表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第十章:蒼き水鏡の彼方、運命は廻る
112/183

112 気まぐれなる神

「本当にこの道で合ってるの?」

清樹は信じられないという顔でクラウスの後を追いながら、ぬかるんだ土の上を踏みしめるたびに、苛立ちが募っていった。足元はぬるりと滑り、一歩踏み出すごとに悪態をつきたくなるほどだった。


今、彼ら一行は身を縮め、湿気と闇に包まれた地下水道を慎重に進んでいた。


「私が聞いた話ではな。」クラウスは淡々と言った。「蒼霖国には、かつて巨大な湖があった。だがある日、突然その湖は活力を失い、ただの死水と化した。やがて草木も生えなくなり、動物たちも近づかなくなった。そして最後には、この湖自体が封鎖されてしまった。」


「どうでもいいから、早く行きましょう!」

アミーリアはクラウスの回想を遮るように声を上げた。彼女は膝を折りながら前進せざるを得ず、その長いドレスの裾は汚れた水に浸り、べったりと足に貼りついていた。最悪だった。


湿った空気にはわずかにカビ臭が漂い、壁の隙間から滴る水がぽつり、ぽつりと落ちて、静寂の中に小さな音を響かせる。


どれほど歩いたのか分からない。

果てしない暗闇を抜けた先、ようやく前方に微かな光が差し込んでいた。


彼らはついに、地下通路を抜け出した。


だが、その先に広がる光景を目にした瞬間、誰もが足を止めた。


森はない。遺跡もない。山も川も何もない。ただ、湖があるだけだった。

鳥の姿も、生き物の気配もない。雲すら浮かんでいない。


どこまでも広がる湖水は、静かに天地の狭間に眠っていた。

空は白く霞み、湖は天空を映す鏡のように広がる。ただ、どこまでが湖で、どこからが空なのか——境界が分からない。


「……ここは、一体……?」

清樹は眉をひそめ、警戒しながら周囲を見回した。しかし、何もない。ただの広大な水面が続くだけだった。

彼らの足元すら、幻のように湖面に浮かんでいるかのように不安定に感じられる。


「おかしい……おかしすぎる……」

アミーリアが低くつぶやく。彼女はこれまで、どれほど珍しい秘宝や奇景を目にしてきただろう。だが、ここは違う。

「湖はどこ?」


確かに湖はそこにあった。

だが、湖水はあまりにも澄み渡り、あまりにも白く、まるで世界そのものが消え去ったかのようだった。


ふと、凛音が尋ねる。「蓮、この湖の上に少年が見えない?」

蓮は眉をひそめ、湖を見渡す。「いや、見えないな。」


その瞬間、クラウスの心臓が大きく跳ねた。


「……私には見える。」

彼の瞳孔がゆっくりと収縮する。


湖面には、天空が映り込んでいた。

しかし、そこに映るのは彼らの姿ではなかった。

湖が映し出していたのは、ここにいるはずのない、一人の少年だった。


白い衣が湖の光を受けて揺らぎ、衣の裾がかすかにたなびいた。


しかし、風はない。水も動かない。

それなのに、湖に映る衣の裾は揺らめいていた。


凛音の指がわずかに震えた。

そっと手を伸ばし、水面に触れようとする。


だが、指先が湖に触れた瞬間——何も変わらなかった。

湖は沈黙を保ち、波紋すら生まれなかった。

時間さえもここで止まってしまったかのようだった。


湖に映る少年は、微笑みながら、凛音を優しく見つめていた。


「……あれは……?」

クラウスはかすれた声でつぶやき、指先が無意識に強く握り込まれた。


見覚えのない少年のはずだった。

だが、心の奥底で、何かが強く揺さぶられる。——なぜかは分からない。ただ、言葉にできないほどの懐かしさが、微かに胸を締めつけた。


「おかしいな、なんで二人にしか見えないんだ?」

清樹が腕を組み、不思議そうに言う。

「神獣が関わっているなら、蓮殿下にも見えておかしくないはずだろ。」


