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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第十四章:鏡の光に別れを、未来の空に願いを
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160 光に別れを、祈りの未来

 かつて星々を映し、時を結ぶはずだった星杯は――いま、完全に砕け散っていた。

 杯の欠片は無数の星屑となって宙に舞い、もはや誰の祈りも受け止めることはない。

 ただそこに残されたのは、途切れた時の気配だけだった。


 その前で、ひとり、またひとりと膝をつき、沈黙する者たち。


 やがて――静寂を裂くように、砕けた杯の残光がふと、淡く瞬いた。

 誰もが息を呑む。

 その瞬間、確かに声が届いた。


「――見えたぞ! 白瀾国の旗だ!」

 高台の見張りの兵が叫ぶと同時に、白銀の吹雪を割って無数の人影が現れる。

 その先頭を駆けるのは、蓮と洵。

 彼らの背後には、白瀾国屈指の医師たちが重装備と薬箱を担ぎ、慌ただしく続いていた。


「蓮……洵叔父……!」

 駆け寄る凛音の顔に、ようやく安堵の色が浮かぶ。

 その到来が、絶望の淵に沈みかけていた雪華国の人々に、確かな希望をもたらしたのは言うまでもない。


「凛凛、大丈夫か!」

「状況は把握した。すぐ医師たちを展開させる!」


 洵はそう言うや否や、医師団に素早く指示を飛ばし、村の各地で治療と対策が始まった。

 人々は再び水や薬を手にし、倒れ込んだ家族を必死に支え始める。


 だが――凛音はふと、気がかりな問いを洩らした。

「でも……白瀾国境は? あちらは大丈夫なの?」


 一瞬だけ、洵と蓮の顔が曇る。

 ほんのわずかな変化だったが、凛音は見逃さなかった。


「……林将軍がいる。」

 洵は短くそう告げると、少しだけ視線を逸らす。


 凛音は戸惑い、思わず問い返した。

「お父様?どうして……そこで?」


 蓮は、重い記憶を引きずるように口を開いた。

「……本来なら、ただその近くで駐屯して訓練していただけだった。けれど――」


 そこで蓮は言葉を切る。

 凛音の胸が、ひゅっと縮こまる。嫌な予感が、全身を駆け巡った。


「……体の弱い娘が、たまたま父を訪ねて、誕生日を一緒に過ごそうとしただけだった。」

 蓮の声は、遠くを見つめるように沈んでいく。

 凛音の呼吸が浅くなる。


 そして――


「……けれど、偶然口にした水が毒だった。そして、そのまま……帰らぬ人となった。」


 その瞬間、凛音の鼓動が耳の奥で炸裂した。

 胸の奥で、何かがきしむように痛む。


「……そんな……」


 思わず漏れた声を、洵がぴしゃりと遮った。

「――考えるだけ無駄だ。確かに悔しい話だが、あの林将軍だ。どんな痛手を負おうとも、あの人が民を見捨てるわけがない。」


 凛音ははっとして、口を閉ざす。

 今は――考えている暇などない。


 彼女は静かに頷き、目の前の現実へと意識を戻した。


 その時だった。

「――遅れてしまいましたね。」


 凛音が振り返ると、帰国途中だったはずの天鏡国の女王が、精鋭の騎兵と共に現れた。

 彼女は一目で状況を把握し、迷いなく命じる。

「残りの者たちも援護に回しなさい。今は、救える命を救うのが先決です。」


 凛音は目を見張り、思わず声を洩らした。

「……本当に……皆……来てくれた……」


 女王は柔らかく微笑み、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「当然のことよ……この瞬間を変えたのは、あなたたちなのだから。」


