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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第十四章:鏡の光に別れを、未来の空に願いを
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156 祝福の果て、雪は降り続ける

 翌日の婚礼を控えた雪華国の王城は、昼も夜も関係なく、慌ただしさの渦中にあった。式次第、参列者の配席、贈り物の受け取りに飾り付け、すべてが完璧でなければならない。

 そんな中、今日も蓮は王城の洗礼を受け続けていた。


「……ちょ、ちょっと待って。今の所作、また間違えた!?」


 式典用の長衣に身を包んだ蓮は、額にうっすら汗を浮かべ、必死に儀礼担当たちの指示に応じていた。

 周囲では重厚な巻物を手にした者たちが、まるで教師のように次々と声を飛ばしている。


「左足からですよ!」

「頭を下げる角度はもっと意識して!」

「式中は、もっと王子様みたいに柔らかい表情でお願いします!」


 ――王子様みたいに、ねぇ……


 蓮は小さくため息をつき、誰にも聞こえないほどの声でぷつりと呟く。

「……王子様ですよ。白瀾国の、ね。」


「洛白様?一人で何をぶつぶつ言ってるんですか。ほら、もう一度最初からお願いします!」

「……っ!」


 儀礼担当の厳しい声が飛び、蓮は肩をすくめながらも、もはや限界だった。


 ――いや、限界だ。もう逃げるしかない。


 次の瞬間、蓮はこそこそと、しかしものすごく必死にその場を抜け出した。

 そうして裏庭まで逃げ込んだ彼は、ようやくほっと息を吐く……が。


「……何してるの?」


 背後から聞こえた涼しげな声に、びくりと肩を跳ね上げた。

 振り返れば、そこには髪をまとめ、仮の式服を試着中の凛音が、腕を組んで立っていた。


「り、凛凛!? いや、これは、その……少しだけ息抜きを……」


 珍しく言い訳に必死な蓮を見て、凛音は呆れたように笑う。

「ふふっ、蓮らしくないね。蓮なら、こういう格式ばった場は得意だと思ってたのに。」


「……っ、それは……」

 蓮は小さく俯き、顔を赤らめた。

 そして、誰にも聞こえないくらい小声で、ぼそっと呟く。

「……だって、凛凛との婚礼だから……適当にやって恥をかくわけにはいかないじゃないか。」


「……え?」

 一瞬、凛音は目を丸くし、ほんのりと顔を赤らめた。


 と、その時――


「……いやいや、そんなに浮かれてるけど。これ、どう考えても“本物の結婚式”じゃないだろう?」

 どこからともなく現れた浮遊が、呆れたように口を挟んだ。


「なっ……何言ってんだよ。式は式だし、凛凛と私はちゃんと両思いだぞ!」

 耳まで真っ赤になり、思わずむきになって言い返す蓮。

 その様子は、いつもの飄々とした彼とはまるで別人だった。


「ふぅん、でも未来に戻ったら? 白瀾国の王子と、林家の令嬢――結局、誰にも知られない『幻の夫婦』ってわけだ。」


「う、うるさいっ……!」


 浮遊のさらりとした指摘に、蓮はさらに顔を赤くし、ぐっと言葉に詰まる。

 けれど、すぐにふっと意地っ張りな笑みを浮かべ、少しだけ得意げに言い返した。


「……まあ、でもさ。全部うまくいけば、未来に戻っても――凛凛は雪華国の王女、俺は白瀾国の王子。だったら、指輪じゃなくて国同士の約束で、指腹の婚約者ってことになるんじゃないか?」


