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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第六章:花影の契、面を識りて心を知る
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71 銀杏流転

「これはまた、面白い采配ですわね。我が蒼霖国は、招かれるに値しなかった……と?」


深緑のシルクドレスが、静かに揺れる。

真紅の唇は、朝霧に咲く蔷薇のように艶やか。

繊細なレースの手袋を纏った指先が、扇を優雅に持ち上げる。

金色の刻印——蒼霖国の象徴たる王冠と双獅が、冷たく煌めいた。


「それとも、我が国は『空気のように』静かに見守るべき客人でしたの?」


蒼霖国王女・アミーリア。

彼女の一言が、夜の均衡を再び揺るがせた。


「まあ、蒼霖国の姫君よ。まさか、わらわがそんなあからさまな采配をするとお思いか?」

太后は扇を軽く仰ぎながら、涼やかな微笑を浮かべる。まるで宝石の真贋を見極める目利きのように、蓮と凛音をじっと見据えていた。


——しかし、その圧力すら意に介さず、蒼霖国の王子・クラウスは悠然と席を立つ。まるで太后の言葉など初めから存在しなかったかのように、ゆっくりと歩みを進め、凛音の前に立った。


「林家のご令嬢。」

彼はわずかに首を傾げ、品定めをするような声音で続ける。

「先ほどの剣舞——いや、もはや舞の域を超えた、技と呼ぶべき代物だった。……貴女の手を拝見しても?」


宴のざわめきが止み、視線が一斉に集まる。


凛音は一瞬の逡巡の後、静かに手を差し出した。白く、細く、まるで磨き抜かれた磁器のような指先。しかし、それは貴族の娘が持つべきものではなかった。左の掌には幾筋もの深い傷跡が刻まれ、右の指先には長年剣を握り続けた者だけが持つ、固く刻まれた剣茧が浮かぶ。


クラウスの琥珀色の瞳が、わずかに細められる。無言のまま指先を動かし、旧傷の上を軽くなぞった。その仕草は、検分するようでもあり、何かを確かめるようでもある。そして、唇の端をわずかに吊り上げ、ゆっくりとアミーリアへと視線を向けた。


「……ふむ、良いものを見せていただきました。もはや口を挟む必要はなさそうですね。」


あの夜を境に、凛音は完全に太后の眼中の棘となった。


「——その女、何としても消しなさい。」

玉座の前、群臣が跪く。響くのはただ、太后の冷ややかな声のみ。それも当然のことだった。彼女が雪華国の亡き王女であることはさておき、今や蓮の心を奪い、さらに太后に刃を向けた女だ。もはや、生かしておく理由など、どこにもない。


だが、林将軍は重兵を率い、皇帝の寵愛も篤い。「林家の娘」を葬るには、それ相応の策が必要だった。


「では、彼女もあの女と同じように、他国へ嫁がせては如何でしょうか。」

宰相は恭しく一礼し、進言した。


「そんなに簡単な話かしら? 天鏡国の王子は一見して人畜無害で、彼女を抑え込むことなど到底できるとは思えません。」太后はしばし考え込み、ゆっくりと口を開いた。「それに比べて、蒼霖国は——我々にとって、少々リスクが高すぎるのではなくて?」


婚姻の話を持ち出すなら、あの夜を境に、もう一つ大きな変化があった。

アイは白澜国にいる間、ほとんどの日を林家で過ごしていた。

そして、誰よりも焦燥を覚えていたのは蓮だった。

死から蘇って以来、彼はまだ凛音とまともに言葉を交わしていない。

ましてや、朱雀のことなど、何も知らぬままだった。


「……なんとかする。」


蓮はどこか迷いを滲ませながらも、気がつけば林府の前まで足を運んでいた。そこで偶然、ちょうど屋敷を出る凛音と翠羽の姿を目にする。


「お嬢様、この件について、旦那様と凛律様にもお伝えした方がよろしいのでは?」「いいよ。もう十分に迷惑をかけてしまった。これくらいなら、大丈夫よ。」


耳に入った会話の意味をつかみきれぬまま、蓮はふと足を止める。……迷った末に、気づけば二人の後を追っていた。

しばらくの間、密かに後をつけると、凛音と翠羽はある質屋へと入っていった。蓮が軒先から様子を窺っていると、凛音は包みを広げ、そこからいくつものアクセサリーを取り出して、金に換えていた。