 状況は一気に動き出した。

 白瀾国の医師団と天鏡国の援軍、そして雪華国の兵と医師たちが連携し、村は確実に蘇り始める。

 死の匂いに包まれていた場所は、次第に安堵と希望の光で満たされていった。


 突然。


「陛下、大変です!」

 慌ただしく駆け込んできたのは、宮中からの使いである乳母だった。

 その顔は青ざめ、必死の形相で叫ぶ。

「千雪姫様が…… 高熱を出し、意識も朦朧としております!」


 凛音がはっと息を呑み、霄寒もまた静かに眉を寄せた。

 ほんの一瞬、彼の視線は目の前の凛音へと向けられる。


 ——分かっている。

 本来あるべき「千雪」の命は、その均衡を失い続けるということを――

 しかし、この場でそれを口に出すことなどできない。


 霄寒は重く息を吐き、努めて冷静に告げた。

「……母を失った悲しみのせいかもしれない。今は、そちらへ向かう余裕がない。すまないが、千雪のことは……どうか、よろしく頼む。」


 その言葉は、決してただの父としてだけのものではなかった。

 深い苦悩と、自らの無力さ、そして娘に対する微かな罪悪感すら滲ませる声だった。


 夜も更け、救援の手が一段落した頃――


 凛音たちの間に、拭いきれない疑念が漂い始めていた。

「……じゃあ、本当に歴史は変わったの?」


 凛音の問いに、誰も即座には答えられなかった。

 確かに救われた命もあった。だが――清遥は、結局あの時と同じ道を辿ったのだ。

 本当に運命は変わったと言えるのか?


