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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第九章:飛雪は六月に非ず、沈みし冤ついに天光に
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109 民よ、真実を聞け!

夜の帳が降りても、蒼霖国の市街は相変わらず賑やかだった。

通り沿いに連なる赤い提灯が揺れ、煌々と輝く霖月商会の灯りが、まるで昼のように人々を照らし出している。


今宵、この商会は珍しく街の中心に巨大な演舞台を設け、『武芸大会』を開催すると告げた。

その噂は一瞬で街中に広まり、老若男女を問わず、多くの民衆が期待に胸を膨らませて集まってきた。


舞台の周囲は、溢れんばかりの人の波。

客寄せの男は壇上で朗々と大会のルールを説明し、参加を願う武芸者たちは、すでに意気込んで袖をまくっている。


だが――それはすべて偽りだった。

偽りの舞台、偽りの大会、偽りの主催者、偽りの王子、そして、この国さえも偽りにまみれている。

しかし今夜、その虚飾の闇を切り裂いて、初めての「真実」が響こうとしている。



黒い外套を身にまとい、頭巾を深々と被った男が静かに擂台中央へ歩み出る。

群衆は興味津々で見守った。だが男は俯いたまま、一言も発しない。


最初こそ人々は静かに待っていたが、次第にざわめきが広がり、不満げな声があちらこちらから飛び交う。

「なんだよ、早く始めろ!」

「いつまで待たせる気だ?」

しかし、男はまるで石像のように、沈黙を守ったまま動かなかった。


そして――不意に彼が頭巾を脱ぎ捨てた。

深く静かな瞳が群衆を捉え、その瞬間、広場はまるで時が止まったように沈黙した。


「私は、蒼霖国の第一王子、クラウスだ。」

その声音は低く、しかし紛れもなくはっきりとしたものだった。


群衆は息を呑んだ。一瞬にして広場全体が凍りついたかのようだった。


「……いや、本当のことを言えば、私は自分の名すら知らない。どこから来たのか、自らの血筋さえも分からない。」


クラウスはゆっくりと視線を上げ、民衆一人ひとりの目を見据えるようにして語りかけた。

「だが今、私は確かにこの国の第一王子としてここに立っている。」


ざわめきが波のように広がっていく。

「クラウス殿下だと?」

「彼は叛国者では……?」

「殿下は生きておられたのか?」


民衆の驚愕と疑問を受け止めるように、クラウスはさらに一歩前に出る。

「私は叛国者ではない。父上を殺したのも私ではない。」

彼の声音は揺らぎなく、その瞳には怒りに似た、鋭い光が宿っていた。

「だが正直に言おう――あの日、私は確かに、父上を殺すつもりで王宮へ赴いたのだ。」


民衆は再びどよめき、驚きと混乱の視線が交錯する。


「民を守らず、自らの享楽のために腐敗した官僚をのさばらせ、貧しい者を踏みにじる――そのような王に、私はどうしても忠誠を捧げることができなかった。」


夜の風が冷たく吹き抜け、群衆がざわめく中、クラウスは再び口を開いた。


「私は誓った――クーリスを決して無駄死にさせはしないと。彼の死に報いるためにも、今ここで真実を語る。」


低い声音が群衆の耳に染み込んでいく。


「皆には、クーリスという名に聞き覚えのない者もいるだろう。正直、私自身もこれまで彼のことをよく知らなかった。」


クラウスは瞼を閉じ、一瞬の沈黙の後、再び目を開いた。その瞳には涙の光が滲んでいた。


「だが、あの男は民のためにすべてを捧げた。国に見捨てられ、兵に囲まれた街で、自らの子が殺されるのを目の前で見届けるしかなかった。そしてその街の民もまた、何の罪もなく死に追いやられた。」


声が微かに震える。


「彼はその無念を晴らすため、数え切れないほど王宮を訪れた。何度も何度も王に頭を下げ、幾度も仲間に助けを求めた。その足は歩き続けて傷だらけだっただろう。その膝は跪き続けて血だらけだっただろう。だが、彼に与えられたのは『叛国』という汚名と、無残な亡骸だけだった。」


群衆の中、一人の母親が怯えたように我が子を抱き締め、その顔には言葉にならない恐怖と動揺が浮かんでいる。


クラウスは、その母子に静かに視線を向け、言葉を続けた。


「皆が目を背けてきた賤民営には、この国が生み出した数え切れぬほどの孤児たちが囚われている。その子供たちは、次々と無意味に命を落としていった。お前たちが崇める神医シアンは、彼らの血をすすり、命を奪い、デイモンの名の下で、非道な人体実験を繰り返した。」


群衆は凍りついたように押し黙った。


その静寂を破ったのは、一人の老人だった。彼は震える声で立ち上がった。


「わ、私の孫娘は、神医様に治してもらったはずなのに……三日目の朝、冷たくなっていた……あの方々は、病が重かったからと言ったのに……」


人々のざわめきは波のように広がり、やがて怒りと恐怖が入り交じった騒然となった。


クラウスは毅然として、まっすぐに立っていた。


「こんな国に、あなた方が忠誠を捧げる必要はない。こんな王を、あなた方が守る価値などない。」


その声音は冷たく、鋭い刃のように群衆の胸を貫いた。


彼はゆっくりと右手を広げ、群衆の中に立つ蓮を指し示した。

「ここにいるのは白瀾国の第二皇子、蓮殿下だ。この国を去りたい者は、彼を頼るといい。もし天鏡国を望むなら、私が責任を持って引き合わせよう。」


人々が驚きの眼差しで互いを見つめ合う中、クラウスの声音は、あくまでも穏やかだった。

「私は、誰にも、このような無為無道な国に留まれとは言わない。すべての命には、守られるべき価値がある。そして、すべての人間には、自分の幸福を追い求める権利がある。」


彼は一瞬、言葉を切った。群衆の静かな呼吸が夜気の中に響く。

「だが、もし君たちが私と同じように、この土地に少しでも想いを残しているなら 、どうか私を信じて、待っていてほしい。」


「私は必ず、この国をもう一度立て直してみせる。」


クラウスの声音が止んだ瞬間、通りの向こうから低く重い足音が響いてきた。

デイモンの兵士たちだった。冷たく、無機質な足取りで一歩一歩迫ってくる。


それを見たクラウスは微かに口元を緩め、そして毅然とした声で叫んだ。

「手を出す必要はない。私は自ら赴く。」


声には震えも迷いもなかった。民衆が息を呑む中、彼は続ける。

「だが、私の民には決して触れるな。一切だ。指一本たりとも、髪一筋たりとも、許しはしない!」


その言葉を言い終えると同時に、クラウスは堂々と舞台を降りた。

人々は自然に、無言で道を空けた。

誰もが無言で、敬意と畏怖の入り混じった目で彼を見送った。

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