124 女王の問い、王女の答え
侍女たちが凛音の着替えを手伝っていた。アイのしつこいお願いと情熱的な勧誘に根負けして、凛音は天鏡国の衣装を身にまとうことになった。
やがて、ゆっくりと珠の簾が持ち上がり――
中から姿を現したのは、ふたつのお団子を頭に結った凛音だった。
母上の形見である翡翠の簪と、兄上が打ってくれた玄鉄の簪が左右に挿され、お団子の下の位置で美しく揺れている。
お団子の正面には、アイがこだわって選んだピンクとオレンジのチューリップ型の髪飾り。左右の側面には、繊細な真珠の飾り房がさがっていた。
まだ髪が伸びきっていないせいか、お団子はどこか小ぶりで、かえって愛らしさが際立っていた。
白の絹の上衣をインナーに、袖口と襟には繊細なレースの縁取りが施されていた。その上に羽織ったのは、藤色のウエスト絞りのロングドレス。ドレスには大小のチューリップが真珠で繍われ、まるでその身に花畑が咲き誇っているようだった。
額には、侍女たちが真珠を連ねて小さな花をかたどり、その中心には紫の紅をひとさしして仕上げていた。唇には鮮やかな紅色、そして頬にはほんのり橙がかった紅が差され、彼女の表情にふわりと彩りを添えていた。
「凛音様、すっごく綺麗です!」
清樹が嬉しそうに駆け寄ってくる。その隣で、アイは完全に見惚れてしまったのか、その場で固まっていた。
凛音は少し顔を赤らめ、そっと会釈して答える。
「清樹、ありがとうございます。」
それから、ちらりとアイに目を向ける。
「アイ君?」
「凛音ちゃん、あまりにも綺麗すぎて、時間が止まったかと思ったよ……ふふ〜、蓮にはこの姿見せてあげなーいっ」
アイはふざけたように言いながら笑ったが、すぐにその表情を引き締め、真剣な口調で続けた。
「――凛音ちゃん、今日はひとり、会ってほしい人がいるんだ。」
「うん?」
「天鏡国の王様、僕の母君だよ。」
「ええっ!?」
凛音と清樹が揃って声を上げた。
天鏡国は、ほかのどの国とも雰囲気がまったく違っていた。
ここに来て初めて、なぜこの国からアイのような王子が生まれたのか、その理由がわかる気がした。
民は皆、素朴で親しみやすく、笑顔を絶やさない。
果てしなく広がる銀砂の美しさは言うまでもないが、それ以上に心に残るものが、確かにあった。
神獣はただ一体――白虎だけ。
それなのに、この国では白虎の姿があまりにも日常的だった。
道を歩けば、そこかしこで白虎たちがごろりと仰向けで昼寝をしていたり、子虎が母虎にくっついてあくびをしていたりする。
アイは凛音を連れて、長い道のりを歩いた。だが、向かった先は宮廷ではなかった。
たどり着いたのは、広々とした砂原。
そこには巨大な白虎が、ぴたりと身を伏せたまま、動かずに佇んでいた。
耳には天鏡国の紋章が刻まれた飾りがつけられており、陽の光を浴びてきらりと光っていた。
その傍らで――
深紅の天鏡国の衣をまとった一人の女性が、袖や裾をざっくりとまくり上げ、水桶のそばにしゃがみ込み、ブラシと柄杓を手に白虎を洗っていた。
「母君、凛音をお連れしました。」
アイが初めて「凛音ちゃん」ではなく、名前をそのまま呼んだ。
女王は彼に目もくれず、ただ手をひらりと振っただけ。
それを合図に、アイは静かにその場を下がった。
凛音は一歩前に進み、丁寧に一礼すると、口を開いた。
「このたびはお目にかかれて光栄に存じます。天鏡国の女王陛下、謹んでご挨拶申し上げます。」
女王はすっと背筋を伸ばし、凛音を上から下まで一瞥すると、ふっと口を開いた。
「お前が……うちの息子と、まるで戯れのように二日だけ婚約していた娘か。」
……え?
あまりに唐突な切り出しに、凛音は思わず素の返事をこぼした。
「……そう、ですね。」
「ふふ、なかなか面白い。」
女王はくくっと笑みを漏らし、すぐに目を細めて言葉を続けた。
「では、我が問う。雪華国の王女として、そなたは何を望む?兄が蒼霖国の王となったことは、今や誰もが知るところとなっておる――あら、もう『蒼霖国』など存在せぬのだったな。『玄霄国』か。」
「私の行動に、兄上は一切関係ありません。そうですね、率直に申し上げます。私は――雪華国の滅亡に加担した者を、一人残らず、この手で裁く所存です。では、こちらからもお聞きします。陛下。天鏡国は……この件に関与していたのですか?」
女王は口元にわずかな笑みを浮かべると、再び手にした刷毛で白虎の毛並みを撫ではじめた。
「……そなたは、答えを知ったうえで天鏡国へ来たのではないのか?少なくとも、デイモンが玄武を封じた陣、その術は――間違いなく我が国の叡智によるものだ。」
凛音の目に、一瞬だけ鋭い光が走った。その気配に反応したのか、白虎はたちまち小さな姿へと戻り、凛音に飛びかかって、その顔をぺろぺろと舐めはじめた。
「もう、大丈夫。いい子、いい子。」
女王は目を見開いて驚いたが、すぐに口元をゆるめて笑みを浮かべると、まくり上げていた袖と裾を丁寧に下ろした。
「……見てのとおり、我が国は争いごとには加わらぬ方針を貫いている。常に中立を保ってきた。だが、昔――私がまだ幼かった頃のことだ。王宮の書庫に賊が入り、ある重大な秘宝が盗まれたことがあった。」
「秘宝……ですか?」
「我ら天鏡国は、他国と異なり、いまなお神々を信じ、その力を借りて生きている。白虎だけではない。月も、星も、神の姿として崇めているのだ。……その意味は、いずれお前自身の目で知ることになるだろう。」
女王は凛音のそばへと歩み寄り、両腕をゆるやかに広げて、凛音の手から白虎を優しく受け取った。そして、微笑を浮かべながら口を開く。
「白虎がここまで懐くとは……やはり、そなたは特別な存在なのだろう。さて、まだ聞きたいことはあるか?」
凛音は答えなかった。天鏡国に来て、確かめたいことはあまりにも多い。どこから問い始めればいいのか、迷っていた。
「まあ、時間はたっぷりある。ゆっくり考えるといい。」
そのひと言を残して、女王は白虎を抱いたまま、ひと足、またひと足と、軽やかに背を向けて歩き去っていった。