 皆が重い沈黙に包まれたその時だった。


「――陛下、お茶をお持ちしました。」


 霄寒の隣で控えていた侍従が、茶を載せた盆を抱えて歩み寄る。

 だが――次の瞬間、事態は一変した。


「っ……!?」


 侍従は、突然その茶を霄寒めがけて勢いよくぶちまけた。

 熱湯と茶器が飛び散り、霄寒が思わず顔を背けた刹那。

 その影から、男の手が閃く。


 腰に忍ばせていた匕首が抜き放たれ、一直線に霄寒の胸元へと突き出されたのだ。


 凛音の身体は、誰よりも早く動いていた。

 咄嗟に霄寒の前へ飛び出し、その身を盾にするようにして――自らの胸元で、凶刃を受け止めた。


「凛音!」

 洵と蓮の声が重なった。


 だが凛音は、血に染まりながらも倒れなかった。

 彼女は、刺さったままの刃を睨みつけ、声を振り絞る。

「まさか、こんな手で……」


 刺客は嗤った。

 そして、顔に手をやると、まるで仮面を剥ぐように、皮膚を引き剥がす。


「やっと気付いたか。そう――私だよ。」


 そこに現れたのは、死んだはずの男。

 雪華国の元宰相、その人だった。


「誰も屍を疑わなかった。あの老いぼれの顔で転がしておけば、誰も気にしないものさ。だが、手足と声だけはどうしようもなかった……二十代のままではね。」


 男は狂ったように笑った。

 誰もが愕然とする中、凛音だけは静かだった。いや、冷たく燃えていた。


 凛音は、苦悶を押し殺しながら、腰の千雪之刃を引き抜いた。

 その手は震えていたが、迷いはなかった。


「……ふざけないで……!」


 凛音は、胸に突き立てられたままの匕首を睨みつけ、その突き出た刃を一気に斬り落とした。

 銀の破片が宙を舞い、周囲の空気が凍りつく。


 そのまま彼女は、斬り落とした剣先を構え直す。

 その眼差しは、既に覚悟に満ちていた。


「――今度は、この目の前で。確実に、殺す。」


 そして、彼女が心の奥底で呼びかける。


 浮游……お願い。まだ、倒れるわけにはいかない。

 もう少しだけ力を……この因縁を、断ち切らせて。


 その祈りに応じるように、剣は青白く輝きを増し、氷の華を咲かせた。

 それは、もはや千雪の刃ではない。真なる「雪の刃」として凛音の手に宿ったのだ。


「……これで、終わりにする!」


 その叫びと共に、凛音は駆け出した。

 宰相の手勢が立ち塞がるが、彼女の剣は止まらない。

 氷の刃が描く軌跡はまさに流星。一閃ごとに敵を凍てつかせ、砕いていく。


 だが――宰相はなおも笑い、退く気配を見せなかった。

 むしろ、自ら霄寒へ向けて最後の一撃を放とうとしていた。


「させない!」

 その時、女王が躍り出た。

 彼女の手にした銀の鞭が宙を裂き、音を立てて宰相の腕を絡め取る。


「凛音、今だ!」

 女王の声が響く。


 その瞬間、凛音は迷いなく跳び込んだ。

 氷の刃を両手で握り、ただまっすぐに――宰相の胸元へと突き立てる。


「――私の手から、誰も、これ以上奪わせない!!」


 刃が宰相を貫くと同時に、彼の身体は一瞬で凍りついた。

 驚愕の表情のまま、彼は雪のように崩れ、完全に消滅する。


「……さようなら。」

 凛音の声は、戦場の隅々まで、深く染み渡っていった。


 すべてを覆っていた因果の鎖は、彼女の手によって断ち切られた――そう思えた。


 だが――


「っ……!」

 凛音はふらりとよろめき、その場に崩れ落ちた。

 口元から鮮血があふれ、意識は闇に沈んでいく。


「凛凛!?」

「……だめだ、血が……!」


 蓮と洵が駆け寄り、必死に呼びかける。

 だが、凛音の呼吸はどんどん浅く、弱くなっていった。


 霄寒は、その場に膝をついた。

 まるで、すべてが崩れ落ちるのを止められないかのように。

 最愛の妻を失い、国を毒で蝕まれ、ようやく訪れたはずの希望すら――

 今、愛娘の命と共に、指の隙間からこぼれ落ちようとしていた。


「浮遊!浮遊、お願いだ……彼女を助けてくれ!」


 蓮が泣き叫ぶように天へ訴える。

 だが、ふと浮かび上がった浮遊の影は、悲しげに首を振った。


「……無理じゃ。

 わしの力は、この地すべての水を清めるために、すでに使い果たしてしまった……

 それに……凛音は、本来なら未来へ還るべき存在。

 このままでは、『時』そのものが、彼女を容赦なく飲み込んでしまう。

 ――わしには、もう……どうすることもできぬのじゃ……」


 その言葉に、誰もが言葉を失った。


「じゃあ……どうすれば……」

 蓮の声は、涙に震えていた。

「朱雀……お前なら……」


 必死にすがるように、蓮は朱雀へと呼びかける。


 だが朱雀もまた、どこか苦しげに言葉を紡いだ。

「……私が命を戻せるのは、白瀾国の王族だけだ。契約者に限られる。」


 絶望が広がった、その時だった。


「――ならば、今、彼女を未来に戻せば……どうだ?」

 洵の言葉に、全員が振り返る。


「無理だ! 星杯は砕けたんだ……」

 すぐに白虎が顔をしかめ、苛立つように首を振った。

「……甘く見るな。未来へ戻すだけでも、四神すべての力が要るんだ。

 しかも、ただ揃えばいいわけじゃない。莫大な神力が必要なんだぞ。

 今の今、玄武はこの場にすらいない……」


 霄寒は、うつむき、苦しげに目を閉じた。

 そして、娘を救うための決意そのものとして、はっきりと言い放つ。

「……わたしの体には、かつて玄武が宿っていた。

 今は去ったが――もし、いや――

 私は命と力すべてを捧げよう。だから……どうか、娘を救わせてくれ。」

 その言葉に、凛音の髪から――玄鉄簪が強く、眩しく輝き始めた。


「私も……命を捧げます。」

 天鏡国の女王が進み出た。

「これも、父の罪。私も共に償わせてください。アイも、きっとそう望むでしょう。」


 その時・星宮。

 砂のように流れる星の欠片の中で、女王の姿が映し出された。

「……白虎。

 アイに伝えて。私は、彼を愛していると。

 そして――私の次は、彼が王となるように。」

 アイは静かに涙を流し、微笑む。


 また、霄寒の声が震えるように響いた。

 彼は、そっと空を仰ぎ、どこか懐かしむように、そして深く感謝を込めて言葉を紡いだ。


「青龍……雪華国を救ってくれて、本当にありがとう。

 この国は、これまでにも幾度となく戦や疫病に見舞われた。

 だが、百年の時を超えて、あなたが目覚めたのは、初代王女ただ一人――そして、凛音だ。」


 霄寒は、こらえきれない涙を浮かべながら、それでも笑みを浮かべ、続けた。


「きっと、それはお前が彼女を選んだのと同じように、千雪もお前を選んだのだろう。

 ……だから、お願いだ。

 この先、娘を……千雪を、お前に託してもいいだろうか。」


 そして、霄寒は泣き笑いのまま、空を仰ぎ、まるで昔の友に語りかけるように声を上げた。


「……なあ、相棒。

 悪いな。お前を封印までさせたっていうのに、今またこうして頼ることになるなんて……

 でも……どうか、頼む。

 ……どうか……この子だけは、生かしてやってくれ!」


 その声に応えるように、全ての祈りが交わる。


 光が満ち、砕けた星杯が淡く輝き始める。

 空に舞う無数の光が、誰もが託した願いを映し出しながら、

 凛音を優しく包み込み、その身を未来へと送り出していった――

 ひかり絶え 祈りは巡り 時渡る

 ともに物語を歩みし あなたへ

 ――ありがとうございました また明日

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