81 天命を拒む者
「何度言わせるつもりだ!私は王にはならない!」
「朱雀を召喚した瞬間から、お前に選択肢など存在しない。」
何をもって天子と為す?天に選ばれし者こそ、天子である。
「お前、明徳堂で王になると言ったではないか?昨日も私に王者の道を説いてみせた。」
「だから昨日も言ったはずだ。今の王位には、何の価値もない!」
王者とは何か。朝堂に立つことが、天下を定めることとは限らぬ。
「ならば、お前は皇帝となり、奸臣どもを一掃する気はないのか?」
「お前はそれを成し遂げたのか?未だ濁流の中で足を取られているではないか。」
昔より、帝王の即位には三揖三譲の礼があり、今、南宮蓮の即位には三請三拒がある。
白澜国には、古くから語り継がれる伝説がある。
——朱雀が降臨せし時、天は裂け、大地は震え、乱世の炎がすべてを呑み込む。
だが、朱雀と契約を結びし者こそが、その混沌を鎮め、新たな時代を拓く定めにある。
それは、ただの神話、あるいは最初の契約者の物語に過ぎなかったのかもしれない。
だが、時を経て、この伝説は「朱雀を呼びし者が王となる」という絶対の王命へと変わり、白澜国の皇室に深く根付いた。
ーーそして今、それが蓮の目の前に突きつけられていた、「現実」だった。
「朱雀を召喚しながら、王とならぬ道など許されようか?」
広大な雀宸殿に、沈黙が落ちた。誰もが蓮の答えを待っている。
「わかりました。……私が、白瀾の王となりましょう。」
その瞬間、百官が一斉に跪く。「万歳万歳万々歳!」
蓮は袖を翻し、悠然と歩を進めると、そのまま玉座の傍らへと歩み寄った。 そして、堂々とした声音で言い放つ。
「祖母上をすぐにお呼びせよ。このめでたい即位の日に、ご祝福がなければ、落ち着かぬではないか。」
その言葉に、殿内の空気が張り詰める。 前皇帝に仕えてきた老宦官は慌てて朱寧宮へと駆け出した。
やがて、遠くから衣擦れの音が響く。 深紅の衣を翻し、濃艶な化粧を施した太后が、ゆるりと姿を現した。 彼女はゆっくりと指先で唇をなぞりながら、不敵に微笑む。
「蓮が王になる?ふふ……思ったよりも早かったわね。」
蓮は先ほどまでの態度を一変させ、威厳をまとい力強く言い放つ。
「太皇太后、林府に火を放ち、忠臣を陥れ、朝政を操り……加えて、外敵と通じていた疑いもある。これだけの罪、もはや弁解の余地はありますまい。」
「ほう、よく言ったものね、蓮。それで? 証拠でもあるのかしら?」
太后はふっと笑みを浮かべた。その声音は柔らかいが、底知れぬ冷たさを帯びていた。
蓮は一歩も引かず、鋭い眼差しで応じた。
「林府襲撃当日、門前に掲げられた聖旨には、玉璽の印が押されていた。しかし——父上の玉璽は、その前に失われていたのだ。……お前は、それすら知らぬのか?」
殿内が一瞬静まり返る。周囲の大臣や近衛たちがざわめきを抑えるように息を呑んだ。
「蓮、お前はよく考えたかしら。なぜ私が、こんなにも長く皇太后の座に座り続けられたのか……?」
太后はまるで、己の手の内を全て把握しているかのように、堂々とした態度を崩さない。
「お前はもはや、言い逃れすらできぬほど腐敗している!」
蓮の怒声が大殿に響き渡る。その瞬間、柱が震え、天井までもが揺れるかのような迫力があった。
「我が王道に、お前の居場所はない!太皇太后、即刻廃后とし、封号を剥奪する! 幽閉の身となり、二度と政に口を出すことは許さぬ!」
殿内に重苦しい沈黙が広がる。誰もが、歴史が大きく動く瞬間を目の当たりにしていた。
「林将軍は一代の忠臣、尽忠報国の志を抱き、百戦無敗の将である。朕は、林将軍を弾劾する奏状が数多く上がっていると聞いているが、その者ども、前に出て理由を述べよ!理が通るならば褒美を取らせ、理なき言であれば——斬る!」
蓮の鋭い声が殿内に響き渡った。その瞬間、群臣は震え上がり、次々と地に膝をついた。しかし、誰一人として口を開こうとはしない。
すると、不意にどこからか震える声が上がる。「陛下、聖明——!」
次の瞬間、それが合図のように広がり、「陛下聖明!」「陛下聖明!」と声が次々と続く。
この時点でなお、蓮はまだ玉座に腰を下ろしてはいなかった。
蓮はふっと唇の端を持ち上げ、堂々と宣言した。
「朕は本日をもって、即刻退位し、王位を譲る。」
殿内はざわめき、大臣たちは驚愕に目を見開いた。
「え?即位式の場で退位を……?」
「では、一体誰が王となられるのですか?」
「朕は父上のもとで王とは何か、国とは何かを学びました。ゆえに、朕はまだ王となるべき時ではないと悟った。本日をもって、朕は退位し、王位を父上にお返しします。」
そう言うと、蓮は笑みを浮かべながら、ゆるりと玉座の高台を下り、大殿の中心へと歩を進める。
「王の座を捨ててまで、何を求めるのか?」
誰かが、恐る恐る問いかけた。
蓮は何も答えず、そのまま振り返ることなく宮廷を後にした。
彼の後を追うように、朱雀も静かに歩みを進める。
「さあ、凛凛を探しに行こう。」
それは独り言のようでもあり、傍らの朱雀に向けた言葉のようでもあった。
すると、朱雀はふいに小さく羽ばたき、その姿を縮め、いつものように蓮の頭上にちょこんと留まる小鳥へと変じた。
本来なら、朱雀の存在をこれほど早く世に知らしめるつもりはなかった。
だが、どうしても凛凛の死を無視することなどできなかった。
いや、無視する以前に、それを想像することすらできない。
凛凛は必ず生きている。そして、彼女は間違いなく蒼霖国へ向かったはずだ。
林夫人の死は悲しい。しかし、彼女はこれしきのことで屈するような人ではない。
彼女の隣に立つために、私はここでただ待っているわけにはいかない。




