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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第十四章:鏡の光に別れを、未来の空に願いを
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155 二組の親子

 数日前、雪華の宮廷を震わせた刃と叫びは、今や遠い記憶となりつつあった。


 だが、それを知らぬ城下は、今日も変わらず賑わっている。

 広場には子どもたちの笑い声が響き、露店の賑わいも戻り、雪原に新たな足跡が刻まれていく。

 まるで、あの日の嵐など最初から存在しなかったかのように。


 ――けれど、その賑わいは、宮廷の奥深くまでは届かない。


 広場の喧噪と、宮廷を包む沈黙。

 外と内の間には、越えられぬ隔たりがあった。

 笑顔と涙。希望と不安。城の中と外で、あたかも異なる時を刻んでいるかのようだった。


「……そろそろ、戻るべき時かもしれない。」


 凛音の言葉に、誰もが声を発することなく頷いた。

 その表情には、ほっとした安堵と、拭いきれない寂しさが入り混じっている。


 円卓を囲むのは、蓮、霄寒、そして天鏡国の女王。

 この数日、誰もがなんとなく感じていた思いが、ようやく形になった瞬間だった。

 敵は討たれ、雪華国を覆っていた闇は払われた。今なら、きっと歴史も変わり始めているだろう――誰もが、そう信じたかった。


 もはや宰相はこの世になく、清遥を苦しめる者もいない。

 穏やかさを取り戻した宮廷に、彼らが留まる理由は、もうないのかもしれない。


 沈黙の中、ぽつりと蓮が呟く。


「……でも、千雪ちゃんのことは、やっぱり気になる。」


 彼は窓の外、雲の切れ間から顔を覗かせた淡い空をじっと見つめていた。

 その横顔には、わずかな迷いと静かな決意が滲んでいる。


 この時代に長く留まることは、やはり危うい。

 未来から来た凛音と、この時代に生きる幼い千雪――

 同じ存在が共にあり続けることが、いつか大きな矛盾を生むかもしれない。

 誰もがその不安を胸に抱きながら、あえて口にしないできたのだった。


「……凛音、あなたもわかっているはずです。」


 女王が、真剣な声で言葉を継いだ。

「このままここに留まれば……たとえ未来が変わったとしても、その先を見届けることは、もう叶わないかもしれません。」


 それは優しく、けれど否応なく現実を突きつける言葉だった。


 霄寒は黙ったまま、じっと凛音を見つめていた。

 その瞳が語るものは、誰よりも深く、そして重かった。

 それは、王としてではなく、父親としての無言の想いだった。


 凛音は小さく息を吐き、皆の顔をゆっくりと見渡した。

 そして、静かに微笑みながら、頷いた。


「……うん。たぶん、今がその時なんだと思う。」


 今こそ、すべての答えを胸に、未来へ帰るべき時。

 凛音たちは、それぞれの想いを抱きながら、決意を新たにした。


 その時――

「……あら、みんな、こんなところで何を話してるの?」

 ぱたぱたと軽やかな足音と共に、清遥がにこやかに現れた。


「いや、少し……これからのことをね。洛白たちはまた旅に出るし、女王陛下も天鏡に戻られることになって。」

 霄寒が柔らかく、やや曖昧に説明する。


「えっ、もう行っちゃうの? せっかく皆が集まったばかりなのに……」

 清遥はほんの少し残念そうに目を丸くしたが、すぐに手を打ってぱっと表情を明るくした。

「だったら送別会をしましょうよ! あと……そういえば――洛白さんと凛音ちゃん、結婚式、まだだったわよね?」


 唐突な言葉に、一同は思わず目を瞬かせた。

 しかし、清遥はそんな空気など気にも留めず、楽しげに続ける。

「じゃあ、一緒にうちでやればいいじゃない! 雪華での結婚式、きっと素敵になるわよ〜!」


 あまりにも自然で無邪気で唐突な提案に、凛音も蓮も一瞬言葉を失った。

 「……いや、でも……」


 蓮は言葉を濁し、困ったように凛音の方をちらりと見た。

 その耳はほんのり赤く、普段の冷静さはどこかへ消えている。


 だが、その迷いを断ち切るように、霄寒も突然口を開いた。

「……この先、また顔を合わせる機会は……もう、そう多くはないかもしれない。」


 その声音は、淡々としていながら、どこか寂しげだった。

 王としてではなく、ただ一人の父親として――この時間を少しでも形に残してほしい、そんな想いが滲んでいた。


 清遥と霄寒、二人の思わぬ後押しに、凛音と蓮は顔を見合わせた。


 ――本気、というわけじゃない。けれど……

 大切な人々の記憶に、「終わりではなく、幸せな思い出」を刻むために。

 そんな理由なら……悪くない、かもしれない。


「……うん、そうだね。それも……いいかも。」

 凛音は、どこか照れくさそうに微笑みながら、そっと頷いた。


「……ああ、まあ……その……仕方ない、かな。」

 蓮も観念したように小さく息を吐き、耳まで真っ赤にしながら、目を逸らすように呟いた。


 こうして、思いがけず――雪華での結婚式が決まった。


 翌朝、宮中はまさにお祭り騒ぎだった。清遥の「全力モード」が発動したのだ。


「いい?これは国を挙げてのお祝いよ!みんな、気合い入れて!」

 命じられた女官たちも文官たちも、てんてこ舞いであちこちを走り回る。

 式の段取り、装飾、料理、招待状――その全てに清遥自らが目を光らせていた。


 そして当然、凛音もその渦中に巻き込まれることになる。


「さあ凛音ちゃん、こっちよ!まずは衣装合わせから!」

 抵抗する間もなく引きずられるようにして、彼女は宮中の一室へと連れて行かれた。そこには豪奢な婚礼衣装の数々が並び、侍女たちが忙しなく動き回っている。

「……ま、待って、ちょっと準備ってレベルじゃない……」


 凛音は苦笑いを浮かべながらも、清遥と侍女たちの勢いに押され、あれよあれよという間に着替えさせられた。白と青を基調にした雪華国の正装。それはどこか神秘的で、凛音の姿を一層引き立てていた。


