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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第六章:花影の契、面を識りて心を知る
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77 ただ、真実を知りたい

「誰か!警鐘を——!」

鋭い叫び声が夜を引き裂き、次の瞬間——ゴーン——!宮殿の外で警鐘が鳴り響いた。その音を合図に、朱寧宮は一瞬で騒然となる。宮女たちは四方へ駆け、侍衛たちが波のように押し寄せ、長槍が交差して全ての出口が封鎖される。


「まずい……!」

凛音は一瞬の迷いもなく紙を袖に収め、梁の上へと跳び上がった。侍衛たちの怒号が響き、矢が風を切って飛んでくる!彼女は素早く身を翻し、屋根伝いに走り抜ける。目指すは宮殿の奥深くにある密道——蓮がかつて教えてくれた脱出路。もしそこに辿り着ければ、まだ逃げ道はある!


漆黒の回廊を、彼女は影のように駆け抜ける。背後からは無数の足音が迫り、追っ手は次々と増えていく。だが、凛音は冷静に状況を見極め、迷うことなく隠し扉のある偏殿へと身を滑らせた。石壁に指を這わせ、手探りで仕掛けを押し込むと——ゴゴゴ…… 低く重たい音とともに、狭い通路が闇の奥へと開かれた。


凛音は即座にその中へと滑り込み、背後で石扉が音もなく閉ざされる。外の喧騒が遠ざかり、周囲には静寂だけが広がった。


……ひとまず、振り切った。


壁を伝いながら暗い通路を進むと、やがて微かに花々の香りが鼻をくすぐる。ここが御花園に繋がっているとは……。 凛音は少し歩調を緩め、出口へと足を向けた。しかし——


闇の中、ひとつの影が立ちはだかっていた。まるで、ずっと彼女が来るのを待っていたかのように。


凛音は瞬時に足を止め、全身の神経を研ぎ澄ませる。月明かりが薄く降り注ぎ、相手の輪郭を朧げに浮かび上がらせる。


——正体は見えない。だが、確かにこちらを見据えている。


「これは……実に面白い。」

低く穏やかな声が響く。どこか余裕すら感じさせる響きに、凛音の背筋がひやりと冷えた。何よりも不可解なのは、相手が攻撃する素振りすら見せないことだった。


「……お前は何者だ?」

低く問いかける。だが、影はわずかに間を置くと、ゆっくりと一歩後退した。まるで……道を譲るかのように。


次の瞬間、夜風が吹き抜ける。その風の中で、影は音もなく霧散し、夜の闇へと溶けていった。

まるで、初めからそこになど存在しなかったかのように。


凛音はかすかに息を整えながら、無意識に指を握りしめる。あの男は……敵か?味方か?


