86 長明に誓う
毎月、霖月商会はアミーリアに各地から集めた奇珍異宝を献上する。今月も例外ではなかった。
「アミーリア様、今月は天鏡国より極上の猫目石を仕入れてまいりました。」
「ふうん、見せてみなさい。」
商会の当主ルナは、猫目石を差し出すと同時に、ゆっくりと髪をかき上げた。その胸元で、赤い宝石が燦然と輝く。
——凛音から奪った紅玉の首飾りだ。
アミーリアの目が、その光を捕らえた瞬間——。
「どこで手に入れたの!!」
彼女は迷いなく、ルナの首元へと手を伸ばし、紅玉の首飾りを力強く引きちぎった。
「答えなさい!」
怒りに燃えるその声に、ルナはまるで驚いたふりをして、わずかに首を傾げた。
「……白瀾国から来た女が売りに来たのですわ。」
「その女は今どこに?」
「さあ……。ただ、噂では賤民営に白瀾国の女が捕えられたとか。」
——全ては、ルナの計算通りだった。
彼女は初めて凛音に出会った時から、すぐにその正体を察していた。
白瀾国の娘。気品を纏い、腰には精巧な佩剣。指には剣傷と剣だこが刻まれ、確かな教育を受けてきた者。どう考えても、林将軍の娘に違いない。
……だが、ルナが最も確信を得たのは、その紅玉だった。
この紅玉の原石は、公主殿下が白瀾国へ向かう前に、私から買い取ったもの。その後、名匠によって加工されたはずだが、原石の輝きまでは誤魔化せない。
あのお嬢様は、義侠心に厚く、弱きを助けるお方。賤民営で無為に死ぬ子供たちを見捨てるはずがない。
……しかし、十日が過ぎても、何の報せもない。
ならば、お姫様に動いていただきましょう。彼女は、決して見過ごしたりしない。
ルナの唇に、僅かな微笑が浮かぶ。
果たして、アミーリアはそのまま賤民営へと馬を飛ばした。
だが——到着した時、凛音の姿はそこにはなかった。
「兄上、凛音様はどこですか?」
「なんのことかしら。」
「とぼけないで!」アミーリアは扇の柄をクラウスの喉元に突きつける。しかし、クラウスはわざと両手を上げ、降参のポーズを取ってみせた。
「まさか、最愛の妹を騙すなんてこと、するわけないだろう?」
その時、アミーリアは兄の背後に立つ見知らぬ顔に気がついた。
短髪に深く被ったフード、そして顔一面に広がる雀斑——どう見ても、怪しさ満点。
彼女はそっと兄に近づき、小声で囁いた。
「……ねえ、あの人、誰?」
クラウスはわざと口元に手を当て、秘密を打ち明けるような素振りで囁き返した。
「最近拾ったおしだ。」
「……え?」
「口はきけないが、腕は立つ。だからな、あまりいじめるなよ?」
クラウスはどこか芝居がかった口調でそう言いながら、わざと哀れむような目を彼に向けた。まるで「この子は傷つきやすいんだから、そっとしておいてやれ」と言わんばかりに——
「まあ、いいわ。私は凛音様を探しに行くわ。兄上もちゃんと気にかけておいてね?」
その頃、蓮と清樹もすでにパトンに十日以上滞在していた。
しかし、いまだに凛音の手がかりすら掴めていない。
「蓮様、凛音様は一体どこへ……。まさか、本当に思い詰めて——」
「ありえない。」
蓮は断言するように言い切った。
「それに、彼女は確実に蒼霖国に来ている。」
「……理由は?」
「そりゃあ、私と彼女は心で繋がってるからな。」
「…………。」
清樹は無言で蓮を見つめた。
「……はいはい、実は朱雀が浮游の目覚めを感じたんだよ。」
「よかった……浮游様は私たちの神様だからね。」清樹はほっと息をつくように呟いた。
「神様ねえ……。」
朱雀がぼそっと呟く。
「信徒は凛音を含めてたった二人だろ? そりゃあ、力も弱くなるわな。」
清樹はどこか寂しげな表情を浮かべた。それを見た蓮が、朱雀を鋭く睨みつける。
「……っ!」朱雀はバツが悪そうに目を逸らし、そのまま姿を消した。
「清樹、私は蒼霖国で医館を開こうと思う。名前は——長明堂。」
もし凛音が私を求めるなら、この名前を見ればすぐに分かるはず。
もし気に留めないのなら……この持久戦、情報を集めるための拠点が必要だ。
林府が燃える前夜、蓮と凛音は月下にて。