 清遥は目を輝かせながら、凛音の周囲をくるくると回って見上げる。


「……わあ、ほんとに綺麗!」

 感嘆の声と共に、思わず口をついて出た言葉は――

「凛音ちゃん、本当に綺麗……あなたの母親も、きっとすごく美しかったんでしょうね!」


 その言葉に、凛音は一瞬だけ息を呑んだ。


 母親――その響きが、胸の奥に二つの想いを同時に呼び起こす。


 ふと、遠い日々がよみがえる。

 かつての世界で、林夫人が優しく撫でながら、何気なく微笑んで言ってくれたあの言葉。

「うちの子は本当に綺麗……これからきっと素敵なお嫁さんになるわ。」


 ……その温もりは、もう戻らない。


 けれど今、目の前にいる清遥もまた、間違いなく「母」だった。

 血のつながりがあるこの人は、無邪気に笑いながら、同じように凛音を優しく見つめている。

 その何気ない言葉と仕草が、今の凛音にはどうしようもなく愛おしく、胸に沁みた。


 ……そうだよ。私は――この人にも、ずっとこんな風に言ってほしかったんだ。


 懐かしさと、まだ言葉にできない幸福とがないまぜになり、凛音はそっと微笑んだ。


「……うん。すごく綺麗な人だったよ。」

 凛音は、柔らかく、けれどどこか嬉しそうに微笑んで答えた。

 その瞳の奥には、懐かしさと今だけの幸せが、ゆったり重なっていた。


 養母と、そして今こうして隣にいる親生母。

 凛音の心は、二つの大切な母への想いで満たされていた。


「でしょ〜やっぱり似てるもの!凛音ちゃんは本当に、お嫁さんって感じがするわ!」


 清遥は悪戯っぽく笑い、楽しそうに凛音の髪に手を伸ばして整える。

 まるで、愛する娘のために最良の一日を準備する母親のように――


 凛音は、その指先のぬくもりを感じながら、心の中で小さく呟いた。


 ……本当は、あなたがその「母親」なんだよ。だけど……それでも、今はこのままでいい。


 微笑みは、少しだけ潤んで見えた。


 その時、勢いよく部屋の扉が開いた。


「お姉ちゃんーっ!凛音姉ちゃん!」

 元気な声と共に、小さな影が駆け込んでくる。


 千雪だった。


 凛音の姿を見るなり、ぱあっと顔を輝かせ、まっすぐに駆け寄ってくる。

「わあ……すっごく綺麗!ほんとにお姫様みたい!」

 無邪気な賛美を口にしながら、千雪は凛音のドレスの裾をぎゅっと掴んで離さない。その小さな手の感触が、くすぐったくも愛おしい。


 凛音は思わず微笑み、そっとしゃがんで目線を合わせた。

「ありがとう、千雪。」


 けれど、次の瞬間だった。


「……けほっ、けほっ!」

 千雪が突然咳き込み、顔をしかめた。


 凛音が驚く間もなく、すぐそばにいた清遥が素早く駆け寄り、千雪を抱き寄せる。

「千雪、大丈夫? 無理しないでね……」


 彼女はやさしく背中を撫で、あやすように微笑んだ。

「凛音ちゃんが綺麗すぎて、びっくりしちゃったのよね? ね?」


 そう言いながら、千雪の顔を覗き込む清遥の目元は、ほんの僅かに曇っていた。


 凛音も、そのわずかな表情を見逃さなかった。


 いつも元気いっぱいの千雪。その彼女が見せた、少し青ざめた顔と止まらぬ咳――  そして、それを誰よりも気遣い、愛おしそうに抱きしめる清遥の姿。


 その瞬間、凛音の胸の中で、何かがそっと疼いた。


 ……うん、大丈夫。すぐよくなるよね。

 未来へ帰れば、千雪も、清遥も、そして未来の自分も――

 きっとすべてが、良い方向へ進んでいくはずだ。


 そう信じて疑わない凛音は、改めてしっかりと千雪の手を握り返した。

 千雪は嬉しそうに笑いながらも、清遥の腕の中で少しだけ甘えるように身を寄せた。


 ――目の前には、愛する母と幼い娘。

 そして、自分もまた「娘」であり、「未来の千雪」。

 寄り添うように、重なり合う二組の親子の姿。


 凛音は、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。


 ……このまま、もう少しだけ――

 この幸せが、少しでも長く続きますように。

 林夫人(養母)と凛音――

 すでにこの世を去ったが、その温もりは今も凛音の心の中に生き続けている。


 清遥(生母)と凛音――

 まさに今、出会い、絆を紡ぎ始めた、血の繋がった親子。


 清遥と千雪――

 過去の中で寄り添い、今この時を生きる母と娘。未来へと続く、小さな命。


 ――確かに、ここには三組の親子が存在している。

 けれど、この世界で同時に並び立つことができるのは、いつも「二組」だけ。


 失われたものと、今ここにあるもの。

 そして、これから先も続いていくもの。


 重なり、入れ替わり、手を伸ばしながら――

 それでも彼女たちは、優しく微笑んでいる。


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