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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第十四章:鏡の光に別れを、未来の空に願いを
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152  小さな精と、壊れた城

 一行は、銀砂を踏みしめながら、それぞれの道へと別れていった。

 朝陽が、地平線からゆっくりと顔を覗かせる。

 赤金色の光が、世界を淡く染め上げていた。


 洵が、馬上から身を乗り出すようにして、凛音に問いかけた。

「雪ちゃん、本当に、未来に帰らなくていいのかい?私たち大人は確かにポンコツだけど――そこまで無能じゃないよ?」


 凛音は迷いなく首を振った。

「ごめんなさい。私は、まだ帰れない。私は――戦う。雪華国を、見捨てたくない。」


 霄寒は、何も言わなかった。

 ただ、うつむいたまま、拳をきつく握りしめる。

 けれど、その背中は、言葉以上にすべてを物語っていた。


 洵は、くいっと馬の手綱を引くと、霄寒の隣へと並び、ぽん、と音を立てて、彼の頭を乱暴に叩いた。

「いい娘だろ。ありがたく思え、それで良い。」


 少し間を置いて、蓮が小さく笑った。

「父上、ごめんなさい。私、凛音を置いてなんて行けない。たぶん、小さい頃の私を蔵経閣に閉じ込めても無駄だったよ。彼女が消えるなら、私も――きっと、生きられない。」


 ルシアンは、誰にも聞こえないような低さで、それでもはっきりと、祈るように言った。

「……ならば、せめて、道中の無事を願おう。」


 一行は、雪華国へと帰還した。

 女王も、馬を走らせてそのまま国境を越えたが、白虎だけは天鏡国に残り、アイを護ることにした。


 国境を越えた途端、凛音は思わず息を呑んだ。

 ――街が、光にあふれていた。


 夜空には、赤、青、白の灯りが無数に揺れている。

 城門には雪華細工の灯籠がずらりと飾られ、銀世界に温かな色彩を添えていた。

 広場には雪を削って作った小さな氷の家々、その屋根にも灯りがともされ、まるで精霊たちの街のようだった。


 雪華国の元宵節ゲンショウセツは、雪と氷の中で祝うもの。

 人々は毛皮のマントを羽織り、雪靴で音を立てながら、手作りの灯りを持って練り歩く。

 湯気を立てる屋台がずらりと並び、餡入りの湯圓タンエン、肉たっぷりの餃子ギョウザ、蒸したての年糕ネンコウが香ばしい匂いを漂わせていた。

 雪の中でも、子供たちは年糕を頬張りながら、雪原を駆け回り、大人たちも屈託なく笑い合っていた。


 彼らは、この国の未来が密やかに脅かされていることなど、知る由もなかった。

 そして、何事もなかったかのように、当たり前の顔で、雪の夜を祝福していた。


「わあ……」

 馬から降りた凛音は、無意識に声を漏らした。


 そのとき――

 上品な、けれどどこか懐かしい声が彼女を呼んだ。


「……凛音さま?」


 振り返れば、そこにいたのは、薄桃色の裳を纏った一人の女性。

 高貴な気配を纏い、雪明かりの下で静かに微笑んでいる。


「――あれっ、洛白さまも!?どうしていらっしゃるのですか?」

 清遥は柔らかく一礼した。


「天鏡国で、偶然な。」

 霄寒が肩を竦め、にやりと口元を歪めた。

「もうすぐお祭りだろう。賑やかすぎても困るまい?」


 清遥は一瞬驚いたものの、すぐに心から笑った。

「それは、嬉しいこと。どうぞ今宵は、心ゆくまで……雪華の夜を楽しんでくださいね。」

 柔らかな声音に、思わず心がほどけそうになる。


 凛音も思わず、膝を折りかけたが、清遥がそっと手を添えて制した。

「そんなことは……今日は元宵節ゲンショウセツ。お客さまに、堅苦しい礼など要りません。」


