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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第十五章:過ぎし夢を胸に、還るべき場所へ
163/183

163 歳月

 朝の光が、薄絹の帳越しに柔らかく差し込んでいた。

 凛音は病床に上体を起こし、背後に当てられた薄紫の枕にもたれかかっていた。

 枕元には蓮がいて、薬碗を持ったまま、どこか安心したような顔で彼女を見つめている。

 凛音はその薬を口に含みながら、ふと、ぽつりと呟いた。

「……ねえ、今の歴史って……どうなってるの?」


 薬の苦味が舌に広がるのと同時に、胸の奥に小さなざらつきが残った。

 今朝突然目を覚ましたとき、すでに蓮はこの部屋にいた。

 どうやら、ずっと林府に居座っていたらしい。

 ……皇宮に帰ってないんだ。


 その問いに、蓮は少し驚いたように瞬きをしてから、柔らかく答えた。

「……父上は、天鏡国と雪華国の王が命をかけて戦い抜いて、最後には民のために自らを犠牲にしたからこそ、諸国が混乱せずに済んだ——そう父上は伝えて回ったんだ。」

「じゃあ……雪華国の民は?」


「国境の向こう側——もともと同じ水脈を分かつ場所だしね。父上は、無理に雪華という名を残すのではなく、その土地の生活を壊さない形で、白澜の保護下に置いたんだ。」


「……それなら、それで、よかった。」

 凛音はふと顔を上げ、しばし考えるようにしてから、ぽつりと呟いた。

「……じゃあ、清樹君は?お母さんは……どうなったの?」


「ここにいますよ~」

 外室で梨を剥いていた清樹が、ひょいと顔を出しながらにこにこと笑って入ってきた。

「僕、ずっと星宮で白虎さまのそばにいたじゃないですか?だから記憶も改ざんされなかったし、時間の修正からも外れてたんです。だから……僕の母も、生き返ったりしてません。」


「そんな……」

 凛音は唇をかみしめ、悔しさと寂しさの混じった目を伏せる。

「結局、私が一番大事にしてた人たちの、過去も未来も……何も変わってないんだね。」


「凛音さま。」

 清樹はやわらかく笑いながら、手にした梨をそのまま差し出した。

 それはまだ切っていないままの、まるごとの梨だった。

「僕の母は、もともと疫病や毒で亡くなったわけじゃないんです。病気でしたよ?

