表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第十二章:星に問う、白き虎と祈りの扉
134/183

134 帰辰と流年を計らず

「但求風裡同舟渡,

 不計歸辰與流年。

 此生不負山川遠,

 只願星沈共你盼。


 タダカゼサトトモフネしてワタるをモトむ。

 帰辰キシン流年リュウネンハカらず。

 ショウ山川サンセントオきにけず。

 タダホシシズみてキミトモつことをネガう。」


 月は朧に霞み、星は天にきらめいていた。

 柔らかく、水のように優しい、それでいてどこか人を引き込むような声が響くと、まるで風さえも穏やかに変わったかのようだった。


「蓮、どうして突然、詩なんか詠むの?」


 蓮はその問いに答えず、静かに凛音のもとへと歩み寄り、そっと彼女の手を取った。

「凛凛、私たちが戻るのが、いつの時間か……知ってるの?」


 凛音は小さくうなずいた。

「うん。確かな自信はない。でも……おそらく、私が四歳のときに未来の夢を見た、あの夜じゃないかと思う。」


「どうしてそう思うの?」


「玄武は、陰陽の均衡と時間の流れを司る神。それなのに、わざわざ白虎を探せと言ってきた。ということは……これは、私の失われた記憶と深く関わってるってこと。」


 二人は、一歩も動いていないはずだった。

 それなのに、足元の銀砂は、いつの間にか真っ白な雪へと変わっていた。

 同じく空に浮かぶ月なのに、今はもう――木々の影と楼閣の間で、ほのかに揺れて見えていた。


「ここが……十二年前の雪華国なのか?」


 どこか興奮を帯びた蓮の声。しかし、凛音は答えず、口元にそっと指を当てて黙るように合図し、すぐ上を指差した。二人は静かに屋根の軒先へと身を潜める。


 不意に凛音が蓮の腕をひねると、蓮は思わず口を押さえながら、声にならない悲鳴を漏らした。

「……実体がある以上、周囲には普通に見えてるはずだ。下手に動けば目立つ。状況によっては、立ち回りを考える必要があるな。」


 凛音は無言で首を横に振った。

「ううん。宮廷の中に入らないと。蓮、あなたは『洛白』の身分を使って潜り込んで。四歳の千雪が、ちょうど熱を出して寝込んでるはずだから。」


「……なるほど。随分と大胆な手を打ってくるな、凛凛は。」


 かつての雪華国の王宮は、凛音が一年前に見たそれと、見た目こそ変わらぬものの、どこかまるで別物のようだった。

 氷に閉ざされることもなく、陰鬱な空気に覆われることもない。

 風雪の中にあっても、そこには仄かな灯りと人の気配があり、温かさと明るさが漂っていた。

 背後に灯る万家の灯火が、すべてを幻のようでいて、どこまでも現実的に感じさせた。


 蓮は「トントントン」と宮門を叩いた。


「ご無礼をお許しくださいませ。私は白瀾国より参りました医者、洛白と申します。陛下のご命により、研鑽のため拝謁を賜りたく、参上いたしました。」


 侍衛たちが慌てて門を開けに来る。

 蓮はそれらしく恭しく一礼し、懐から腰牌ヨウハイを取り出して差し出した。


「こちらは白瀾国の陛下より賜りました腰牌ヨウハイにございます。何卒、雪華国の陛下へお取り次ぎいただけますよう、お願い申し上げます。」


 やがて侍衛や宮女たちが次々と現れ、蓮を先へと案内した。


「陛下、ご機嫌麗しゅうございます。白瀾より参りました洛白と申す医にございます。数日ばかり貴国に滞在させていただくにあたり、非礼を避けるべく、まずはご挨拶に参上いたしました。」


