67 波乱を呼ぶ虎
白瀾国の大通りは、朝から活気に満ちていた。各国からの使者たちが次々と到着し、華やかな衣装に身を包んだ者たちが行き交う中、一際目立つ一団が砂塵を巻き上げながら進んできた。
「なんだ、あれは?」
道行く人々が足を止め、ざわつき始める。
現れたのは――天鏡国の一行だった。砂漠の民を象徴するような、橙色の衣装を身にまとい、顔には薄布を巻いた人々が異国の雰囲気を漂わせている。その中央には、巨大な白虎が悠然と鎮座していた。
「虎だ!本物の虎がいるぞ!」
白虎の鋭い目が群衆を見下ろし、優雅かつ堂々たる足取りでゆっくりと進む。その背中には一人の青年が座っていた。
青年は鮮やかな紫色の衣装を身にまとい、金砂のように輝くマントを羽織り、羽飾りのついた帽子を被っている。手には銀の笛を握り、軽やかな調べを奏でながら白虎の背中で優雅に振る舞う彼の姿に、周囲の人々は思わず見とれていた。
「音楽もいいけど、虎の方が目立つな……」
「これが天鏡国の伝統か。まるで絵物語みたいだ。」
人々の感嘆の声があちこちから上がる中、青年は白虎の背から声を張り上げた。
「どうだい?この白虎は素敵だろう?これは天鏡国の誇りだ!」
天鏡国の王子様は、自信満々に誇らしげな笑みを浮かべ、白虎を撫でながら群衆に語りかけた。その堂々たる姿に、人々の視線は釘付けとなる。だが、彼自身はまだ気づいていない――自分の一団ととうに逸れてしまったことに。
悠然とした表情で、白虎と共に街中を進み、軽やかな笛の音を響かせ続ける彼。
ふと顔を上げて周囲を見渡すと、違和感が胸をよぎった。
「ん?みんな、どこへ行ったんだ?」
一瞬、王子の表情に困惑が浮かんだが、すぐに肩をすくめて軽く笑った。「まあ、僕なら大丈夫さ!」
まるで気にする様子もなく笑みを浮かべると、彼は軽やかに白虎の背から飛び降り、近くの屋台を見回り始めた。
「おっ、これは白瀾国の特産品だね!」
興味津々で屋台の商品を手に取る王子の後ろでは、白虎がその大きな体を動かし始めていた。
「ちょっと!壊れる!」
屋台の店主は慌てて駆け寄り、声を張り上げた。「こっちは商売中なんだぞ!虎を連れて来るなんて、正気かい?」
白虎は無邪気に花の香りを嗅ぎながら尻尾を振り回し、その拍子に果物を積んだ籠をひっくり返してしまう。
「ま、待ってくれ!そこの虎!それは食べ物じゃ――!」
店主が抗議するも、王子は慌てて駆け寄り、手を合わせて平謝りする。
「ああっ、ごめん!本当にごめん!」
店主は困惑しながら睨むが、王子はマントの下から小さな袋を取り出し、笑顔で差し出した。
「これは天鏡国特産の香料だ!これで許してくれ!」
袋の中からは見たこともない鮮やかな粉がこぼれ、店主は戸惑いながら受け取るものの、「……食べ物はないのか?」と呟く。
その間にも白虎は自由気ままに歩き回り、別の露店の布を軽く引っ掻き始める。
「こらっ!またやらかす気か!」
王子は再び白虎に駆け寄り、その後ろ姿を見た街の子どもたちが「虎が走ってるぞ!」と笑いながらついてくる。
混乱を気にも留めず、王子は砂埃まみれのまま笛を構え、楽しげに一曲奏で始めた。
「ふふん、少し道に迷っただけだ。それもまた異国の醍醐味じゃないか?」
彼が無邪気な笑みを浮かべたその瞬間――白虎が人々の注目に飽きたのか、のんびりと周囲を見回し始めた。そして、気まぐれなその動きがさらなる混乱を招くことになるとは、誰も予想だにしなかった。
突然、白虎が大きく伸びをし、その鋭い爪で近くに積まれた木箱を引っ掛けた。