 それに、凛音さまと一緒に歩いてきた記憶……そんなの、捨てるわけないじゃないですか。」


「だからね、実は——ほとんどの人の記憶は変わってないんです。変わったのは、雪華国や……毒に関係してた人たちだけ。凛凛、安心してください。」


 そう言ったのは清樹ではなく、また蓮だった。

 凛音は、それを聞いてようやく少しだけ表情を緩めた。


 だが——蓮は間髪入れず、付け加えた。


「……でもね、変わったこともある。あの宰相、凛凛が先に斬っちゃったから。

 だから祖母上、今は冷宮にはいないんだ。」


 凛音は一瞬、目を見開いて、それから少し困ったように笑った。

 そして、まるで蓮を慰めるかのように、ゆっくりと答えた。


「……でも、もしかしたらね。宰相がいなかったら、皇太后さまも、あんなことはしなかったかもしれないよ?」


「どうかな。」

 蓮は視線を逸らしながら、ぼそりと呟いた。

 まるで、その可能性を否定したいような、でも信じたくもあるような——

 そんな曖昧な声音だった。


 そのとき、清樹はずっと饒舌もせず、妙に興味深げな表情で、凛音と蓮を交互に眺めていたが、いつの間にか、完全に凛音だけを見つめていた。

 視線が、あからさまに逸れない。


「……清樹君、どうかした?」


 凛音が問いかけると、清樹はぴしっと姿勢を正し、どこか芝居がかった丁寧な口調で訊ねた。

「凛音さま。ひとつ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」


「もちろん。」

 凛音は優しく笑みを浮かべてうなずいた。


「凛音さまと蓮殿下って……ご結婚、されたんですか?」


 その瞬間——


 凛音は飲んでいた薬を思わず噴き出しかけた。

 だがなんとか体裁を保とうと、慌ててそれを飲み込み……そして見事に喉に詰まった。


「けほっ、けほっ……!」


 ひどく咳き込み始めた凛音の背を、蓮は静かに、だが妙に丁寧にぽんぽんと叩いた。その手つきは、明らかに「見せつけ」を含んでいるような気さえした。


 ようやく咳がおさまった凛音は、仕方なさそうに苦笑いを浮かべた。

「……まあ、そう……言えなくもない……かな?」


 そのとき——


「……なっ、凛音!今、何と言った!?」

 奥の間から、ひときわ低く、鋭い声が響いた。

 林将軍の声だった。滅多に聞かないほどの、厳しい調子で。


「……どういうことですか!」


 凛音は口を開きかけたものの、どう説明していいか分からず、言葉に詰まった。

 代わりに、蓮がすぐに笑顔で口を挟んだ。


「冗談ですって、師匠。」


「冗談……?殿下、そんなことが冗談で済むとでも?」


 林将軍の声音はさらに硬くなった。

 これまでどんな時も泰然としていた彼が、こんなふうに声を荒げるのは、凛音にとっても初めてのことだった。


 蓮もさすがに表情を引き締め、軽口を封じた。


 が、次の瞬間——


「殿下、本日はこれでお帰りください……お見送りも、差し控えさせていただきます。」


 明確に告げられたその言葉に、室内の空気がひやりと凍った。


 蓮は凛音に一度視線を向け、それから林将軍を見た。

 自分の軽口が、あまりにも不適切だったことをようやく悟り、何も言わずにその場を後にした。


 林将軍はちらりと清樹を見てから、短く告げた。

「……清樹、お前も下がれ。」


「……お父様?」


 清樹が戸惑いの声を上げると、将軍は凛音の反応を待つことなく、重い口を開いた。


「——普段はあまり多くを言わぬつもりだったが、これは別だ。終身のことを、軽々しく扱ってはならん。」


 凛音が何か言おうとした瞬間、それを遮るように、彼の声が続いた。


「私は白瀾国に忠誠を誓っている。だが——お前まで、そうである必要はない。

 皇家に嫁ぐということが、どれほど過酷なことか……男の私ですら知っている。

 ましてや、お前の正体が露見したらどうする?命を狙われることだってある。」


「……お父様。蓮は、すでに私の正体を知っています。」


 それでも将軍の視線は鋭く、言葉は揺るがなかった。


「わかっている。だが、王宮の者すべてが蓮と同じではない。

 お前を脅威と見て、抹消しようとする者がいないとは限らん。」


 凛音は、そのまま黙り込んだ。父の言葉の一つひとつが、胸の奥に刺さる。


「……凛音。」

 林将軍の声が、ふと柔らかくなった。

「……これ以上、お前が傷ついていくのを、黙って見ていることはできん。」


 林将軍は——その生涯を、ただ一振りの剣に懸けてきた。

 戦場に立ち続けた歳月は、幾多の命を救い、不義を討ち、国を守るためにあった。

 威風堂々としたその姿は、正義の体現であり、白瀾にとってひとつの誇りでもあった。


 息子・凛律をも国家に捧げ、家よりも民を、自分よりも大義を選び続けたその背中は、いつも強く、揺るぎなかった。


 ——だが。

 そんな彼が、老いを意識したのは、ほんの半年ほど前のことだった。


 愛した妻は、あの夜、炎の中で帰らぬ人となった。

 娘はそれより遥か昔——十二年前、理不尽な毒に倒れ、幼くして命を奪われた。


 そして——我が子のように大切にしてきた凛音までもが、何度も傷つき、血を流し……

 今回はついに、昏く、長い眠りへと堕ちていった。


 目覚めるかどうかも分からない凛音を前に、

 林将軍は、かつてないほどの孤独と後悔を味わった。


 ……気づけば、髪には、いつの間にか、見慣れぬ白が混じっていた。

 背は変わらず大きいのに、不思議と、その輪郭は寂しく見えた。


 ——あのとき、もっと違う選択ができていれば。

 ——自分がただの父親でいられたなら。


 そんな想いを、林将軍は決して言葉にはしない。

 けれど、その静かなまなざしの奥には、

 どんな敵よりも深く、冷たい「後悔」の影が、確かに彼の瞳に宿っていた。


 凛音の心が、ぎゅっと締めつけられた。父がどれほど疲れていたのか——凛音には、このときようやく分かった。そして、彼女はゆっくりとうなずいた。


「……わかりました。お父様。」

実は、カクヨムで新しい作品を始めました〜!

タイトルは、

『もう人間に戻らなくていいかも?異世界で猫になったら毎日が天国でした!』です


今連載している『雪の刃』とは全然違う雰囲気で、

この作品は、ちょっと疲れた自分を癒すために書き始めたもので……

書いてるうちにすごく楽しくなって、「ああ、小説ってやっぱりいいなあ」と思わせてくれた、大切な作品です。


今回はカクヨムのコンテストに参加している関係で、こちらにはアップしていませんが、

どうしても……ちょっとだけでも……気になった方がいたら!

ぜひ、遊びに来ていただけたら嬉しいです〜


ちなみに、毎話に自分で撮った猫の写真や動画もつけています!

第4話からは動画も登場!にゃんとも可愛いので、見てほしいな〜!


https://kakuyomu.jp/works/16818622174619917874/episodes/16818622174622514266


ふわふわの猫たちと一緒に、癒しと笑いとちょっぴり冒険の「異世界ねこライフ」、あなたも始めてみませんか?

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