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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第十六章:風は南より来たりて、林を拂う
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177 雀、寺に伏し、影に囚わる

 雀宸殿じゃくしんでん


 昼下がりの陽光が、屏風越しにやわらかく差し込んでいた。

 群臣の姿はなく、そこにいるのはただ、ひとりの王と、その子のみ。

 ふたりは玉座の脇の石段に、肩を並べて腰を下ろしていた。


「……お前を、太子に立てようと思っている。」

 あまりにも唐突な洵の言葉に、空気が凍りついたような沈黙が落ちた。


「……何かの冗談ですか?」

「朕は冗談で時間を使う趣味はないよ。」


 蓮の表情は動かない。だが、確かに、目の奥に微かな動揺が走った。


「父上……また責任を放り出そうとしてませんか?」

「ちょ、待って! 朕のイメージ、そんなに悪いの!?」

「はい、そういう人です。」


「ひどい……けどまあ、お前のことだし、軽々しく『はい』なんて言うとは思ってなかったよ。」

 洵は軽く肩をすくめると、足を投げ出して背もたれに寄りかかる。

「でもね、蓮。そろそろ誰かが表に立たなきゃいけない時期なんだ。内の不安定さ、外の気配……全部わかっているだろう?」


「……太子を立てることは、確かに国にとっては明確な道筋となるでしょう。ですが――自分がその器だとは、思えません。」


 一呼吸置いて、蓮は視線を伏せる。

「……朱雀から聞いていると思いますが。あの夜、南宮家を――皆殺しにしようかと、本気で考えていました。」


「知っている。……だからこそ、朕は、お前にいずれこの玉座に立ってほしいと思っている。」

 洵はまっすぐに蓮を見つめ、言葉を区切りながら、はっきりと言い切った。

「天子とて罪を犯せば、民と同じく罰せられるべきだ。もし南宮家に誅すべき者がいたなら、容赦なく斬ればよい。……たとえ、それが朕であってもな。」


「父上、それを国を託す理由にされるのは、いささか……」


「理由か?――なら、教えてやろう。この話を最初に朕に持ちかけてきたのは……お前の嫁だよ。」


 その一言に、蓮の睫がかすかに震えた。

「凛凛?」


「ああ。『このままでは、宮中が腐っていきます。蓮を太子に』とね。頭を下げてきたよ。あの子が、だ。」


 蓮は目を伏せた。言葉が出ない。だが、胸の奥に熱が灯る。

「……そうでしたか。」


「まったく、もったいないなあ。あの子に惚れられるとは、羨ましいよ。ま、だからこそ言っておく――『お前が選ばれた』のではない。『お前と共に選ぶ』覚悟を、あの子はもう決めてる。」