「……一体、こんなに大金をどうするつもりだ?」

「金が必要なら、なぜ凛凛は私直接頼らない……?」

胸の奥に小さな棘が刺さるような違和感を覚えつつ、蓮は思わずそう呟いた。


さらに後を追い、賑わう市街から離れた林へと足を踏み入れる。やがて、木々に囲まれた一軒の屋敷が姿を現した。荒れ果ててはいないが、決して華美なものではない。慎ましく、質素な佇まい。門の脇には青白い菊が風に揺れ、銀杏の葉が金色の蝶のように舞い散る。


凛音と翠羽はそのまま門をくぐり、庭の奥へと消えていった。そして、戸が固く閉ざされる。——それきり、出てくる気配はなかった。


蓮は無意識に、門外の大樹にもたれかかる。


——最近の出来事は、あまりにも不可解だった。

自分は確かに死んだはずなのに、なぜこうして生きている?

軍営では、凛凛との距離が確かに縮まったはずなのに、今ではただの顔見知りのような扱い。

凛律も蒼岳も、いつも要領を得ない答えばかりで、李禹に至っては何も知らぬふり。


この文化交流祭の機会を利用して、少しでも凛凛との距離を縮めようと思っていたのに——

アイは、なぜかやたらと私の邪魔ばかりしている。

その上、あいつの白虎まで見当たらない。どうやら、虎の赤ん坊が生まれたらしいが……。


——なんだってこんなにも、私だけが何も分からない?

まるで霧の中を彷徨っているような気分だ。


「かさっ。」

突然、銀杏の落葉を踏む音が、蓮の思考を断ち切った。


白昼堂々、黒装束に顔を覆ったこの連中——どう見ても、まともな輩には見えなかった。そのうちの一人が、懐から火折れと煙筒を取り出すのが目に入る。


——まずい、火を放つつもりか。


蓮は即座に地面に転がる小石を拾い上げ、迷いなく投げつけた。狙いは寸分違わず命中し、男の手から火折れと煙筒が転げ落ちる。敵も大声を上げるわけにはいかず、無言のまま刀を抜き、一斉に蓮へと襲いかかる。


蓮はわずかに息を吐き、最も近い一人を捉えた。刃が閃く。ほんの半歩、後ろへ退く。紙一重で避けつつ、剣の柄を脇腹へ突き込む。「ぐっ……!」男が呻き、体勢を崩したところに、さらに首筋へ一撃。鈍い音が響き、膝から崩れ落ちた。


その瞬間、背後に殺気。蓮は素早く身を沈め、虚空を裂く刃を避けると、剣の背で敵の手首を弾き飛ばす。次の瞬間——足元の銀杏の葉を蹴り上げた。金色の光が舞い、敵の視界が一瞬霞み、その動きが鈍る。


蓮は迷わず踏み込み、敵の肩を掴み、強引に前へと押し出した。「——ッ!」次の男が避ける間もなく、仲間と激突し、刀が手から滑り落ちる。蓮はつま先で刀の背を蹴り上げ、両手で武器を握り、一気に二人の頸へと叩き込む。鈍い音とともに、二人は同時に崩れ落ちた。


最後の一人が躊躇いながらも刃を振り下ろす。蓮は半歩踏み出し、刀をいなし、すかさず柄を反転。間髪入れずに、剣の柄がこめかみに叩き込まれる。男の体がぐらりと揺れ、そのまま地へ沈んだ。


銀杏の葉が舞い散る中、蓮は深く息を吐き、剣を収めた。


その時、凛音は外の物音に気付き、足早に駆け出した。

「誰だ!?」

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