「……私には、この湖が静かすぎて不気味に思える。」

蓮の低い声が、静寂に染まった空間に響く。


「一旦、情報を整理しよう。」

清樹は、気づけば自然と参謀役を担うようになっていた。


「まず、神獣を召喚できるのは王族のみ。これは、凛音様、蓮殿下、アイ殿下がその力を持っていることからしても、例外はない。

それに、望月の情報によれば、蒼霖国で正統な王族とされるのはデイモンだけだ。


次に、蒼霖国の神獣——朱雀様と浮遊様が気配を感じ取れないということは、封印されている可能性が高い。

あるいは、デイモンを認めていないのかもしれない。


そして最後に、今のところ、私たちは湖の底に蒼霖国の神獣がいる可能性が高いと考えている。

……だが、クラウス様と凛音様だけが湖の中の人物を見ている。


これ、どう考えてもおかしくないか?

蒼霖国の神獣がクラウス様を認めているとしたら、なぜだ?

クラウス様は王族じゃない。ただ、蒼霖国を守ろうとしているから?

……なら、凛音様は?

他国の王族である彼女を、認める理由があるか?」


「確かにおかしい。私は蒼霖国の王族じゃない。それなのに……どうして。」

クラウスは眉を寄せ、湖を見つめながら思案する。


蓮は腕を組み、ゆっくりと視線を湖へ向けた。

「それは……本当に『王族』ではなく、『この国を継ぐ者』を選んでいるのかもしれない。」


凛音は湖を見つめ、小さく息をのむ。

「私も……理由は分からない。でも……確かに感じるの。あの湖が、何かを伝えようとしているような気がする。」


沈黙が広がる。蓮が眉をひそめ、口を開こうとしたその時、不意に浮遊がふっと姿を現し、尾をゆるりと揺らした。

「お前たち、まるで神獣を偉大な存在のように語るが——」


肩をすくめ、皮肉っぽく言葉を続ける。

「神なんてな、そんな大層なものじゃないぞ。気まぐれよ、大半は。」


「待ってください!浮遊様の姿が……私にも見えました!」

清樹が突然叫び、驚愕に目を見開く。

アミーリアとクラウスも同様に頷き、三人の視線が浮遊へと向けられた。


今まで、浮遊のミニ龍の姿が見えていたのは、蓮、凛音、そしてアイだけだった。


「やっぱり、この空間……何かおかしいわね。」

そう言うと、凛音は湖面へと一歩を踏み出した。

だが、奇妙なことに——水に足が沈むことはなかった。

濡れることもなく、まるで湖面が彼女の足を支えているかのように、そっとその歩みを受け止める。


「……言葉にするのは難しいけれど、ここにあるもの全てが……止まっている気がする。」

そう言うと、彼女はさらに湖の上を進んでいった。

やがて湖の中央に差し掛かったとき、水面が揺らぎ、波紋がゆっくりと広がる。

湖の中の少年が微笑みながら彼女に手を差し伸べると、湖水がゆるやかに沈み、奥へと続く階段が姿を現した。


その時、岸辺に立っていた蓮が、急いで凛音のもとへ向かおうとした。

しかし、湖水はまるで彼を拒むかのように揺れ、足を乗せようとした瞬間、実体を持たない流れとなり、踏みしめることができなかった。


凛音は振り返り、蓮にそっと微笑んだ。その瞳には、不安を和らげるような優しさと、譲れない決意が宿っていた。


蓮は一瞬、躊躇した。しかし、凛音の表情を見て、ふっと笑みを浮かべると、小さく息をついて言った。

「……分かったよ。」

そう言うと、蓮は踵を返し、浮遊の方へ視線を向ける。そして深く一礼し、短く告げた。

「頼む。」

その瞬間、浮遊の姿が霞むように消えた。


蓮はそれを見送ると、わずかに肩を竦めた。

「……とはいえ。」

ぼやきながら、クラウスの背後に堂々と歩み寄り、遠慮なく一蹴りを食らわせる。


「お前、さっさと行け!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