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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第十三章:時の淵に立ちて、還る道にも月の導きあり
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148 壊れゆく秩序

「凛音どの……どうして、ここに?」

 そう声をかけてきたのは、雪華国の王・霄寒だった。

 面紗の奥に隠された顔を、彼は一目で見抜いたように、迷いなく近づいてくる。

「まさか、あなたがここにいるとは……そうと知っていれば、清遥も連れてきたのに。あの日の別れから、ずっと会いたがっていたんだ。」


 返す言葉に迷った凛音は、一瞬、別人だと否定しようかと考えた。だが——


「ああ、それね。ソーちゃんに頼まれて、凛音ちゃんの星官としての適性、ちょっと見てただけだから。」

 軽い口調で横から割り込んできたのは、白瀾国の皇帝・南宮洵だった。

 笑顔のまま、ずいっと凛音の肩を抱き寄せる。


「洵、その手を離せ。」

 霄寒の声音が、わずかに低くなる。


「なに、いいじゃないか。なにせ私は、凛音ちゃんのおじさんなんだから。」

「おじさん、ですか? てっきり、またお兄さんと名乗るかと思いました。」


 霄寒が冷たく返すと、洵は一瞬だけ口元を引きつらせたが、すぐにいたずらっぽく目を細めた。

「叔父ですよ、叔父。可愛い姪っ子が心配で、ついね〜」


 霄寒は少し混乱した様子で、二人の間に漂う空気を読みかねているようだった。


 そのとき——


「その手、どうかお引きください。」


 鋭く差し入った声とともに、洵の手を押しのけたのは、蓮だった。

 彼は霄寒と目を合わせず、冷静な口調でぴたりと前に立つ。


 洵はそのまま凛音の背後にすっと身を引き、声を潜めて蓮に耳打ちする。

「まったく……まだここにいたのか。もう帰れと言ったはずだろう?」


 蓮もまた、静かに返す。

 口元には、笑っていない微笑が浮かぶ。

「彼女が帰らない限り、私だけ帰るわけにはいきませんから。」


 ふたりの会話を背後で聞いた凛音は、苦笑しながら一歩前に出る。

 霄寒の隣に進み、軽く頭を下げた。


「陛下……ご無沙汰しております。いえ、そこまで久しぶりでもない、でしょうか……」

 少しだけ言葉に迷いながら、丁寧に礼をする。

「ご縁あって、今は女王陛下のもとで、天鏡の教えを学ばせていただいております。どうか、ご案内させてください。」


 凛音は彼らを伴い、星宮の奥、静寂の間へと足を踏み入れた。


 そこは、天井一面が透き通る水晶で覆われており、夜空の星々がまるで手に届くように輝いていた。壁には一つの窓もなく、厚い石で外界と隔てられた空間には、時さえも凍てついたかのような静けさが満ちている。


 灯りは、部屋の四隅と円卓の中央にそっと置かれた琉璃の灯のみ。中には銀砂が湛えられ、わずかな揺らぎの中で柔らかく光を放っていた。


 高くそびえる天井には、星のかたちを模した無数の透かし彫りが施されており、そこからごくわずかな風だけが、音もなく流れ込んでくる。


 ——つまり、この場所で語られる言葉は、誰の耳にも届かない。

 ここは、すべてが「秘められる」ために在る場所だった。


「霄寒、おまえの外祖父って、相変わらずのんびり屋さんだよなあ。」

 南宮洵はテーブルに顎を乗せ、頬を指でトントンとつつきながら不機嫌そうに言った。


「……このまま来ないんじゃないか? もうだいぶお歳だしさ。」

 霄寒は苦笑して、気まずそうに目をそらした。


「来られるそうです。ルシアン閣下は、本日中に必ずと仰っていました。」

 女王が洵に鋭い視線を送る。——「黙りなさい」、そう語る目だった。


 やがて、部屋の奥から一人の老人がゆっくりと現れた。

 深い藍の制服。装飾は一切なく、髪も髭も雪のように白い。

 その姿を見て、南宮洵も霄寒も思わず背筋を伸ばした。


 老人は、ゆっくり、実にゆっくりと席に腰を下ろした——かと思った次の瞬間。


 ゴンッ。

 鈍い音が部屋の静けさを裂いた。

 老人の頭が、そのまま机に激突したのだった。


 響き渡る鈍い音に、三人の国主は凍りついた。


 誰も声を発せず、誰も動かない。まるで時が止まったかのようだった。


 しばらくして——


 老人はゆっくりと、またゆっくりと顔を上げた。

「……うちの、愚かな外孫が……皆さまに、多大なるご迷惑を……」


 ルシアンは目元に滲む涙を拭おうともせず、静かに言葉を紡いだ。

「デイモンがまだ幼いころから……あの子の中に暴と悪が宿っていることは、わかっていました。ただ……祖父として、目を背けていたのです。」


 彼は霄寒の方を向き、深く頭を下げる。

「霄寒……お前にも、淵礼にも……本当に、すまなかった。」


 そして、ゆっくりと顔を上げてから——声の調子を少しだけ変えて、低く問いかけるように続けた。

「……それで。あの子を……あのデイモンを、一太刀で斬ったのは……いったい、誰だったのでしょうね。」


 凛音は、女王の背後に控えながら、黙って目の前の老人を見上げていた。


 ——この人が、私の曾祖父なんだ。

 なぜだろう、このゆったりとした雰囲気、どこか玄武に似ている気がする。


 凛音が口を開こうとした、まさにその瞬間だった——


「私だ。」

 霄寒と洵が、まるで打ち合わせでもしていたかのように、ぴったりと声を重ねた。


 凛音は呆然としながら、思わず口を閉じる。


 洵は我に返るように目を見開き、慌てて付け加える。

「……いや、正確には、霄寒と二人で。一人一刀ずつってことで……」


「——理由は? 本当に、淵礼と玄武を奪おうとしたから、それだけですか?」


 静寂を切るように、女王が立ち上がった。

「その問いには、私から答えるのが筋でしょう。」


 彼女はゆっくりと円卓の前に進み、三人の王に向かって、深々と頭を下げた。

「我が天鏡国には、禁術があります。契約者でなくとも、神獣の力を奪える術です

 ……そして、その術は盗まれました。誰の手を経たのかはわかりませんが、デイモンは、その術を知っていました。」


 洵は無言のまま霄寒のもとへ歩み寄り、ためらうことなくその腕をつかんだ。

 そして、乱暴に袖をまくり上げる。


「……これが証拠だ。」

 女王は、それを一瞥しただけで視線を逸らさず、冷ややかに、そして鋭く言い放った。

「禁術には、『神獣の器物』が必要。そして、デイモンは長年にわたり雪蓮を狙い——玄武に選ばれし者の血さえ、手に入れていました。」


 霄寒は思わず、自分の祖父の皺深い横顔に目をやる。その老いた横顔にわずかな痛みを覚えた彼は、そっと袖を引き下ろした。


 女王はルシアンを真っ直ぐに見据えた。

「私はこれまで、神獣の均衡を守るなどと口にしてきました。でも……全部、嘘でした。」


 声が震えたわけではない。けれど、その静けさがむしろ重かった。

「四国の均衡は、もうとっくに壊れていた。未来は……すでに血に染まっている。」


 一呼吸、置いて——


「ルシアン閣下。デイモン一人を斬ったところで、何も変わりません。本当に斬るべきなのは……神獣を、国家を、民を食い物にしてきた者たち。そして——私の父です!」

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