「まだ覚えてる? ここで一緒に夕日を見たこと。」
「忘れるわけないでしょう——『蓮、私は蓮と恋をするなんて、一度も考えたことはないわ。』」
蓮は突然、凛音の口調を真似してみせた。その瞬間、凛音の顔が一気に赤く染まる。
「……っ!」
その反応に、蓮は思わず足を止め、口元を綻ばせた。
「……あははっ。」
凛音の頬がますます赤くなった。
月明かりの下で、蓮の長衣は淡いミルク色に染まり、肌はより一層白く透き通って見えた。彼の身体からは、淡く甘い香りが漂っていた。
洛白が蓮だったと知った今、なんだか全てが違って見える。ずっと遠ざけようとしていた人が、実はずっとそばにいてくれた。
あの日から——
五歳のあの日、林家に迎え入れられて間もない頃の私は、悪夢に苛まれ、毎晩のように泣きながら目を覚ましていた。
眠ることが怖くて、屋敷をふらふらと彷徨っていた時、雨に打たれ、地面にうずくまる蓮を見つけた。
濡れ鼠のようになった彼を部屋に連れてきて、一緒に過ごしているうちに、なぜだろう、彼の寝顔を見ているだけで、私も眠ってしまった。
しかし、夢の中でまた悪夢が襲いかかる。
……目が覚めるはずだった。涙と恐怖で、いつものように飛び起きるはずだった。
けれど……
「大丈夫、私がいる。怖くない、泣かないで。」
そんな優しい声が、夢の中で何度も何度も繰り返し響いていた。
その夜、私は初めて、何の恐れもなく深い眠りについた。目を覚ました時、彼はまだ、私の手を握ったままだった。
それから——
彼はいつも夜になると林府を訪れ、意味不明な寝物語を聞かせてくれた。忙しくて来られない日は、使いの者や鳥を寄こして、何かしらの品を届けてくれた。
……あの鳥も、彼が寄越したものだったのね。
もし洛白が蓮だったのなら。あの氷湖の底で、私に口移しで息を吹き込んだのも——蓮。
「……っ!」
思い出した途端、凛音は無意識に自分の唇に指を当てた。そして——顔がさらに熱くなる。
蓮はしばらく沈黙する凛音を見て、「さすがに茶化しすぎたか」と少し反省し始めていた。「……悪かったか?」と言おうとした瞬間——
凛音がそっと背伸びをして、顔を上げた。
——そして、唇が触れた。
柔らかく、温かく、触れるだけの優しい口づけ。
「……っ!!?」
蓮の心臓が、一瞬で跳ね上がった。
動揺したまま硬直する彼の前で、凛音は目を閉じている。長く美しいまつげが、夜空に浮かぶ三日月のように揺れていた。
白くなめらかな肌、淡く香る薔薇の匂い。そして——触れ合う唇の隙間から、微かな甘さが広がる。薔薇の香りとともに、口いっぱいに満ちていく。
「……これが、キスというものか。」
脳裏にそんな言葉がよぎった瞬間——いや待て、今、私は何を考えている?
これは「キス」なんてものじゃない。ただ凛凛が、そっと触れてきただけだ。これを、「キス」と言うのなら。
本当のキスってやつを、教えてやらないとな。
その瞬間——
蓮は強く凛音の腰を引き寄せ、深く唇を重ねた。
その時、誰かが空へと放った天灯が、一つ、二つ、三つと昇っていく。その灯火が凛音の横顔を照らし、蓮の瞳に映り込む。
こんな近くで、ようやく——彼女の瞳に映るのは、私だけだ。
蓮はそのまま、そっと凛音の額に唇を落とし、囁いた。
「……これから先、どこへ流れ着こうとも、私たちで、医館を開こう。長明堂と名付けるんだ。」
「どんな夜でも、凛凛がそばにいてくれる限り……私の心は、ずっと明るいままだ。」
この話を書いていたとき、ちょうどバレンタインでした。
なので、自然とキスのシーンを入れることにしました。
この一瞬の温もりとときめきを、少しでも感じてもらえたら嬉しいです。
そして、この話はぜひこちらのイラストと一緒にお楽しみください!
https://kakuyomu.jp/users/kuripumpkin/news/16818093094064652922
読んでくださり、ありがとうございました。
この物語の長い夜の中で、皆さんがそれぞれの温かな光を見つけられますように✨