 優しく、どこか母が子を見るような、温かな眼差し。


 けれど、清遥は知らない。

 自分が、凛音の「母」であることを。

 そして――

 霄寒も、蓮も、凛音も。

 誰一人として、その真実を告げるつもりはなかった。


 誰かがまた、誰にも聞こえぬように小さくため息をついた。

 清らかな雪灯りの中に、小さな不吉の影が、そっと落ちていた。


 広場の一角では、即席の「雪だるま大会」が始まっていた。


 小さな子供から大人まで、思い思いに雪を丸め、大きな雪玉を転がしている。

 中には、耳をつけたり、顔を彫ったり、動物の形に仕上げる猛者もいて、会場は笑い声に包まれていた。


「……清遥、せっかくだ。たまには、こういうのも悪くないだろう。」

 雪を踏みしめながら、霄寒がぽつりと言った。

 普段なら遠慮するところだが、今日だけは――せめて、こんな小さな時間でも、凛音と過ごしてほしかった。


 清遥は一瞬きょとんとしたが、すぐに笑みを浮かべた。

「ふふ……では、凛音さま。手加減はしていただけますか?」

 凛音も微笑んで言った。

「……負けないつもりですけどね。」


 清遥がやる気満々で雪を掻き集め、凛音と蓮も、それぞれ小さな雪玉を作り始めた。

 冷たい雪を丸める手が、痛いくらいに冷たいはずなのに――心の奥は、不思議と温かかった。


 霄寒は無言で横から手を伸ばしかけたが、凛音にそっと制される。


「大丈夫、自分で作るよ。」

 笑いながら、凛音は両手で雪をぎゅっと固めた。


 だが――誰よりも本気を出していたのは、まさかの蓮だった。


「……なぜ、そこまで全力で?」

 呆れたように霄寒が尋ねると、蓮は涼しい顔でさらりと答えた。


「勝負だからな。勝負は、全力でこそ意味がある。」


 そんな中、凛音がそっと作っていたのは、誰よりも小さな雪像だった。

 耳をぴんと立てた、ふわふわの小さな獣のかたち。


 ――そう、それは、浮遊を模した、小さな精霊の姿だった。


「……ふふっ、凛音、それ、何だ?」

 雪玉を抱えながら覗き込んだ蓮に、凛音は慌てて後ろ手に隠した。


「な、なんでもないよ!」

 耳まで真っ赤にしながら、しどろもどろに答える。


 けれど、すでに霄寒も清遥も気づいていて、二人は目を合わせると、ふっと穏やかに笑った。


「可愛いじゃないか。」

「ええ、とても素敵です。」


 恥ずかしさにうつむいた凛音の頭上に、ふわりと粉雪が舞い降りた。

 それは、まさに、小さな精霊が雪の中に舞い降りたようだった。


 その傍らで、霄寒がふと雪を積んでいた清遥に声をかけた。

「そういえば、千雪はどうした?一緒じゃないのか?」


 清遥は手を止め、少しだけ眉を下げる。

「ええ……また、少し熱を出してしまって。」

 それから、照れたように笑った。

「頼まれたんです。お祭りの彩灯と、氷糖林檎ビントウリンゴを、買ってきてって。」


「そうか……」

 霄寒は短く答えたが、その声には微かな翳りが滲んでいた。


 そして結果――


 誰よりも巨大な、まるで城砦のような雪だるま(というより雪の要塞)を作り上げた蓮が、文句なしの優勝をさらった。

 だが、その「雪の城」は、夜半の吹雪にあっけなく崩れ去り、儚い幻のように消えてしまった。


 翌朝、崩れた雪を見上げながら、清遥がぽつりとつぶやいた。

「……なんだか、少し怖いですね。せっかく頑張って作ったのに、こんなに簡単に――」


「大丈夫だよ、清遥さま。」

 隣で、凛音がそっと彼女の肩に手を添えた。

「崩れたら、また作ればいいんだよ。」


 ――そう。もし、雪華国が壊れてしまったら……私たちは、また作り直せる。


 凛音の手の中で、拾い上げた雪のかけらが、きらきらと光っていた。

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