96 再誕の白、滅びの紅
「浮遊、出てもらえませんか?」
「どうしたな。」
天際から悠遠な龍吟が響き渡る。次の瞬間、銀白の光が舞い降り、秘園の中心に降り立った。浮遊は蓮池を一瞥し、その澄んだ瞳にわずかに陰りを落とした。
「……これは、随分と穢れた花だな。」
「そうですね。」
凛音は迷うことなく池の縁へ歩み寄り、血蓮を一つ、また一つと摘み取っていく。
「だが、浄化できるかしら?」
「浄化?そんな必要ねえよ。血にまみれ、もはや呪いの花だ。」
「でも、昔、浮遊が言ったんじゃない?雪蓮は元々、浮遊の力の根源。そして、元々は雪華国の花だ。」
凛音は顔を上げ、まっすぐに浮遊を見つめる。
「私の国は滅びて、もう多くの信徒を捧げることはできない。信仰があれば、あなたはもっと強くなれるのに……それすら叶えてあげられない。」
浮遊は言葉を失った。その現実は、彼自身が最も痛感していることだった。
もし自分がもっと強ければ——林夫人は死なずに済んだかもしれない。
「浮遊がもっと強くなれば……もう、前みたいに長い眠りにつかなくて済むの?」
「凛音……」
浮遊は、彼女が自分の力不足を責めるのではないかと、どこかで恐れていた。
——だが、違う。
それは凛音じゃない。彼女は、いつだって前を向いている。
「私は、浮遊に白虎や朱雀のように、誇り高く空を舞う力を取り戻してほしい。」
凛音は、雪蓮をそっと握りしめながら微笑んだ。
「もしこの雪蓮に、ほんの僅かでも、あなたの力を取り戻す可能性があるのなら……私は、そのために全力を尽くしたい。」
「浮遊は、私の家族だから。」
凛音がそう呟いた瞬間、手の中の血蓮がかすかに脈打つように光を帯びた。まるで意志を持つかのように、淡い輝きを放ちながら震え、彼女の手からふわりと宙へと浮かび上がる。
赤黒かった花弁は、ゆっくりと色を変えていく。深紅から薄紅へ、そして純白へ——まるで穢れが祓われていくかのように。
その光はますます強くなり、雪のような煌めきを纏った瞬間、花はひとりでに跳ねるように弾け、一直線に浮遊のもとへと飛び込んだ。
そして、そのまま彼の身体に吸い込まれるように消えていった。
「ああ……希望だ。」
長年、失われていた心の欠片——そう、それは、希望だった。
「浮遊?」
突如として、空中に浮かぶ青龍が眩い光を放った。その輝きは夜空を貫き、辺り一面を照らし出す。闇に沈み、血の匂いに満ちていた蓮池も、今や清らかな光に包まれ、穢れの影さえも洗い流されていくようだった。
その頃。
「ちっ。」朱雀は小さく舌打ちをし、何の前触れもなく蓮の頭を小突くように啄んだ。まるで不機嫌そうに見えたが、その嘴と瞳にはどこか愉快そうな色が滲んでいた。
「いきなり何をする!」
「さっさと行けよ!青龍のやつ、力が戻ったんだ!」
蓮は驚きつつも、すぐに態勢を立て直し、シアンの屋敷で見つけた書類を素早くまとめた。急がねばならない。蓮は凛音のもとへ向かい、足をさらに速めた。
「凛凛!大丈夫ですか?」
「大丈夫に決まってるだろう。わしがついてるんだからな。」
浮遊は空から舞い降りると、その巨大な姿をすっと縮め、いつものように凛音のそばに寄り添う小さな龍の姿へと戻った。
「うん、ありがとう、浮遊。」
凛音が微笑むと、突然、朱雀がふんっと鼻を鳴らした。
「ちっ、力が戻ったけど、信徒はたったの二人だけかね!」
「なんだと?!」浮遊が思わず抗議の声を上げる。
「いいえ、私も浮遊を信じますよ。」
蓮はくすりと笑いながら、軽やかにそう言った。
「なんだと?!」今度は朱雀が声を荒げた。
一瞬の沈黙の後、凛音と蓮は顔を見合わせ、くすりと笑う。浮遊はむっとした表情を浮かべながらも、どこか誇らしげに尾を揺らした。
「……帰ろうか。」
それは、誇り高き神であり、共に戦う仲間でもある。
天を翔けるはずの龍が、傍らに寄り添う小さな龍であることを選んだ。
長明堂。
蓮は短く息を吐き、手に持った書簡を広げた。
「思った以上に、大事なものを見つけたよ。」
そこに記されていた内容は、これまでの疑問を全て繋げるものだった。
白瀾国の辺境で続く不穏な動き、蒼霖国の辺境で繰り返された屠殺、そして、賤民営における非人道的な弓矢練習——すべてが、雪蓮のためだった。
癒しの雪蓮。死を司る血蓮。
この二つの力を手にしようとする者が、国家規模で計画を動かしていた。
これほどの規模の計画、一人で動かせるものではない。
軍、貴族、商人……複数の勢力が関与しているのは明白だった。
「これは、最終的にどこへ繋がる?」
凛音が低く呟く。
「私の推測が正しければ、これを動かせるのは限られた者だけだ。」
蓮は手の中の書簡を見下ろしながら、言葉を紡ぐ。
そして、証拠が指し示すのは——現皇帝の弟、デイモン。
「……ここからが、本当の戦いだな。」
その時——扉が乱暴に開かれた。
振り返ると、クラウスが息を切らしながら飛び込んできた。
「クラウス?どうしたの、そんなに急いで?ちょうどよかったわ、聞きたいことがあるの。」
しかし、彼の表情を見た瞬間、凛音は言葉を飲み込んだ。
蒼白な顔、荒い息。
「お前……落ち着いて聞け……」
クラウスは一度息を整え、強張った声で告げた。
「——クリスが、死んだ。」




