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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第七章:潜みし龍、今は待つ時
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89 断罪の刃

「私が……もっと強く抗えていたら……!」

クリスは仰天し、涙が次々と溢れ、地面に滴り落ちる。


「もういい。」

それまで黙っていたクラウスが、ゆっくりと口を開いた。

いつもの飄々とした態度は消え、拳を固く握りしめると、低く静かな声で言い放つ。

「私は、このままでは済ませない。」


凛音は誰にも気づかれぬよう、そっと涙を拭い去ると、まっすぐクリスとクラウスを見据え、力強く言い放った。

「——この件、私に任せてください。」


「……なぜだ?」

クラウスが訝しげに眉をひそめる。


「望月公会が私に課した入会の条件は——辺境に潜む『排除すべき者』を葬ることだから。」


翌日。

クラウスは、王子視察の名の下に、辺境の全軍を招集した。同時に、役者の住民たち もまた、この場へと集められていた。

朝の光はまだ薄暗く、広場は静まり返っていた。将校は直立不動で冷然と佇み、兵士たちは整然と列をなし、役者たちは何が始まるのかと警戒しながら様子を窺っている。


クラウスは高台に立ち、ゆったりと視線を巡らせる。口元には含みのある微笑を浮かべながら。

「私の耳にも届いているぞ。辺境の将校は数多の戦場を駆け抜け、武勇に秀でた名将だと。」

彼は気だるげな口調で言い、軽く肩をすくめた。

「折よく、最近、新たに一人の護衛を得た。口はきけぬが、多少の腕は立つ。どうだ、将校?その腕前、試させてもらおうか。」


言葉が広場に響いた瞬間、一陣の風が吹き抜ける。それと同時に、人々の間から一つの影が静かに前へと進み出た。

フードを目深に被り、短く整えられた髪の下から冷ややかな視線を覗かせる剣士——凛音。


彼女はただ頭を垂れ、無駄な動作なく長剣を構える。その立ち姿はまるで、風に揺るがぬ孤高の鋼。


将校は嘲笑を浮かべ、目に嘲弄の色を滲ませると、無造作に腰の佩刀を抜いた。


刃が陽光を反射し、鋭く煌めく。

そして、刹那——

「——ッ!」

金属音が広場に響き渡る。


次の瞬間——将校の佩刀は宙を舞い、地面に落ちた。


凛音はほんの軽く剣を振っただけだった。それだけで、彼の武器は奪われた。

人々の視線が、一斉に地面に転がる佩刀へと集まる。将校の顔が、微かに歪んだ。


クラウスは笑みとも嘲りともつかぬ表情で将校を見つめ、ふと片手を上げた。

それに応じるように、傍らの侍従がすぐさま歩み寄り、古の銘が刻まれた一振りの剣 を捧げ持った。

クラウスはそれを受け取ると、まるで取るに足らぬ物のように軽く投げる。

剣は空中を弧を描いて舞い、将校の足元の地面に深々と突き刺さった。


「この剣は、わざわざ神殿より取り寄せたものだ。」

クラウスは気怠げな調子で言いながら、将校に向けて顎をしゃくる。

「さあ、引き抜いてみろ。」


将校は眉をひそめ、一瞬、クラウスと剣を見比べた。

しばし逡巡した後、腰を屈め、剣の柄をしっかりと握ると、一気に引き抜こうと力を込める——


剣は、微動だにしなかった。


「……ふむ。」クラウスは目を細め、わずかに唇をつり上げる。「おかしいな。聞いた話ではな——この剣は、真に蒼霖国を守る者だけが容易く引き抜けるそうだ。」

その声音には、どこか愉悦を含んだ皮肉が滲む。

「将校、お前は辺境を守る忠臣だったな? 我が国を支える勇将だろう?ならば……そんな造作もないこと、できて当然だよな?」


将校の額に、じわりと冷や汗が滲む。彼は歯を食いしばり、再び柄を握り直すと、全身の力を込めて引き抜こうとする。

だが——剣はなおもびくともしない。


広場に集う兵士や民衆が、顔を見合わせながらひそひそと囁き始める。

奇妙な沈黙とざわめきが交錯し、場の空気はひときわ張り詰めたものへと変わる。


そんな中、クラウスは悠然と歩みを進め、ゆっくりと将校の隣に立った。

両手を後ろに組み、わずかに首を傾げながら、彼を見下ろす。


「お前の手は、蒼霖国の民の血で汚れている!だからこそ——お前には、この剣は決して抜けないのだ!」


その言葉が落ちた瞬間、広場のざわめきが消えた。

将校の瞳が、大きく見開かれた。


次の瞬間——


「ガキン!」

凛音は何のためらいもなく、一振りの普通の佩剣を放り投げた。

剣は地面を転がり、何度か回転した後、将校の目の前で止まった。


クラウスは微かに唇の端を吊り上げたが、その目にはもはや笑みの影はなかった。

そこにあるのは、ただ底冷えするほどの冷酷な光。

「畜生め、せいぜい逃げてみせろよ。」


将校は反射的に顔を上げ、その瞳に一瞬の凶光を宿らせた。

佩剣を強く握りしめると、咆哮と共に凛音へと斬りかかる——!


しかし、ほんの数手で——


「キィン——!」

凛音の剣が将校を退け、その手首を打ち据える。剣は手を離れ、無力に地面へと落ちた。

次の瞬間、彼女は一切の容赦なく将校を地面に押し倒し、膝で背を押さえつけた。

将校は歯を食いしばり、顔を真っ赤にして必死に身をよじるが、凛音の力はまるで鋼鉄の枷。微動だにできない。


クラウスは歩み寄り、足元に這いつくばる将校を見下ろす。その声には、一片の温情もなかった。


「お前は、一つの街を丸ごと殺した。命令を下した時、奴らに覚悟を決める時間を与えたか?」

彼はゆっくりと手を上げ、一振りする。

凛音の刃が無慈悲に振り下ろされる。


「ギャァァァァァ!!」

将校の右腕が地面に転がる。鮮血が冷たい石畳を赤黒く染めていく。

彼は痛みに身を震わせ、悲鳴を上げながらのたうち回るが、すでに反撃する力すら残されていなかった。


「命乞いする民を目の前にして、お前は見逃してやったか?」

クラウスは冷然と問いながら一歩踏み出す。

再び、凛音の剣が振り下ろされる。

刃は正確に、将校の脚の腱を断ち切った。


将校は激痛に震えながら、声にならぬ呻きを漏らす。もはや、彼の顔からは傲慢さも憤怒も消え失せ、ただ圧倒的な恐怖だけがその瞳の奥で揺れていた。


クラウスは静かに目を伏せ、氷のように冷たい声で囁く。

「お前は剣を振りかざし、私の国の民を殺した。五歳の子供すら容赦なく。その時、お前は今日という日を想像したことがあったか?」

そう言い残し、クラウスは背を向ける。


将校の体は恐怖に震え、声すら出ない。


次の瞬間——


ズブリ——ッ

凛音の剣が、将校の胸に深く突き刺さる。

温かい鮮血が刃を伝い、静かに流れ落ちる。


将校の口が何かを言おうと震えるが、言葉は紡がれることなく、

その瞳から、ゆっくりと光が消えていく。


そして、すべてが終わった。

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