら、何か知っているはずだ。
クラウスはすぐに王宮内で最も信頼されていた大臣のもとへ向かった。
しかし、彼の執務室はもぬけの殻だった。
「……何が、あった?」
焦燥感を抱きながら、大臣の侍従に問いただす。
だが、彼は怯えたように目を伏せ、ただ一言だけ絞り出した。
「本日未明、急な体調不良で……」
「嘘だ。」
クラウスは吐き捨てるように言った。
たった数日前まで元気だった男が、急死?
しかも、王宮にいる誰もが、それを当然のように受け入れている。
そうだ、デイモンがこの国の中枢をすべて握っている。
反抗の余地は、一切残されていなかった。
「俺の声は……誰にも届かないのか?」
その頃、凛音と蓮は王宮の外へと足早に歩いていた。
ここは長居するべき場所ではない。
しかし、裏門のそばを通りかかった時、不穏な囁きを耳にする。
「クラウス様も気の毒ですね……まだ、自分が何者なのかわかっていないなんて。」
凛音と蓮は、無意識のうちに足を止めた。
「……何の話?」
振り返ると、兵士たちはすぐに口を噤み、そそくさと去っていく。
だが、その一言だけは、確かに二人の耳に残った。
——クラウスは、自分が何者なのかわかっていない?
何かがおかしい。
それは、クリスの死と同じくらい、この国の根幹に関わる秘密のはずだ。