この夜、朱寧宮の秘密の一端が暴かれた。だが、それはさらなる深い闇への序章に過ぎなかった。


「凛音様、やっと戻られましたか?」

「凛音ちゃん、大丈夫か?心配したよ。」

孤児院に戻るや否や、清樹とアイが真っ先に駆け寄ってきた。


「ええ、清樹。これを見て。あなたはまだ年若いけれど、私よりも物事を見通す目がある。何かわかるかしら?」

そう言って、凛音は先ほど手に入れた紙を手渡した。

「任せてください。」

翠羽が慌てて湯気の立つ茶を差し出し、優しく促した。

「凛音様、まずはお休みを。」


凛音は窓辺に腰掛け、静かに月を見上げた。

「凛音ちゃん、知ってる?俺の名前、アイっていうのは、天鏡国では『月』を意味するんだ。凛音ちゃんは、月が好きか?」

「好きよ。人生には長い夜が多いもの。でも、月だけは変わらずにそこにいてくれるわ。」

「ならば、俺の月を貸そう。これからどこにいても、月を見上げれば、一人じゃないと思えるように。」

「アイ君、今回の芝居に付き合ってくれてありがとう。」

「無事なら何よりだ。でも、凛音ちゃん……くれぐれも気をつけて。」


「凛音様、陶太傅が亡くなる前日、太后府で川烏が大量に購入されていました。」

清樹は一冊の書物を抱えながら歩み寄ってきた。

川烏センブの性質は辛苦熱で、風寒湿痺や心腹冷痛などの症状に効果があります。」 凛音はふと顔を上げた。「それなら、薬として購入するのも不自然ではないのでは?」


「しかし、以前手に入れた太医院の診療記録によると、陶太傅は最近風寒を患い、咳が止まらなかったそうです。それで、太医は麻黄を処方しました。」

そう言いながら、清樹は書を開き、凛音に差し出した。

麻黄マオウと川烏は相克する。併用すると神経麻痺や呼吸衰弱を引き起こす……もし、それを狙った者がいたとすれば——」


「つまり……これは計画的な毒殺ということね。」


翌日、凛音は和親を名目に宮中へ召された。

だが——このすべてが、皇帝と凛音が共に仕組んだ計画であることを、誰も知らなかった。


前日、天牢——


「……いや、もう決めた。お前は天鏡国へ嫁げ!」

「可笑しいわね。さっきまで母上を偲んでいたというのに、次の瞬間には私を駒のように差し出すの?」凛音はわずかに俯き、そしてふっと冷笑を浮かべた。


「いいえ……まだ分からないのか?」皇帝は重々しい口調で言葉を続けた。「林家を守りたければ——これが最善の策だ。」

「林家」という言葉を聞いた瞬間、凛音は沈黙した。林家がなければ、今の自分は存在しなかった。義理とはいえ、林家の夫婦は彼女を実の娘のように育ててくれた。


「お前が今日ここに囚われたのは、罪を犯したからではない。太后を怒らせたからだ。お前は、清遥の娘だからな。」


「——その名を、お前の口から呼ぶな。」凛音の声音は冷え切っていた。


皇帝は静かに目を細めると、淡々と言い放った。

「千雪。確かに、朕は軍を出した。しかし——雪華国の滅亡は、戦のせいだけではない。」


「……何が言いたいの?」


皇帝は凛音の瞳をまっすぐ見据え、ゆっくりと口を開いた。

「千雪——取引をしよう。」


そして今、御書房——


「ほう……思ったよりも早かったな。」

皇帝は悠然と奏章をめくりながら、凛音を一瞥することもなく言った。


「約束通り、証拠を持ってきました。」

凛音は静かに歩み寄り、証拠の紙を差し出す。


「これは、太后府で密かに購入された川烏の記録。陶太傅の死の前日、異例の大量発注があった。」


皇帝は紙をひょいと摘まみ、指先で軽く弾いた。「なるほど……。」そして、ふと凛音を見据え、ゆるりと微笑んだ。「だが、これは状況証拠に過ぎぬな?」


「そうです。しかし、太医院の検視によれば、陶太傅は毒殺された。朱寧宮が川烏を購入していた記録があり、その夜、宮外へ出た者の記録に太后の侍女の名が残されていた。その侍女は数日後、死亡した。」

凛音は皇帝を真っ直ぐに見据えながら、はっきりと言葉を続ける。

「全てが、この一夜に繋がる。そう思いませんか?」


皇帝はその言葉に応えることなく、手にしていた証拠の紙を軽く握り、無造作に床へと投げ落とす。

「千雪よ……未だにそんな甘い夢を見ているのか?」

低く、どこか嘲るような声音が響いた。


「朕は太后の潔白を保証した覚えはない。だが、この程度の憶測で、何を裁ける?」


「では、陛下はこれを無視するおつもりですか?」

凛音の問いに、皇帝はすぐには答えなかった。


一瞬、御書房の空気が重く沈む。やがて、皇帝はふっと視線を落とし、静かに呟いた。


「……朕は、ただ真実を知りたいの。なぜ、先生と清遥は死なねばならなかったのか。」


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