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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第九章:飛雪は六月に非ず、沈みし冤ついに天光に
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97 最後の言葉

私の名前はクリス。

文武両道とは言えないが、それでも私なりの誇りがある。

本を読むのなら、誰よりも読んできた。民を思う気持ちなら、誰にも負けない。

そういう人間がいるだろう。己が為すべき務めを誇りとし——


私は蒼霖国の辺境の地で官を務めていた。

そこには山があり、湖があり、そして海がある。

日の出とともに、私はよく家を出た。

港に並ぶ漁船、満面の笑みで水揚げをする漁師たち——それを見るのが好きだった。

日の入りとともに、私はよく家に帰った。

門の前にある菓子屋の老婦人が、今日も売れ残ったパンを並べているのを眺めながら、

「今日はどんな味が残っている?」と尋ねるのが日課だった。

道すがらにある小さなラーメン屋——

たった一つの味しかないのに、なぜか食べずにはいられなかった。

この土地のすべてが、私の呼吸の一部となっていた。それが、まるで故郷のように。


——だが、ある日。


まるで夕陽が燃え広がるように、私が愛したすべてが焼き尽くされた。

鮮血が街を赤く染め、いつもの景色が一瞬で奪われた。

私は、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


私は——


私は、納得することができなかった。

何の罪もない民が、理不尽に命を落とすことを。

愛する故郷が、無に帰すことを。


わかっている。

クラウス王子が、私の代わりに将校を討ち取ったことも。

凛音様が、「亡くなった者は心に生き続けるのだ」と諭してくれたことも。


それでも、私はこの過去に背を向けることができない。

そうだ、私は、どうしても納得できない。

この重みを、ただ胸に抱えたまま生きることなどできない。


せめて——

せめて、この国の王に、その無能を知らしめねばならない。

せめて、亡き民の無念を晴らし、同じ悲劇が繰り返されぬようにしなければならない。


だから、私は筆を執った。

幾度となく上訴を続けた。

数え切れぬほどの手紙を書き、各地の官吏に届けた。

一人でもいい、この声を聞いてくれる者がいるはずだと信じて——


だが、誰一人として応じなかった。

誰もが私を拒み、誰もが私を遠ざけた。


降りしきる白雪の中、私はただ待ち続けた。

私の足跡が雪に埋もれるように、私の声もまた、誰にも届くことなく消えていった。


それでも、私は諦めなかった。

クラウス王子にも、凛音様にも告げることなく、私は皇都へ向かった。

ついに——この国の王と対面するために。


そこで見たものは、私が信じ、仕えてきた王の姿。

王座にだらりと腰を落とし、私の訴えを聞くどころか、うんざりしたような顔をしている。


……これが、私の仕えてきた王なのか?


その瞬間、私の心の中に重く鈍い石が落ちた。

何も感じることができなかった。ただ、冷え切るような絶望があった。


だが、それでも——私は諦めなかった。


その石を拾い、背負い、私は何度も宮殿の門を叩いた。

王が変わることを信じ、何度も声を届けようとした。

彼はいつもそこにいた。

最初は無表情だったが、次第に厄介そうに顔を歪めるようになった。


彼は、いつもそこにいた。

だが、一度たりとも、私に答えることはなかった。


私は何度も問いかけた。叫び、訴え、それでも——無駄だった。


——またある日。

突然、兵士たちが宿へ押し入ってきた。

「貴様、謀反の罪で逮捕する!」


何を言っている?私はただ上訴しただけだ。


続いたのは、昼夜の区別もない拷問だった。

そう、昔から「尋問」と「拷問」はセットだというが——

私には、拷問しか与えられなかった。


彼らは、私が何を言おうと聞く耳を持たなかった。

いや、初めから私が言葉を発することすら望んでいなかったのだ。


鞭が何度も振り下ろされ、痛むのは身体ではなく心だ。

汚水が何度も浴びせられ、流れ落ちるのは涙ではなく情だ。


——私は、一体何のために、この国に忠誠を誓ったのか?


「さっさとこの供述書に署名しろ!」

「……いやだ、私は何もしていない……」


唇が裂け、血が滴る。


「印を押せ!」


指先が、切り落とされた。


「愚か者め、なぜ王家に逆らおうとする?」


腱が、切られた。

手も、足も——動かない。


——私は、あと何ができる?

妻、息子、パンをくれたお婆さん、海へ漁に出た少年たち。

……迎えに、来てくれるか?


——私は、あと何ができる?


なぜ正義は、民を照らさない?


私は、自らの舌を——噛み切った。


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