167 すれ違う選択
「淵礼兄上、あなたが今回の軍事演習に来た本当の目的は——何?」
凛音は、そう言いながら最初の一太刀で淵礼の喉元を狙った。
淵礼は後退する暇もなく、首をひねって避けざまに剣を抜き、凛音の剣を受けて弾き返す。
「お前に、『凌千雪』の名を取り戻してもらいたい。」
その言葉に、凛音の動きが一瞬だけ止まった。
今度は淵礼がまっすぐに間合いを詰め、鋭く剣を突き出す。
凛音は一撃目を受け止め、二撃目もなんとか防ぐ。剣と剣が交差し、鋼が何度も火花を散らす。
だが、凛音はその問いに対して、答えを返さなかった。
淵礼は数歩下がり、息を整えて構え直す。そして、視線を外さずに言葉を継いだ。
「お前に林凛音の名を捨てろとは言わない。林家は、お前に恩がある。……だからこそ、私にとっても他人事ではない。だが私は今、祖父上の跡を継ぎ、蒼霖国を守る立場にある。だからこそ、お前にも共に歩んでほしい。堂々と、雪華国の王女として。」
そう言うと、淵礼は練兵場の柱を蹴って飛び上がり、そのまま空中で身を翻して凛音に斬りかかる。
凛音は右手の剣で受け止めるが、上からの衝撃に押されて体勢が崩れた。
すぐに左手で腰の月牙の刃を抜き、両手の剣で全力を込めて押し返す。
「でも、雪華国はもう……存在しない。」
「いや、失われたのは国の名前だけだ。領土はまだある。民も生きている。王女も、この世に残っている。」
淵礼はさらに力強く二撃目を叩きつけ、凛音の月牙の刃を弾き飛ばす。
剣を凛音に向けたその瞬間、ふいに剣を背に回し、動きを止めた。
踏み込みとともに凛音の剣を蹴り上げ、空中で受け取ると、柄を握り直して彼女に差し出す。
「……この動き、腹立つだろ? 父上に教わったんだ。」
淵礼はくすりと笑い、どこか少年のように言った。
凛音は剣を受け取らず、ただじっと目の前の兄を見つめていた。
そこにいるのは、彼女の知っている淵礼ではなかった。
「だからこそ、お前は蓮とは添い遂げられない。
あいつは白瀾国の王になる。お前は……雪華国の王になれる。」
凛音は拳を握りしめ、一語一語を噛みしめるように言った。
「——それじゃ、兄上は、あの裏切り者たちと何が違うの?」
「洵叔父が民を救ったのは確かだ。だが、彼は政に興味がない。
後ろには一手に権力を握る太后がいて、朝廷は腐敗してる。
それでも、お前はあの民たちを、雪華国の誇りを、そのまま放っておくつもりか?」
淵礼は再び剣を差し出す。今度は、迷いのない力を込めて。
「雪華国は二度も滅んだのよ。……誇りを二度も踏みにじられた国に、誇るものなんてあるの?」
凛音は剣を受け取り、迷いなく振り下ろして鞘に収めた。
「誇りがないからって、尊厳も、責任も投げ捨てるの?
……あなた、自分の民がどんな暮らしをしているか、わかってるの?」
それが、淵礼の最後の言葉だった。
彼は剣を納め、背を向けて歩き去る。
その場には、凛音だけが残されていた。
清樹は柱の陰に身を隠しながら、ただ凛音と淵礼の剣技を傍観するつもりだった。
だが、まさかあんな会話を耳にするとは思ってもみなかった。
今となっては、姿を現すべきか否か、迷っていた。
そのとき、凛音が静かに歩み寄り、柱に背を預ける。
「清樹、あなたはどう思う?」
清樹もまた、そっと背を向け、同じく柱にもたれかかる。
「私は……淵礼殿下のお言葉にも、一理あると思います。」
「うん。」
清樹は天を仰ぎ、空を見上げながら続ける。
「ですが、蓮殿下なら——きっと国の行く末を変える力をお持ちでしょう。
白瀾の風を、新たなものへと導けるはずです。」
「うん。」
「凛音様がどうなさるかは、ご自身の目で見極めてから——それでよいのではないでしょうか。」
凛音は拳を握りしめた。
「清樹、私はもう少し、軍営と白瀾国に留まりたい。
この軍には、きっと内通者がいる。清樹はよく観察して。
林夫人と林家の仇、今度こそ一緒に——はっきりと、けじめをつけたい。」
「わかりました、凛音様。」
気づけば、凛音は「清樹君」ではなく、「清樹」と呼んでいた。
それと同じように、彼女は「お母様」ではなく、「林夫人」と呼ぶようになっていた。
その変化が、彼女の中で何を意味していたのか——本人さえ、まだ気づいていなかった。
演習最終日の夜、淵礼は再び凛音の帳へと足を運んだ。
「これは、セレーネが君に託してほしいと言っていた、公会の令牌だ。
彼女はこう言っていた。もし君が望むなら、望月の者たちは今日から君の指揮に従う。
彼女の代わりに、悪を討ってほしい。正義をあなたの目で見極めてほしい。
月の光は、たとえかすかでも……願わくば、この世に灯が絶えることなきように。
……それは、君たちの『長明』と、同じ祈りだったのだろう。」
皆、それぞれのすれ違い。ここから、始まる。
恥ずかしいですが、今日もギリギリで書き終えました。もし明日がんばれなかったら、どうかお許しください。