 洵の声は、珍しく真っすぐだった。


 蓮は、ゆっくりと顔を上げた。頬にわずかな紅が差していたが、その瞳は澄んでいた。

「……その覚悟に、応える責を、私が果たすべきなら。」


「よろしい。」

 洵は笑った。

「それなら、あと一つだな。『可愛い妻を泣かせるようなことをしたら、朕がまず怒る』。――肝に銘じておけ。」


「……心得ております。」


 二人の間に風が通り、屏風の向こうで珠簾が揺れた。


 翌朝、白瀾ハクラン王都に朝日が昇る頃、ひとつの大きな知らせが届いた。

 その日――蓮は太子として、正式に加封された。


 鳳闕ホウケツの鐘が三たび鳴ると、百官は朝服に身を包み、丹墀タンチに整然と並び立つ。金殿の玉座には洵が悠々と着座し、紫羅シラの衣が陽光を受けて揺れていた。


 蓮はカンを戴き、深紅の朝服をまとい、ただ一人、立っていた。風が袖を揺らし、沈黙の中に鼓音が響く。


 楽が奏されると、引礼官の先導で蓮はゆるゆると雀宸殿ジャクシンデンへと歩を進める。殿内では既に宰相と諸臣が丹墀に就き、視線が一斉にその身に注がれた。


 蓮は丹陛タンペイを昇り、定められた位置で跪拝。承制官が冊立の詔を朗々と読み上げる。


「天の理に従い、民の望みに応じ、朕、蓮を太子と定むる――」


 蓮は深く頭を垂れ、静かにその言葉を受けた。


 再び拝礼ののち、蓮はそのまま丹墀にとどまり、太子としての初の朝議に加わった。

 丹陛の左右には文武百官が居並び、彼の一言一挙に、見えない緊張が走る。

 朱雀の旗が風にはためき、白瀾の新たな時が、すでに動き出していた。


 その頃、玉座には洵が静かに腰掛け、目を閉じていた。

 朝議は粛々と進む……はずだった。


「――陛下。」


 一人、進み出た男があった。

 大理寺ダイリジ少卿ショウキョウ衛澈エイセツ。沈着冷静な声が、殿内の空気を変える。


「昨夜、都東の村にて、連続して三名の民が殺害されました。いずれも手口は鋭利、正確かつ沈黙のうちに。目撃者もおらず、物証も極めて少ない。」


「……ただの強盗ではないと?」

 洵が目を開く。


「はい。共通点がございます――全て、元・蒼霖国出身の者でございました。」


 一瞬、空気が張りつめる。


「我らはすでに内々に調査を始めておりますが……」

 衛澈の声が、わずかに低くなる。

「――これは、蒼霖にて活動していた『あの公会』の残党が、白瀾に潜伏している証左と見ております。」


「……」


 洵はゆっくりと椅子にもたれた。

 誰もが呼吸を止める中、衛澈はさらに続けた。


「また、これは私見ながら――」

 彼の視線が、すっと太子・蓮に向けられる。


「……この件、数月前に死去した『慕侯爵』とも、何らかの関係があると睨んでおります。」


「!」

 蓮の手が、わずかに反応した。

 音もなく、袖の中で指が強張る。


「待て。慕侯爵の件は、確か……」

 洵が目を細める。

「……既に、暗殺されたとして決着済みのはずでは?」


 衛澈はゆっくりとうなずき、そして言った。

「それでも、改めて洗い直す価値はあると判断しました。」


 蓮が、じっと彼を見据える。

「何故、今になって?」


 衛澈はわずかに笑みを見せる――だが、その目は冴え冴えと冷たい。


「理由は二つございます。

 一つ、慕侯爵が蒼霖の旧貴族と密に通じていた過去が、今さらながら新たな証言として浮上したこと。

 二つ……」


 そこで言葉を切り、衛澈はほんの少し目を伏せる。


「……私の、直感です。」


 ざわり――

 誰もが声を失う中、洵だけが面白そうに笑った。


「朕は好きだよ、そういう直感。」


 だが、蓮の表情は微かに強ばっていた。

 凛音のあの夜。血の音。炎の匂い。

 そして、慕侯爵の冷たい手。


 ――あの男、すべてを承知のうえで動いた。

 慕侯爵の素性を凛音に洩らし、決断を促したのも、他だった。

 いまさら蒸し返すとは、何のつもりだ……試しているのか。

 それとも――寝返った?


 衛澈の笑みは薄く、そして深い霧のようだった。


 蓮も一拍置き、口元に笑みを浮かべた。

「……直感だけで動くというのは、大理寺ほどの人材を抱えるには、少々贅沢なやり方ではありませんか?」


 軽やかだが、明らかな牽制だった。


 衛澈も負けじと、すっと一礼してみせる。

「太子殿下が、朝議初日に臣の職務までご指導くださるとは……光栄に存じます。」

 そして、目を細めると、わざと少しだけ声を低くした。

「――ただ、もしも太子殿下が、こうも断定的に否定なさるというのなら……よもや、ご関係でも?」


 その一言に、文武百官がざわめいた。


 ざわ……ざわ……と静かに、だが確かに波紋が広がる。


 衛澈はそれを楽しむように、一度深く頭を下げると、あくまで「失言」であるかのように装った。

「――失礼いたしました。」


 だが、すかさず続けた。

「なお、先日の目撃情報にて――犯行現場の付近で、白い衣をまとった若い女性の姿が確認されたとの報告がございます。」


 蓮の心に、冷たい波が立つ。

 凛音にそのような時間も余地もなかったと、頭では理解している。だが――この発言は、意図的だ。

 ……狙っている。こいつは、最初から。


 蓮は呼吸を整え、口を開いた。

「衛少卿。それは、何を仰りたいのですか。」


 衛澈はまた、あの涼しげな笑みを浮かべる。だが、目は凍てつくように冷たい。

「太子殿下――もし、お心当たりがないのであれば、何よりです。」


 陶宅・月下


「太子妃殿下。今宵、わざわざ私をこの陶宅に呼びつけた理由――一体、何のご用件でしょうか?」

「衛澈……なぜ、今朝の朝議で慕侯爵の件を持ち出したの?あなた、何を狙っているの?」


「――それは、むしろ私のほうこそ問いたいところですね。

 『殺し屋』が、いつか白瀾の后になれると……本気で、そう思っているのですか?」


 凛音は、ただじっと、彼を見返していた。


 最近はずっと後書きを控えていました。だって……せっかくの結婚回、あまり雰囲気や余韻を壊したくなかったから。

 でも……第175話の前あたりで、「これ、もう完全に夫婦編に突入する流れでは……?」と、ひそかに見抜いていた方、いらっしゃったりしますか?☺️


 そう、ここからは完全に――凛音と蓮、ふたりで手を取り合って歩む章が始まります。平穏無事とはいかないけれど、互いを信じる気持ちは、何があっても変わらない。そんな二人の未来を、これからもぜひ見届けてください。


 いつもあたたかく見守ってくださる皆さんへ、心からの感謝を込めて――ありがとうございます!


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