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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第十章:蒼き水鏡の彼方、運命は廻る
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117 千雪、その名を呼ぶ人

「そんな王なんて……そんな父なんて……いらない……!」


凛音の叫びが、冷たく青白い世界に響き渡る。

剣を握る指が震えていた。怒りで震えているのか、それとも、込み上げる感情に押し潰されそうになっているのか、もう分からなかった。


静寂。すべては、夜の静寂に溶けていくかのようだった。


しかし、その静寂を破ったのは——意外にもクラウスの苦しげな息遣いだった。


「……っ、また……!頭が……!」

低い呻き声と共に、彼は額を押さえ、よろめきながら片膝をついた。


「クラウス!?」

凛音が驚いて剣を引き、思わず彼へと手を伸ばした。しかし、その手が届くよりも早く——


「っ……っ……ぁ、ぐ……!」

クラウスは苦しげに喉を詰まらせ、歯を食いしばる。その額から汗が滲み、青白い世界に、また赤い雫が滲む。


手を添えた額の奥が、まるで刃で抉られるように痛み、視界が歪む。


まただ……

凛音と共にいると、決まってこの頭痛が襲ってくる。

だが今までとは違う。今回のそれは、あまりにも強く、あまりにも鮮明だった。


脳裏に、何かが溢れ出そうとしている。黒い影のような記憶、今まで封じ込められていた何かが、音を立てて崩れようとしている。


眩暈がひどく、体の平衡すら取れない。


「……おい、どうした!?」

玄武の低い声が響く。だが、それすらも遠く聞こえる。意識が引き裂かれそうになった、その時。


「もうよい。」

低く、重く、どこまでも落ち着いた声。けれど、それは逃れられぬ宿命を告げる響きを帯びていた。

男はゆっくりと目を閉じ、苦しげに口を開いた。

「……真実を、話そう。」


男は、疲れたように視線を上げた。その目には、凛音が見たことのない後悔、そして、微かに脆さが滲んでいた。

「……お前が、私を憎むのも当然だ。私は王でありながら……何もできなかった。」


その言葉に、凛音の指がかすかに震えた。


清遥セイヨウが死んだのも、国が滅んだのも、すべて私の無力のせいだ。」

その声音は重く、まるで枷のように響いた。


「私の母上はもともと蒼霖国の王族だった。雪華国へ王妃として嫁ぎ、私はその血を受け継いで生まれた。本来ならば、この誕生は雪華国と蒼霖国の結びつきを強くするはずだった……だが、それは叶わなかった。幼い頃、私は何度も両国を行き来し、蒼霖国も私にとって大切で、美しい国だった。


だが、私は愚かだった。その頃から、もっと慎重に動くべきだったのに、私は臆病で、ただ人が変わることを信じた。


デイモン兄上は昔から動物を虐げ、殺し、我が国の雪蓮花を乱獲していた。それを知っていながら、私は何も言わなかった。祖父上や父上に報告すべきだったのに、自分の中の迷いと恐れに縛られ、見て見ぬふりをしてしまった。私はあの時、選ぶべき道を誤ったんだ。」


凛音の心臓が跳ねる。

……じゃあ……玄武が私に見せた、あの少年……本当に、父上の過去だったの?


