176 謀りの後朝
翌朝——蓮の寝宮は、朝から妙に騒がしかった。
主君の席には、アイが図々しく腰を下ろし、口を尖らせている。
一方、アミーリアはまるで自分の家のようにくつろいだ様子で、李禹に「お茶!」「お菓子!」と気楽に指図を飛ばしていた。
凛律はといえば、何かを気にして落ち着かず、部屋の中をぐるぐる歩き回っていた。
そして、ようやく蒼岳の度重なる促しを受けて身支度を終えた蓮が、ぼんやりとした足取りで応接の間に姿を現した、その瞬間——
「蓮っ、音ちゃんは大丈夫だったの!?」
「ああ、大丈夫。今は寝てるよ……」
寝起きの蓮は、まだ半分夢の中といった顔で答えた。
それを聞いたアミーリアは、思いきり舌打ちしながら、盛大に目をひっくり返した。
「つまり今、あなたは『凛音様と同じベッドで眠りました』って、私たちにのろけてるわけ?」
その一言に、蓮は真っ赤になって一気に目が覚め、慌てて手を振った。
「ち、違う違うっ、そんなこと言ってないから!そもそも一緒に寝てないし!」
「はぁ?でも同じ部屋でしょ?」
「う、うん……でも、凛凛はベッドで、僕は……畳の上で寝たから……」
その場の全員が、絶妙な沈黙のあと、そろって目をそらした。李禹は肩をすくめ、凛律は軽く笑いながら額に手を当てる。
「ま、いかにも蓮らしいな。」
そのとき、アイは黙って席に座ったまま、ぷいっとそっぽを向いていた。
蓮はそっと近づき、困ったように頭を下げた。
「ごめんごめん。本当に知らなかったんだ、わざとじゃないよ。」
アイは返事をせず、ぷいっと顔を背けたまま、ふんと鼻を鳴らす。
「アイ君……本当に僕も知らなかったんだよ。凛凛だって同じだよ……」
「……次、こういうことがあったら、一番に私に教えなさい!」
その言葉が出た瞬間、部屋にいた全員がそろって声を上げた。
「次!?」
ちょうどその時、洵がひょっこりと顔を出し、いかにも楽しげな笑みを浮かべて言った。
「おやおや、みんな揃ってるじゃないか。」
「陛下。」
「父上。」
一同が慌てて起立し、礼をとると、洵は軽く手を振ってそれを制した。
だが――その直後。
みなが安心して顔を上げた、その一瞬。
「ふん、昨夜、南宮家を地に落とそうとした者たちが、皆ここに集まっていると聞いた。ちょうどいい、手間が省ける。」
洵は何気ない口調でそう言い放った。
蓮と凛律は同時に顔を上げ、アイでさえ背筋を伸ばして、身を固くした。
「ま、みんなで引き続き集まっておいてくれ。朕は、可愛いお嫁殿を迎えに行ってやろうかね。」
洵はそう言って、にこにこと笑いながら部屋を後にした。
朱寧宮。
高殿の内、鳳凰が描かれた屏風の奥から、陶磁器が砕ける鋭い音が連続して響いた。香炉は倒れ、香は床に散り、緋の絨毯にも灰が飛び散る。
「ふざけた真似を……っ!林家も洵も、わらわを愚弄しているのか!」
太后は吐き捨てるように叫び、袖で肘掛けを払った。脇に控えていた侍女たちは顔を伏せ、身じろぎ一つしない。
その時、奥の帳が音もなく揺れ、一人の黒衣が影のように現れた。顔は半ば面紗に隠れており、声は低く静かだった。
「……お心を鎮めませ。動くのは、今ではございません。」
「今ではない?この上、何を待てと!」
「やつらは今ごろ舞台の高揚の中にいるだろう。ならば、外から切り崩すまでです。」
太后の目が細くなり、しばし沈黙が落ちる。そして、冷ややかな声で命じた。
「言ってみよ。」
黒衣は膝をつき、声を潜めて告げる。
「まずは、大理寺の少卿に命じ、慕侯爵家の過去を洗い直させましょう。あの者が誰の手にかかって死んだかなど、我らにはとうに知れたこと。ただ、蓮殿下の火が、その表を覆い隠したにすぎません。」
「ふん……真相が掴めれば一石二鳥、掴めずとも、奴らを揺さぶるには十分。」
「それと、民には囁いておきましょう。――望月公会の殺し屋が白瀾に潜入し、すでにいくつか『無辜の命』が奪われたと。」
「……!」
太后の口元に、薄い笑みが戻った。
「まこと、狡猾でよい。奴らが信じる『正義』の名で、奴らを裂いてやればよい。」
蓮の寝宮。
「雪ちゃん、どうだい?ほら、早く早く、褒めてよ。」
洵は部屋に飛び込むと、まるで凛音からのお茶を待つように、そこに座って笑顔で言った。
「今回、雪ちゃんの信頼を裏切らなかったでしょ?」
凛音の身支度を整え終えたばかりの翠羽は、一瞬驚いた顔をし、慌てて一礼して部屋を出て行った。
凛音は落ち着いて、茶卓に歩み寄り、洵にお茶を注いだ。
「陛下、今回は本当に守っていただき、ありがとうございました。」
「陛下?そんな堅苦しい言い方、遠慮しすぎだよ。お父ちゃんって呼んでもいいけど、まぁ洵でいいよ~」
洵はお茶を一口飲み、にこやかに言った。
「実はね、朕も父って呼ばれるの、あまり好きじゃないんだ。霄寒みたいな父親、朕にはとても無理だよ。」
洵の眼差しが一瞬、悲しげに揺らめいた。
「でも、君が蓮に嫁ぐなんて、あの小僧がうらやましいね~」
「洵おじさん、太后は簡単に引き下がることはないでしょう。後の策は考えているんですか?それに、林府が焼かれた真相も調べたい。」
「彼女にこんな後宮に閉じ込められているのに、まだ外に出たいのか?」
「洵おじさん、忘れたんですか?私も簡単に引き下がるような人間じゃありません。」
「では、どうするつもりだ?」
「洵おじさんは、どの皇子を太子にしようと思っているのですか?」
「おや?雪ちゃん、なかなかの野心を持っているようだね。」
「いえいえ、ただ、白瀾国には女性が官職に就いた例はありませんが、女性が政治に関わった例はありますから。」
陽は照りつけ、風は吠える。
争いの火種は、またしても宮廷へと舞い戻る。
策と謀が交錯する場に、静けさなど望むべくもない。
南風ひとたび起これば、林はざわめく。
古き誓いは、いま再び試されようとしている――守るべきは、名か、志か。




