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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第十二章:星に問う、白き虎と祈りの扉
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135 二人の嘘、とある再会の形

「洛先生、昨夜はよくお休みになれましたかな?」


 それは何気ない朝のご挨拶――けれど、蓮の顔はぽっと赤く染まった。


 だって、昨夜は凛凛と初めて、一晩中ふたりきりだったんだ。

 これまでも野営で一緒に過ごしたことはあったけど、そのときは他にも人がいたし……

 だって、部屋中が凛凛の匂いで満ちてて、淡くて、ほんのり甘くて、それでいてどこか薬草の香りもして。

 今までも彼女の近くにいたことはあるけど、あんなふうに――心がくすぐったくなるような匂い、初めてだった。

 だって、眠ってる彼女を少し離れた場所から見てただけなのに、胸がドクンドクンして、目を逸らさなきゃって思っても、どうしても目が離せなかった。

「礼に非ざれば視ること勿かれ、礼に非ざれば聞くこと勿れ」って言うけど……あの、小さく整った寝息まで耳に残って、もうどうしようもなかった。


「……洛先生? どうかなされましたか。お顔がずいぶん赤いようですし、まさか風寒の兆しでも――」

「い、いえっ!滅相もございません!つい先ほどまで薬草を煎じておりまして……その湯気のせいで、ほんの少し火照ってしまっただけです。どうぞご心配なく!」


 蓮はすでに雪華国の衣装に着替えていた。

 霄寒たちがわざわざ用意してくれたのだろう。保温性のある柔らかな毛皮に、まるで墨をにじませたような水墨模様の絹布が縫い込まれている。

 通常、雪華の民は帽を被ることが多いが、蓮の髪型に配慮してか、淡い水色の刺繍を施した毛の髪包が添えられていた。


「陛下、このたびはご丁寧に衣をご用意くださり、誠にありがとうございます。身に余るご配慮、感謝に堪えません。身を尽くしてお力添えできるよう努めさせていただきます。」

 蓮は深く一礼し、やや言葉を選ぶように問いかけた。

「……ただ、一点だけ、気がかりがございます。姫君の御病、あまりに急に発して、またあまりに急に癒えました。陛下に何か、お心当たりなどございませんか?たとえば、雪華国には『万病を癒す』という雪蓮の伝承があると聞き及びましたが――もしかして、あの薬草をお使いに?」


 その問いに、霄寒の身体がほんのわずかに強張った。

(まさか……青龍と、何か……?)

 そう思いながらも、表情ひとつ変えず、かすかに首を横に振った。


「いいえ、雪蓮は用いておりません。おそらくは、洛白先生のご診立てが的確であったのでしょう。」


「とんでもない。身に余るお言葉、恐れ入ります。」

 蓮は再び恭しく頭を下げた。


 そのとき、清遥が外から慌ただしく駆け込んできた。

「洛先生、大変です。城門の前で、ひとりの女性が倒れておりました。衣には刃物による傷があり、血が雪を真紅に染めております。門を守っていた兵たちが急ぎ知らせに参りましたが――その方、意識が朦朧とする中、ずっと洛白先生の名を呼んでいたそうです。」


 蓮は驚きに目を見張った。

「洛白」の名を呼ぶ者――まさか、凛凛!?


 すぐさま清遥の前に進み出て、深く一礼しながら叫んだ。

「どうか、王妃様。あの方のもとへ、すぐにお連れいただけますでしょうか!」


 蓮が駆けつけたときには、凛音はすでに客間の寝台に移されていた。

 唇の色は、血の紅から淡い桜色へと戻りつつある。


「凛凛!」

 演技を忘れた蓮は、思わず駆け寄って床脇に膝をつき、凛音の腕の傷口をそっとめくって診察を始めた。


「洛先生……この方は、どなたですの?」

「妻です!なぜここにいるのか、どうしてこうなったのか……私にも分かりません!」


 清遥がすぐに近づき、凛音の背を支えながら、治療しやすいよう姿勢を整えてくれた。


「ありがとうございます、王妃様。」


 凛音は、ゆっくりとまぶたを持ち上げた。

 顔からは血の気が引いているが、目だけはしっかりと蓮を捉えている。

「洛白……母が亡くなって……白瀾には、もう私ひとりしかいなくなって……だから、あなたを探しに来た……」


 そう言いながら、彼女は弱々しく蓮の衣の袖を握りしめる。

 蓮にはその演技の意図が分かっていた。けれど、そんな理屈よりも、今は――その姿が、あまりにも痛々しくて、ただ胸が締めつけられた。


「もういい、今は話さなくていい。」

 そう優しく言って、そっと彼女の手を包み込む。


 やがて蓮が傷の手当てを終え、清遥と共に部屋を後にした。

 廊下に出たところで、蓮は深く頭を下げた。


「妻がこのような姿になってしまい……見るに耐えません。なぜこうなったのか、私にも分かりませんが――どうか、陛下と王妃様のお慈悲により、彼女にしばしの療養の場をお許しいただけないでしょうか。回復次第、私ども必ず謝罪に参ります。」


 その言葉を聞き、清遥の胸に、どこか他人事とは思えぬ痛みが走った。

 年若くして母を亡くし、異郷でひとり助けを求める少女――その姿に、心が揺れた。


「構いませんわ。彼女にはしっかり休んでもらってください。おふたりとも、どうか気兼ねなく、この宮でお過ごしくださいな。」

 そう言うや否や、清遥は侍女たちに凛音の衣や食事の用意を命じた。


 蓮は部屋に戻るなり、扉をぴたりと閉めると、そのまま凛音の傍らへ駆け寄った。

「……凛凛は、本当に……無茶をしすぎだ。いくら両親に会いたかったとはいえ、ここまでするなんて……」


 凛音の手首をそっと持ち上げ、彼は包帯の巻かれたあたりを慎重に指先で確かめる。

 その目は、怒りではなく――ただただ深い痛みと心配に満ちていた。

「本気で、自分で傷をつけて……誰にも気づかれないとでも思ったのか?そんな無茶……」


 滅多に聞かない蓮の叱責に、凛音はほんの少しだけ肩をすくめ、申し訳なさそうに笑った。

「ごめんね、蓮。本当は、ちゃんと相談しておくべきだったよね。でも――傷のことなら、洛白ほどの名医でない限り、誰も気づかないと思ったの。」


 蓮はその言葉に応じることなく、ただ黙って彼女の体を見つめる。白い布の下から滲む淡い紅に、心が締めつけられる。

「……痛むだろう。浮遊を呼んで、ちゃんと治療してもらえ。私にできるのは止血までだし、痛みまでは取れない。治るまでは……まだ、しばらくかかる。」


「平気だよ。痛くない。そして、浮遊は、呼ばない方がいい。もしも誰かに気づかれたら、それこそ不自然だから。」


 凛音は微笑みながら、そっと蓮をなだめるように言う。だが、その目の奥にはふと陰が差し――小さく続けた。


「それにね……こっちに来てから、浮遊を呼んでも――一度も、出てきてくれないの。」

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