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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第十五章:過ぎし夢を胸に、還るべき場所へ
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174 喜蓋の下、誰かを待ちながら

 白瀾ハクラン国の婚礼のしきたりでは、新婦はそれぞれの寝宮に送られ、紅絹で織られた刺繍の寝台に静かに座し、新郎の訪れを待つとされている。

 一方の新郎たちは礼殿にて、賓客たちと酒を酌み交わし、婚礼の宴を楽しむのが常。


 ——だが、今日の宴には、肝心の「新郎」がひとりも姿を見せなかった。


 この婚礼に仕組まれた最初の陰謀。それは、第一皇子の「出席」だった。


 ひとことで言えば。

 いや、ひとつの言葉で済む——偽物。


 第一皇子は、そもそも婚礼に現れていない。

 礼の場に立ったのは、皇太后が用意した「第一皇子」だった。


 誰の目にも、それが偽物であることは明らかだった。

 まるで、誰もが知っている事実のように。

 皇太后が凛音リンインを「生贄」として差し出そうとしていることも——また、然り。


 だが、第二皇子もまた、宴に姿を見せていない。


 それもまた、誰もが知っていた。

 ——彼が心から愛した少女が、その「祭壇」に立たされていることを。


レン、やっぱり凛音を連れて逃げなさいよ……それが無理なら、いっそ私と一緒に天鏡テンキョウ国へ戻る?」


 庭の石に腰を下ろしながら、アイはぽつりと呟いた。

 その視線の先、蓮は自分の寝宮の庭に、ただ黙って立ち尽くしていた。


「まさかアミーリアが、あんなに素直に婚礼を受け入れるなんて。しかも、あんなおとなしく中で待ってるとは思わなかったよ……」


 返事はない。

 アイは肩をすくめ、ひとりで続けた。


「招待状をもらった時はさ、ついに凛音ちゃんと結ばれるのかって思ったのに……なんでこんなことになっちゃったのかねぇ。」


「それにしても、昨日からあなた、ほんっとに何も喋らないよね?ちょっと……いや、かなり不気味なんだけど?」


 そう言いながら、アイはひょいと立ち上がり、庭に咲く芍薬の花をひとつ摘んだ。

 そして、花びらを一枚一枚、ゆっくりと指でちぎっていく。


淵礼エンレイだって、姿を見せてないし。

 可愛い妹が二人とも白瀾ハクラン国のものになっちゃったんだよ?

