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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第十章:蒼き水鏡の彼方、運命は廻る
119/183

119 二度と訪れぬ夜

剣が交錯する。


淵礼がルナの喉元に剣を突きつけたその刹那、

セレーネは迷いなく長剣を抜き放ち、その切っ先を淵礼へ向けた。

同時に、凛音も反射的に千雪の刃を抜き、セレーネの首筋に冷たく添えた。


四人の視線が交わる。その瞳の奥に潜む殺意と戸惑いが、空気を鋭く凍らせた。


「クラウス殿下……これは、一体いかなる御意でしょうか?」

セレーネの声には困惑が滲んでいる。


しかし、淵礼が答えるより早く、凛音が先に口を開いた。


「ずっと違和感があったの。」

彼女はルナを冷たく見据え、言葉を継ぐ。

「私たちが国境へ向かう前から、敵はまるで警告を受け取ったかのように、周到に人を配置し、整えられた舞台で私たちを待っていたわ。」


「そうだ。我々の進む道は、最初からすべて仕組まれていた。」

淵礼は淡々とそう告げた。


すると、凛音が言葉を引き継ぐ。

「私が賤民営に入った時から、国境に向かい、シアンを見つけ、アミーリアを救い出し、そして演説をするまで——すべての道を整え、影から糸を引いていたのはルナ……お前よ。」


「それだけではない。林夫人に渡った首飾りがアミーリアの手に渡るよう仕組んだのもルナだ。そのために白瀾国へ赴いた。」

「林夫人」という言葉を聞いた瞬間、凛音の瞳に悲しみと怒りが一瞬よぎった。


「ルナ?」セレーネは震える声で呼びかけた。

その眼差しは焦りとすがるような願いに満ちている。

「お願い……何か言ってちょうだい……」


ルナはセレーネの剣先を見つめ、壊れたように笑った。

「……やっぱり、もうバレちゃったのね。」

その声は震えていたが、それでもどこかほっとしたような響きがあった。

「そうよ。私はずっとデイモンの犬だったの。」


その瞬間、空気が凍りつく。セレーネの目が揺れた。


「お姉ちゃん、覚えてる? ずっと病気がちだったでしょう? でも、ある日突然——お父さんは高価な薬を手に入れて、お姉ちゃんは助かった。その薬、どこから来たと思う?」


セレーネの指が、剣を握る力を失いかける。


「……お父さんは、私をデイモンに売ったのよ。」


ルナは遠くを見るように、どこか他人事のように続ける。

「最初にデイモンと会ったとき、あの男は笑いながら言ったの。『お前の価値を見せてみろ』って。だから、私は証明した。彼が握らせたナイフで、初めて人を殺した。」


「それからよ。私は徹底的に教育された。役に立たなければ、何日も食事を与えられなかった。嘘をつけば、爪を剥がされた。逃げれば、足を砕かれた。」


「でも、私が一番忘れられないのは——デイモンが私に初めて褒美をくれた時よ。」


「『よくやったな』って、私の手にお父さんの指を握らせたの。」


静寂。


セレーネの顔色が真っ青になり、膝が崩れそうになる。


ルナは微笑すら浮かべ、淡々と言った。

「そう、お姉ちゃん。お姉ちゃんの命は、私が地獄に落ち、その代償を払っていたからなの。」


「お姉ちゃんが殺し屋として悪を裁いていた時、その影で血を流し、涙を呑み、金を捧げ、汚れた手で支えていたのは——私だったのよ。」


「……ねえ、お姉ちゃん。そんなに苦しそうな顔しないで?」


「だって、お姉ちゃんはずっと幸せだったでしょう?」


ルナは微かに笑い、歯を噛み締めた——刹那、喉から鮮血が噴き出す。

セレーネはその場に凍りつき、目の前で崩れ落ちる妹を見つめ、動くことすらできなかった。


紅い血が、唇の端から静かに零れ、床へと落ちていく。


「ルナ……?」


セレーネの指先がひどく震えた。


——そして、遅れて現実が押し寄せる。


「あああああああああああああ!!!」


セレーネは衝撃に膝をつき、剣が指先から滑り落ちた。硬い床に当たり、澄んだ音を響かせる。反射的に掴もうとしたが、指先にまったく力が入らない。


血は、剣で貫かれたときのように飛び散ることはなく、ルナの口元から淡々と溢れ、顎を伝いながら衣襟を濡らしていく。深紅の液体が彼女の蒼白い唇を染め、わずかに丸まった指先へと滲んでいった。