「おいおい、やめてくれ!」持ち主が叫ぶも、木箱はそのまま傾き、その音に驚いた馬が甲高い声でいななきながら、前足を上げた。
「まさか……暴走するぞ!」
「危ない!誰か止めろ!」
暴走する馬車が目の前の露店を次々と倒し、通りは一瞬で大混乱に陥った。
群衆が散り散りになる中、馬車が向かった先には、一人の菊花を売る老人がいた。
彼女は荷物を背負い、ゆっくりと歩いていたため、迫る危険に気づいていなかった。
「危ない!」
周囲が叫ぶが、老人は振り返る暇もない。
その時、通りの一角から一人の影が音もなく現れた。
簡素な白衣を纏った女性――凛音が軽やかに飛び出し、馬車の前に立ちはだかった。
「まずは馬を――」
彼女は馬の目線を見据え、迷うことなくその手を伸ばして手綱を掴んだ。
「止まりなさい!」
鋭い声が馬を制するように響き、凛音の力強い腕に引かれた馬は速度を緩めた。
だが、まだ積まれた荷物が大きく傾き、菊花を売る老人の頭上に崩れ落ちそうになった瞬間――凛音は素早く手綱を絡め、その場で体を回転させるようにして片足で荷物を蹴り飛ばした。
荷物は崩れ落ちることなく、見事なバランスで反対側の道端に転がった。
「大丈夫ですか?」
凛音は老人に手を差し伸べ、優しく声をかけた。
「ありがとう……本当にありがとう……」
老人は震える声で礼を述べ、凛音に深々と頭を下げた。
一部始終を見ていた王子は、目を輝かせながら白虎の背から飛び降りた。
「なんて見事な身のこなしだ!君は誰だ?!」
凛音は白虎の大きさに一瞬驚いたが、冷静さを保ち、淡々と答えた。
「通りすがりの者です。」
短くそれだけを言うと、再び人混みの中へと歩き出そうとした。
「待ってくれ!僕は天鏡国のアイ・ヨルワスだ!せめて名前を――」
ヨルワスが慌てて追いかけ、彼女の前に回り込んだ。
凛音は一瞬だけ立ち止まり、その冷静な瞳で彼をじっと見つめた。
「名乗るほどの者ではありません。」
そう言い放ち、再び歩き出そうとしたその瞬間――白虎が突然彼女のすぐそばに顔を寄せてきた。
「ちょっ、白虎!お前まで……!」
ヨルワスが慌てて抑えようとするが、白虎は凛音の装束を軽く鼻で触れ、興味津々な様子を見せる。
その時――凛音の肩先が淡く光り、低く響く声が聞こえた。
「お前、相変わらず大袈裟だな、白虎。」
突然の声にヨルワスは驚き、白虎はその場で耳をピクリと動かした。
「でかい体で目立ちすぎだよ。中身は空っぽのままか。」
「なんだと?!お前こそ無駄に偉そうな態度を――」
白虎が唸り声を上げようとしたが、ヨルワスが慌てて制止した。
「おいおい、どうしたんだ白虎!なんで喧嘩腰なんだよ!」
そして、再び凛音に向き直り、その瞳が驚きと喜びでキラキラと輝いた。まるで世界が一瞬で変わったかのように、全ての注意が彼女に向けられているのが伝わる。
「いやあ、君って本当にすごいね!これも運命の出会いってやつじゃない?」
彼の言葉に、凛音は一瞬だけ立ち止まり、わずかに眉をひそめた。
「運命……ね。」
古の西域において、『アイ』は月を、『ヨルワス』は虎を指す言葉とされていたようです。彼の名前には「月」の意味が込められており、その由来については後の話で詳しく触れる予定です。しかし、偶然にもこの発音をカタカナで書くと「アイ(愛)」となるため、その象徴的な意味合いも面白いと感じました。
そこで、私はこの熱情あふれるキャラクターを創り上げました。前の章の重苦しい雰囲気を少しでも和らげ、物語に新たな活気をもたらす存在になればと思っています。
楽しんでいただけたら嬉しいです!〜