 ショックで寝込んでるとか、顔を合わせる元気すらないのかもね。」


 ……それでも、蓮は一言も口を開かなかった。


 アイは小さく息をついて、再び石に腰を下ろした。



 寝宮の中。

 凛音は寝台に腰を下ろし、自らそっと喜蓋きがいを取り払った。


 そのまま、窓辺へと歩み寄る。

 衣の乱れを整えると、足元の足袋に指を差し入れ、

 そこから、小ぶりの匕首を一振り——慎重に抜き取った。


「第一皇子って、どんな人なんだろう。ちゃんと話せる相手だといいけど……」


 ぽつりと呟き、匕首を腰の後ろに差し込む。

 そして再び寝台の席に戻り、自らの手で喜蓋をかぶせ直した。


 もう一人の花嫁は、寝台の端に座ったまま、ぴくりとも動かなかった。


 ふたりの新婦は、それぞれの寝宮で、それぞれの新郎を待っていた。


「はいはい、我が第一皇子・南宮蓮ナングウレン殿下。いいかげん、なんか喋ってくれない?」

 アイは最後の花びらをひらりと捨てると、すっと立ち上がり、そのまま蓮の目の前へと歩み寄った。

「じゃあさ、こうしようよ。白虎と一緒に、この場をぶち破って逃げよう。」


 けれど、蓮はぴくりとも動かない。


 それを見たアイは、軽く舌打ちしてから「白虎!」と声をかけ、くるっと背を向けた。


 見た目は相変わらずの軽い調子。

 だけど、もうあの頃のアイじゃない。

 その瞳には——今の蓮よりもずっと強い「覚悟」が、はっきりと宿っていた。


 白虎は一振り身を震わせ、すぐさま戦装束へと姿を変える。

 もう何も訊かない。

 なぜ、どうして——そんな問いすらなく、ただ「やるべきこと」をやるだけの存在に。


「……待って。」

 蓮が、ようやく口を開いた。

「今、君が動いたら……凛凛が守ろうとしてたすべてが、壊れる。」


 拳を握りしめながら、彼は続けた。


「ずっと考えてた。林の一族、みんなを助ける『完璧な方法』がないかって。

 だけど……どうしても、見つからなかった。」


 蓮は顔を上げた。

 その頬を、涙がひとすじ滑り落ちていく。


「もし……全部を無視して、彼女だけを連れて逃げたら——

 それってもう、ボロボロの彼女に自分の手でとどめを刺すのと、何が違うんだよ。

 ……そんなことしたら、彼女には、何も残らない。」


 蓮はずっと上を見たまま、アイのほうを見ようとはしなかった。


「いっそ、父上を殺して……祖母上も斬って……

 いや、白瀾ハクランの王族全部、この手で終わらせたほうが早いんじゃないかって……ずっと、そればっかり考えてた。」


「……蓮。」


 アイは足を止め、蓮の背をじっと見つめる。


「……ごめん。さっきの発言、軽かったよね。私。」


 蓮は静かに振り返る。

 けれどアイを見ず、そのまま無言で、彼の横をすれ違って歩き去った。


 そのころ、凛律リンリツもまた府に戻り、林将軍のもとを訪ねていた。


「お父様……私たち、もう行きましょう。白瀾を出るんです。」


 ——ドンッ。

 鋭い音を立てて、彼は真っ直ぐに膝をつき、そのまま地に頭を垂れた。


「音ちゃんを……愛してもいない男に嫁がせるなんて、私には耐えられない。

 それも、私たちのために彼女が……あんなにも耐えて、踏ん張ってきたのに……」


 林将軍は少し身をかがめ、凛律の肩に手を置いて優しく語りかける。


「律……お前がそんなふうに取り乱すとはな。落ち着け、まずは深呼吸だ。」


「お父様、どうやって落ち着けっていうんですか!

 音ちゃんが、こんな理不尽な形で嫁ぐなんて……絶対にあってはならないことです!

 お母様があの世でこれを見たら……きっと、目を閉じることすらできない!」


 蓮は、自分の寝室へと戻った。

 そこには、本当に——新婦が、寝台の上に静かに座っていた。


 ……なぜだ。

 アミーリアが、なぜあそこまで素直に私に嫁ごうとしているのか、理解できない。

 抵抗すら見せなかった。


 どこかで見落としていたか?判断が甘かったか?

 ……あるいは、自分の愚かさが、ここまで事態を悪化させたのか。


 ――どう声をかけるべきか……面倒だな。


 蓮は小さく嘆息し、額に手をやった。

 これほどまでに動揺するのは、生まれて初めてだった。


 今は……まず、喜蓋きがいを取るべきなのだろうか?

 だが、それはつまり——彼女を正式に「妻」と認めるということになる。


 かといって、否定して何になる?すでに儀式は済んでいる。


 腕を組み、しばし沈思する。


 ……いっそ、何事もなかったかのように蓋を取って、「離縁してくれ」と申し出るか。

 アミーリアの性格からして、誇らしげに「まずは跪きなさい」とでも言いそうだ。


 だが、凛凛と私のためになるのなら——

 跪くことに、何のためらいがある?


 そう決めて。蓮が、迷いを帯びながら蓋へ手を伸ばした——その瞬間。


 新婦が反射的に匕首を抜き、彼の手をぴたりと止めた。


「……凛凛?」


「……蓮?」


 今度こそ、新郎はゆっくりと蓋を取った。

 そして新婦も、それを拒まなかった。

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