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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第十四章:鏡の光に別れを、未来の空に願いを
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158 抗う者たち

 同じ雪景色だった。

 けれど霄寒の目に映るそれは、もはや純白ではなかった。

 全ての輝きを失い、ただ息を詰まらせるような灰色に染まっていた。


「……もう、終わりだ。」

 低く沈んだ声が、ぽつりとこぼれる。

 清遥は逝き、国境では毒が広がりつつある。

 避けようのない「終焉」が、まさにこの国全体を覆い尽くそうとしていた。


 霄寒は降り続ける雪を見上げ、ほとんど聞き取れないほどの声で、ひとり呟く。

「……私は、お前たちの言う『過去』なんて知らない。だけど、結局こうして、今回も運命を変えることなんてできなかったんだな……」


 それは誰に向けた言葉でもなく、ただこの閉ざされた王城と、そして自分自身に投げかけられた諦めだった。


 蓮は拳を固く握りしめた。

 想像するだけで怖かった。

 もし、凛音を失ったら——自分はどうなってしまうのか。考えるだけで、喉が締めつけられる。


「……何言ってるのよ!」


 その時、不意に凛音が叫んだ。

 いや、叫んだというよりも、怒鳴りつけたと言った方が正しい。

 その声は凍りついていた広間の空気を、一瞬で激しく震わせた。


「母上は救えなかった……でも、まだ生きている人はいる!救える命があるなら、諦める理由なんてどこにもない!」


 悲しみも、怒りも、全部を乗せた凛音の言葉は、鋭く響き渡る。


 蓮はその勢いにやや驚きながらも、すぐに頷いた。

「……そうだな。今ここで諦めたら、本当にすべてが終わってしまう。」


 その声は、凛音に向けたものではなかった。

 まっすぐ霄寒に向けられた、強い言葉だった。


 現実は残酷だ。

 けれど、今は悲しみに浸っている暇さえ、与えられてはいない。

 だからこそ——立ち上がらなければならないのだ。


 凛音は、もう霄寒の様子を気にする余裕すらなかった。

 彼女の視線はすでに前を向いている。

 今、やるべきことだけを考えていた。


「蓮、洵叔父さんに連絡して。今度こそ、雪華国は閉ざさない。これは瘟疫じゃない、毒よ。白瀾国の辺境も、このままだと巻き込まれる可能性が高い……だから、急いで。まだ発症していないうちに、あちらの住民を避難させて。すでに症状が出ている人は隔離するしかないわ。」


 蓮は頷き、すぐに走り出そうとした。

 だが、ふと立ち止まり、不安げに振り返る。

「……凛凛。本当に、ここに残って大丈夫なのか?」


 その問いに、凛音は振り返ることなく、声を荒げた。

 いや、それは叫びに近かった。


「いい加減にしてよ!」


 怒り、悲しみ、焦り、すべてが混ざり合った声だった。


「母上が死んだって、私がこれから死ぬかもしれなくたって……どうでもいいのよ!今考えるべきは、どうやって——この死を無駄にしないかってことだけ!」


 それは、彼女の魂そのものから迸る、痛切な叫びだった。


 霄寒は、ゆっくりと顔を上げた。彼の目に映った凛音の瞳は、確かに涙で濡れていた。それでも——その奥には、決して消えない光が残っていた。僅かばかりの希望。


「……わかった。」

 蓮はそう告げると、もう何も言わず、駆け出した。

 そして——その背に、ふと一つの思いがよぎる。


「……お前は一人を救い、多くを見捨てるのか?」

 かつて浮遊に問われた試練の言葉。


 ——あの時と同じだ。

 救える限り、全部救う。

 迷っている暇はない。


 蓮はそう心に決め、足早に雪の中へと消えていった。


「父上、私たちも行こう。行くべき場所へ。」

 凛音は霄寒の前まで歩み寄り、そっと身をかがめて手を差し出した。


 目の前の娘は、ただ未来から来た「大人の姿」ではなかった。

 本当に、立派に成長していた。

 まさに雪華国の誇りであり、ふさわしき王女そのものだった。


 霄寒は凛音の手を取り、力を借りて立ち上がった。

 そして、清遥の方へと真っ直ぐに視線を向けた。

「清遥……すぐ戻るよ。お前が愛した、この純白の雪を――必ず守り抜く。」


 二人はわずかな支度を済ませると、すぐさま馬を走らせ、国境へと向かった。

 二人が辿り着いた国境の村は、すでに修羅場と化していた。


 雪に覆われた道の上で、人々は苦しみ、倒れ、呻き声をあげている。

 中には動かなくなっている者もいた。白い息すら漏らさない彼らの姿は、凍てつく寒さよりも冷たく、恐ろしい現実を突きつけてくる。


「……これが……」

 凛音は迷わず駆け寄り、倒れている村人の顔を確かめた。

 高熱、嘔吐、意識混濁――その症状を見た瞬間、彼女の脳裏に過去の光景が蘇る。


 ……白瀾国の、あの村だ。曼陀羅花による中毒……あの時と、似ている!


 凛音は唇を強く噛み締め、即座に霄寒へ向き直った。

「父上、今すぐ医師たちを集めて。たぶんこれは曼陀羅花を混ぜた毒。解毒法はまだわからないけど、まずは甘草で応急処置をしてみて。少しでも毒を和らげられるはず。」


 その言葉に、霄寒は迷うことなく頷いた。

「わかった、すぐに手配する。隔離も始めよう。ここから先、病が拡がる前に抑えねば、国が終わる。」


 凛音はさらに声を強めた。

「それと――水です。今後、川の水や井戸水は一切使わないでください。毒はおそらく水から広がっている。煎じ薬も、飲み水も、すべて雪を煮沸して使うしかありません。」


 医師たちがざわめく中、凛音はきっぱりと言い切る。

「少しでも毒の可能性があるものを使えば、治るはずの命さえ奪うことになるわ。絶対に徹底して。」


「……わかった。すぐ兵に命じよう。」

 霄寒は重く頷き、直ちに水の全面使用禁止と、雪の集積と煮沸を命じた。

 こうして、村全体は緊急の体制へと切り替わっていく――


 霄寒は即座に指揮を執り、兵士や医師たちは慌ただしく動き出した。

 負傷者と健康な者を分け、臨時の隔離所が急ごしらえで整えられていく。


 その一方で、凛音もまた最前線に立っていた。

 医師たちの手が回らない状況下、彼女は自ら倒れた人々の傍らにひざまずき、吐瀉物を拭き取り、意識のない者には慎重に雪解けの水を少しずつ含ませ、寒さに震える体を毛布で優しく包み込む。


 消毒も行き届かない、厳しい環境。

 それでも凛音は決して手を止めなかった。

 ただひたすらに、「今、救える命を救う」ためだけに、黙々と動き続けていた。


「こんなの……全然終わってない。まだ、終わらせないから。」

 その瞳は、決して諦めの色を帯びていなかった。


 ひと段落ついたところで、凛音は顔を上げ、霄寒に向き直った。

「父上、たぶん……どこに毒が仕込まれたのか、わかってきました。確かめに行きます。私が必ず突き止めます。」


 霄寒は思わず眉をひそめ、問い返した。

「……お前一人で行くのか?」


 霄寒は戸惑いを隠せないまま、凛音を見た。だが彼女は力強く頷く。

「今は一刻も争うの。私なら大丈夫。だから、ここはお願い。」


 そう言い残し、凛音はすぐさま身を翻して駆け出した。

 薄暗くなりかけた雪原へ、ただ一人――いや、正確には一人ではない。


 その背には、いつものように寄り添う、小さな相棒の姿があった。

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