82 文無しも同然
あの日から、浮遊は姿を見せなくなった。
どれだけ話しかけても、返事はない。
彼は自由に去ることができるのに、私の身勝手のせいで、重傷を負わせてしまった。
「ごめんね、浮遊。聞こえてるのは分かってるよ。早く元気になってね。」
凛音は小さな声で囁いた。馬車の揺れに身を預けながら、彼女は静かに外を眺める。向かう先は——蒼霖国。
手持ちの金品は、すべて馬車代に消えた。王女から将軍の娘、そして今やただの旅人。言うなれば——文無しも同然だった。
一方、白瀾国。
「本当に行くつもりですか? 今ならまだ引き返せます。」蓮を引き留めたのは、皇帝でも李禹でもない。清樹だった。
「白瀾国は私の故郷を滅ぼし、今度は林家まで焼き払った。私はもう、この国に何も期待していない。でも、蓮殿下は白瀾国の王子……いや、前皇帝だ。」
「清樹、私は分かっている。白瀾国が、お前のすべてを奪ったことも……そして、この国にはまだ太后の残党が残っていることも。」蓮は静かに言葉を継ぐ。「だが、父上がいる。林将軍と凛律もいる。衛澈も……この国は、まだ変われる。」
「なら、なおさら蓮殿下がここに残るべきでは?」
蓮は小さく笑い、優しく清樹の頭を撫でた。「この国を守れる者は他にもいる。でも——彼女を守れるのは、私だけだ。」
二人は馬にまたがり、白瀾国を後にした。蓮は最後に振り返り、国の方角をじっと見つめる。
「戻ることができるのか……いや、戻るつもりはない。」
数時間後。
馬車の車輪が青石板をきしませながら進み、御者の掛け声とともに、ゆっくりと停まった。
凛音が帷を捲ると、熱気に満ちた市井の空気が一気に流れ込んできた。
麦の焼ける芳ばしい香り、バターの濃厚な脂の香り、じっくり煮込まれた肉の旨味——それらが入り混じり、街全体を満たしている。
行き交う人々、商人の威勢のいい呼び声、遠くで響く笛の音、芝居がかった街頭芸人の歌声——活気が溢れ、どこを見ても賑わっていた。
何もかもが、白瀾国とは違う。
王都の厳格な礼法とは無縁の、自由で開放的な空気。ここは蒼霖国の商業都市・パトン。
華やかな服を纏った女たちは自信に満ちた笑みを浮かべ、商人たちは豪快に値を競り合う。
茶館の前では何人もの男が賭けに興じ、賑やかな笑い声と罵声が飛び交う。
大通りを騎士たちが馬を駆り、馬蹄が泥を跳ね上げるが、人々は慣れたように避け、何事もなかったかのようにまた日常へと戻っていった。
凛音は馬車を降りた。背後では商隊が荷を降ろし始めている。そっと懐を探る——空っぽ。
異国の地に降り立った今、彼女はただの旅人にすぎず、次の食事すら確約されていない身だった。
「……まあ、まずは仕事を探さなきゃ。」
深く息を吸い込み、顔を上げる。
視線を巡らせると、人々が最も集まる場所が目に入った。街の中心にそびえる壮麗な建物の重厚な石造りの拱門の上には、金色の文字「霖月商会」が堂々と掲げられていた。
凛音は足を踏み入れた。そこは、実に賑やかな場所だった。異国の衣装を纏った者たちが行き交い、それが決して珍しい光景ではない。広々とした受付台の周囲には、四つの小舞台が設えられ、それぞれに異なる国の衣装をまとった舞姫たちが、優雅に舞を披露していた。
天鏡国、蒼霖国、白瀾国、そして——雪華国。
「……雪華国はすでに滅びたはず。それなのに、なぜ……?」凛音が小さく呟いたその時、紫のレース仕立ての束身ドレスを纏った女性が、手にしたレース扇を軽やかに揺らしながら、優雅に歩み寄ってきた。
「ふふ、亡国になったからといって、素晴らしい文化まで消え去るわけではないでしょう?」そう言って微笑む彼女に、凛音も思わず微笑み返した。
「お嬢様は、異国からいらしたのですか?」彼女は凛音の衣服を見つめ、興味深そうに問いかけた。
「ええ、こちらに来たばかりです。身一つで、頼るものもなく……何か仕事を紹介していただけませんか?」
「お仕事……そうですね。」女性は少し考えた後、凛音の首元をじっと見つめた。
「まあ、お嬢様、お金に困っているのでしょう? それなら、ちょうどいい機会ではなくて?」」
凛音は無意識に胸元に手をやる。そこにあるのは、美しく煌めく紅玉の首飾り。それは、林府が燃え上がるあの朝、アミーリアが贈ってくれたものだった。もともとは、来月の母上の誕辰祝いに贈るつもりだったのに——
「その宝石、価値はご存知? ここで売れば、貴族の屋敷で一ヶ月は優雅に暮らせるほどの額になりますよ。」
紫衣の女性は軽やかに言いながら、ちらりと凛音の反応を探る。
「申し訳ありません。これは、大切な友人からの贈り物。売るつもりはありません。」
「まあ……では、お嬢様はどんな仕事をお探しで?」女性は、何かを見極めるようにじっと凛音を見つめながら、再び扇を揺らした。
凛音はふっと微笑みながら、一歩前に踏み出した。「身一つでできる仕事なら、何でも。」
「それなら——ちょうど、お嬢様のような方にぴったりの仕事がございますわ。ですが……」
彼女は意味深に微笑み、扇を軽く閉じた。
「そのお仕事、少々度胸が必要ですが……お受けになりますか?」
凛音は微かに目を細めた。「……度胸、ね。」
紫衣の女性はさらに一歩近づき、声を潜める。「ええ。度胸と……覚悟。」
「話を聞かせて。」
「ふふ、こちらへどうぞ——」
この話は少し短めになりました。というのも、ここから「蒼霖国編」が始まるからです!81話からは、蓮・凛音・浮游、それぞれの視点から物語が描かれていきます。
そして——明日、ついに我らの龍が帰ってくる!彼の登場を楽しみにしていてくださいね!では、また次回!