 霄寒はその目を細め、蓮の一身の白衣をさっと見やる。

 衣には血の跡があり、旅の汚れもまだ目立っていた。


「腰牌はたしかに弟君のものであるが……そなたの衣には、なぜか血の痕が多く見えるが?」


 蓮は深々と頭を下げ、慎ましく答えた。


「お答え申し上げます。道中、雪原にて瀕死の狼を見かけ、哀れに思い手当てをいたしました。その際に付いたものでございます。何卒ご容赦いただけますと幸いです。」


「そうであったか……よろしい、顔を上げなさい。今すぐ、洛先生のために着替えを用意させよう。」

 霄寒はそう言いながら、自らの手で蓮を支え起こした。

「ちょうど良い時に来てくださいました。娘が本日、少々風邪をこじらせておりまして……診ていただけますかな?」


「洛白、微力ながら尽力いたします。お役に立てれば、これ以上の光栄はございません。」


 こうして蓮は更衣を済ませ、案内されるまま千雪ちゃんのもとへと急ぎ足で向かった。


「姫殿下は、やはり風寒による感冒のようです。頭がぼんやりして熱があるのに、汗が出ておらず、鼻詰まりも見受けられます。少量の麻黄マオウの服用をお勧めしますが――まだお年が幼いため、甘草カンゾウ杏仁キョウニン桂枝ケイシなどをあわせて用いる必要がございます。適宜、分量を整えたうえで、お薬をお作りいたします。当座は、外関ガイカン列缺レッケツ風池フウチの各経穴への鍼治療を行わせていただきたく存じます。」


「……では、どうぞよろしくお願い申し上げます。」

 清遥はにこやかに微笑み、すっと身を引いて浅く一礼した。


 一時間ほどして、蓮はようやく一人、用意された客間で休めるようになっていた。窓辺に腰を下ろし、懐から笛を取り出して、吹き始める。

 ほどなくして、窓枠の外にそっと人影が現れた。凛音だった。蓮はすぐに立ち上がり、窓も扉もきちんと閉め直す。


「蓮、いきなり陛下の命で来ましたって言っちゃって……大丈夫なの?」


「私ひとりで王宮の門を叩いたんだ。あれくらい言っておかないと、信じてもらえなかっただろう。それに、父上が自らここまで来る理由もない。うまく通ったなら、それでいい。」


 凛音は小さく頷いた。


「それにしてもさ――凛凛の小さい頃、あれ反則でしょ。ふわふわの丸顔に、熱で真っ赤なほっぺ。もう、りんごが二つ乗ってるみたいだった。」


 凛音の頬が一瞬で赤く染まる。


「私は蓮に潜入して情報を探れって言ったはずなんだけど? どうだったか、早く教えてよ。」


「そのお父上さ、本気で演技してなかったとしたら……ちょっと良い人すぎるよね。雪の夜、あんな冷えた外で倒れかけた狼を助けに行くなんて。それを信じる方もどうかと思うけど。」


「うん、そういう人じゃないと、あんなにあっさり国ごと騙されたりしないよね。」


 蓮の顔に、一瞬だけ、何かが刺さるような表情が浮かぶ。だがすぐに笑みに戻り、凛音の頭をそっと撫でた。


「凛凛、ごめん。私が言いたかったのは、君のお父上が、本当に優しい人だったってこと。お母上もそう。血に汚れた私を、何も問わずに受け入れて、娘の診察まで任せてくれた。もしそれがただの社交辞令だったなら、大切な娘を私に預けたりはしないよ。」


 凛音はただ、何かを思うように蓮を見つめていた。


「凛凛、あと一年。何が起きても、一緒に乗り越えていくよ。」



後書き:

 物語の冒頭で蓮が詠んだ漢詩は、実は蓮と凛音、二人のために私が書いた詩です。

 作中では一部しか登場していませんが、全文と訓読・和歌風のバージョンは下記に掲載しています:

 https://kakuyomu.jp/works/16818622171416398754/episodes/16818622172400665749

 もしお楽しみいただけたなら、嬉しく思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