いつも意地悪く笑っていたあの瞳は、今、冷え切っていた。

もがくことも、うめくこともなく、ただ——死の静寂だけがそこにあった。


セレーネの指先が震え、ぎこちなく伸ばされる。しかし、その手が触れることはなかった。

「……どうして……こんなことを……」

掠れるような声は、今にも崩れ落ちそうに脆い。


短い沈黙のあと、凛音が言葉を落とした。

「セレーネ、立って。時間がないの。」


その時、清樹が息を切らせて駆け込んできた。額には汗が滲み、わずかに肩を上下させながらも、興奮と焦りを滲ませた表情をしていた。

「霖月商会の地下通路が、ダモンの屋敷へ直通している!」


凛音が眉をひそめる。「確かか?」


清樹は深く頷き、わずかに複雑な表情を浮かべながら続けた。

「調査済みだ……この商会は、元々ダモンが密輸を行うために作った拠点のひとつだったらしい。だから、最初から屋敷へ直通する抜け道が造られていた。」


「……ほう。」淵礼は鼻で笑う。

「なるほどな。いかにもダモンらしい。何もかも、自らの駒として使うつもりだったわけか。」

彼の声には、冷ややかな嘲りが滲んでいた。


凛音はセレーネを一瞥し、何も言わずに、ただ強い眼差しを送った。

セレーネはわずかに息を呑み、それでも静かに頷く。

「……行こう。」

落ちた剣を拾い上げる。無駄な動作は一切ない。


地下通路。

梁がきしむ微かな音が響いた。

清樹は警戒するように膝をつき、そっと床に手を当てる。その眉間には深い皺が刻まれていた。

「……この建物、おかしい。」


その言葉に、凛音は瞬時に異変を察した。しかし、反応する間もなく——

バシュン!

四方の壁が突然弾けるように開き、無数の毒矢が暴雨のように降り注ぐ!


淵礼は即座に剣を振り抜き、迫りくる矢を弾き飛ばした。金属がぶつかり合う鋭い音が、火の光の中で響き渡る。だが、これはほんの始まりに過ぎなかった。


「気をつけろ!」

天井から吊るされた燭台が突然落下し、床を砕きながら炎をまき散らす。同時に、足元が激しく揺れ、黒い裂け目が奔るように広がっていく。地面が崩れ、空間そのものが裂けるかのようだった。


「これは罠だ!」

セレーネは鋭く叫び、即座に剣を抜き、迫りくる毒矢を打ち払った。その表情は硬く、すぐに状況を察知した。

「これは単なる商会の焼き討ちではない……私たちをここに閉じ込めるつもりだ!」


凛音は素早く後退しながら、視線を走らせた。炎が木造の壁を喰らい、猛々しく商会全体を焼き尽くしていく。

その光景は、まるであの日の再現だった。


通路の奥で爆発が起こり、轟音とともに炎が噴き出す。熱風が押し寄せ、呼吸すらままならない。周囲では梁が崩れ落ち、焼けた柱が倒れるたびに、火の粉が舞い散る。

毒矢の仕掛けは止まらない。次々と矢が放たれ、その刃先には暗く光る毒が塗られていた。


……このままでは、全員がここで焼き尽くされる!


玄武は本能的に手を上げ、目の前の火焔を鎮めようとした——しかし。


「動くな。」

低く、威厳に満ちた声が響くと、天地が震えた。


玄武の手が止まる。


ゆっくりと振り返ると、燃え盛る炎の奥——そこに、青い光が浮かび上がる。

烈焔の中、渦巻く風が生まれる。激しく燃え盛る炎が、まるで時間を巻き戻すように逆流し始めた。


青い光が、龍の形を取る。


「ここから先は、わしの戦場だ。」


あの日。

林府が燃え、浮遊の力は届かなかった。

その夜、ただ凛音ひとりを守ることしかできなかった。

燃え盛る屋敷の中、浮遊が抱えたのは、ただ冷たい亡骸だった。


——しかし、今は違う。


再び炎が世界を覆おうとしている。


だが、今の浮遊はもう、何も守れなかった神ではない。


轟!!


青い光が瞬いた。天地が震え、風が舞う。

水のように透明な障壁が広がり、すべてを包み込んでいく。


それに触れた瞬間、炎はまるで命を失ったかのように掻き消えた。

爆発の衝撃もまた、音もなく吸い込まれ、消えていく。


炎に呑まれる夜は、二度と訪れさせない。


「……これが、お前の今の力か。」玄武は低く呟く。


浮遊は答えない。ただ、静かにその巨躯を翻し、燃え尽きた廃墟を見下ろしていた。


「行くぞ。」

その声は静かで、しかし絶対的な力を持っていた。


「今度は、誰も死なせはしない。」


ちょうど第二部の終盤――ラストから二番目の話でも、爆発の場面が描かれておりました。しかしその際、浮遊は凛音以外の誰一人として救うことができませんでした。

そして今回、第三部のラスト二話目もまた、同じく激しい場面となりましたが、浮遊にとっては、あの時とは異なる結末が描かれています。それは、彼にとっての深い後悔であり、同時に、作者である私自身の心にも残る後悔でもあります。

最後まで読んでくださり、誠にありがとうございました。

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