61 策を尽くしても――
「凛音、お前はいつまでその気味の悪い玉佩を身につけるんだ。わしの守りじゃ不満か?」
浮游は半空に浮かびながら、凛音の腰元に揺れる玉佩をじっと睨みつけ、不機嫌そうに呟いた。
「気味の悪いって……? まあ、浮游。今はそんなこと言っている時間なんてないよ。戦いの準備をしなくちゃ。」
浮游はさらに何か言おうと口を開いたが、凛音はそれを無視するように踵を返し、外へ向かった。その背中には冷たく引き締まった雰囲気が漂い、浮游はぷいっと顔を背けながらも渋々後をついていった。
清晨の霧が地面を覆い、柔らかな陽光が未だその全貌を見せることはない。難民キャンプ周囲の空気は、不気味なほど静寂に包まれていた。
遠くの高地に陣取る敵軍の指揮官は、薄笑いを浮かべながらその光景を眺めていた。
「……何だ、この静けさは。奴ら、まるで防衛する気もないと見えるな。」
足元に控える斥候が、単膝をついて冷静に報告を上げる。
「報告します!外周には民と思われる者たちが散らばっております。恐らく、避難民の一部かと。」
敵将は鼻で笑い、不屑の目をキャンプへと向けた。
「弱者どもめ……防備も薄く、蹴散らすには好都合だな。――間者の合図を待て。一気に中央へ踏み込む!」
その時だった――。キャンプの奥から、低く重い号角の音が鳴り響く。
「突撃開始!」敵将の声が鋭く響くと、小隊が前方へと静かに動き出す。
しかし、彼らはまだ気づいていなかった。それが、清樹が仕掛けた「罠」の始まりであることに――。
敵軍の小部隊が素早く外周の帳篷へと接近し、鋭い刃が幕を切り裂いた。
だが、その先にあったのは――空っぽの地面だった。
「何っ……?」敵兵は愕然と立ち尽くす。
その時だった。
帳篷の後方から突如、怒号とともに喚声が響き渡る。
「動けっ!前へ!」
駐屯兵の数名が帳篷の裏から一気に飛び出し、長槍を構えたまま敵兵へと突き進む。不意を突かれた敵兵たちは次々と倒れていった。
その様子を側面の高台から冷静に見守るのは、清樹と弓兵隊だった。清樹は視線を鋭く前方に向けると、すぐに伝令兵へと指示を送る。
「……動き出しましたね。外周の部隊はそのまま待機、まだ焦るな。奴らをもっと内側に引き込むんです。」
伝令兵は一礼すると、素早く駆け出していく。
その隣で、弓を手に構えた柳懐風が目を細め、低い声で問いかけた。
「清樹、敵の数が思った以上に多いぞ。本当にこのまま引き込んで大丈夫か?」
清樹は落ち着いた声で応じる。「はい、想定内です。敵が油断して攻め込めば攻め込むほど、こちらの布陣が活きてきます。」
彼の言葉には微塵の迷いもなかった。「焦りこそ、最大の隙です。」
敵将は、小股部隊が防線で足止めされている様子を見て、顔を歪めた。
「全軍突撃だ!雑兵の壁など踏み潰せ!」
その号令と共に、敵軍の大隊が一斉に動き出す。霧の中、地を揺るがす足音と共に、外周の帳篷が戦火に包まれていった。
しかし、敵軍が第二防線に足を踏み入れた瞬間――
「来たぞ!皆、構えろ!」
林家軍の兵士たちは整然と盾を構え、剣を抜き迎撃の態勢を整えていた。
一方、側面の高地では清樹が敵陣を鋭く見据え、的確に指示を下していた。
「弓兵隊、準備!」 その一声で、待機していた弓兵たちが一斉に弓弦を引き絞る。数百本の矢が静寂の中、緊張感をまといながら狙いを定めていく。
「今だ!放てっ!」
清樹の号令と同時に、矢が一斉に放たれる。空を切り裂いた矢の雨が敵陣に降り注ぎ、突如の攻撃に敵軍は混乱に陥った。
「うわっ――!」
「伏せろ!」
矢の嵐が敵兵を次々と貫き、倒れた者の上を後続の兵が踏み越えて進む。
その隙を突き、林家軍が一気に反撃を開始する。
「突撃!援護に入れ!」
兵士たちは盾を押し出しながら前進し、剣を振るい敵兵を押し返していく。火花が散る中、林家軍の兵士たちは互いに呼応しながら敵兵を迎え撃ち、剣の一閃が幾度も敵陣を切り裂いた。
「くそ、あいつら、雑兵じゃない!」
敵兵が動揺する中、林家軍は攻勢を強め、戦場には凛音率いる部隊が圧倒的優勢に立っていることが明確になりつつあった。
「今だ!第二防衛線に合流し、中央を守り抜くんです!」
李禹率いる突撃小隊は巧みな動きで敵軍をさらに挟み込み、徐々に追い詰めていった。進むも退くもままならず、敵軍は次第に進退窮まる状況へと陥っていく。
「……これで終わりなわけがない。」
清樹は側面の高地から戦況を見守りつつ、胸の奥に広がる不穏な感覚を拭いきれなかった。
低く呟きながら、頭の中で可能性を次々と弾き出していく。「どうも様子がおかしい……何かが欠けている気がする。」
その頃、戦場の中心では、凛音が敵兵を相手に剣を振るう最中、不意に浮游の声が耳に届いた。
「凛音、ちょっと気になることがあるんだ――わし、蓮の気配が感じられなくなったぞ。」
「何ですって?」
凛音は動きを止め、驚きに目を見開いた。その声には、普段の冷静さを失った緊張が滲んでいた。
一方、清樹も、ほぼ同時に顔色を変える。
最悪の結論が頭をよぎり、その重さが胸を強く押し付けた。
「まさか……本当の狙いは――」




