87 霖月と望月
「クラウス殿下、賤民営の子供たちは皆、辺境から送られてきた者です。」
「……うん、知ってる。」
クラウスは、短髪で帽子を被った「おし」と話していた。
「辺境は王都から遠く、密売や略奪が横行しやすい。それに、発覚しにくく、統制も難しい。」
「……うん、知ってる。」
数日共に過ごした中で、クラウスが表向きの軽薄な印象とは異なることを、凛音はすでに理解していた。もはや「なぜ放っておくのか」と問う必要さえ感じなかった。
——それにしても、なぜ私の知る王子たちは、みんな軽薄な仮面を被っているのかしら?
「雪華国の穆尚書——つまり、白瀾国の慕侯爵は、私が殺した。かつて蒼霖国の誰かと密かに取引し、白瀾国の辺境に毒を流していた。」
「……うん、知ってる。」
最初の「知ってる」は、紛れもなく本心だった。
しかし、最後の「知ってる」には、半分の嘘が混じっていた。
この雪華国の王女は、こうもあっさりと自分の手を汚したことを明かすのか。まぁ、彼女の腕前ならさもありなん、といったところか。——そういえば。
「蒼霖国には、殺手公会がある。お前、そこに潜り込んでみないか?」
「……は?」凛音は驚愕の表情を浮かべた。国家公認の殺し屋組織など、あり得るのか?クラウスは、彼女の疑念を見透かしたように、ゆるりと続ける。
「いや、公認ってわけじゃない。ただ、わざわざ潰す必要もない組織だ。やることは単純明快——汚職官僚やどうしようもない悪党だけを殺し、不義の富を奪い、必要な者へと分け与える。なぁ、殺し屋の元王女さまには、案外お似合いなんじゃないか?」
「……それで、どうやって加入するの?」
「お前を賤民営に放り込んだのは、誰だった?」
夜、霖月商会。
凛音は音もなく廊下の影を滑るように進んでいた。その足取りはまるで一陣の微風。霖月商会には仄かに香が漂い、蝋燭の炎は静かに揺れている。
彼女は奥の部屋へと辿り着くと、整然と並べられた文書を素早く目で追った。一方の手でページを捲り、もう一方の手は警戒を緩めることなく周囲の気配を探る。
次の瞬間、微かな足音を捉えた。
扉が静かに開かれ、ルナがゆるりとした足取りで室内へと踏み込む。鋭い視線を巡らせ、一瞬にして異変を察知した。
机上の書類。その配置が、ほんの僅か——わずか一センチ、ずれている。
指先がぴたりと止まり、眉がわずかに寄せられる。
……誰かが触れた。
ルナは即座に後方へと一歩引いた。罠があるかもしれない。
だが、その警戒は無駄だった。凛音はすでに行動を起こしていた。
ルナが室内に足を踏み入れるや否や、凛音は机上の水晶製の蘸水筆をそっと拾い上げていた。その細い筆先が鋭く喉元に押し当てられる。微かな圧が肌に触れ、ひんやりとした刃のような冷たさが伝わる。
しかし、凛音はすっと筆を離し、静かに前へ出る。そして、何事もなかったかのように、拳を軽く握り、礼をとった。
「約束通り、会員証を受け取りに来ました。」
「林のお嬢様、お待ちしておりました。」
——やはり、私の素性を知っているのか。だが、どこまで把握しているのかは、まだ分からない。
「ルナ様、あなたが助けたい相手が誰なのかは分かりません。ですが、少なくとも、無慈悲な悪党ではないのでしょう?」凛音は静かに手を差し出した。
「明日、クラウス殿下が教養院の設立を発表します。生活に困り、軽罪を犯した子供たちを保護し、適切な教育を施すために。そして、霖月商会との協力のもとで進められる予定です。彼らの生活は大きく改善されるでしょうし、霖月商会にとっても、相応の利益になるはずです。」
ルナの指がわずかに止まる。次の瞬間、唇の端に愉快そうな微笑を浮かべた。
「ふふ……なるほどね。あなたなら、この一手をどう使うのか、興味が湧くわ。」
ルナは優雅に袖に手を入れ、一枚の金色の令牌を取り出した。
指先で軽く回すと、燭光を受けた金の表面がちらりと輝く。
そして、それを凛音の掌の上にすっと置いた。
「——あなたの会員証よ。大切に使いなさい。」
「もう一つ、ルナ様にお願いがあります。——望月公会に加入したいのです。」
ルナは、凛音からそんな言葉が出るとは思ってもみなかった。
それどころか、たった十数日でここまで動き、ここまで情報を掴んでいることにも驚かされた。
ルナはゆっくりと扇を開き、目を細める。
「望月公会に入るということは、その手を紅に染める覚悟がいるわよ?」
「風に散れども、咲くを選びし花に悔いなし——私は喜んで殺します。」
翌日。
「クラウス殿下、辺境へ向かいます。」
「はぁ?面倒事は御免だって、何度言わせる気だ?」
そう言いつつも、結局は新参の策士に強引に馬車へ押し込まれた。しかも、ためらう間もなく馬は走り出し、目的地へと疾走する。
「……なぜ、そんなに急ぐ?」
「望月公会が提示した条件は、辺境と関わっている。だから、自分の目で確かめる必要があるのです。そして——あなたも、見ておくべきでしょう。」
「報告はすでに受け取っている。例の孤児たちのことだろう?」
「今の私は、あくまで『口のきけぬ護衛』。余計な会話は控えてください。」
そうぴしゃりと言い放ち、凛音は馬車の帷を閉じた。クラウスは深々とため息をつくと、ぼそりと呟いた。
「ったく……ろくでもない策士を拾っちまったな。」
凛音の脳裏にあった蒼霖国の辺境とは、白瀾国の辺境と同じはずだった。貧民は毒に蝕まれ、村々は焼き払われ、荒廃した大地が広がっている——そんな光景を想像していた。だが、現実はあまりにも異なっていた。
陽光は燦々と降り注ぎ、澄んだ風が街を吹き抜ける。道行く人々は穏やかな笑みを浮かべ、商人たちは威勢のいい声で客を呼び、広場では子供たちが無邪気に駆け回っている。まるで、この地が戦火とは無縁の楽園であるかのように——
馬車から降りたクラウスは、腕を組みながら辺りを見回した。
「……なんだ、何もないじゃないか。」
「ええ。」
だが、凛音の視線は街の隅々へと向かっていた。
整いすぎた景色、賑やかすぎる街並み——
「……本当に、何もないのでしょうか?」
「霖月商会」と「望月公会」——表と裏、それぞれ異なる役割を持ちながらも、どこか対を成す存在。
「霖月」は、降り続く雨のように財や影響力を広げ、人々を潤す商会。交易を通じて各国の経済を動かし、権力者たちとも深く結びつく。しかし、その静かな輝きの奥には、見えぬ策謀と狡猾な計算が潜んでいる。
望月は、夜の闇の中で密かに動き、完全なる仕事と覚悟を秘めた公会。影の月が見下ろすように、裏社会の秩序を監視し、必要に応じて裁きを下す。国家すら手を出せぬその存在は、汚職官僚や悪党を始末しながら、不義の富を奪い、必要な者へと分け与える。
異なる道を歩みながらも、同じ理を求める者たち。
物語の中で、彼らがどのように絡み合い、どのような未来へと至るのか——
楽しんでいただければ幸いです。