「……ぷっ、何それ。」


 思わず吹き出した凛音は、呆れたように肩をすくめつつ、けれどその顔には嬉しそうな笑みが浮かんでいた。


 ……まあ、今はそれでいいのかもね。


 なんだかんだ言って、皆がこの「特別な一日」に本気で向き合ってくれている。

 そんな空気が、凛音の胸をほんのりと温かく染めた――


 その時。


「おーい!こんな面白そうなこと、なんで朕を呼んでくれないんだ?」

 突如、陽気な声が庭に響いた。


 凛音と蓮が驚いて振り向くと、そこには旅装を脱ぎ、すっかりくつろいだ様子の洵が、手を振りながらずかずかと歩いてくるところだった。


「洵叔父さん!?ついこの前、白瀾国に戻ったばかりじゃなかったの?」


「ははっ、でも聞いたぞ?洛白と凛音の結婚式だって?そんなの、見逃せるわけないだろ?」

 まるで遠足にでも来たかのような気楽さで、洵はずいと二人の間に割り込んでくる。


「……さすがというべきか、父上らしいというべきか。」

 蓮は呆れたように肩をすくめつつも、どこか楽しそうに笑った。


「本当ね。洵叔父さんらしいよ。」

 凛音も続け、二人は自然と顔を見合わせた。


 こうして、結婚式前夜――

 賑やかで、どこか甘くて、そして名残惜しい、幸せな夜は、笑顔の余韻とともに、ゆるやかに更けていくのだった。


 婚礼当日、雪華国の王城は晴れやかな喜びに包まれていた。

 夜明けから降り続く雪は、庭や回廊に淡く積もり、世界を優しく白で染め上げている。


 華やかな祝祭ではなく、今日はあくまで宮廷内の限られた者たちによる、ささやかで心のこもった祝宴。

 清遥をはじめ、霄寒、女王、洵――そして親しい侍女や家臣たち。

 顔を合わせた者たちは皆、どこか特別な想いを胸に、この日を迎えていた。


 式場となった広間は、銀糸を織り込んだ装飾と柔らかな灯火が温かく空間を彩る。

 あくまで派手ではないが、どこか格調高く、そして優雅な尊さに満ちていた。


「凛音ちゃん、本当に……綺麗よ。」

 清遥は、正装に身を包んだ凛音を見て、思わず息を呑んだ。


 白と淡い青を基調とした雪華国の礼服に身を包んだ凛音は、まるでこの地に長く寄り添い、祝福されてきた存在のように、自然とその場に溶け込んでいた。


 頭には細やかな銀の刺繍が施された柔らかな白のベールがかかり、繊細な雪の結晶を象った飾り紐が横に流れる。その下で結われた髪は上品にまとめられ、頬を優しく彩っていた。


 衣の裾は軽やかで、歩くたびに薄氷のように柔らかく揺れる。腰元には、銀糸で織られた羽根飾りがふんわりときらめき、衣全体には雪花と流れる水を模した刺繍が施されている。それはまるで、この国の冬そのものが祝福の形を取って舞い降りたかのようだった。


「……まるで、本当の雪華の姫みたいね。」


 清遥の柔らかな言葉に、凛音は照れくさそうに笑う。

 その様子を静かに見守りながら、霄寒は胸の内でそっと呟いた。


 ……本物の姫だよ。――今日だけでもいい。

 せめてこの一日だけは、誰もが彼女を、この国に祝福された花嫁として迎えてくれるように。


 やがて、蓮が隣に並び立つ。

 正装に身を包んだ彼は、少し気恥ずかしそうに笑みを浮かべながら凛音に手を差し出した。


「……行こうか、凛凛。」

「うん。」


 手を取り合い、二人はゆっくりと歩みを進める。

 誰もが見守る中、二人の歩みは自然と、そしてゆっくりと儀式の中心へと向かっていった。


 宙に漂う浮遊は、凛音が進む様子をじっと見つめ、ふっと微笑む。

「……似てるな。鳳華に。」


 小さく、けれどどこか感慨深げに呟くと、彼はそのままふわりと飛び、凛音の肩にそっと腰を下ろした。

 その仕草はまるで、「今の君をちゃんと見届けるよ」とでも言うかのように、穏やかだった。


 最初はどこか照れくさかった。

 けれど、清遥や霄寒、女王や洵、そして近しい人々の温かな視線が、その気持ちを少しずつ溶かしていく。


 やがて凛音と蓮は、そっと視線を交わす。


「……こういうのも、悪くないかもね。」


 凛音が小さく笑うと、蓮も同じように、柔らかな微笑みを返した。


 言葉よりも確かな想いが、そっと二人の間に流れていく。

 それはただの遊びでも、形式でもなく。

 ほんの一瞬、心から「本当だったらいいのに」と願うような、甘く、優しい気持ちだった。


 雪は静かに降り続け、ささやかな祝福のように二人を包み込んでいた。


 数時間後。

 祝宴もひと段落し、杯を交わしたことで皆の頬も少し赤く染まり、場はすっかり和やかな空気に包まれていた。

 笑顔と笑い声が続いたその余韻のまま、夜は静かに更けていく。


 やがて、客人たちはそれぞれの部屋へと戻っていった。

 凛音と蓮も、自然な流れのまま、二人きりで用意された部屋へと足を運ぶ。


「……ふふ、なんだか、少し変な感じだね。」

 凛音がぽつりと漏らす。


 蓮は、どこか気恥ずかしそうに頭をかきながらも、少しだけ意地っ張りに微笑んだ。

「まあ、今夜はちゃんと夫婦ってことだし。」

「……っ!」


 言葉に詰まった凛音の頬は、ほんのりと赤く染まる。

 けれど、すぐにふっと緩むように笑って、照れ隠しするようにそっと応えた。

「……これで、本当に終わりだな。」


「――あとは、未来に帰るだけだね。」


 言葉にするたび、どこか名残惜しさと、そして少しの安心が胸に広がっていく。

 二人は寄り添うように並んで座り、窓の外を眺めた。雪が、音もなく降り続けている。


 清遥は一人、自室の寝殿に座していた。


 窓辺に腰掛け、薄く開けた障子越しに見える雪景色を、じっと見つめる。

 暖かな灯りもすでに消し、部屋には冷えた空気と、ひときわ深い静けさだけが満ちていた。


「……ふふ。やっと、静かになったわね。」


 誰にともなく、独り言のように呟く。

 その声音は、ほんの少しだけ寂しげで、けれどどこか満ち足りてもいた。


 彼女の手元には、小さな桐の箱が置かれていた。

 蓋を開けると、中には一本の小瓶が入っている。

 透き通る瓶の中で、半分ほどの淡い液体がわずかに揺れていた。


「……本当なら、もっと早くこうしていれば良かったのかもね。」


 言葉は淡々としているのに、指先は微かに震えている。

 その震えすらも、自分で苦笑いしながら押さえ込む。


 そして、ためらうことなく、瓶の口を唇へと運ぶ。

「……これで、少しは楽になれるかしら。」

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