「大人になっても、私は何も変わらなかった。

 玄武が私のもとへ来たとき、本当ならば決断を下すべきだったのに、私はただ己の誇りを満たすことに浸っていた。

 デイモンが渊礼を奪い去ったときも、私は戦うべきだったのに、何もできなかった。

 国境が毒に侵されたときでさえ、私はそれを疫病だと思い込み、事実を調べようともせず、ただ現実から目を背けた。

 そして……清遥が苦しみながら生きていたというのに、私はそれすらも知らなかった。」


静寂が訪れる。男は目を伏せ、ゆっくりとクラウスを見つめた。


「……お前の名は、クラウスではない。お前は、雪華国の第一王子——凌淵禮リンエンレイだ。」


「そして私は……雪華国最後の王、凌霄寒リンショウカン。」


凛音はクラウスを支えながら、目の前の男を冷たく一瞥し、そっぽを向いた。

「……今ここで悔いて、何になるの。」

その言葉は、氷の刃のように鋭かった。


だが、彼女がそれ以上言葉を続ける前に、クラウスが苦しげに呻いた。

「……っ、ぁ……ぐ……!」

凛音の心臓が締めつけられる。彼の額には滲むような汗、唇は血の気を失い、震えていた。


「浮遊、クラウス……いや……」

彼の顔を覗き込むようにして、そっと囁く。

「……彼の痛みを止められないの?」


浮遊が答える前に、ゆったりとした声が響いた。


「無理だよ。」

玄武だった。

「クラウスの記憶は、私の封印と繋がっている。」


「……だったら、何とかしろって言ってるのよ!彼がこんなに苦しんでるの、見えないの!?」

凛音の怒りは爆発した。

クラウスは膝をつき、胸を抑えながら荒く息をついている。背筋が震え、意識が遠のきかけているようだった。


だが、玄武はただ静かに言った。

「もし封印を解けば、彼が負う傷はもっと深くなる。」


「あなたたち……どうしてまだ分からないの?」

凛音は玄武を睨みつけ、冷たく吐き捨てる。

「受け入れるかどうかを決めるのは、私たち自身よ。」


玄武は一瞬、じっと彼女を見つめた。 そして、ゆっくりと、微笑んだ。

「……やはり、真の王だな。」


「我が姫よ……どうか、霄寒ショウカンを責めないでやってくれ。」

玄武の声には、滲むような後悔があった。

「私の我執が、すべての始まりだ。彼は、私が初めて『対等に語らうことができた存在』だった。私は……彼を見捨てることができなかった。」


「だから……淵禮エンレイが生まれたとき、私はどうしても彼を祝福せずにはいられなかった。そして、己の務めを捨て、雪華国へ赴いた。その瞬間から、世界の均衡は崩れ始めた。」


「だが、それだけではなかった。お前が生まれたとき——青龍が目覚めた。」

玄武は目を閉じ、一拍置いてから続ける。

「本来、青龍は『雪華国』の守護神。真の『王』の血脈が覚醒しない限り、決してこの世には降り立たない。」


「神は二柱、ひとつの国に留まることはできない。それが理だ。」

玄武は息を吐き、目を開く。

「……その時点で、この国の命運は決まった。」


「ふざけるな!」

これまでずっと耐えていたクラウスが、ついに声を荒げた。

「それじゃまるで、凛音と私が生まれたことが、この世界の間違いだって言ってるようにしか聞こえない!」


胸の奥から湧き上がる怒りが、言葉とともに溢れ出す。

彼は玄武と霄寒を鋭く睨みつけ、まるで今にも掴みかかる勢いで叫んだ。


「さっさと封印を解け!」


その瞬間、光が爆発した。

白い閃光がクラウスを包み込み、空間が揺らぐ。


「っ……あ、ぐ……!」


頭が割れるように痛む。鼓動が耳をつんざく。

視界が歪み、過去の影が強制的に流れ込んできた。


——女がいた。

震える腕で幼子を抱き、地に膝をついていた。

名を呼ぶ声は、空へと消えた。


——鮮血が飛び散った。

女が倒れた。血の海の中で、子供が泣いた。

叫ぶ間もなく、小さな手が引き裂かれた。


——玄武の咆哮が響く。

だが、彼の体は何かに縛られ、動けない。

神の力でさえ、あの夜を変えることはできなかった。


「っ……やめろ……!」


クラウスの意識が、過去に引きずり込まれる。

逃れられない。

抗うことすらできない。

記憶の刃が脳を突き刺す。


ぐらりと体が傾ぎ、凛音の腕の中へと崩れ落ちる。


「……千雪?」


掠れた声が漏れた。

その声は、確かにクラウス自身のものだった。

けれど、まるで口が勝手に動いたかのようだった。


別の誰か。

別の存在。

別の記憶が、彼の口を通して名を呼んだ。


次の瞬間、彼は凛音を、千雪を強く抱きしめていた。

守るように、離さぬように。


「……私は……誰だ……?」


光が収束し、静寂が落ちた。



みなさん、クラウスが凛音の兄だって、いつから気づいていましたか?

実は 102 話で霄寒が妹の話をしたとき、クラウスがアミーリアと答えたんですよね。霄寒がただ微笑んで何も言わなかった理由は、そういうことでした。


それから、霄寒には蒼霖国の王族の血が流れているので、クラウスもまた蒼霖国の王族の血を受け継いでいます。つまり、玄武の世界における契約の正統性や蒼霖国の王位継承権も、実は最初から仕込んでいた伏線でした。


私が描きたかったのは、王の資格がない状態でも自分の意志で王になると決意するクラウスの姿です。そしてその後になって、あれ、実は最初から資格があったんじゃないかと気づく流れが好きで、この構造にしました。


そして、この三話でいくつかの伏線を回収しました。本来は昨日の話に入れようと思っていましたが、昨日の雰囲気を壊さないために、今日まとめて整理することにしました。


・115話 霄寒が「杏の花のように美しい瞳」と言ったのは、第1話の凛音の容姿描写への伏線

・115話 「三角梅」と「熱く燃える命の象徴」は、52話の陶太傅の回想に対応。三角梅の庭院の描写は51話に登場

・清遥の登場 102話と111話 「紅色の花」も三角梅でした

・クラウスの頭痛は物理的な痛み 原因は封印 92話、98話、99話、101話、110話で伏線を張ってきました


一気にまとめると、私自身も見落としている部分があるかもしれません。あっ、これって伏線だったのかもと思ったところがあれば、気軽にコメントで教えてくださいね。

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